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トンビに、歓迎された街〜『君はメロディー』、発売10年によせて
成瀬英樹
成瀬英樹
3月9日 11:00

 2026年3月9日の朝、SNSを開いたら、BINGOメンバーのかねまん君がメッセージを送ってくれていた。今日で『君はメロディー』の発売からちょうど10年になる、と。正直、すっかり忘れていた。だが、こうして節目節目に曲のことを思い出させてくれる人がいるのは、本当に嬉しいことだと思う。節目というのは、やはり大切にしたい。

 

 『君はメロディー』は、私にとって人生の一曲と言っていい。書いたのは2015年のゴールデンウィークのことだ。あの頃の記憶は、今も鮮明に残っている。

 

茅ヶ崎へ

 

 その春、私は川崎の武蔵小杉から湘南へ引っ越した。同じ神奈川県内の移動と言えばそれまでだが、東京から電車や車で一時間以上かかる茅ヶ崎は、文化も空気も全く異なる街だ。私にとってはちょっとした移住だった。

 

 川崎での暮らしは悪くなかった。部屋も気に入っていたし、思い出もある。ただあの頃、あることに気づいてしまっていた。自分の楽曲は、日常の中で歩いたり、景色を眺めたりする時間の中から生まれている——そのことを、川崎時代に改めて意識したのだ。散歩道もなく、海もない環境では、広がりのある気持ちで曲を書くことができない。そう感じていた。

 

 だから住む場所は決まっていた。藤沢から鎌倉、茅ヶ崎あたり——関東で一番住んでみたい場所は、ずっと湘南地区だった。そこで部屋を探して回っていた、ある冬の日のことだ。

 

トンビの洗礼

 

 海辺のパン屋の前を通りかかったとき、美味しそうなタマゴサンドが目に入った。せっかくだからと買って、茅ヶ崎の浜辺に腰を下ろし、海を眺めながら食べていた。そこへ突然、一瞬のことだった。トンビが急降下してきて、タマゴサンドをさらっていった。顔に小さな傷を負い、近くの駅に駆け込んで駅員さんにバンドエイドを借りた。「あなたもやられたんですね。みんな最初は油断してしまうんですよ」と、駅員さんはまるで慣れた様子で言った。

 

 痛かったし怖かった。顔から血が出ていた。それでも、妙な確信があった。「ぼんやり生きていたら全部持っていかれるぞ」と、トンビに言われた気がした。まだ少し迷っていた引っ越しを、その日に決めた。

 

 結果、この茅ヶ崎への移住は、私にとって本当にいいものになった。

 

海に祈りながら

 

 茅ヶ崎に移り住んでから書いた最初の曲が、乃木坂46の『全部夢のまま』だった。そのひと月後に書いたのが『君はメロディー』だ。

 

 当時の私には、切迫した理由があった。前田敦子さんへの楽曲提供で得た収入の貯蓄は、そろそろ底をつきかけていた。2015年中にヒット曲が出なければ就職するしかない——本気でそう思っていた。だから毎朝、海辺をジョギングしながら江島神社に向かって手を合わせた。「ヒット曲が書きたい。よろしくお願いします。」そう祈って、部屋に戻り、曲を書いた。

 

 しかし2015年中には採用の知らせは届かなかった。私は就職を決めた。そして——その翌月、事務所から連絡が来た。「表題に決まったよ」と。

 

AKB48のポスターに囲まれながら

 

 すぐに辞めるわけにもいかず、約一年間は働き続けた。勤め先は大手の通信会社だった。そしてそこのキャンペーンタレントが、AKB48だった。

 

 『君はメロディー』がヒットチャートを駆け上がっていたあの頃、私はAKB48のポスターに四方を囲まれながら、毎日その職場で黙々と働いていた。なんとも妙な話だが、職場の人たちはみな良い人たちで、その一年は決して無駄ではなかった。今となっては笑える、大切な記憶だ。

 

センター街の話

 

 この曲のデモを書いていた頃、仮歌詞の舞台は新宿だった。私は仮歌詞に地名を入れるのが好きで、地名というのは不思議な力を持っている。その土地を知っている人には具体的な光景を呼び起こし、知らない人には「どんな場所だろう」という想像の余地を与えてくれる。

 

 ところが秋元康さんの本歌詞では、舞台が渋谷のセンター街になっていた。これを見たとき、私は思わず唸った。私は神戸で育った。センター街は全国各地にある。渋谷のセンター街を思い浮かべる人もいれば、地元の商店街を思い浮かべる人もいる。この曲を私が歌えば神戸の歌になり、別の誰かが歌えばその街の歌になる——秋元さんはそういう仕掛けを、さりげなく曲の中に忍ばせていたのだ。改めて、この歌詞の深さに感じ入った。

 

回り道の先に

 

 あの頃の私には、本当に何もわからなかった。楽曲の作り方も、コンペへの提出の仕方も、仮歌詞が必要かどうかも。事務所とのマネジメント料の交渉の仕方さえも。誰も教えてくれる人がいなかった。ただがむしゃらに、全てを投げ打ってヒット曲を書くことだけを考えていた。

 

 今、私は成瀬ゼミという場で、作曲を志す後輩たちと向き合っている。私が経験した遠回りを、彼らには繰り返してほしくない。そう思って始めた場だ。あの頃の私に似た人たちが少しずつ集まってきている。そういう人たちが一生懸命、人生を切り拓いていける場所にしていきたいと思っている。

 

10年後の朝に

 

 10年が経ち、『君はメロディー』はAKB48の曲として話題に上がるたびに、今も一緒に愛され続けている。アイドル文化の中で、これほど楽曲を大切にしてもらえるものかと、改めて感じ入っている。昨年はAKB48の20周年があり、今年は私自身の作曲家20年という節目でもある。時間が経つのは本当に早い。

 

 この曲を愛してくださった全ての方へ、心から感謝を申し上げたい。そして、この曲を通じて私という作曲家を知り、ゼミの門を叩いてくれた人たちへ。私でも書けたのだから、一生懸命やれば必ずいいことがある。それだけは、胸を張って言える。

 

成瀬英樹(you-me)

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