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今日は特別な音源を公開した。僕のバンドFOUR TRIPSの、2000年の未発表曲『神戸珈琲物語』のAIを使用したカヴァーだ。ボーカルは、当時のデモテープに残っていた「aiちゃん」の声をAIで抽出し、丁寧にエディットして仕上げたものだ。 いわば、ビートルズが新曲『Now and Then』でジョン・レノンの声を蘇らせたのとまったく同じ手法である。
AIだからといって、ボタンひとつで音楽が出来上がるわけではない。
確かに、押せば「それっぽい何か」はすぐ出てくる。だから最初はみんな喜ぶ。そして、驚くほどすぐに飽きる。なぜなら、それだけでは「作品」にはならないからだ。
それでも僕は今、AIという技術に全振りしようと思っている。
テクノロジーの発展は、決して逆行しない。 今はまだ発展途上だ。だから少し触って「なんだ、使えねえや」と投げ出す人も多いだろう。それはそれでいい。あなたがやめてくれれば、ライバルがひとり減るだけの話で、こちらとしては正直ありがたい。
僕は今、AIにしかできないことを見極めるための、大がかりな実験期間にいる。 振り返れば、僕たちはいつだって実験しながら前に進んできたのだ。
僕は13歳からギターを弾き、独学でプロになった。その歴史は、目の前に現れる「新しい技術」との格闘の歴史でもある。
中学生の頃、高価な録音機材なんて買えなかった。 だから、二台のカセットデッキを並べて悪戦苦闘した。一台で録った音を再生しながら、もう一台で別の音を重ねて録音する。いわゆる「ダビング」だ。重ねるたびに音は遠くなり、ぼやけ、劣化していく。 それでも、複数の音が重なり合ったそのカセットテープは、市販のヒット曲よりもずっと愛おしかった。
高校生になり、タスカムのカセット式MTR「ポータワン」を手に入れた時の衝撃は忘れられない。アルバイト代を握りしめて買ったその魔法の箱は、トラックをまとめて空きを作る「ピンポン録音」ができた。 ただし、一度ピンポンしたら、音のバランスはもう二度と戻せない。不可逆の作業だ。 60年代、ビートルズがあの傑作群を4トラックで録っていたことを思えば、当時の僕らがその工程を避けて通れるはずもなかった。
だから僕は、昨今の「カセットテープ復権」の話を聞くたびに、つい言ってしまう。 「冗談じゃない」と。
あの劣化と闘い続けた世代が、心からカセットに戻りたいと思うことなんてない。アナログレコードの温かみとは事情が違うのだ。あのノイズと不便さは、僕らにとって戦場だった。
90年代後半、RolandのハードディスクMTRが登場し、僕らはようやく音質劣化の呪縛から解き放たれた。 デビューが決まり、潮目が変わり、契約が切れる予感が漂う中でも、僕らはその機材にしがみついて曲を作り続けた。Zipディスクにデータを落とし、ドラムのデータをやり取りする。今で言うファイル共有の走りだ。
そして2000年代、PCでのレコーディングが当たり前になった。 波形を目で見て、切って、貼る。パンチイン録音の、あの胃が痛くなるような緊張感は消えた。トラック数は無限になり、ピッチ補正で歌さえ直せるようになった。
そしてついに今、AIが登場した。
音楽を作るという営みは、いつの時代も「与えられた道具をどう使うか」という自分との対話だった。 カセットデッキでも、PCでも、AIでも、その本質は変わらない。道具が便利になったからといって、作る苦しみや喜びが消えるわけではないのだ。
だから僕は、AIを前にして戸惑いながらも、やはり向き合っていく。 それが、ソングライターという生き物の性分だからだ。
先日、あるインタビュー記事を読んで膝を打った。 敬愛する佐野元春さんが、こう発言していたのだ。
「僕が十五歳なら、AI音楽生成アプリを手当たり次第にダウンロードしている」と。
憧れの人と意見が一致したのは、震えるほど嬉しかった。 実は僕も先日、作曲を始めたいという若い人に、こんなアドバイスをしたばかりだったのだ。
「ギターなんて練習しなくていいから、死ぬほど音楽を聴いて、AIで曲を作ったらいいよ」
僕たちがカセットデッキで遊んだように、今の君はAIで遊べばいい。 新しいおもちゃを手にした子供のように、僕たちはまた、音楽の新しい扉を開けようとしている。
おはようございます!
大変充実した東京出張から北海道に帰ってきまして、昨日はまた人生の大一番に立ち会ってきました。感激しました。早くどかーんとみんなに発表したいところです。
そんなわけで、メンバーのみんなには動画をお裾分けします。そして、昨日の「B1グランプリ」の振り返り配信もやっていきますよ。日曜だろうが関係なく、「成瀬英樹」は24時間営業です。
Suno AIの進化が
未来の音楽の地図を
しずかに確実に
書き換えてしまった
けれど僕は怖くない
むしろ 新しい扉が
開かれたような
そんな気さえする
誰もがソングをライトする
僕は 著作権に忠誠を誓いながら
音楽を作る喜びだけを抱きしめて
AIと作曲するためのレジュメを書いた
それは新しい地図
BINGOの仲間に手渡すと
みんな笑顔になって
いつのまにか
自分の足で歩き始めたんだ
霧の向こうに
細い光が一本
そっとあらわれるように
けれど
AIはときに
迷いも運んでくる
その迷いを分ける理由は
音楽の本質に触れる場所にあって
ここではまだ言葉にできない
マジックのタネは大切に
ボスはいつも僕に言った
AIについて語るたくさんの動画
どうして誰も
簡単なことに気づかないのだろう
そう思うと 微笑んでしまう
灯台、もと、くらし
結局は本質をつかめるかどうか
それだけなんだと思うんだ
AIが進化して
誰もがソングをライトする
それはすばらしいこと
これから作曲を始める人には
僕は迷わず言います
AIを研究したほうがいいですよ と
ピアノも
ギターも
DAWさえ
要らなくなる時代が
もう来るんです
じゃあ 必要なのは…
「AIより人間味だ」と
そう言う人もいるでしょう
けれど僕は思うのです
AIに奪われてしまうほどの
人間味しか持っていなかった人から
時代はそっと
手を離していくのだと
さあ! 昨夜のB1グランプリ、振り返り配信やります!
長くなるよー!!
おはようございます!
白井大輔くん作曲の新しい作品の MV が公開されました。“僕が見たかった青空『あれはフェアリー』”。ちょっと検索してみてくださいよ。いつもは分断ばかり目立つ SNS 界隈に、優しい大絶賛の言葉が並んでいます。素晴らしいよね。秋元先生の最高の歌詞とプロデュースによって、また一曲、僕たちの仲間の歌が大きな世界へ旅立ちました。
楽曲というのは生き物で、もちろんセールスにつながったら最高ですが、それ以上に“長持ちする曲”を僕たちは作りたいと思っています。
土曜の夜から日曜にかけて体調を崩してしまって、家でゴロゴロしていましたが、しっかり寝たので、もう大丈夫です!
そんなわけで、POP A to Z の告知ポストができずにごめんなさい。みなさん、聴いてもらえましたか?「作詞家・安井かずみさん特集 Pt2」。今回、2週にわたって ZUZU の愛称で知られる彼女の特集をするにあたり、またいくつか本を読んだのですが、その中でも『キャンティ物語』がずっしり重く、心に響きました。
六本木にあったレストラン「キャンティ」の物語。
安井かずみさんと言えば、加藤和彦さんとの公私にわたるコンビ。華やかな暮らし。80年代って今振り返ると、本当に明るい時代だったんだなと思います。でも当時の僕にとっては、何もかもうまくいかない、きつい時期で。あの頃の世の中の“明るさ・軽さ・眩しさ”が、とにかく鬱陶しくてしょうがなかったことを、ここにそっと告白しておきます。
ZUZUさんは病気で55歳で亡くなってしまって、残された加藤さんも、本当に悲しい終わりを迎えて……。何といっても加藤和彦さんですから。すべての音楽人の憧れの存在ですから。その衝撃はあまりにも大きくて、今もまだ完全にはショックから抜けきれていない部分があります。
僕がいつも行く代官山のヘアサロンでは、かなりの確率で加藤さんの“ヨーロッパ三部作”が流れています。オーナーの内田さんと親交があった加藤さんの思い出、少しずつ話してくれたり。その時間がとても良くて、あのお店に通う理由のひとつになっているんだと思います。
今、リビングのレコードプレイヤーで回っているのは、ZUZUさんが加藤さんと出会う前、1970年に一枚だけ残した、ZUZUさんが歌うアルバム。歌は決してうまくないんだけど、その“拙さ”がいい方向に働いていて、とても素敵なレコードなんです。かまやつさんやジュリーが作曲した曲があったり、変わったところでは石坂浩二さんや日野皓正さんが作曲した曲もあります。作詞はすべてZUZUさん。みんな若かった頃の息遣いが、そのまま閉じ込められています。
12月7日の「BINGOパーティ」の詳細もそろそろ決めないとね。当日僕もジョン役で出演するビートルズバンドの名前だけ先に決まりました。
『タイムマシンなんていらないズ』です。どうぞよろしく!
その前に今日は事務作業をがんばります。請求書を書いたり、契約書を精査したり。なんだよ、ちゃんと“仕事”みたいになってきてるじゃないか。どうなってるんだ、オレの人生。
今夜は BINGO の作家たちとの「B1 グランプリ」。僕も渾身の作品をいくつか携えて、みんなの挑戦を受けます。
まだまだ、負けませんよ。