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おはようございます!
SNSでマネージャー募集を始めました。札幌在住なら嬉しいし、野球好きならなおさら嬉しい。動画編集やSNSを積極的に活用してプロモーションできる方──そんなイメージを持っています。もちろん、すべての条件を満たす方はそうそういないでしょう。それでも「運命をともにしてくれるたった一人のマネージャー」を、じっくり探していきたいと思います。
音楽業界に詳しくなくても構いません。むしろ、他の業種での経験を活かしてくださる方も素敵だと思っています。
さて、今夜からいよいよ引っ越しの準備に取りかかります。今週半ばには「親子の思い出が詰まった部屋」を後にし、新しい住まいへ。引っ越し先は札幌の隣町・北広島市の閑静な住宅街です。周辺を少し歩いてみたのですが、大きな公園や新しい図書館があり、そして何より、エスコンフィールドまで徒歩10分。玄関から球場が見えるほどの距離なのです。
「いつか野球場のそばで暮らし、音楽を作って生きていきたい」──突き詰めれば、それが僕の人生の夢でした。そう気づいたとき、肩の力が抜けて楽になったんです。だって、やろうと思えばできることなんだから。じゃあやってみよう。やってみた先にどう転ぶかなんて、やってみなければ分からないんですから。
かつては「ボストンやシアトルの球場の近くに住みたい」と思っていました。でもエスコンフィールドができて来てみたら、「ああ、ここにあったじゃないか」と。そう、答えは北海道にあったんですね。
制作中の楽曲も一段落して、なんとか引っ越し作業に集中できそうです。B-1グランプリの日程を変更していただいたのは本当に心苦しいのですが、落ち着いたらまたバリバリ働きます。
そんな中、昨日も野球観戦へ。今季72試合目の現地観戦(オープン戦・東京ドーム遠征含む)。優勝を懸けた崖っぷちの試合が続く中、延長戦の末に清宮幸太郎のサヨナラヒットで勝利! 苦しい戦いが続きますが、積み上げてきたチャンスをぜひものにしてほしい。「勝つ」ことで得られる自信は、何よりも価値があると思うのです。それは僕たちの仕事にも通じますよね。
一方で、僕たちは「やせたいわー」「やせなきゃね」と言いながら、一日三食以上食べてしまう。つまり本当は「やせたくない」んです。だって本当にやせなければならない状況──たとえばロバート・デ・ニーロがボクサー役をやるような──に追い込まれたら、誰だって死に物狂いで食事制限と運動をしますから。
「作曲家になりたいわー」「プロになりたいね」と言いながら過ごす毎日も同じです。本気で死に物狂いで研究や創作に打ち込めていますか? 才能あるプロたちは24時間音楽に捧げ、日々格闘しています。そんな中で「作曲家になりたいわ勢」がとっている行動は、本当に正しいのか──そう考えてしまうのです。
もちろん、それぞれの人生ですから、無理なく楽しんでほしいとも思います。ただし、「無理なく楽しみながらプロになって、バリバリ活躍する」ことはできませんよね。
プロ野球選手に「無理なく楽しみながら」成り上がった人が一人もいないのと同じように。
AIは、僕たちから「作る楽しみ」を奪うものだ——そう考えるのは、大きな偏見であり、誤解であることに気づきました。
これからは、せっせと楽器を練習したり、音楽理論を一から積み上げたりしなくても、誰もが音楽を生み出すことができる時代です。
音楽家であるかどうか、学んできたかどうかに関わらず、「曲を作る」という領域においては、もはやレベルの差がなくなってしまいました。すでにその段階に来ているのです。
これから問われるのは「センス」。それこそがすべてです。なんと素晴らしいことではないでしょうか。
「作曲家の仕事が奪われるのではないか?」——そんな声も耳にします。けれども、大切なのはそこではありません。仮にそれで奪われてしまう仕事だとしたら、仕方のないことだと思います。この世界は、もともと競争と淘汰の連続なのですから。
AIは「ソングライティング」を民主化する、最高のツールなんだと僕は捉えています。特に初心者のみなさんは、どんどんそこから貪欲に学んで行ってほしいです。
おはようございます。
気がつけば、引っ越しの日がもう目の前に迫ってきました。わお。
この小さな部屋には、僕自身一年半ほど暮らしました。その前に娘が同じくらいの期間住んでいたので、通算すると三年か三年半くらいになります。
娘がこの部屋に最初に引っ越してきた日のことは、今でもよく覚えています。急きょ僕も手伝うことになって、娘の大学の友人たちも来てくれて。みんなでワイワイ家具を組み立てたのは、まるで昨日のことのようです。
まさかその後、自分がここに住むことになるなんて。ほんとに人生はわからないものですね。
そして来週には、もう少し広い部屋へ引っ越します。その前に、いただいていた作曲の仕事にちょうどメドをつけることができました。これで気持ちよく引っ越しできます。
ファイターズが再び歴史的な追い上げを見せていて、目が離せません。そしてもちろん、シアトル・マリナーズの動向も追っています。野球的に言えば、この秋はますます面白くなりそうです。
昨夜もナイターから帰ってきて、ラジオ特集の準備を遅くまでやっていました。今日はこれからラジオを収録して、レッスンをして、役所の用事も片付ける予定です。今日もきっと、あっという間に過ぎていくでしょう。
お互い、がんばっていきましょう!
昨日、作曲における自分のターンを終え、レッスンとレッスンの合間を縫って映画『遠い山なみの光』を観に行ってきた。札幌では複数の映画館で一斉に上映されるという気合いの入った興行。その中で僕が選んだのは、もちろん「シアター・キノ」である。早めに行って整理券を受け取り、近くの甘味屋でお団子を食べて時間をつぶし、いざ上映開始となった。
カズオ・イシグロに関しては、『わたしを離さないで』をリアルタイムで読んで以来のファンである。あのときは奈良の奥地の神社まで一人旅をしていたのだが、読み始めた途端に物語に没頭してしまい、旅行どころではなくなったことを強烈に覚えている。
『遠い山なみの光』はイシグロの最初の長編、いわばファーストアルバムであり、舞台は日本の長崎だ。続く『浮世の画家』も日本を舞台にしている。3作目『日の名残り』からは日本が舞台になることはなく、彼は最初の2作で日本を描き切ったのだろう。その意図は十分に果たされたといえる。
イシグロ作品の特徴として、一人称で語られる主人公の言葉が、ある時点から急に疑わしくなることがある。ウソ、都合の良い記憶の置き換え、さらには妄想か――読者は疑念と不安に駆られる。『遠い山なみの光』もまさにそうで、最初は「戦後の女性たちの奮闘」として淡々と進んでいたのに、ある瞬間から説明もなく歪んだ世界を突きつけてくるのである。
とはいえ、『遠い山なみの光』は20年ほど前、2度通して読んだきりだ。それなりにおもしろかったという実感は心に残っているが、細部のストーリーを鮮明に覚えているわけではない。
ただ、それが良かった。だからこそ、新鮮な気持ちで、とても楽しめる映画体験になったのである。
映画の中で、あるベテラン俳優の所作やセリフに「?」と感じる箇所が二度あった。後でパンフレットを読んで、それがいずれもその俳優の提案によるものだと知った。惜しい。作品をわかりやすくしようという気持ちが透けて見えたのだが、それは残念ながらイシグロの世界にとって「お節介」になってしまっていた。その点だけが本当に惜しい。
ただし、その「お節介」こそが、この作品と「わかりやすい反戦メッセージ映画」との距離を縮めてもいる。その俳優もきっと、それを望んでいたのだろう。だからこそ観終わった後、その二箇所がずっと心に引っかかっていて、どうしても拭えないのである。
それでもトータルで見れば、突然「説明もなく歪んだ世界を突きつけてくる」イシグロの世界が、見事に映像化されたいい映画だった。僕はもう一度くらいは劇場で観たい。しかし、ある種の観客は観終わった後、腹を立てる人もいるだろう。「どういうことなの!」と。その「どういうことなの?」という地平こそが、僕にとってイシグロを好む理由である。わけもわからず、ただ静かに心を揺さぶってくるのである。