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何かを長く続けている人ならわかるかもしれない。
明らかに「昨日の自分とは違う」と実感できる"上達"の感覚を、
僕は野球をやっていた頃、小学校四年の時、中学校二年の時、高校二年の時、
その三回の明らかな成長期の瞬間を、明確に今でも覚えているのです。
ファミリーランド
歌を歌うことは難しい 届けるってことは難しい
もうあなたがいないと知ることは もっと難しい
「星になった。」と言うのならば
宇宙飛行士にでもなれたら 会えるかな
ぼんやりと青空 見上げては 想い出の旅
シマシマの野球帽 リュック背負って 妹の手を引き
二つ電車 乗り換えて あなたに会いに 真夏の冒険
叶うならば もう一度 声をください
毎年恒例の 遊園地 終着駅にある 遊園地
毎年恒例に するもんだから 徐々に飽きてさ
キリンの餌やりもしなくなって コーヒーカップにも乗らなくて
ゲーセンのメダルで 夢中だった 寂しかったろうな
とてもあなたには言えない ずるさを身につけて 大人になったよ
僕の無駄遣いな日々が あなたを 蝕んで本当の「さよなら」
叶うならば もう一度 声をください
2004年 遊園地は 静かに 歴史に 幕閉じた
当たり前も永遠も ないからこそ 大切なのだ
会いたい人がもしいるのなら 忙しくても 会いにいこう
感謝は言い過ぎて損はない 慎ましくいよう
見返りなど 求めない 真っ白な愛情を 誰かに注ごう
大概の理不尽なんかを 怒りや哀しみを なるべく許そう
叶うならば もう一度 声をください
声をください
どうか声をください
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思い出すことが一番嬉しいと思います。
井指です。
先日、神戸文化ホールまでまちなかパフォーマンスのライセンスパスを受け取りにいった時のこと。
ホールの受付ではなく、文化振興部の事務所におじゃましたのですが、
エレベーターに一緒に乗った80歳くらいのおじいさんが、
僕より先に事務所に入り、何やら申請のためにアポを取っていたようなのです。
時刻は13時少し前。
おじいさんが「予約していた〇〇です。」と窓口の方に伝えると、
慌てて係の方が「あれ〇〇様、15時でお伺いしていましたよ。」と。
おじいさんは「いやいや13時で伝えていたはずやで。
15時やったら合唱の練習に間に合わん。」と。
おおかた、3時と13時で言い間違えたのか、聞き間違えたのか。
そんなところだろう。と僕は順番を待ちながら想像をしました。
口調からしてちょっと頑固っぽい、融通の利かなそうな印象。
さて、これは長くなるのではないか。と覚悟をしていると、
そのおじいさんから驚きの一言。
井指です。
さて、今日も「にこいちの部室」に何を書こうかな。
今日は何があったけな。
なんて一日を振り返り考えると、
ついつい愚痴っぽいことを書きたくなる日があるのです。
こんな理不尽なことがあって。と、つい聞いて欲しくなるんです。
それはそうです。
だって、少なからず僕らの味方でいてくれるみんなに向けて書いてる記事ですから。
よっぽど偏った、もしくは道からズレた投稿をしない限りは、
みんなある程度の範囲まで共感してくれるだろうし、励ましてくれるでしょう。
でも最近思うのです。
何か話題を作るときに、誰かをターゲットにすることってとても簡単だな、と。
つまり、人をいじったり、いないやつの陰口を言ったり、
そういうのって話題として盛り上がりやすいのです。
例えば一度も彼女ができたことがない男の子に対して、
寄ってたかって「だからお前はモテないんだよ。」みたいなね。
「いいか。こういう男がモテるんだよ。」みたいなね。
有利なやつと不利なやつで成り立つ空間ね。
その場を盛り上げるために出した話題作りが、
気づけば誰かを傷つけてしまっているかもしれない。
これはとても気をつけなくてはいけないことです。