blog
おはようございます!
昨日のZoomミーティング(B-1グランプリ)の振り返りのまとめテキストはこちらで書いております。もしよろしければご覧ください。
今日の生配信は、大好評振り返り配信です! 成瀬がみんなの作品をどう聴いたか? をじっくりお伝えします。
おはようございます!
56年半も生きていると、さすがにいろんなことに耐性がつき、対処方法もわかる。自分の心が「持っていかれる方向」の傾向も理解しているし、「何を大切にしなくてはいけないか」もしっかり胸に刻み込んでいる。
どんな人間にも波があり、その波を小さくしたり、目立たなくしたりして、やり過ごすのが社会的には正しいのだろう。でも、僕のような仕事では、その「波」を自分自身でどう乗りこなすかが何より大切だ。このオンボロで傷つきやすい繊細な心も、少し飛行機に乗るだけで汗が止まらなくなる小心さも、実は僕の仕事には欠かせない。
作曲の過程のほとんどは「選ぶこと」――これが核心だ。たとえば、Aメロを3つの候補から選ぶ、サビに向かうコード進行をどうするか、あるいは歌詞の語尾を「だ」にするか「ね」にするか、そんな細部まで。にもかかわらず、今の僕は、自分の曲をジャッジできなくなっている。これではいけない。そう、スランプとはメロディが浮かばなくなるわけではない。「何がいいのかわからなくなること」なのだ。
そもそも、このスランプは自ら望んで招いたものだ。
たとえて言うなら、コツコツ当てていけば、僕だってベテランだ。小さなヒットは打てるかもしれない。でも、僕が打ちたいのはホームランだ。やはり、スタンドに強烈な打球を突き刺したい。そのためにはフルスイングが欠かせない。だからこそ、いまスイングを見直している。
こんなふうにスランプ気味のときは、好きな人に会ったり、気分よく暮らしたりするのがいちばんだ。先週の家族との時間は、僕にとって実に心地よかった。「いい気分」――それこそが、僕が創作において何より大切にしているものだ。
伊藤銀次師匠は、それを「ご機嫌力」と呼んだ。
気分を整えるために、昨日、本棚を一つ買った。僕の身長より高いそれは、天井に突っ張り棒で固定できるタイプだ。部屋中に散らばっていた本を並べ、背表紙を眺めているだけで、ずいぶん気持ちが落ち着く。最近は電子書籍を買うことが多い。でも、リアルな本の魅力はやっぱり抗いがたい。
さて、これから歌詞書きの続き配信をします。仮歌詞ではなく「ガチ歌詞」、しかも数曲あるので、どれくらい時間がかかるか見当がつかないけれど、ソングライターがうなっている姿に興味があるメンバーは、ぜひ応援しに来てください。
みんなは今日、「ご機嫌」でいますか?
北山が先発と知った瞬間、『勝てる』と思った。でも、これほどの快投は想像以上だった。
6月19日、木曜日のナイター。場所は東京ドーム。交流戦のジャイアンツ対ファイターズで、うちの北山亘基が9回1アウトまでジャイアンツ打線をノーヒットに抑えて、結果ワンヒッターを達成。いやもう、見事だったわ。(ちなみに本場アメリカじゃ、ノーヒッターだけじゃなくワンヒッターもきちんと記録になるんだ)
この日、あたしの隣には外国人女性の二人連れが座っててね。まあよく飲むのよ、ビール。1イニングに1杯ペースでビールを空ける二人。盛り上がってる彼女たちがときどきあたしにちょっかいをかけてくるもんだから、「ちょっと飲みすぎじゃない?」って言ったら「あなたも飲む?」だって。あはは──。
9回に入ったころ、球場の空気が明らかに変わった。それまでの緩やかなムードが、ぴりっと引き締まった空気に一変。ひとつひとつの投球に歓声とため息が交互に飛び交って、胸がぎゅうっとなった。あたし、もう40年以上野球を観てきてるけど、ノーヒットノーランにはまだ一度も立ち会ったことがないのよ。だから心の中では「どうか決まって…!」って祈るような気持ち。
ついにこの目で夢みたいな瞬間を見られるのかもしれない。ドキドキしながら北山を見つめていた。球場全体がその瞬間を待っている、そんな空気だった。一方で隣の二人はずっと陽気。ふと思ったの。「あれ、この子たち、もしかしてノーヒットに気づいてない?」って。
そこで聞いてみた。「ねえ、いまノーヒットって知ってた?」案の定「なにそれ?」って返された。しょうがないから翻訳アプリで文章を作って見せた。
Just two outs away from a rare no-hitter―something even someone like me, who’s been going to the ballpark for 40 years, might never get to see.
(あと2アウトで、すっごくレアなノーヒッター。あたしみたいに40年も球場通ってても、なかなか見られないやつ)
「わーすごい!」って拍手してくれたけど、たぶんまだピンと来てなかった。ノーヒットって何?という顔をしていた。「わかってる人にしかわからない感動」ってことか。ちょっとだけ考えちゃったな。
まさにその瞬間、ジャイアンツの大城がライトスタンドにホームラン。ボールが悲鳴を切り裂くように飛んでった。でもね、あたし妙に爽やかな気持ちになったの。ファイターズファンたちは北山に拍手を送っていたわ。「ここまで楽しませてくれてありがとう。あと少し、がんばって!」ってね。
あたしには北山の気持ちがすごくわかる。ほんの数センチ先にノーヒッターという栄光があった。あと2アウト取れていたら、彼の人生はきっと大きく変わっていたの。あたしもひと月ほど前、大きなチャンスをあと一歩で逃したばかり。自分のベストを尽くしたのだからそれでいいじゃないかって、いつものあたしなら思えるんだけど、今回は思い切り悔しがろうと思ったの。あと数センチであたしの人生も確実に変わってた。悔しい。どうしてチャンスをものにできなかったんだろうって。
北山、試合後のインタビューの表情が固かった。カメラ越しでもその悔しさが伝わってきた。チームが勝ててよかったけど、悔しい。いつか完全試合を成し遂げるピッチャーになる。彼はそう言った。もうドラフト8位のアンダードッグなヒーローではないんだ。あたしもがんばんなきゃなって、涙が出てきたわ。さ、そろそろこっちも本気出しますかってね。また北山から元気もらったわよ。
それにしても東京ドーム。エスコンフィールドと比べちゃうと申し訳ないけど、やっぱりあちこちくたびれてきてる感じ。しかも相手がファイターズなのに満席じゃないなんて。平日とはいえ、ちょっとびっくり。同じセ・リーグの甲子園やハマスタだったら、どんな相手でも簡単にチケット取れないでしょ? エスコンだってヤクルト戦も広島戦もすごかったし、阪神戦なんてプラチナチケットだったわ。
まあ、観客の入りってチーム事情もあるけどね。あたしでも知ってるくらい、今のジャイアンツはあんまり良くないみたいだし。WBC戦士の岡本が抜けたのは痛いよね。でも、それだけでここまで打線が薄くなるって……チーム作りって難しいもんね。
で、この日のファイターズはというと、びっくりするほどの布陣。清宮もレイエスも野村もいなくて、いわば「飛車角落ち」、いや「王」までいなかった。でも、それで勝っちゃうんだから。ファイターズ、見事だったわ。
ワンヒッター達成、おめでとう、北山。そしてほんとにありがとう。東京で輝いてる姿を見て、あたし、なんだか胸が熱くなっちゃった。だって試合のない日にエスコン行ったら、北山がひとりで黙々と練習してるの、何度も見てるからね。
ここ北海道で、ファイターズとカープの試合を観るようになるなんて、思ってもみんかったわ。ほいでもアレやな、思ってもみんことが起きるんが人生やし、野球やな。こんな7点差ひっくり返すことんなんてあるか? 見たことないわ。僕いっつもiPadでスコアつけてんねんけど、この日は6回までで充電切れてもてん。不思議なもんや。そんなこといっつもないねんけどな。せやから、あの猛烈な逆転劇は、記録されてないねん。それでもええねん。この空白のスコアシートは『充電が切れた』って記録でもあるんや。
広島って、僕、好きやねん。
昔、バンドでデビューしたことあって、そのときキャンペーンライブかなんかで広島に行ったんよ。97年のこっちゃ。ナミキジャンクションってハコやった。ライブのこととか、正直あんまり覚えてへんねんけど、夜みんなで食べに行ったお好み焼きがめっちゃ美味くてな。それ以来、お好み焼きって言うたら広島やと思ってる。大阪のんも悪ないけど、広島のお好みはほんま最高やと思う。
ほいで昔からなんやろ、広島出身のミュージシャンに好きな人が多いねん。矢沢永吉さんも、吉田拓郎さんも、吉川晃司さんもそうやろ。その中でも奥田民生さんが特に好きやねん。ユニコーンの彼もええけど、ソロになってからのんも、すごいええ。僕は昔の広島市民球場に二回行ったことあるけど、そのうちの一回は野球やのうて、奥田民生さんのライブやった。あの球場のど真ん中に一人でギターの弾き語りで民生さんが歌うんや。なんやろなあ、彼の広島への想いとか、カープへの想いとか、そういうのが音の塊になって飛んでるみたいやった。空にはヘリが、でっかい音たてて飛んでてな。
民生さんの声とヘリの音と、広島市民球場の夜の空。曲はなんやったかな、『The STANDARD』やったかもしれん。忘れられへん夜や。
市民球場に行ったもう一回はな、前田智徳の2000本安打を見に行ったときや。僕の弟が広島に縁ある人と結婚してて、その頃広島に住んでたから、弟の家族と僕とで一緒に観に行った。2007年の9月のことや。前田は7回までに4打席まわってきたけどヒット出んくて、今日はもう無理やろなって感じになっててん。んでも8回裏に、他のメンバーが執念で前田まで回してな、ほんで前田も見事にヒット打ちよったんや。市民球場そらもう、大騒ぎや。印象的やったのが、4番を打ってた新井貴浩(今のカープの監督やね)が、しぶとく粘ってフォアボール取ったんよ。「絶対前田さんまで回す」っていう気持ちが、よう出てたフォアボールやった。なんか、妙によう覚えてんねんな。
マツダスタジアムにも一回だけ行った。エスコンができるまでは、マツダが日本一の球場やった思う。あそこは何て言うても、広島駅から歩いてすぐってとこがええよな。都会のど真ん中に、ちゃんと球場がある。歴史的にも広島って町の発展を考えると、カープって球団はほんま外されへん存在やなって思う。二十歳そこそこの頃、旅行で尾道に行ってな、旅館に泊まったんよ。仲居さんが布団敷きに来てくれたときに、「やっぱり広島の人ってカープファン多いんですか」って僕、ちょっと間の抜けた質問してしもたんよ。そしたら人の良さそうな仲居さんが、ちょっとムキになって「カープを応援せん人は、広島県民やないです」って言わはった。
で、マツダスタジアムに行ったのは、2010年4月2日や。その日付をちゃんと覚えてるのには理由がある。この日行われた「広島対巨人」の試合前、巨人のコーチやった木村拓也が、ノック打ってる最中に倒れはってん。僕が球場着いたときには、ホームベースのあたりに、両チームの選手やスタッフが集まっててな。最初は誰かレジェンドでも来て、みんなで挨拶でもしてるんかと思った。でもそのあと救急車が入ってきて、ああこれは普通ちゃうなって思った。そんときは、まさか木村拓也がクモ膜下出血で倒れたなんて知らんかった。たしか試合中にネットのニュースか何かで知ったはずや。
木村拓也って、名前が名前やから、選手時代から人気あったけど、そのどこでも守れるユーティリティ性と渋いプレイスタイルで、カープ時代からほんまチームに欠かせへん存在やった。巨人にトレードで移ってからは、より一層スタイルに磨きかかってて、引退後は巨人のコーチになったばっかりやった。38歳やった。倒れたその日から数日後、彼が亡くなったって聞いて、僕はすごく悲しかったし、同時になんか啓示を受けたような気持ちにもなった。お子さんもまだ小さかったらしいし、彼の人生はこれからってとこやったと思う。ほんまに無念やったやろな。人って、どこでどうなるかわからん。僕も、このもらった「人生」っていうチャンスを、ちゃんと活かさんとあかんなって思ったんよ。
ほんでも、よりによってカープとジャイアンツの試合の前に、しかも広島で倒れはるって…ようがんばってはった人生やったから、お世話になったみんなの前で倒れはったんやな。そういうとこまで、実に木村拓也やなあって、なんか忘れられへんねんよな。