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「受かる曲はわからない。でも、受からない曲はわかる」――AKB48、Cloud ten、BINGO5周年
成瀬英樹
成瀬英樹
9月28日 23:58

――この週末は、AKB48のコンサート、Cloud ten(クラウドテン)、そしてBINGOのオフ会と、かなり濃い時間が続きました。まずAKB48のコンサートから聞かせてください。


まず、本当に攻めたセットリストだなって思いましたね。メンバー45人が、それぞれ1曲ずつセンターを取るというコンサートだったんです。


――45人全員がセンター。


そう。しかも、それぞれのメンバーが選んだのかな、と思うような曲が並ぶんですよ。だから、どうしてもマニアックになるんです。それを45曲、ほぼぶっ通しでやる。さらにアンコールも数曲ありましたから、なかなか体力的に大変なライブでした(笑)。もちろん内容はすごく良かったですよ。


――その中で、作曲家として感じたことはありましたか。


ありましたね。『鈴懸なんちゃら』とか『ラブラドール・レトリバー』『ハート・エレキ』『UZA』『Everyday、カチューシャ』とか、途中でシングル曲も何曲か出てくるんですよ。


45曲いろんな曲を聴いている中で、そういうヒットした表題曲が来ると、もう明らかにキャッチーなんです。


――知っている曲だから、ということではなく?


そこなんですよ。ヒットしたから耳馴染みがあってキャッチーに感じる、というだけじゃない。やっぱり曲として強かった。作る側としては、そこをすごく聴いちゃいましたね。


僕、20年近くAKBさんと仕事をさせてもらってますけど、それでも知らない曲がたくさんあったぐらいマニアックなセットリストだったんです。それだけAKBには歴史があって、楽曲の厚みがあるということでもありますよね。


実は僕が観たのは夜公演だったんですけど、昼公演では僕の『BINGO!』と『そばかすのキス』もやってくれていたらしくて。夜はなかったんですけどね(笑)。


でも、本当に行ってよかったです。いろんな気づきがあった。作る側としても、すごく学びの多いコンサートでした。


――そして翌日は、お台場のCloud tenへ。


そう。かなり立地のいいところに新しくできた劇場で。行く前は、秋元さんが手がける男性グループということで、どんなものになるんだろうという興味がありました。


実際に観てみると、すごく面白かったですね。


――どんなところに面白さを感じましたか。


すごく「普遍的」だったんですよ。アップ・トゥ・デートなものを追いかけるというより、普遍的な方向を感じた。特に音楽ですね。曲、サウンド。


もちろん秋元さんがこれまで作られてきたものの延長線上にはあると思うんです。でも同時に、日本には男性アイドル音楽が長い時間をかけて作ってきた独特の文化があるじゃないですか。その流れもどこかに感じたんですよね。


秋元さんの文脈と、日本の男性アイドル音楽が培ってきた文脈。その両方が自然に重なっている感じ。


――それを観て、成瀬さんはどう思いました?


曲を書きたいって思いました(笑)。めちゃくちゃ思いましたね。


最初の2、3曲は、こっちもまだメンバーに馴染んでないじゃないですか。でも観ているうちに、どんどん若い彼らに引き込まれていく感じがあって。


最後には3人ぐらい、もう目が離せないメンバーがいました。本当に正直、かっこよかったですよ。


――何に惹きつけられたんでしょう。


やっぱり熱意ですね。まだ超満員というわけではなかったんですけど、熱のあるお客さんを前にして、「なんとかこっちを振り向かせよう」という熱意がすごく伝わってきた。そういうメンバーが何人もいました。


――そしてその後、BINGOのオフ会へ。


急に決まったオフ会だったんですけど、20人ちょっと集まってくれて。嬉しかったですね。


新宿のレンタルスペースみたいな広い部屋を借りたんです。外から見ると、ちょっと年季の入ったビルの一番上なんだけど(笑)、中はすごく綺麗で。


僕が行ったら、みんながサプライズを用意してくれてたんですよ。


――合同会社BINGOの5周年。


そう。ケーキとかプレゼントとか用意してくれていて。驚きました。僕、ああいうときのリアクションが苦手なんで、あんまり「わー!」ってできないんですけど(笑)。でも、すごく嬉しかったです。


今年の初頭に、「この半年でベストを尽くしてやってみよう」と。次にみんなで集まったときには、お互いの健闘を称え合えるようにしよう、みたいなことを言っていたんです。


そこから半年、本当に今年は素晴らしい成果を得ることができた。僕も、白井さんも、石崎さんも。ゼミ生の採用曲も来月、また発表できるものがあります。


だから、そのいくつもの成果をみんなで噛み締めながら、また次へ向かっていく。そういう意味でも、すごくいいオフ会だったと思います。


――オフ会では楽曲のブラッシュアップもやったそうですね。


やりました。僕と白井さんと石崎さんの3人に分かれて、ゼミ生たちも3つのグループに分かれて。曲を持ってきた人には、それぞれ3人がブラッシュアップの意見を伝える形にしました。


だから全員が、3者それぞれから意見をもらえた。それはよかったんじゃないかなと思います。


――ここから成瀬ゼミの話を聞きたいです。今後、どんな場所にしていきたいですか。


まず、たくさんの人を集めるつもりはないんです。作家さんもゼミ生も。


チャンスを求めている人。そして、僕たちの「流派」ってよく言うんですけど、言葉とメロディとハーモニーを大切にしたい人。


僕は、そこには流行り廃りがないと思っているんです。


そういう普遍的なものを大切にしたい仲間がいるなら、一人ずつプロにしてあげたい。


僕自身、作曲家としてデビューした年齢が遅かったので、本当に大変だったんですよ。でも何が大変かというと、回り道をしちゃうから大変なんです。


だから、僕のところに来た人には回り道をさせたくない。


――成瀬ゼミは、かなり早い段階から実戦に入りますね。


そうですね。ダイビングに例えたら、いきなり海へドボンって突き落とす感じ(笑)。


本当に、いきなり潜らせちゃう。


でも、ドボンって海に入って泳いでみないとわからないことってあるじゃないですか。自分が浮くのか沈むのかも含めて。


だから、ずっと岸の上で泳ぎ方を説明するんじゃなくて、まず実際にやってもらう。僕はそういうやり方をしています。


――一般的な作曲教室との違いは、そこにもありそうです。


よくある作家さんの教室って、実際にはその作家さん本人が直接教えるわけじゃない場合もあるじゃないですか。


僕のところは、僕が直接教えます。


だから、ものすごくわかりやすく言えば、「僕の曲が好きなら面白いと思いますよ」ということなんです(笑)。


僕の曲に何か共感してくれる人。その人には、僕がこれまで経験してきたことを直接伝えられる。


ただし、僕は一番大事なのは本人の個性だと思っているので、その人の個性を曲げてまで何かをさせようとは思わないです。


――では、具体的には何を教えるんでしょう。


楽曲コンペとして成立するかしないか。受かる可能性のあるところまで来ているか、そもそもそこまで来ていないか。それは、やっぱりわかるんですよ。


ただ、「受かる曲」は正直わからないです。


それがわかったら百発百中になるじゃないですか(笑)。


でも、「受からない曲」はわかるんです。


――そこは大きな違いですね。


そう。だから、「これをやったらダメ」ということを説明する。それがかなり大事だと思っています。


何かを足して「こういう作家になりなさい」と教えるんじゃない。


やっちゃいけないことを、一つずつ削いでいく。


そうやって余計なものを削いでいった先に見えてくるもの。


それが、その人の個性だと思うんですよ。
 

『フレップダンス』――野球少年だった自分と、今の自分が心の中で抱き合った日
成瀬英樹
成瀬英樹
9月26日 9:54

『フレップダンス』――野球少年だった自分と、今の自分が心の中で抱き合った日


成瀬英樹インタビュー


――まず、『フレップダンス』を作ることになったきっかけから聞かせてください。
 

今年で、エスコンのそばに移住して3シーズン目なんです。1年目は普通にファンとして、50何試合かな、毎回いろんな席で観ていました。でも、あまりにもスタジアムが素晴らしく、ファイターズが好きなので、昨年から奮発して外野の年間シートを買ったんです。せっかくエスコンの近くでベースボールを感じるために移住してきたのだから、徹底的に味わおうと。日々の暮らしはなるべく節約して(笑)

 

その申し込みの際、ファイターズのシーズンシート担当の方に、一応合同会社BINGOって会社をやってますと名刺をお渡ししたんです。「どんな仕事をされているんですか?」と聞かれて、「作曲をやっています」と。そのお話を球団のエンタメ担当の方に話してくださったみたいなんですね。

 

エンタメ担当の方はAKB48などアイドルにもすごく造詣が深くて、僕の曲も知ってくださっていて。『君はメロディー』はいつもカラオケで歌っています、なんてうれしいことを言ってくれたんです。そんな感じで一度ご挨拶をしました。


――そこから、すぐに発注につながったわけではないんですね。

 

はい。ただ、昨年のファイターズのキャッチフレーズが「大航海は続く」だったので、『大航海は続く』という曲を石崎光さんたちと作ったんです。僕らはシンガーソングライターだから、感動したことに対して歌を作って発表するのは当然じゃないか、という感覚で、この曲自体をどうこうしようとは思ってなかったんだけど。

ちょうど石崎さんと出会った頃でもあったので、「いい曲を作ってみましょうよ」と。本当に本気で作って、それは今もサブスクに上がっていますよ。担当の方に「こんなの作りました」とリンクを送らせていただいたり、ぐらいはしてたんですけど。すると、8月頃だったかな。「フレップの曲を作っていただきたい」というお話をいただいたんです。


――その瞬間は、うれしかった?

 

もちろん。でも、むしろプレッシャーの方が大きかったですね。世界一のベースボールスタジアムで自分の曲が流れる。そんなこと、夢にすら思ったことがなかった。小さい頃からずっとベースボールが好きで、野球場に通ってきた人間ですから、それがどれほど特別なことかはわかっています。

 

そう。目の前に本当に叶えたい夢があると、人ってこんなに苦しくなるんだなと思いました。

 

だから、昨年の8月以降は、試合を観てても落ち着かなくて。選手よりずっとフレップを見ていました(笑)フレップがどう動くのか。どんな曲だったら似合うのか。そればっかり考えていましたね。そして、このチャンスは絶対に逃したくなかったので、頼まれてもいないのに3曲書きました。その中から選んでいただいたのが『フレップダンス』です。


――曲の方向性は、最初から見えていましたか?

 

僕は昔から、ベースボールにはロックンロールが合うと思っているんです。ベースボールソングで言うと、たとえばジョン・フォガティの『Centerfield』みたいな。ああいうロックンロールをやりたかった。

 

日本のスタジアムで使われる曲って、ダンスミュージックだったり、みんなで威勢よく合唱するものだったり、あるいはファンシーなものだったりするでしょう。だから、ロックンロールでいきたかったんです。

 

しかも球団の方から、「かっこよくて可愛い曲を作っていただきたいから、成瀬さんにお願いします」と言っていただいたんです。それは、ものすごくうれしかったですね。「任せとけ!」って思いました(笑)


――とはいえ、制作はすぐには進まなかった。

 

僕、普段は曲を作るのは本当に早いんです。でも『フレップダンス』は1か月くらい、何にもできなかったですね。締め切りをたっぷりいただいていたこともありますし、球団から30曲近く入った参考プレイリストもいただいたんです。「みんなでこんなイメージを描いています」と。

 

ファイターズのエンタメチームのみなさんって、本当に真摯なんですよ。フレップに最高の楽曲を、と熱意を強く感じました。僕もその30曲を毎日毎日聴いて、身体に入れて入れていきました。絶対、ご期待にお応えするんだとの一心でした。


――その3曲の中で『フレップダンス』に決まった時はどんなお気持ちでした?

 

「ですよねー」って感じです(笑)僕も石崎さんも、3曲とも心から気に入っていたんですけど、やっぱり1曲となると『フレップダンス』じゃないかなって最初から思ってましたね。


――作業の工程ってどんな感じなんですか? 作曲は石崎さんとの共作ですよね?

 

まず僕が作詞作曲をして、フルコーラスのデモを作ります。その時点で歌詞もしっかりあります。それを石崎さんに渡してサウンドプロデュースしていただく形です。アレンジはもちろん、足りないメロディを補っていただくこともあります。この曲では、エンディングのスキャットのメロディは石崎さんです。球場ではなかなかそこまでかからないんですけどね。僕と石崎さんの共作はいつもこのスタイルです。ちなみに歌詞も曲もアレンジも、一切の修正なしの一発OKでした。本当にうれしかったなあ。


――そして、歌っているのも成瀬さん自身です。

 

そこなんですよ(笑)『フレップダンス』に決まって、「では本番を作ってください」となった時、もちろん別のシンガーを立てることもできた。でも、僕の中のロックシンガー魂がムクムクと出てきて。

 

「俺が歌いたい」と(笑)

 

ちょっと待って、僕はそもそも歌手だからね? 忘れてもらっては困るんですよ(笑)

 

ただ、最終的には誰かに差し替わるんだろうなとは思っていました。50代後半のおじさんが歌うより、若くて上手な人もいるでしょうからね。それでも、まず自分がベストを尽くそうと思ったんです。

 

札幌のどこにボーカルレコーディングにふさわしいスタジオがあるか知らないので、ネットで調べて電話をかけまくりました。それで、どこかのボウリング場の地下にあるリハーサルスタジオに入って、本当に30回ぶっ通しで歌った。それを全部、石崎光さんに送って仕上げていただきました。

 

ファイターズの担当の方にも「歌、いいですね」とは言っていただいたんですけど、その後、ボーカリストをどうするという話も特になくて。どうなるんだろう、って思っていたら、そのまま僕の声で流れてました(笑)


――初めてエスコンで披露された日のことは覚えていますか?

 

もちろんです。昨年のファン感謝デーの最後、アンコール的なコーナーで、満員の観衆を前にサプライズ初披露していただいたんです。本当にうれしかった。鳥肌ものでした。

 

ずっとベースボールを愛してきた僕の中の少年と、ずいぶんおじさんになった今の僕が、心の中で泣きながら抱き合ったような感覚でしたね。

 

――そして2026年、公式戦でも『フレップダンス』が流れ始める。

 

開幕戦は特別でした。オープン戦でもパフォーマンスしてくれていたんですけど、やっぱり公式戦は違います。そしてその試合で細野投手がノーヒットノーランを達成した。つまり、僕にとって『フレップダンス』の公式戦デビューは、細野くんのノーヒットノーランから始まったんです。

 

何よりうれしかったのは、あの素晴らしいゲームの一部になれたことでした。ずっと客席から見ていたベースボールの中に、自分の作った音楽が存在している。それが、本当に誇らしかったですね。


――シーズンを通して、曲が浸透していく実感もありましたか?
 

ありました。4月から毎試合ずっと流れて、少しずつ少しずつ浸透していくのが分かるんですよ。初夏の頃に北海道の地上波の朝のニュース番組で踊っていただいたり、SNSでファイターズOBの方が踊ってくださったり。その頃から、球場でも踊ってくださる方が目に見えて増えました。

ビールの売り子さんたちの中にも、完璧な振り付けで踊ってくださる方もいらっしゃったり。いや、思わず握手しに行きそうになりましたもの。「私の曲です!踊ってくれてありがとう!」って(笑)

 

エスコンでは、3回裏終了後にかの有名な『きつねダンス』があって、4回裏終了後に『フレップダンス』があるんです。エスコンには毎日いろいろな豪華ゲストの方が来られるんですけど、やっぱり『きつねダンス』は踊っても、『フレップダンス』まではなかなか手が回らない。それは当然だと思うんです。

 

そんな中で、乃木坂46さん、AKB48さん、アバンギャルディさんらが『フレップダンス』をしっかり覚えて踊ってくださったのは、本当にうれしかったですね。あと純烈さんも踊ってくださいました。これがまた、すごく可愛かった(笑)

 

とっておきのエピソードをお話しすると、今年、僕は乃木坂46さんに『パシフィック・リーグに連れてって』『是非に及ばず』の2曲を作曲させていただいたんです。前者はパ・リーグとの公式コラボで、メンバーの中で野球好きが集まって「乃木坂野球部」名義で歌ってくれています。そして後者は今夏のシングル表題曲です。

 

そんな関係で、この夏、神宮球場ライブを拝見した後に、メンバーのみなさんとご挨拶できる機会がありまして。乃木坂野球部のみなさんにも、「『パシフィック・リーグに連れてって』を作った成瀬です」とご挨拶したら、みなさん「あーーーーー!『フレップダンス』も作ったんですよね!?あの曲大好きです!!!」って言ってくれたんですよ。こんなにうれしいことがあるでしょうか。


――歌詞についても、かなり意識したことがあったそうですね。

 

球場にはお子さんがたくさん来るんです。歌って、1から10まで全部を聴くものじゃないと思うんですよ。ふと耳に入った一言だけが残ることがある。だから『フレップダンス』には、「今日もサプライズしよう」とか、「どんな困難でも越えていけるよ」とか、「心一つにシンガロング」とか、ポジティブな言葉を入れたかったんです。

 

子どもたちは毎日の勉強だって大変だろうし、エスコンに年に1回しか来られない子もいるでしょう。その子らの耳に「どんな困難でも越えていけるよ」という言葉がピュッと入って、何か残ったらいいなと思ったんです。

 

僕がベースボールから受け取ったメッセージってそこなんです。「どんな困難でも越えていける」。だから、あきらめるな、って。


――2026年は、成瀬さんにとって音楽とベースボールがかなり深く重なった1年でもありましたね。

 

そうですね。乃木坂46×パ・リーグの『パシフィック・リーグに連れてって』も書かせていただいたので、エスコンで、1日に自分が書いた曲が2曲流れることも多かったんです。ただただ、毎日誇らしかったです。

 

こんな幸運な年は今後二度とないから、今のうちにしっかり味わっておこう、と毎日感じていましたね。自分なりにここまで頑張ってきたご褒美なのかな、今年は報われた年だったと思っています。


――最後に、『フレップダンス』について、まだひとつ願いがあると聞きました。

 

実は『フレップダンス』には2番があるんです。でも球場では、なかなか2番まで流れる機会がない。一生懸命作った曲なので、いつかフルで聴いていただける機会があったら、うれしいですね。

 

何より、この素晴らしいエスコンフィールドで、ファイターズのゲームの一部になれたことが本当に幸せです。そして、大好きな選手のみなさんや、憧れのレジェンドが多くいる監督やコーチにも僕の歌を聴いてもらえている。もう、それだけで僕は十分なんです。

9月27日、新宿でオフ会やります
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン
成瀬英樹
成瀬英樹
9月24日 13:42

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18年と20年と29年
成瀬英樹
成瀬英樹
9月23日 10:06

アメリカから帰ってきたら、もうエスコンフィールドでファイターズの6連戦が待っていた。この6連戦で今年のレギュラーシーズンはおしまいってわけさ。3位以内はもう決まっている。だから今やっているのは、2位になるための戦いなんだ。2位ならクライマックスシリーズをエスコンでやれる。ホームで戦えるってことさ。3位だと西武の本拠地、ベルーナドームまで行かなくちゃならない。まったくの話、これは大きな違いなんだ。2年続けてエスコンでCSをやってきたんだから、6つぜんぶ勝って、向こうにたっぷりプレッシャーをかけてやりたい。そういう状況だった。

 

で、いきなり2連敗さ。もう勘弁してくれよ、って感じだった。それでも3戦目は勝った。そして昨日だ。いきなり5点を先に取られた。しかもその日は中島卓也の引退試合で、中島がショートでスタメンに名前を連ねていたんだけど、彼のエラーがからんだ点もあった。準エースと言っていい北山亘基が、いきなり5失点だよ。さすがに5点はまずいんじゃないか、とぼくは思った。誰だってそう思うさ。ところがファイターズは6点取って、ひっくり返して勝っちまった。じつにシンプルで、じつに感動的な試合だった。

 

中島卓也っていうのは、18年間ファイターズでやってきた名内野手なんだ。ぼくは2004年からずっと日本のプロ野球をボイコットしていた人間なんだけど(子どもの頃から愛したチームを奪われて、おとなしく引き下がっていられるはずがないからね)、そんなぼくでさえ中島の存在と影響力はよく知っていた。ここ数年だってしぶとく活躍してチームに貢献していたし、あれだけのベテランが2軍でプレーして、若い連中にいい影響を与えたりもしていた。そういう選手なんだよ。

試合のあとのセレモニーも、本当にぐっとくるものだった。エスコンフィールドのエンタメ力とでも言えばいいのかな。それをたっぷり見せてもらった。まったくの話、エスコンってのはすごい。世界一だと思うね。ヤンキースタジアムもドジャースタジアムも、久しぶりに見てきたばかりなんだけど、同じ目で、まったくフラットに見ても、ぼくはエスコンが圧倒的に好きなんだ。日本の球場のなかではちょっとレベルが違うんだけど、ニューヨークやロサンゼルスと並べてみたところで、まるっきり見劣りしない。本当だよ。

 

「18年間お疲れさま」という言葉を聞きながら、ぼくはふと自分のことを考えたんだ。ぼくは今年で作曲家になって20年になる。つまり中島より長いこと作曲家をやってるってことなんだよ。これって意外とベテランじゃないか、ってふっと思った。どうしたって先輩たちに目がいっちまうからさ。この業界には40年、50年と続けている先輩たちがいるわけで、20年なんてまだまだひよっこだと思っていた。でも中島の18年の重みを考えているうちに、20年なんとか作曲家でやってこられたってのは、けっこう誇ってもいいことなんじゃないかと思えてきたんだ。普段はまるで姿を見せてくれない自己肯定感みたいなものが、ほんのちょっとだけ心をよぎった。自分はよくやったんじゃないか、っていう気持ちがさ。それでぼくは、すごく嬉しくなった。

 

作曲家になる前に、ぼくは歌って演奏するバンドマンだった。フォー・トリップスというバンドでデビューしたのが29年前だ。29年だよ。そして気づいたんだ。ぼくたちには引退ってものがないんだな、って。やり続けているかぎりはさ。結局のところ、プロ野球選手もぼくたちも同じなんだよ。必要とされているかぎり、仕事がある。もちろん野球選手には体力の問題があるから、40を過ぎ、50を過ぎてもやれるってものじゃないけどね。ただちょっとだけ、引退があるってのもいいものだな、と思った。区切りがつくからさ。中島はプレーヤーとしては引退したけれど、一生野球人だし、彼の素晴らしい技術を後輩に伝えるという大切な仕事がこれから待っている。

 

中島は昨日の第3打席で内野安打を打った。一塁のタイミングは、じつに微妙だった。普通ならリクエスト、つまりアウトかセーフかビデオで確かめてくれ、というところだろう。試合のなかでも大事な場面だったしね。でも相手の楽天監督吉井理人(ああ、栄光の近鉄バファローズ戦士、ぼくの永遠のヒーローさ)は、まったく出てこようとはしなかった。当然だよ。ぼくは吉井理人さんのそういうところがやっぱり好きなんだ。

 

でもさ。改めて考えてみれば、どの監督だってあそこではリクエストしなかったんだろうと思い直した。うん、つまり、そういうことなんだ。

 

中島卓也選手。本当にお疲れさまでした。

  • 成瀬英樹
    成瀬英樹
    9月23日 16:39

    本当に野暮なことだとは思うんですけど、一応ご説明しておきますと、敬称を略しているのやちょっと生意気な文体は、50年代のアメリカの小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のパロディでございます。そうとは分からなくても、何かのシャレなんだろうなとご理解いただけるとは思うんですけれども、この頃は長い文章を読む機会が少ない方が多いらしく、「なんだよこれ、呼び捨てじゃねえかよ」と思われたら困るので、一応言い訳しておきます(笑)

The Singer In The Rye
成瀬英樹
成瀬英樹
9月22日 3:45

旅のいちばん最後の場所はサンタモニカのライブハウスだったんだけど、そこで僕は、70年代のキャロル・キングにそっくりな女の人とたまたま隣り合わせた。嘘じゃなくて、ほんとにそっくりだったんだよ。彼女はアムステルダムから、わざわざそのライブハウスを味わいつくすためだけにやってきたんだそうだ。そういうのって、僕はけっこう参っちゃうんだよね。いい意味でさ。

 

「どのくらいいるの?」と彼女は訊いた。

 

「明後日帰るよ」

 

「そうなんだ。どのくらいいたの?」

 

「ロスに4泊、ニューヨークに5泊、それからサンタモニカに3泊かな」

 

「あら、短いのね。Short!」

 

ショート、ときたもんだ。12日も家を空けるのが短いのか長いのか、僕にはさっぱりわからない。でも本当のことを言えば、それは僕にとってめいっぱいのロングトリップだったんだ。まったくの話。ヨーロッパの人たちっていうのは、休みとなったらもっとどかんと旅に出ちゃうんだろうね。

 

とはいっても、その2週間ばかりのアメリカ旅行のあいだ、娘と別行動をとって、ひとりでカフェに入ったり、公園に行ったり、本屋をうろついたりする時間もちゃんとあった。そういうとき、人はいろんなことを考えちゃうものなんだ。君だってきっとそうだと思う。

 

まず考えたのは今年のことだ。今年のあたまから僕は、結果ってやつにきっちり照準を合わせてやるぞと決めて、そのとおりに動いてきた。そしたら自分で思っていたよりずっと派手に結果が出ちゃったんだよ。そりゃ嬉しいさ。嬉しくないわけがない。でもそれと同時に、心のどこかで自分にブレーキをかけているようなところもあるんだ。おかしな話だけどね。

 

君が僕のことをどう思っているかは知らないけど、僕はこう見えて、なかなか浮かれない人間なんだ。嘘じゃなくて。

 

今年は作曲家になって20年目で、これまでにない特別な年にしてやろうと、僕はえらく張り切ってスタートを切ったんだ。そしたらほんとに特別な年になっちゃった。僕は本当に運に恵まれているんだ。

 

そうそう。『恋の中央線』の発売だってまだ来月に控えているし、今年のうちにあと何曲か、滑り込みで決まってくれないかなと思って、僕はあいかわらず毎日せっせと曲を作っている。そういうところは20年前とちっとも変わっちゃいないんだ。

 

その中でも、いちばんはっきりした目標として僕がずっと抱えこんでいたのは、「60歳までに乃木坂46の表題曲を取る」ってやつだった。ちなみに僕は今57歳だ。つまりあと3年あるわけで、この3年のうちになんとか、みたいなことを僕は大まじめに考えていたんだよ。でもよく考えてみたら、それってずいぶんのんびりした話だよな。実際にやることといえば、目の前にやってきたコンペをひとつずつ取りにいく、それだけなんだから。そして君も知ってのとおり、今年、表題曲に選んでもらって、おまけにヒットまでさせてもらった。まったくの話。

 

それでね、僕はその目標をクリアしたら、もう一度ギターを抱えてライブをやりたいと、ずっと思っていたんだ。それが今年かなっちゃったものだから、そうだよな、歌いたいよな、という気持ちがものすごい勢いで湧いてきている。なにしろものすごい勢いなんだよ。

 

春先のことだったと思う。長いつきあいの友だちが北海道まで歌いに来て、実にもう素晴らしいライブを見せてくれた。そのとき彼女が言ったんだ。「なるちゃん、一緒に歌おうよ、札幌で」って。

 

一緒に歌おうよ、ときた。そうだよな。それに僕は企画屋でもあるわけだしな。

 

そんなことをあれこれ考えていたんだけど、たしかにちょっと面白いことができるかもしれない。だいいち、僕が札幌にいるっていうのは、それだけでひとつの強みなんだ。

 

僕の好きなアーティストやミュージシャンを、順ぐりにでも、のんびりとでもいいから、こっちに呼ぶ。そして札幌の人たちに、その素晴らしい演奏を見てもらう。で、そのついでに僕もちょっと歌わせてもらえたら、言うことはない。

 

歌う歌ならどっさりあるんだ。『君はメロディー』や『君は僕だ』だけじゃない。風輪さんにはたくさん曲を書かせてもらったし、『是非に及ばず』だってある。『フレップダンス』もある。それに『恋の中央線』だって、僕は歌えるんだぜ。嘘じゃなくて。

 

(もっとも『フレップダンス』をどうやって弾き語りすりゃいいのか、僕にはさっぱり見当がつかないんだけどさ。でもあの曲だって、ギター1本でやってみたら、それはそれでなかなかのものになるんじゃないかな)

 

ライブで歌うっていうのは、僕にとってはつまりライフワークなんだ。数ある仕事の中でいちばん儲からないやつなんだけどね。嘘じゃなくて、いちばん儲からない。

 

僕はアーティストとして人気があるわけじゃぜんぜんないし、お客さんがどっさり入ってどうのこうの、っていうタイプの人間でもない。でもなんといっても僕はミュージシャンなんだ。そしてライブの現場から離れていると、腕ってやつはきっちり錆びていく。そういうのって、僕をけっこう落ち込ませるんだよ。

 

この50代後半というもの、僕は会社のマネジメントだの、まずは自分の目標を達成することだの、ヒットを出すことだのを頭に置いて、がんばってきた。でも今年、思っていたよりうまくいっちゃったぶん、ちょっと前倒しでライブをやってもいいんじゃないか、なんて思ったりもしている。

 

やろっかな。ちょっと考えるね。

 

そのときには君もぜひ札幌まで遠征してきてくれよ、なんて言うのは、なかなか虫のいい話かもしれない。でも飛行機だってうまく取ればそんなに高くないんだぜ。東京から大阪まで新幹線で行くより安く来られることだってある。ほんとの話。

 

そんな日が来たらいいよな、と思いつつ、友だちに「本当にやろっか」ってLINEを送ろうかどうしようか、僕は今ちょっと迷っているところなんだ。