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9/12。ニューヨーク滞在も、いよいよ今日が最後である。朝は娘と2人で散歩へ出た。まずはThe Dakota。そして道を挟んだセントラルパーク内のStrawberry Fieldsへ。昨日は一人で来た場所を、今度は娘と一緒に歩く。
そこからそのままThe Metropolitan Museum of Art、通称The Metへ向かった。世界最大級の美術館である。とにかく広い。最初から全部を見るのは無理だと分かっていたので、ある程度狙いを絞って歩くことにした。それでも中へ入れば「あれも見たい、これも見たい」となる。ルネサンスから近代絵画へ、地図を見ながら館内を歩き回った。
改めて思う。人間というのは何百年経っても、根っこの部分ではあまり変わらないんだな、と。
誰かに何かを伝えたい。自分の心の中にあるものや、目の前に見えたものを、何らかの形にして残したい。その気持ちは1400年代にも1500年代にも確かにあって、今を生きる僕らの中にもある。
何百年も前に生きていた人が、何かを見て、何かを感じて、それを絵にした。その人自身はもうとっくにこの世にはいない。でも、そのときの感情や視線だけは作品の中に残り、何百年後のニューヨークで、僕がそれを見ている。
時間というものについて、つい考え込んでしまう。
僕らが今「新しい」と思っているものも、いつかは遠い昔のものになる。でも、そこに何か本当の感情が残っていれば、もしかすると何百年後の誰かに届くのかもしれない。
ものを作るという行為が、急にとても尊いものに思えてくる。
そして、やはりゴッホである。ゴッホの絵なんて、本でもテレビでもネットでも、これまで何度見てきたか分からない。でも本物を目の前にすると、まったく別のものだった。写真では平面にしか見えない絵の具が、実際にはキャンバスの上に厚く残っている。その一筆一筆を、本当にゴッホ本人が描いたのだと思うと、急に絵が「美術史上の名作」ではなく、ひとりの人間がこの世に残した生々しい痕跡に見えてくる。
The Metを出たあとは、セントラルパークの南東、5th Avenue沿いにあるStrand Book StoreのKioskへ。ここには昨日、僕は来ている。素敵なトートバッグを買ったことを報告したら、娘もそれ欲しいと。娘のママからも「そのトート買ってきて」と頼まれた。
Strandは1927年創業、Broadwayと12th Streetの角に本店を構えるニューヨーク最大の独立系書店で、「18マイルの本」が合言葉。かつて古書店が軒を連ねた「Book Row」の生き残りなのだそう。この品揃えに志すら感じる名書店のセントラルパーク露店で、僕はトートバッグだけでなく、本も2冊買った。
1冊はJ.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye』。ペーパーバックである。昨日、ホールデンくんの足跡を辿ってセントラルパークを歩いたばかりだ。もう1冊はアレン・ギンズバーグの『Howl and Other Poems』。ビート・ジェネレーションを代表する詩人の、代表作である。
この2冊をニューヨークで買うことには、僕なりに少し意味があった。ホールデンが彷徨ったニューヨーク。そしてギンズバーグやケルアックたちが詩や文学を生み出したニューヨーク。そんな文化の記憶が積み重なった街なんだ。
本はどこでも買える。Amazonで注文すれば北海道の家にも届く。でも、この2冊はここで買うのに意味を感じる。ページを開くたびに、きっと今回の旅を思い出すだろう。それだけで、同じ本でも少し違うものになる。
ここから娘はお気に入りになったSoHoへ。僕はと言えば、セントラルパークへ戻って、2時間ほどぐっすり寝た。
目が覚めても、そこはまだセントラルパークだった。人が歩き、犬を連れた人が通り、木々の向こうにはマンハッタンのビルが見える。何日間も「次はどこへ行く」「何時までに着く」と動き続けてきたのに、この日は時計をほとんど気にしなかった。こういう何もしない時間も、旅の中には必要なんだろう。
本当はこの日、僕にはもうひとつ行ってみたい場所があった。Big Pink。ザ・バンドがボブ・ディランと過ごし、『The Basement Tapes』へとつながる音楽を生み出した、あの家である。ザ・バンドが大好きな僕としては、もちろん行ってみたかった。
でも娘はSoHoをすっかり気に入って、まだまだ一人で店を見て回りたそうだった。そして僕は僕で、セントラルパークでたっぷり休んでいる。
うん。Big Pinkは、またいつか。
旅に来たからといって、見たいものを全部見なくてもいい。予定を全部消化しなくてもいい。娘には娘のニューヨークがあり、僕には僕のニューヨークがある。それぞれ好きな時間を過ごして、また合流する。そんな旅の仕方ができるようになったこと自体、ちょっと嬉しい。
夜は、何泊かお世話になったさゆりんのところへ戻った。明日はニューヨークを離れる。
自由の女神も、エンパイア・ステート・ビルも、ヤンキースタジアムも、The Dakotaも、The Metも見た。娘と一緒に歩いた街もあれば、それぞれ別々に過ごした時間もあった。たぶんあとで思い出すときは、それらすべての思い出を煮込んだ、スープのような味がするはずだ。
それくらいが、ちょうどいいんだ。
9/11。この日は親子それぞれのソロ活動。娘はSoHoあたりへ買い物に出かけ、僕はニューヨークに来たらどうしてももう一度行きたかった場所へ向かった。The Dakota。ジョン・レノンが暮らし、1980年12月8日、その入口で撃たれた場所である。ここへ来るのは15年ぶり。前回ニューヨークを訪れたときにも、僕はこの建物の前に立った。ジョンが殺された日のことは、何度読んでも現実とは思えない。犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンはその日の夕方、Dakotaから出てきたジョン本人から、リリースされたばかりで大ヒット中だったアルバム『Double Fantasy』にサインをもらっていた。5年間の活動休止を経て、ジョンがようやく音楽の世界へ戻ってきた、その活動再開アルバムだった。
数時間後、レコーディングを終えてヨーコとDakotaへ帰ってきたジョンを、チャップマンは撃った。さらにぞっとするのは、そのあとだ。チャップマンは逃げず、その場に残ってJ.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいたという。16歳の少年ホールデン・コールフィールドがニューヨークの街を彷徨う物語。僕も昔から大好きな小説だ。実はこの日、ジョンを訪ねたあと、そのホールデンの足跡を辿ってみようと思っていた。
道を挟んだセントラルパーク側には小さな広場「Strawberry Fields」があり、その中心には「IMAGINE」の文字が入ったモザイクがある。そこで一人の若い男性ミュージシャンが歌っていた。小さなアンプにアコギとボーカルマイクをつなぎ、リバーブをたっぷり効かせたサウンドで、『And I Love Her』を。いや、なんでやねん。それ、ポールの曲だぞと僕は思わず突っ込んだ。まあ、そりゃ本人だって分かっているんだろうけど、それでもね。しかしながら、そこにいた数十人ほどの通りがかりのギャラリーは、みんな静かにその演奏を楽しんでいるように見えた。
僕にとってジョン・レノンという人は、単なる憧れのミュージシャンではない。音楽を作り始めた理由そのものである。15年前にもここへ来た。そして57歳になった今、もう一度同じ場所に立っている。建物もモザイクも変わっていないのに、僕が感じる思いは15年分、変化している。
「キャッチャー」の中で、ホールデンは何度も気にする。冬になったら、セントラルパークの池にいるアヒルたちはどこへ行くんだろう。誰かがトラックでどこかへ連れていくのか、それとも自分たちで飛んでいくのか。大人から見ればどうでもいいようなことだけれど、ホールデンにはどうでもよくない。
そして「回転木馬」へ。物語の終盤、妹のフィービーが回転木馬に乗り、ホールデンは雨の中でそれを見つめている。子供たちは金色の輪を取ろうとして身を乗り出す。落ちるかもしれない。でもホールデンはもう止めようとはしない。子供は自分で手を伸ばし、自分で転ぶしかない。広いライ麦畑で遊ぶ子供たちが崖から落ちそうになったら、崖のふちに立って自分が捕まえてやる。そんな「ライ麦畑のつかまえ役」になりたいというホールデンの思いを知っているだけに、最後の回転木馬の場面は胸に残る。ニューヨークのど真ん中で、一人でぐるぐる回る木馬を眺めながら、小説の中で何度も訪れた場所に今、自分が立っているという不思議な感覚を味わった。
Greenwich Villageへ向かった。Washington Square ParkからMacDougal Streetあたりを歩く。この街には昔からミュージシャンや作家や詩人たちが集まり、Bob Dylanをはじめ、たくさんの音楽や物語がここから生まれてきた。そして今回、どうしても訪ねてみたかったのがLa Lanterna di Vittorio。秋元康さんにとって、とても大切な場所である。
秋元さんは、自分の書いた曲が次々とヒットしていた1980年代後半、いったん日本を離れてニューヨークで暮らした。その頃、仲間たちの溜まり場になっていたのが、このGreenwich VillageのLa Lanternaだった。そして美空ひばりさんの新曲制作が始まり、日本から送られてきた見岳章さんのメロディーをウォークマンで聴きながら、この店で詞を書いた。それが『川の流れのように』である。
僕もこれまで、何度も秋元さんと楽曲制作をご一緒してきた。僕ら作曲家が先に曲を書き、そのメロディーに秋元さんが言葉を乗せてくださる。だからLa Lanternaに来ることは、単に「名曲が生まれた店を見に来ました」という観光ではない。先に生まれたメロディーを受け取って、秋元さんがどんな場所で、どんな景色を見ながら言葉と向き合っていたのか。その仕事の現場を、少しだけ覗かせてもらうような気持ちだった。
『川の流れのように』が、遠い昔この小さな店で、ウォークマンから流れるメロディーを聴きながら書かれた。そう思いながら店に座っていると、なんとも言えない気持ちになる。ティラミスを食べ、飲み物を飲みながらしばらくぼんやり過ごした。この日の昼間は、一人でジョンを訪ね、J.D.サリンジャーとホールデンのニューヨークを歩き、最後に秋元さんの大切な場所へ行った。僕の中にずっとあった音楽と小説、そして今の自分の仕事が、ニューヨークの街の中で一本につながっていくような一日だった。
ここで娘からLINEが来た。SoHoのカフェにいるので、こっちに来てほしいという。僕もVillageからそのままSoHoへ向かい、娘と合流して一緒にお茶をした。それぞれ別々にニューヨークを歩いて、夕方になってまた落ち合う。23歳の娘は何を見て、何を感じただろう。ニューヨークを心から楽しんでいるようだ。
そして、さあ、いよいよヤンキースタジアムだ。この日はYankees対Mets、ニューヨーク同士のSubway Seriesである。しかも今日は9月11日。2001年の同時多発テロから25年目の日だった。試合前には特別な追悼セレモニーが行われ、2001年のヤンキースを支えたティノ・マルティネス、デレク・ジーター、ホルヘ・ポサダ、もちろんマリアノ・リベラらも、球場に姿を見せた。あの日、傷ついたニューヨークを野球で支えた選手たちが、25年後の同じ9月11日に、再びヤンキースタジアムに集まっている。
25年目のSeptember 11に、23歳の娘と2人でSubway Seriesを観ている。これ以上なんて、もうないんだよ。娘はメッツのキャップでお気にいりを見つけ、僕は「郷に入ればスタイル」でヤンキースのキャップを買った。15年ぶりに訪れた球場というよりも、巨大なパレスといった二代目ヤンキースタジアでの、特別な夜。
皆さん、お疲れ様です!
こんな時間ではありますが、昨日のB1グランプリを振り返りながら、これから少し配信しようと思います。
お時間合う方は、ぜひリアルタイムで聞きに来てください!
今回もメンバー限定配信となりますが、ご了承ください🙇♂️
それでは、このあと配信でお会いしましょう!