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お疲れ様です!
今、札幌出身のSSW(そして大変著名な作詞作曲家でもある)とLINEでエールの交換をしてました。彼女の大活躍は今に始まったことじゃないけど、いつもすごいなあって思っちゃう。僕もまだまだがんばらなければ。2ヶ月ほど前に札幌で彼女とお茶した際に「僕はそろそろここで余生の準備を」なんて冗談で言ったら「まだまだ戦って行きましょう!」って言ってくれて、なんかちょっと嬉しかったりしたんだ。
なんと言っても僕は彼女が高校生の頃から知っているのだ。
中原一歩著『小山田圭吾 炎上の「嘘」』昨夜一気に読了。今さら、小山田さんの偉業をここで語るまでもない。彼の音楽家としてのキャリアは栄光に次ぐ栄光の連続で、僕なんかは常に彼を見上げるような感じでした。フリッパーズ・ギターがいなければ、今のJ-POPは半分くらい形が違ったてたはずだしね。
フリッパーの面白いのは、歌ってた小山田さんが主にギタリストとして世界的に名をなし、ギター担当だった小沢健二さんはソロで歌ってスターになったこと。そんな人たちなかなかいない。
件の「ロッキング・オン・ジャパン」はまだ実家を探すと出てくるはず。
ネットなどない時代の貴重な情報源だった同誌を、僕は創刊号からずっと買い続けていた。そう言えば、コーネリアスに関してはファーストアルバムは大好きだったけど、この(問題の)インタビュー記事あたりからちゃんと聴かなくなっていた。だって、誰がこんなひどいいじめをする人間の音楽をわざわざ好んで聴きますか。いや、これらのこと、僕としても当時も間に受けていたわけではなく、きっと小山田さんなりの大ホラだって、どこかで理解していたんだと思うんだけど、それでもね。
と考えたら「ロッキング・オン・ジャパン」、そしてインタビューをし記事を書いた山崎洋一郎氏は罪つくりだよなと思う。
娘の口癖じゃないけど、誰得?
ただ、この「いじめ自慢」(と呼んでいいと思う)を、我々の世代は、というと主語が大きくなりすぎるので言い換えると、僕たち界隈では「なるほど、こんなことまで言ってしまっていいんだな」とある種受け入れていたのは確か。「小山田くん、やりすぎやんね」くらいの感想で止まっていたのだ。(ちなみに、小沢健二さんも同誌の同じ時期の同趣向のインタビューで、とある犯罪行為をなんともあっけらかんと告白していました)
それを「時代だから」とは言いたくない。僕だって、その時代の構成員の一人だったわけで。だからこそ、この事件は他人事ではないのだ、僕にとって。
そして、この「オリンピック大炎上事件」を引き起こした「共犯者」である山崎洋一郎氏に対しては、やはり強い憤りを感じずにはいられない。まったく汚ねえ野郎だぜ、何がロックだよ。と思う。一方、もし僕が今の山崎洋一郎さんの立場だったら、何か言えたかな。小山田さんを守ること、出来たかな。
きっと出来なかったと思う。ただ、一個、今の僕、小山田さんと同い年の僕に確実に言えるのは、今や「ロッキング・オン」が一番ロックじゃない、ってこと。だから辛いんだ。僕は「ロッキング・オン」で育ったから。あんなにロックロック言ってた雑誌が「ロックなんてどうでもいいんだよ」って言ってるようでさ。
実際、どうでもいいんだろうか。
小山田さん(とその所属事務所)には何度か、自ら弁明をするタイミングがあったんだ。そのタイミングを逃してしまった彼らの「なぜ、あのタイミングで謝罪しなかったんだ、なんらかのアクションを起こさなかったんだ」という後悔が、この問題の結論として、ある。僕もその「タイミング」をリアルタイムで感じていたから、ずっと思っていた。なぜ小山田さんは無言を貫いているのかと。
そして一番ホラーなのが、小山田さんを「叩きのめした」匿名のSNSの住人たちのほとんどが、音楽家・小山田圭吾になんの興味もない、いやその名前すら知らなかったということだ。小山田さんの音楽を必要としないものどもが、彼を叩きのめしたのだ。
それが、僕には怖すぎた。
それでも僕は、人は変わることが出来ると信じている。今の小山田さんにとてもシンパシーを感じている。同じ時代をくぐり抜けてきた同志として。親として、大人として、一人の音楽家として。僕も変わりたい、成長したい、と毎日必死で生きている真最中だからだ。僕だって、本当にろくでもない人間だったから。
一昨日夜から娘とそのお友達が部屋に泊まりに来ている。彼女たち、今日は朝から札幌の友人と富良野に遊びに行っている。パパも来る? って誘ってくれたけど、今日はラジオの収録をしなくてはいけないので残念だけどパスさせてもらった。行きたかったけどね。富良野、大好きなんだ。
生配信やZoomはお休みさせていただいている今週、とっておきのガチのコライト動画を共有します。よかったら観て下さいね。そして、みんな、夏を楽しもうね。
明日は、東京から野球友人が二人来ます。一緒にエスコンに行くんだ。楽しみ。
お疲れ様です!
札幌の夏の夜は涼しくて気持ちがいい。窓際のソファに寝転んで、窓を全開にして夜空を眺めながら本を読んだり文章を書いたりするのが好きです。蚊がいないので、網戸も開け放すことが出来るから、空が綺麗に見えるんだ。雲も月も星も。
今夜は、短パンだとちょっと寒いくらいです。
昨日のオールスター、一日中たっぷり楽しみました。北海道に移住して来た春頃には考えられないような夏になりました。あらゆる意味で。こちらに来てから、かなり慌ただしく仕事をがんばって来たから、ちょっと数日くらい休んでみようと思っています。
オールスターには、弊社作家のマツダヒロくんも神戸から飛んできました。彼は僕の会社BINGO! で作曲の講師として大いに活躍してくれていますし、AKB48の「思いやり」での初採用のお祝いの意味も込めて、オールスターと北海道旅行をプレゼントしました。今進んでいる案件を担当してもらっている関係で、一泊二日の弾丸にはなりますが、それでも大いに楽しんだんじゃないかな。
一昨日から娘がこちらに来て、僕の部屋に泊まっています。
と言うか、そもそも僕が今暮らすこの部屋にはもともと娘が大学に通うために住んでいて、僕がよく泊まりに来ていたのです。春から彼女が東京の大学に編入することになりこの部屋が空くことになったので、僕が「住みたい!」と手を挙げたってわけ。つまり、娘にとっては「久しぶりに帰ってきた」状態なんですね。
「パパ、案外ちゃんと住んでる!」って娘、驚いてました。あはは。
そんなわけで、数日間、娘とそのお友達が泊まって行きます。にぎやかでいい。二人は今日、札幌に出かけて、素敵なTシャツを買って来た。僕のためにもセンスのいい文庫本カバーを買ってきてくれたよ。すぐに今読んでる「百年の孤独」につけました、透明でかっこいい。娘のお友達もかなりの読書家みたいで、転がってる文庫本はサガンとドストエフスキーだから、きっとそういう文学好きなとこも二人の共通点なんでしょうね。
というわけで、二人がコンビニから帰って来ました。今からちょっとジャンクな夜食パーティが始まるようですよ!
おはようございます!
日曜日、一日どうしても自分の機嫌を取ることが出来なかった。
おはようございます!
17日の「マツダヒロ(にこいち)作曲家デビュー記念ライブ」、ご来場いただいた皆様、配信で観てくれた皆様、本当にありがとうございます。
マツダヒロは僕にとって「弟子」とまでは言わないまでも(ワシは弟子はとらん主義でのう)、彼にとって僕が作曲の師匠であることだけは、そうなんだろうなと思います。
2015年かな。神戸の「にこいち」というデュオが黒沢秀樹さんのプロデュースでデビューすると聞いたんです。にこいちを仕掛けたプロデューサーM氏を僕は、彼が学生時代バンドをやっていた頃からよく知っていたんで、その流れもあり渋谷で行われたデビューライブを観に行きました。
にこいちへの第一印象は、まったく洋楽を通っていないJ-POP世代の楽曲。にこいちの二人が学生時代に憧れたであろうコブクロやゆず、ミスチルなどの影響を隠さない。いや、隠せないと言った方が正確か。
だからこそ、L⇔Rという「洋楽をJ-POPに変換する」技術の見事さで歴史に名を残したバンドのギタリストである秀樹さんとの相性、かなりいいのかなと感じた。M氏、ナイス。
実は秀樹さんの登場までは、僕の永き盟友FOUR TRIPSのドラマー初田努が、地元神戸でにこいちのアドバイザー的なことをやっていたらしいけど、初田は秀樹さんの登場により、自ら後ろに下がったんだ。ここが初田らしい。(そして今もなお、にこいちと初田の関係は続いている。マツダにとっては、初田こそ本当の師匠だろうと思います)
マツダの楽曲の強さは、アコギ一本で成立させなければいけないスタイルの「にこいち」で鍛えられました。ライブでは目の前にお客様がいるわけで、そのお客様の反応を見れば今歌っている楽曲が「生きている」のかどうか、すぐにわかります。
「魂」が宿っていない楽曲はすぐにバレてしまいますし、お客様はその落胆を表情にしっかり出します。
実はこれ、ネット時代のアイドル楽曲も同じことなのです。SNSの登場で、楽曲の耐久性が可視化されています。昨年出した曲がすでに風化していることもあれば、15年経ってもなおその評価を上げ続ける楽曲もある。「普遍性」なんて言葉にしちゃうのは簡単ですが、ちょっと調べればそれ、全部わかっちゃうんですね。
僕はマツダに言いました。もう君は昨日までの君ではない。作曲家マツダヒロのデビュー作の歌詞を書いてくださり、この曲を選んでくださったのは誰なのか、その責任をしっかり感じてほしい、と。
そしてこの先10年20年、歌い継がれる楽曲を作れる作家になってほしいと願っています。
今回の『思いやり』の歌詞を読んでみてほしい。これ、マツダの歌だと思いませんか? 同様に『君はメロディー』の歌詞はどう考えても「僕」の歌なんです。あの歌の主人公は僕です。『君は僕だ』だってそう。なぜ、秋元先生は僕のことをこれほどまでに知ってくれているんだろう?
これ、この歌を歌うメンバーたちもきっと、同じことを思ったと思うのです。前田さんは『君は僕だ』を聞いて、「私の歌だ!」と思ったでしょうし、実際秋元先生は前田さんに当て書きしたはず。それでも『君は僕だ』は僕の歌でもあります。
「普遍性」って、こういうことなんじゃないかなって、最近よく感じます。
僕が敬愛する村上春樹さんの著書『職業としての小説家』、第一章の締めの一行をマツダヒロくんに捧げます。これは春樹さんが、新人作家たちに贈った言葉です。
「リングへようこそ」
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L ⇔Rのファンだったワタクシ、腑に落ちました!!
マツダヒロさん、本当におめでとう御座います!!-
コメントありがとうございます😭
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