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B1グランプリ 振り返り
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
12月13日 10:13

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B1グランプリ 振り返り
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成瀬英樹
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12月13日 10:13

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年齢なんて単なる背番号だよ
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
12月11日 8:09

お疲れ様です。
 

12月7日の「BINGO R&R Party!」は、想像を遥かに超える大成功となりました。 いやあ、盛り上がった。 何より、とびきり楽しかった。

 

この秋に、BINGOの作曲・音楽制作コース「マイソングプラン」所属メンバーのキソエムさんとミッチさんをお誘いし、「ビートルズ研究バンド」を結成したのが発端です。 「せっかくだから」と、同じくビートルズを愛するドラマー・伴慶充さんにも参加をお願いしました。

 

そこから話が転がりはじめます。

 

「オフ会をやろう」→「BINGO作家のみんなにも来てほしい」→「光さんや小石くんともセッションしたい」→「金森さんにもぜひ」

 

気づけばステージ上は、ギター、ベース、キーボード、コーラスと、まるで1つのポジションに複数レギュラーがいる“ファイターズ方式”の大所帯に。 その布陣で全20曲、汗だくになりながら一気に駆け抜けました。

 

ほんまは、まだまだ歌えたんですけどね。今回はこのくらいにしといたるわ。

 

この日のステージには、僕たちがビートルズを愛してやまない理由がすべて詰まっています。 実は出演者の誰一人として、事前に音合わせをしていません。

 

「この曲を、このバージョンでやるからよろしく」。それだけを共有してステージに立つ。

 

カウントが始まり、最初の音が鳴った瞬間、全員の意識がカチッと合う。 ビートルズの楽曲が、世界中のミュージシャンにとって“共通言語”のような「演目」だからこそ、たったそれだけで奇跡のようなアンサンブルが成立してしまう。 これがビートルズの偉大さです。他のバンドではなかなか真似できません。

 

でも音楽は「演目」だけで終わらない。 1音鳴らした瞬間、その人のすべてが出る。

 

大滝詠一さんに「カヴァーを聴けば、その人のオリジナリティがわかる」という名言がありますが、まさにあの夜はそれを証明するステージでした。 同じ曲でも、演奏者の数だけ違う表情がある。それが音楽の底なしの面白さです。

 

BINGOには、普段はDAWで楽曲を作っている「バンド未経験者」もいます。 でも音楽には、絶対に「合奏の喜び」がある。

 

人と音を合わせるときの緊張と解放、目配せ、呼吸、グルーヴ──あれは唯一無二です。 いくらAIが発達しても、僕たちから「バンドをやる楽しさ」を奪うことなんてできません。むしろこれからは、その楽しさをAIと一緒にどう表現していくのか。その未来すら楽しみに感じています。

 

そんな熱狂の一夜を、ざっくり編集してまとめました。 このブログを読んでくれているあなたにも、こっそりお裾分けします。よかったら、覗いてみてください。

 


 

そしてもし「楽しそうだな」と思ったら、ぜひBINGOの仲間になってください。 一緒に音楽を作るのも楽しいし、僕やBINGO作家たちを応援するのも、これまた最高に楽しいんです。 いつでも、あなたをお待ちしています。

 

そんなわけで、今日やっと57歳になりました。

 

12月生まれってちょっと損なところがあって。 年齢の数え方を「今年で何歳になる」って考える時に、もうたっぷり一年かけて「今年で57なのだ、だから今は56なのだが、ほんとは57歳なのだ」的に考えて過ごしてしまう。

 

そう考えたら、すでに今年一年間たっぷり57の気持ちを味わったので、今日ようやく名実ともに57になりました。 そう思うと、「おめでとう」という言葉も相応しくなくもないのかもしれないですね。

 

「年齢なんて単なる背番号だよ」

 

僕の大好きな野球選手はそう言いました。マジ、それな、って思います。 服とか似合うものが変わってきてるし、あんまりいい加減なカッコもしてらんなくなってきましたが、それでもなるべくしなやかに、生きていきたいと思ってます。

 

57の抱負も変わらず。 やりたくないことは絶対にやらない、です。よろしくね!

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死の気配
成瀬英樹
成瀬英樹
12月9日 22:12

何はともあれ、地震の話だ。昨夜の大きな地震。僕は北海道新幹線の車中にいた。場所は青森県のいちばん北の端あたり。あと数十分もすれば終点の新函館北斗に着くという地点だ。
 

皮肉な話だ。僕は本来なら、空を飛んで帰るはずだったんだから。雪のせいで機材の到着が遅れ、二時間半ものディレイになると告げられた。「条件付きフライト」というやつだ。途中で引き返す可能性もある、という。それでは札幌での大切な打ち合わせに間に合わない。僕は「もうダメだ」と判断し、あっさりチケットをキャンセルした。人生なんてそんなものだ。計画通りになんて進まない。
 

僕は急遽、地上を走る新幹線で帰ることにした。仕事をキャンセルした今、特に急ぐ理由もない。こんな機会でもなきゃ、陸路で北海道へ行こうなんて思わないものな。
 

夜の七時半、東京駅から函館ゆきの新幹線に乗り込んだ。長い移動だが、快適なシートに身を預け、僕はリラックスしていた。前日のBINGOの仲間たちとの楽しいパーティーのことを思っていた。ミュージシャンもお客さんも、みんな笑顔だった。楽しかった。やってよかった。新幹線は順調に夜の東北を滑り抜け、「次は終点の新函館北斗です」というアナウンスが流れた。その、瞬間。
 

突然、パチッと音がして電気が消えた。同時に、鋭いブレーキ。直後、けたたましい警告音。「地震です。地震です、地震です」。そして、凄まじい揺れ。比喩じゃなく、本当に生きた心地がしなかった。僕は神戸の激震も体験してきた人間だが、震度六強クラスの揺れを、時速数百キロで走る密室の中で受けるというのは、考えうる限り「最悪の場所」の一つだと言っていい。
 

揺れが収まる。静かな暗闇。インクを流したような濃い闇だ。窓の外を見ると、トンネルの中ではないことだけは分かった。それだけが小さな救いだった。もしトンネルの中だったら――その先は、想像したくなかったからね。
 

僕はこれまでの人生でいちばん、死の気配を近くに感じていた。間違いなく。
 

その時、手元のiPhone。北欧を旅している娘からの、家族通話の着信だった。一昨日もビデオ通話で、フィンランドの素敵な街並みを案内してくれた。今日はどこにいるのだろう。でも、僕は電話に出なかったんだ。声が聞きたかったけれど、今の状況を知ったら、彼女優しい子だから、ひどく心配しちゃうだろうなって。
 

その時、僕の胸に浮かんだのは、奇妙なほど静かな思いだった。このまま、もし、もう娘に会えなくなったとしても、それでも今ここで心配をかけないほうがいい。恐怖よりも、そういう気持ちのほうが、はっきりと勝っていた。もしここで僕が「怖いよ」と言ってしまったら、遠く離れた異国の地で、彼女は何もできないまま、ただ無力感と精神的パニックを抱えることになるじゃないか。
 

その時ふと気づいた。どうしようもなく怯えていながら、「心配をかけたくない」と思えた自分のことを、僕は少しだけ誇らしく感じていた。その瞬間、ほんの少し強くなれた気がしたんだ。
 

暗闇の中で、僕は目を閉じた。自分の人生を、一枚のアルバムをめくるように静かに振り返っていた。本当に、楽しい人生だった。好きな音楽をやらせてもらった。素敵な家族に恵まれた。そして、最高の娘に恵まれた。前の日、僕は最高な仲間たちと最高のパーティーを終えたばかりだった。変な言い方だけれど、死ぬなら、これ以上ないタイミングだな、とすら思った。
 

そう思えた瞬間、すっと気持ちが軽くなった。もう、何が来てもいい――そう思えた。それは恐怖の中に混じった、不思議な温度のある、奇妙な安らぎだった。確かに本当に怖かった。それでも、今も、その「いい気持ち」だけが、なぜか記憶の底に沈殿している。
 

車内では、乗客たちが次々と電話をかけ始めていた。「仕事に間に合いません」「大丈夫か?」。安否を確かめ合う声があちこちから聞こえる。その事実だけで、少しだけ安心できた。やがて車掌の冷静なアナウンスが流れた。事実を落ち着いて伝えてくれた。震度六強の地震のため停電していること。津波警報が出ているようだが、ここは山側で心配はないこと。外気の冷えを防ぐため、お客様に窓のシェードを下ろしてほしいこと――。
 

僕は電話をしなかった。バッテリーを無駄にしたくなかったし、SNSのノイズを見たところで現実は何も変わらない。ただ目を閉じて、楽しいことだけを考えた。この暗闇で感じたことは、きっと僕の一生の財産になる。そうでなければ、音楽の神様が、わざわざこんな揺れの激しい場所で僕を足止めして、こんな体験をさせたりはしないだろうと言い聞かせた。すべての休符に意味があるように、この停止にも意味があるはずだ。
 

やがて、パチン、と音がして、車内に灯りが戻った。誰かが大きく息を吐き、連鎖するようにみんなが「はあ」とため息をついた。僕はすぐに家族通話に参加した。「実はね」と、さっきまでの出来事をすべて話したら驚いていた。もう大丈夫だよ、と僕は伝えた。大丈夫、電気さえ来ていればなんとかなるんだ。
 

止まっていたのは、たぶん三十分ほど。あの時間は永遠みたいに長く感じたけれど、時計の針は三十分しか進んでいなかった。
 

新幹線は再び走り出し、新函館北斗に着いた。在来線は止まっていたので、函館駅へ向かう客のために、JRが大量のタクシーを手早く手配してくれた。乗車券を見せるだけで、無料で函館駅まで送ってくれた。ホテルは津波警報の対応で慌ただしかった。「ここもかなり揺れたんです」と彼らは言った。僕はもう、怖がっても仕方がないと思って、そのまま泥のように眠った。翌朝、そこから三時間半かけて、家に帰ってきた。

歴史の一部に
成瀬英樹
成瀬英樹
12月7日 7:40

一昨日夜は、湘南時代によく通っていた平塚のレコードバー「Hobo」へ、久しぶりに足を運びました。ここのマスター、家永さんは、僕のアルバム『Kimi Wa Melody』のジャケットを描いてくれた恩人です。JBLのスピーカーで浴びるジョン・レノン。数時間、聴き手の心を直接刺激するその魅力を、あらためてドカンと感じました。爆音最高。いやあ、本当に気持ちよかった。
 

そして昨日は、日本武道館。AKB48の20周年記念ライブ、昼・夜の両公演を見届けてきました。昼公演は現役メンバーによるツアーファイナルで、20年の歴史を彩る「ヒット曲メドレー」の中、2007年代表として『BINGO!』、2016年代表として『君はメロディー』の2曲が選ばれ、さすがに心が沸き立ちました。ビートルズも、チープ・トリックも立った、武道館という憧れのハコで、自分の作ったメロディーが、20年の歴史の節目として鳴り響く。素晴らしいステージ演出も相まって、もうね、涙が止まりませんでしたよ。
 

夜公演には、指原さん、たかみなさん、小嶋陽菜さん、柏木由紀さん、峯岸みーちゃんらOGが集結しました。みんな、僕にしたら同志みたいなものです。2007年、『BINGO!』をシングルに採用いただき、オリコン6位まで上がったんだけど、6位、ですからね。そこから1位になるまでの苦難の道を、僕も一緒に歩んできました。そんな中、指原莉乃さんは『BINGO!』をオーディションで歌って、AKB48に合格するんです。わお。歴史だね。
 

圧巻だったのは、OGと現役で披露した現役AKBソング『根も葉もRumor』。OGたちが、あのハードなダンスを、現役のキレでビシッと決める。ああ、これがAKB48なんだった。この本気感。魂を見せつけられた気がしました。初期のAKBなんて、曲を書かせてもらっていた僕から見ても、歌もダンスも、おしゃべりだって、本当にひどいもんだった(笑)。でも、その「何もなかった少女たち」が、泥だらけでエンターテイナーへと駆け上がっていく様こそが、僕たちの心を震わせたんだよ。最初から完成されている今の現役の子たちには、また別の難しさがあるのかもしれない。でも、昨日のステージは、歴史の重みと新しい光が交差する、本当に素晴らしいライブでした。
 

そんな神曲たちの本編ラスト、最後に歌われたのは、僕の曲『ひこうき雲』でした。前日のOG公演でも、アンコールで歌ってくれていたそうで、2日連続、武道館。20周年のフィナーレに、この曲を選んでくれたこと。作曲家として、歴史の一部になれたことを誇りに思います。AKB48、20周年、本当におめでとう。これからも、その物語を見続けさせてください。


さあ、そして。今日はいよいよ「BINGOパーティー」です。皆さん、笑顔だけ持ってきてください!と言いたいところですが、会費は現金で持ってきてください!(笑)会場で会いましょう。