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おはようございます。
ビートルズの中期のアルバムに『ラバー・ソウル』という作品があります。
この『ラバーソウル』は、今ではビートルズの中でも、上から数えて4番目か5番目くらいの名盤として数えられることが多いんですけれども、僕もこのアルバムのことはとても愛おしく、大好きです。
ただ、このアルバムが「名盤」とされる理由って、実は“捨て曲が多い”というところにあると思ってるんです。ビートルズ史に残るような名曲と、「本当に大丈夫か、こんな曲?」っていうイマイチな曲が、順番にやってくるんですよね。
だから、今のサブスク時代に『ラバー・ソウル』を通して聴くという行為は、ちょっと苦痛なのかもしれないなって思います。簡単にスキップできますからね。
このアルバムが名盤とされている背景。それは、アナログレコード時代に発売されたことにあると思うのです。アナログレコードって、一度針を落とすと、20~30分間はずっと聴き続けることになる。もちろん手動で飛ばすこともできるけど、いちいち面倒だし、やっぱりアルバムは一面ごと――つまりA面ならA面は通して聴くという考え方がある。
だからこそ、「あれ? この曲ちょっと落ちるな」とか「イマイチだな」と思いながらも、何度も聴いているうちにその曲の良さに気づいていったりするんです。そして、そのあとに『Nowhere Man』とか『In My Life』みたいな必殺の名曲が現れると、もうそれはとんでもなく明確に、強く心に響く。
僕はこれを、“ラバー・ソウルの法則”と呼んでいます。
さて、昨日のファイターズ。
敵地・千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテ戦。エース・伊藤大海が序盤に3点を失いながらも、粘り強く投げ続けました。
すると6回、ファイターズ打線が脅威のつながりを見せ、一挙8得点で逆転。一人ひとりがシングルヒットでつないで、とどめに吉田賢吾が三塁打で走者一掃! 見事なビッグイニングでした。
先週あたりのエスコンフィールドでの苦しい打線を見てきたし、どのボールにも懸命に向かっていく姿勢がなかなか報われなかったことも知っているからこそ、この一気の爆発にはぐっと来るものがありました。
一球一球、我慢して見守ってきたからこその感動。
『ラバー・ソウル』じゃないけれど、やっぱり“丸ごと”楽しんでこそ、そのものの本質や良さがわかるのかもしれないですね。
たとえば、映画の感動的なシーンだけをつまみ食いして楽しもうとするようなもので、本当の感動は、最初からじっくり観た人にだけ訪れるプレゼントのようなもの。
だからこそ、8回の清宮のダメ押しホームランを見て、僕はちょっと涙ぐんでしまいました。彼の努力を、ずっと見ていたから。なかなか運に恵まれず、結果もついてこなかった日々を知っているから。
清宮の嬉しそうな笑顔を見て、僕も同じくらい嬉しくなれた。
そんなわけで、やっぱり、やめられないんです。アナログレコードも、ベースボールも、丸ごと楽しみたいな。
さあ、明日から東京出張です。お会いできる皆さん、めっちゃ楽しみにしてます!
そして、今朝の配信は、ギターダビング実況生中継だよ!!
おはようございます!
今日も僕は早朝に起きて、一曲作りました。主に「歌詞」を作ることに特化した配信を収録しましたので、観てもらえたら嬉しいです!たかが「仮歌詞」いえ、されどされど大変重要な「仮歌詞」を、実際に考えながら、いろんな実践的なノウハウを語っております。
今日も、お互いがんばりましょうね!
日々、エスコンフィールドのライトスタンド、同じ席に座っていると、自然と周りの顔ぶれがわかってくる。「あ、この人も今日も来てるな」なんて。そんなふうに少しずつ、この場所が自分の居場所になっていく感覚がある。
最近では、声をかけてもらうことも増えてきた。「応援団に入りませんか? 楽しいですよ」なんて、隣のご夫婦に誘われたりして。正直、ちょっと心が動いたのも事実。
僕はスコアブック片手に静かに観るのが好きだけれど、応援という文化が日本の野球を育ててきたというのも、心からそう思っている。
試合のある日はなるべく早く球場に来て、選手たちの練習を見るようにしている。珈琲を飲みながら、大好きなミスドをいただきながら(エスコングルメのおかげで太らないように気をつけないといけない日々)。エスコンの高い天井を見上げて、ぼーっといろんなことに思いをはせたりしている。
そんな僕にとって、試合前の楽しみのひとつが、球場に流れる音楽だ。今シーズンから流れるようになったのが、氣志團の『スウィンギン・ニッポン』。
一聴すると自分が好んで聴くタイプの曲ではないと判断してしまいそうになるんだけど、思いがけず、心に響く曲だった。胸が熱くなる。強めのメッセージがこめられているんだけど、視点が自然。この国のことが「普通に好き」な僕らの心にしっかりと届く。「普通に好き」でいいじゃんってね。何より、この曲には、作った人の魂のようなものが確かに宿っている気がする。「この国を応援したい」「この場所を肯定したい」――そんな思いが、まっすぐに響いてくる。
『スウィンギン・ニッポン』が流れるたびに、「いろいろあるけど、まあもうちょっとがんばってみようかな」と思う僕です。
さて、ファイターズ。昨日の試合は完敗。スコアは7対1と大差だった。エラーするわホームラン打たれるわ、ミスも多く、見せ場に欠ける試合展開だった。
でも、そんな中にも“よかったこと”はある。たとえば――
3回、唯一の得点につながったのは「新4番」野村のタイムリーヒット。20球近くファウルで粘って、最後にライト前にしぶとく運んだ。打点もここまでしっかり稼いでいて、新聞によれば「4番・野村」計画は継続とのこと。もう一段階だけ活躍のギアが上がってくれるとさらに嬉しいけどね。毎日見ていて思うのは、彼がとても真摯に野球と向き合っているということ。
僕はこの「4番続行」に心から賛成です。野村が「真4番」になってくれたら…強いよ。
今週はエスコンで試合がありません。僕もそのあいだに東京へ出張して、しっかり仕事してきます。楽しみなレコーディング立ち会い、先輩のライブを拝見したり、新しい仕事のパートナーのスタジオにも伺ってきます。
来週は野球から少し離れて、音楽の時間です。東京でお会いできるみなさんと、また違う形で時間を共有できることを楽しみにしています。
エスコンフィールドから、混雑なくバスに乗って帰る方法を何度か書いたことがあるが、土日のデイゲーム終了時は、僕はいつも、混み合う新札幌行きではなく、土日だけ運行されている「野幌行き」に乗る。
野幌行きは、新札幌や北広島行きに比べると、バスは比較的空いている。昨日も試合終了後、20分も並ばなかったと思う。そして僕のもう一つの楽しみは、野幌駅の駅前にある『街の灯台 喫茶ファロ』に寄ることである。
ここはアナログレコードでジャズがかかっていたり、サイフォンで美味しい珈琲を淹れてくれる名店なのだが、ファイターズを含む「野球文化」への深い愛情を感じることも特筆したい。狂信的な「〇〇ファン」ではなく、野球文化そのものを丸ごと愛するご夫婦(もちろんファイターズファンでもある)が経営するこのお店は、近頃では僕の憩いの場所。土日のデイゲームが終わった後は、野幌駅行きのバスに乗って、『喫茶ファロ』に寄り、静かなジャズを聴きながらケーキセットを食べ、美味しいコーヒーを飲むのが僕の「小確幸」である。
『喫茶ファロ』には趣味の良い素敵な本もたくさん置いてあり、その中に野球関係のものも結構ある。昨日、店内で読んだのが『野球の言葉』という雑誌(ムック)。ちょうど僕が先日読み終えたばかりのポール・オースター『4 3 2 1』の訳者である柴田元幸さんが、小説と野球についてインタビューを受けていて、これが面白かった。『4 3 2 1』でもジャッキー・ロビンソンの逸話や、ドジャースの西部移転(ドジャースはかつてニューヨークのブルックリンにあったのだ)などのエピソードが、重要なストーリーのスタンプとして機能している。そういえば、ポール・オースターが脚本を書いた映画『スモーク』の主人公の小説家も、仕事の合間にしょっちゅうメッツの試合を観ている。ニューヨークでは、生活の中に自然と「野球」がとけこんでいるのだ。
この『野球の言葉』の中で、野球の名著として数名が紹介していたのが『男たちの大リーグ』というノンフィクション(デヴィッド・ハルバースタム著/常盤新平訳)だ。原題は『Summer of ’49』という。僕は「Summer of」のあとに年号をつけるタイトルを見るだけで心が騒ぐ。なんと言ってもブライアン・アダムスの『Summer of ’69』を思い出すし、自分でも『Summer of ’88』『Summer of ’96』という2曲を作ったほどである。
この本、僕も15年くらい前に読んだことがあるけれど、本当におもしろくて、夢中で読んだ。タイトル通り1949年のヤンキースとレッドソックスのデッドヒートを中心に描かれたノンフィクションだ。誰一人、動いているシーンを見たことのない伝説の選手たちが、名文によって頭の中で生き生きとプレーを始めるのだ。
野球と文学はとても相性がいい。この『男たちの大リーグ』はノンフィクションだが、日本にも村上龍『走れ!タカハシ』や小川洋子『博士の愛した数式』など、野球を真ん中に置いた名作がある。
さて、昨日の試合は、ファイターズ・金村が6回無失点、ライオンズ・隅田は8回を無失点と、前日に続き投手戦となったが、結局ファイターズはブルペンの池田、柳川が8、9回に1点ずつ失点し、最終回の追い上げも届かず、2-1の敗戦となった。打つべき手はすべて打ったし、連戦でブルペンに疲れが見えるのは仕方がないところ。隅田の投球が素晴らしかったことを讃えたい。それでも最終回、難攻不落の鉄腕・平良から1点をもぎ取り、あと一歩のところまで追い詰めたファイターズ。大丈夫、しっかり強いから。
締め切りまで少し時間がある作曲の仕事を、毎日少しずつ進めている。
今回は、僕を含めた三人でのコライト(共作)。先手の「トラックメーカー」がトラックを制作し、次に僕が「トップライン」(歌詞とメロディー)を乗せ(←イマココ)、最後にプロデューサー的な三人目が全体をまとめるという流れ。
一人で最後まで作るのとは違って、新しい視点を得られるのも利点だけれど、なんといっても、それぞれの得意分野を活かせるのがこのスタイルのいいところ。それぞれが自分の持ち場で、職人的に仕事をまっとうすればいい。だから僕はコライトでの作業がとても気に入っている。
「トップラインとは何か?」と思われるかもしれませんね。トップラインとは「歌詞とメロディー」のこと。平成までの「作曲」の概念では、トップラインを作ることがそのまま「作曲」と呼ばれていたけれど、今はもう違う。音を作る人(トラックメーカーやプロデューサー)も作曲クレジットに含めることが、当たり前になってきている。だから最近のヒット曲のクレジットには、たくさんの名前が並んでいることが多いのです。時代は変わる。どれだけ「変わらない普遍性」が大切だとしても、時代の流れには逆らえない部分がある。これからの「作曲家」にとって、「コライト」は必須になっていくと思う。
「シーズンシートですか?」
エスコンフィールドで試合がある日は、なるべく早めにライトスタンドのいつもの指定席に腰を下ろし、ビジターチームの打撃練習やファイターズのシートノックを眺めることにしている。そんなゆるやかな時間に、昨日は隣に座っていたご夫婦の男性が話しかけてきた。
「はい」と僕が答えると、「私たちも毎日ここに通っていて、いろんな席で観てるんですよ。ここの席にも今年あと何度か来ます。よろしくお願いしますね」と、にこやかに言ってくれた。
昨日は来場者全員にファイターズのユニフォームが配られていて、観客のほとんどがそれを着ていた。僕も着た。ブルーとブラックに染まったスタンドを見渡すと、まるで球場全体が、脈打つ巨大なひとつの生き物のようにうねっていた。
西武ライオンズの悲運のエース・今井達也、ファイターズは山崎福也。空前の投手戦。6回を終えて、両チームともノーヒット。結局、ふたりはともに8回を無失点で投げきったナイスピッチング。
ここからがファイターズのブルペンの見せ場だった。田中正義は伸びのあるストレートで、池田隆英はテンポよく、河野竜生は緩急を活かして、杉浦稔大は気迫で、それぞれの持ち場で職人たちは見事に期待に応えた。延長12回をゼロでつないだファイターズ投手陣、素晴らしかった。
そして延長12回裏。2アウト、ランナーなしで万波が四球で歩く。松本剛が代走。
そして場内にアナウンスが響いた。「代打、郡司」。打つべき手は打った。あとはそれぞれが、仕事をまっとうするだけだ。
アウトになれば試合終了という場面で、松本は見事に盗塁を決めた。そして郡司は、ツーストライクに追い込まれたあとの決めにいったフォークボールを、ライトへ――技ありのホームラン。打球は僕たちが待つライトスタンドへ向かって飛んできた。サヨナラホームラン。
誰もが立ち上がって、郡司の名前を呼んだ。名前を呼ぶことでしか表現できない感情がある。「郡司!」僕も叫んだ。前の席で一人でクールに観戦していた男性と僕はハイタッチした。隣のご夫婦とも硬く握手を交わした。
年に何度も見られないような試合を、何度も見せてくれたのが昨年のファイターズだった。今年も始まった、ついに、ちゃんと、始まった。