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お疲れ様です。少しご無沙汰してしまってすみません。ここのところ締め切りが立て続けにあって、ずっと曲を作っていました。
今回のコンペには数曲出そうと思って、5、6曲あたりをつけていたんですけど、なかなかうまくいかず。そこで、新年の書き初めを思い出しました。
「一曲入魂」
そうだよな、5曲、6曲に分散している気持ちを、全部1曲にまとめて出してみよう。そう思って作りました。どうかな。少し力が入りすぎて、うまくいっていない感じもするんだけれど、それでも現時点での僕のベストです。のたうち回って作りました。久しぶりに、のたうち回りましたね。やっぱり大きなコンペ、獲りたいコンペには本気になっちゃいます。まあ、毎回本気なんですけど。
逆に『恋の中央線』は、本当に数分でできました。最初から最後までつるっと、駅名もそのままスラスラ出てきたような。長くやっていると、そういうこともあるんですね。まさか、それがそのまま採用になるなんて夢にも思わずにいたわけですが、いよいよ来週、発売になります。
駅名を歌い込もうと思ったのには、いろんな理由があります。なんといっても、小林旭さんの『自動車ショー歌』や『恋の山手線』。ああいう面白さをやれたらいいなと思ったんですよね。それと、いつも話しているように、娘が中央線に関するエッセイを自主制作で出していて、それが面白くて、そこからインスパイアされました。娘からは「パクられたー!」と笑いながらクレームをいただきました。あはは。
僕も30年前に西荻窪に住み始めてから、東京に暮らしている間は、ほとんど中央線沿線に住んでいました。特に西荻あたり、そして国立には長く住みましたから、今でもすごく愛着があります。
中央線沿線には文化があって、昔からアーティスティックな人間を許容してくれる風土があります。僕のような変わり者も受け入れてもらえて、上京したばかりの20代の頃はそれがとても嬉しかった。「よそ者」にも開かれているんですよね。というか、東京という街が、「よそ者」たちの集まりのような街なんですよね。その中でも中央線はその感じが強いですよね。ミュージシャンがこのあたりに、しかも新宿より西側に多く住んでいるのは、すごくよくわかる気がします。
さて。
今週は、白井くんが表題曲を作曲したSTU48のシングルも発売になりました。カップリングは、テリーが光さんとタッグを組んで作りました。白井くんは今年5曲目、テリーも今年2曲目ですよ。年に1曲決まればだいたい「作家として最低限の仕事をひとつ成し終えたな」と思うところですが、ゼミ生ながら年2曲、本当に快挙だと思います。
実は来週以降も、数曲お知らせがあります。僕の『恋の中央線』もありますが、ほかの作家の皆さんの曲もありますし、またゼミ生がデビューします。しかも一曲じゃなかったりもします。
成瀬ゼミを始めたのは、3年前か4年前ぐらいでしょうか。最初は七転八倒しました。コンペに通る作家を育てるのは難しくて。僕も頑張りましたし、作家の皆さんも一生懸命やってきました。
僕は、作曲教室というものを基本的に信じていません。どこどこの作曲の先生が「いい曲だ」と言ったとしても、それが世の中に通用するかどうかはわからないじゃないですか。「誰が決めんねん」という話です。作曲の先生がいいと言ったら、いい曲なのかい?
それは、いつも自分にも問うています。いい曲かどうか決めるのは僕じゃない。クライアントさんだし、その向こう側の「大衆」ですよね。
僕が判断するのは、コンペに出せるかどうか、そのクオリティーに達しているかどうかです。達していなければ、そこに届くようにアドバイスします。コンペになかなか通らなければ、通るための方法を、自分なりにいろいろ考えて伝えます。うちが作曲教室と一線を画しているのは、そういうところです。
だからこそ、BINGOのメンバーみんなで意見を交わしながら、それぞれの楽曲に忌憚ない意見を伝えます。BINGOの看板を背負ってコンペに出せる曲ではないと判断すれば、出しません。
やっぱり、いい歌を作りたい。AIだなんだと言っている時代だからこそ、僕たちはどんくさいけれど、いいメロディー、いい言葉、いいハーモニー、いいアレンジで、素敵な音楽を1曲でも作っていきたいと思っています。
どんな集団にも、みんなでワイワイ、リア充で楽しくイエーイとやるのが好きな人と、どうもそういう場に馴染めず、隅っこで一人、本を読んでしまうような人がいるじゃないですか。BINGOは、そういう、隅っこで本を読んだり、集団が苦手だったりする人たちが集まっているところなんですよね。だから妙に居心地がいいんだなと、最近すごく思います。僕も思いっきり、隅っこで本を読んでる子だったから。
相変わらず、BINGOの作家やゼミ生は特に募集していませんが、ただ、興味があれば、わかりにくい説明しか書いていませんけれど、読んでお問い合わせいただけたら嬉しいです。作曲家は、誰もがなりたい仕事ではないと思います。本当に自分の中に表現したいことがあって、自分の音楽を信じられるか。そういう塊を心に持っている人なら、年齢なんか関係なく、僕は背中を押してあげたいと思っています。
その際は、いきなり海にドボンと落としますよ。スパルタです。うちは最初から、コンペに出すための作曲しかやりません。そんなどんくさい方法で、ずっとやってきました。
それでも、ゼミ生を含めて、もう10人近くでしょうか。この5年で作家としてデビューするところまで送り出せたことが、僕の小さな、小さな誇りです。自分が作曲家になったことよりも、人を作曲家にしたこと、作詞家にしたこと。それが僕の小さな誇りです。
これからも続けていきたいと思っています。それが、僕が役に立てることなのかなと。
さあ、そして。ここのところ、ずっと聴いていますよ。『ラバー・ソウル』のニューリミックス版。何はともあれ、本当に素晴らしいミックスで、僕は大好きですね。ビートルズ初心者にとっても、入り口としてとてもいいアルバムになったと言えるのではないでしょうか。
J-POPにおけるビートルズの切り取り方という意味でも、この『ラバー・ソウル』あたりは、最も芳醇なネタの宝庫として今も燦然と輝いていると思います。まあ、僕もネタとして使った楽曲が、堂々と1曲目に入っておりますのでね。
それにしても、ジョン・レノンが好きな人間で、この『ラバー・ソウル』のジョンの声にうっとりしない人はいないだろう、というぐらい。『ガール』『ノーウェア・マン』『イン・マイ・ライフ』、本当に素晴らしい。
ちなみに、ポール・マッカートニーの評伝の中で、『イン・マイ・ライフ』のメロディーは自分が書いたと、ポール自身が話しているんですよね。これが非常に面白い。ポールの言い分では、たくさんある曲の中で、自分が作ったメロディーをジョンが自分のものだと言ったのは『イン・マイ・ライフ』だけだと。逆に、1曲しか食い違いがないというのはすごいことだろう、と。でも、この曲のメロディーはほとんど自分が書いたんだ、ということなんですね。
確かに、そう言われてみれば、非常にポール・マッカートニーらしいメロディーという感じもしますよね。だけれども、やっぱり『イン・マイ・ライフ』はジョン・レノンが歌わないと。ねえ。
もちろん、ポールも『ミッシェル』や『ドライブ・マイ・カー』では中心になって書いたでしょうし、素晴らしい楽曲を書いております。ただ、次のアルバム『リボルバー』でポール・マッカートニーの絶頂期が始まると僕は見ているので、『ラバー・ソウル』は、ちょうどポールとジョンの才能がぶつかり合い、きしみ合う最初のアルバムなんじゃないかなと思っております。
何せ、これまでの『ラバー・ソウル』のミックスは、歴史上かわいそうな扱いを受けてきたアルバムと言いましょうか。僕としては、なかなか納得のいく形で聴けなくてですね。ずっと昔に出たモノラルボックスを大事にして、チビチビ聴いたり、モノラルのレコードを聴いたりしていたものですから、今回の見事なステレオミックスは本当に大歓迎でございます。
どちらにしても、新しいミックスやリミックスの類いは、楽しんじゃった方が勝ちだなと僕は思います。意固地に聴かない人もいるし、その人たちの気持ちもとってもわかるんですけどね。僕は何でも楽しんじゃう方です。
ただ確かに、リミックスもので、ずっと聴き続けているものはそんなにないかなとも思います。『サージェント・ペパーズ』も1回か2回聴いただけですし、『アビイ・ロード』も、今となっては結局、元の方を聴いちゃっていますよね。『ホワイト・アルバム』の新しいリミックスは結構好きだったけどね。前回の『リボルバー』も、やっぱり元の、それもモノラルミックスがすごく好きなので。
その点、今回の『ラバー・ソウル』はずっと聴いています。しかも、ドルビーアトモスの空間オーディオで聴くと、本当に気持ちが良くて。世界中のどの音楽よりも、やっぱり僕はビートルズが好きだなと思います。『ラバー・ソウル』はずっと3番目か4番目に好きなアルバムだったんですけど、このミックスによって、自分の中でぐんと存在感を増しているというのはありますね。
ビートルズを聴いたことがない、なんじゃそれ?という人も、ぜひ今回のニューミックス版の『ラバー・ソウル』を。AirPodsを持っている人は、空間オーディオに設定して聴くと、とっても素晴らしいですよ。
お疲れ様です!
昨日、新幹線と在来線を乗り継いで、北広島の家に戻ってきました。時間があるときは、陸路で帰るのがお気に入りになってきました。本もゆっくり読めたりしますしね。
20時過ぎに帰ってきて、すぐにMOBYの野球ラジオの収録。その後22時からは、全体ミーティング「B1グランプリ」でした。昨日も熱のこもった作品がたくさん揃いましたよ。ぜひ振り返り配信をご覧くださいね。
それにしても、この夏は「長く熱い夏」でした。まさに「Endless Summer」。
しかしながら、なぜこのような素晴らしい夏を迎えられたかを考えると、シンプルに冬の間、コツコツとがんばったから、なんですよね。
僕は(僕たちは)、ものすごく、がんばった。がんばる場所があることに感謝をしながら、がんばれるときだからこそ、がんばった。
結果が出たのはあくまで、どこまで行っても「たまたま」なんだろうと僕自身は考えます。
いや、それもたしかにそうなんだけど、今、自分が(自分たちが)作っているものが、とても「オモロイ」ものであることも、自覚はしているつもりです。
自分たちの「オモロイ魂」を十分に震えさせてくれる作品である。と。
なんてね。
そんな大仰なものじゃなくていいんですね。
ただただ、作曲が楽しい。なぜなら、これは僕(僕たち)が「夢にまでみた」職業だから、であります。
さて、夏は終わった。
また今日から、春までコツコツとやろうと思います。次の「長く熱い夏」を迎えるために。
――この週末は、AKB48のコンサート、Cloud ten(クラウドテン)、そしてBINGOのオフ会と、かなり濃い時間が続きました。まずAKB48のコンサートから聞かせてください。
まず、本当に攻めたセットリストだなって思いましたね。メンバー45人が、それぞれ1曲ずつセンターを取るというコンサートだったんです。
――45人全員がセンター。
そう。しかも、それぞれのメンバーが選んだのかな、と思うような曲が並ぶんですよ。だから、どうしてもマニアックになるんです。それを45曲、ほぼぶっ通しでやる。さらにアンコールも数曲ありましたから、なかなか体力的に大変なライブでした(笑)。もちろん内容はすごく良かったですよ。
――その中で、作曲家として感じたことはありましたか。
ありましたね。『鈴懸なんちゃら』とか『ラブラドール・レトリバー』『ハート・エレキ』『UZA』『Everyday、カチューシャ』とか、途中でシングル曲も何曲か出てくるんですよ。
45曲いろんな曲を聴いている中で、そういうヒットした表題曲が来ると、もう明らかにキャッチーなんです。
――知っている曲だから、ということではなく?
そこなんですよ。ヒットしたから耳馴染みがあってキャッチーに感じる、というだけじゃない。やっぱり曲として強かった。作る側としては、そこをすごく聴いちゃいましたね。
僕、20年近くAKBさんと仕事をさせてもらってますけど、それでも知らない曲がたくさんあったぐらいマニアックなセットリストだったんです。それだけAKBには歴史があって、楽曲の厚みがあるということでもありますよね。
実は僕が観たのは夜公演だったんですけど、昼公演では僕の『BINGO!』と『そばかすのキス』もやってくれていたらしくて。夜はなかったんですけどね(笑)。
でも、本当に行ってよかったです。いろんな気づきがあった。作る側としても、すごく学びの多いコンサートでした。
――そして翌日は、お台場のCloud tenへ。
そう。かなり立地のいいところに新しくできた劇場で。行く前は、秋元さんが手がける男性グループということで、どんなものになるんだろうという興味がありました。
実際に観てみると、すごく面白かったですね。
――どんなところに面白さを感じましたか。
すごく「普遍的」だったんですよ。アップ・トゥ・デートなものを追いかけるというより、普遍的な方向を感じた。特に音楽ですね。曲、サウンド。
もちろん秋元さんがこれまで作られてきたものの延長線上にはあると思うんです。でも同時に、日本には男性アイドル音楽が長い時間をかけて作ってきた独特の文化があるじゃないですか。その流れもどこかに感じたんですよね。
秋元さんの文脈と、日本の男性アイドル音楽が培ってきた文脈。その両方が自然に重なっている感じ。
――それを観て、成瀬さんはどう思いました?
曲を書きたいって思いました(笑)。めちゃくちゃ思いましたね。
最初の2、3曲は、こっちもまだメンバーに馴染んでないじゃないですか。でも観ているうちに、どんどん若い彼らに引き込まれていく感じがあって。
最後には3人ぐらい、もう目が離せないメンバーがいました。本当に正直、かっこよかったですよ。
――何に惹きつけられたんでしょう。
やっぱり熱意ですね。まだ超満員というわけではなかったんですけど、熱のあるお客さんを前にして、「なんとかこっちを振り向かせよう」という熱意がすごく伝わってきた。そういうメンバーが何人もいました。
――そしてその後、BINGOのオフ会へ。
急に決まったオフ会だったんですけど、20人ちょっと集まってくれて。嬉しかったですね。
新宿のレンタルスペースみたいな広い部屋を借りたんです。外から見ると、ちょっと年季の入ったビルの一番上なんだけど(笑)、中はすごく綺麗で。
僕が行ったら、みんながサプライズを用意してくれてたんですよ。
――合同会社BINGOの5周年。
そう。ケーキとかプレゼントとか用意してくれていて。驚きました。僕、ああいうときのリアクションが苦手なんで、あんまり「わー!」ってできないんですけど(笑)。でも、すごく嬉しかったです。
今年の初頭に、「この半年でベストを尽くしてやってみよう」と。次にみんなで集まったときには、お互いの健闘を称え合えるようにしよう、みたいなことを言っていたんです。
そこから半年、本当に今年は素晴らしい成果を得ることができた。僕も、白井さんも、石崎さんも。ゼミ生の採用曲も来月、また発表できるものがあります。
だから、そのいくつもの成果をみんなで噛み締めながら、また次へ向かっていく。そういう意味でも、すごくいいオフ会だったと思います。
――オフ会では楽曲のブラッシュアップもやったそうですね。
やりました。僕と白井さんと石崎さんの3人に分かれて、ゼミ生たちも3つのグループに分かれて。曲を持ってきた人には、それぞれ3人がブラッシュアップの意見を伝える形にしました。
だから全員が、3者それぞれから意見をもらえた。それはよかったんじゃないかなと思います。
――ここから成瀬ゼミの話を聞きたいです。今後、どんな場所にしていきたいですか。
まず、たくさんの人を集めるつもりはないんです。作家さんもゼミ生も。
チャンスを求めている人。そして、僕たちの「流派」ってよく言うんですけど、言葉とメロディとハーモニーを大切にしたい人。
僕は、そこには流行り廃りがないと思っているんです。
そういう普遍的なものを大切にしたい仲間がいるなら、一人ずつプロにしてあげたい。
僕自身、作曲家としてデビューした年齢が遅かったので、本当に大変だったんですよ。でも何が大変かというと、回り道をしちゃうから大変なんです。
だから、僕のところに来た人には回り道をさせたくない。
――成瀬ゼミは、かなり早い段階から実戦に入りますね。
そうですね。ダイビングに例えたら、いきなり海へドボンって突き落とす感じ(笑)。
本当に、いきなり潜らせちゃう。
でも、ドボンって海に入って泳いでみないとわからないことってあるじゃないですか。自分が浮くのか沈むのかも含めて。
だから、ずっと岸の上で泳ぎ方を説明するんじゃなくて、まず実際にやってもらう。僕はそういうやり方をしています。
――一般的な作曲教室との違いは、そこにもありそうです。
よくある作家さんの教室って、実際にはその作家さん本人が直接教えるわけじゃない場合もあるじゃないですか。
僕のところは、僕が直接教えます。
だから、ものすごくわかりやすく言えば、「僕の曲が好きなら面白いと思いますよ」ということなんです(笑)。
僕の曲に何か共感してくれる人。その人には、僕がこれまで経験してきたことを直接伝えられる。
ただし、僕は一番大事なのは本人の個性だと思っているので、その人の個性を曲げてまで何かをさせようとは思わないです。
――では、具体的には何を教えるんでしょう。
楽曲コンペとして成立するかしないか。受かる可能性のあるところまで来ているか、そもそもそこまで来ていないか。それは、やっぱりわかるんですよ。
ただ、「受かる曲」は正直わからないです。
それがわかったら百発百中になるじゃないですか(笑)。
でも、「受からない曲」はわかるんです。
――そこは大きな違いですね。
そう。だから、「これをやったらダメ」ということを説明する。それがかなり大事だと思っています。
何かを足して「こういう作家になりなさい」と教えるんじゃない。
やっちゃいけないことを、一つずつ削いでいく。
そうやって余計なものを削いでいった先に見えてくるもの。
それが、その人の個性だと思うんですよ。
『フレップダンス』――野球少年だった自分と、今の自分が心の中で抱き合った日
成瀬英樹インタビュー
――まず、『フレップダンス』を作ることになったきっかけから聞かせてください。
今年で、エスコンのそばに移住して3シーズン目なんです。1年目は普通にファンとして、50何試合かな、毎回いろんな席で観ていました。でも、あまりにもスタジアムが素晴らしく、ファイターズが好きなので、昨年から奮発して外野の年間シートを買ったんです。せっかくエスコンの近くでベースボールを感じるために移住してきたのだから、徹底的に味わおうと。日々の暮らしはなるべく節約して(笑)
その申し込みの際、ファイターズのシーズンシート担当の方に、一応合同会社BINGOって会社をやってますと名刺をお渡ししたんです。「どんな仕事をされているんですか?」と聞かれて、「作曲をやっています」と。そのお話を球団のエンタメ担当の方に話してくださったみたいなんですね。
エンタメ担当の方はAKB48などアイドルにもすごく造詣が深くて、僕の曲も知ってくださっていて。『君はメロディー』はいつもカラオケで歌っています、なんてうれしいことを言ってくれたんです。そんな感じで一度ご挨拶をしました。
――そこから、すぐに発注につながったわけではないんですね。
はい。ただ、昨年のファイターズのキャッチフレーズが「大航海は続く」だったので、『大航海は続く』という曲を石崎光さんたちと作ったんです。僕らはシンガーソングライターだから、感動したことに対して歌を作って発表するのは当然じゃないか、という感覚で、この曲自体をどうこうしようとは思ってなかったんだけど。
ちょうど石崎さんと出会った頃でもあったので、「いい曲を作ってみましょうよ」と。本当に本気で作って、それは今もサブスクに上がっていますよ。担当の方に「こんなの作りました」とリンクを送らせていただいたり、ぐらいはしてたんですけど。すると、8月頃だったかな。「フレップの曲を作っていただきたい」というお話をいただいたんです。
――その瞬間は、うれしかった?
もちろん。でも、むしろプレッシャーの方が大きかったですね。世界一のベースボールスタジアムで自分の曲が流れる。そんなこと、夢にすら思ったことがなかった。小さい頃からずっとベースボールが好きで、野球場に通ってきた人間ですから、それがどれほど特別なことかはわかっています。
そう。目の前に本当に叶えたい夢があると、人ってこんなに苦しくなるんだなと思いました。
だから、昨年の8月以降は、試合を観てても落ち着かなくて。選手よりずっとフレップを見ていました(笑)フレップがどう動くのか。どんな曲だったら似合うのか。そればっかり考えていましたね。そして、このチャンスは絶対に逃したくなかったので、頼まれてもいないのに3曲書きました。その中から選んでいただいたのが『フレップダンス』です。
――曲の方向性は、最初から見えていましたか?
僕は昔から、ベースボールにはロックンロールが合うと思っているんです。ベースボールソングで言うと、たとえばジョン・フォガティの『Centerfield』みたいな。ああいうロックンロールをやりたかった。
日本のスタジアムで使われる曲って、ダンスミュージックだったり、みんなで威勢よく合唱するものだったり、あるいはファンシーなものだったりするでしょう。だから、ロックンロールでいきたかったんです。
しかも球団の方から、「かっこよくて可愛い曲を作っていただきたいから、成瀬さんにお願いします」と言っていただいたんです。それは、ものすごくうれしかったですね。「任せとけ!」って思いました(笑)
――とはいえ、制作はすぐには進まなかった。
僕、普段は曲を作るのは本当に早いんです。でも『フレップダンス』は1か月くらい、何にもできなかったですね。締め切りをたっぷりいただいていたこともありますし、球団から30曲近く入った参考プレイリストもいただいたんです。「みんなでこんなイメージを描いています」と。
ファイターズのエンタメチームのみなさんって、本当に真摯なんですよ。フレップに最高の楽曲を、と熱意を強く感じました。僕もその30曲を毎日毎日聴いて、身体に入れて入れていきました。絶対、ご期待にお応えするんだとの一心でした。
――その3曲の中で『フレップダンス』に決まった時はどんなお気持ちでした?
「ですよねー」って感じです(笑)僕も石崎さんも、3曲とも心から気に入っていたんですけど、やっぱり1曲となると『フレップダンス』じゃないかなって最初から思ってましたね。
――作業の工程ってどんな感じなんですか? 作曲は石崎さんとの共作ですよね?
まず僕が作詞作曲をして、フルコーラスのデモを作ります。その時点で歌詞もしっかりあります。それを石崎さんに渡してサウンドプロデュースしていただく形です。アレンジはもちろん、足りないメロディを補っていただくこともあります。この曲では、エンディングのスキャットのメロディは石崎さんです。球場ではなかなかそこまでかからないんですけどね。僕と石崎さんの共作はいつもこのスタイルです。ちなみに歌詞も曲もアレンジも、一切の修正なしの一発OKでした。本当にうれしかったなあ。
――そして、歌っているのも成瀬さん自身です。
そこなんですよ(笑)『フレップダンス』に決まって、「では本番を作ってください」となった時、もちろん別のシンガーを立てることもできた。でも、僕の中のロックシンガー魂がムクムクと出てきて。
「俺が歌いたい」と(笑)
ちょっと待って、僕はそもそも歌手だからね? 忘れてもらっては困るんですよ(笑)
ただ、最終的には誰かに差し替わるんだろうなとは思っていました。50代後半のおじさんが歌うより、若くて上手な人もいるでしょうからね。それでも、まず自分がベストを尽くそうと思ったんです。
札幌のどこにボーカルレコーディングにふさわしいスタジオがあるか知らないので、ネットで調べて電話をかけまくりました。それで、どこかのボウリング場の地下にあるリハーサルスタジオに入って、本当に30回ぶっ通しで歌った。それを全部、石崎光さんに送って仕上げていただきました。
ファイターズの担当の方にも「歌、いいですね」とは言っていただいたんですけど、その後、ボーカリストをどうするという話も特になくて。どうなるんだろう、って思っていたら、そのまま僕の声で流れてました(笑)
――初めてエスコンで披露された日のことは覚えていますか?
もちろんです。昨年のファン感謝デーの最後、アンコール的なコーナーで、満員の観衆を前にサプライズ初披露していただいたんです。本当にうれしかった。鳥肌ものでした。
ずっとベースボールを愛してきた僕の中の少年と、ずいぶんおじさんになった今の僕が、心の中で泣きながら抱き合ったような感覚でしたね。
――そして2026年、公式戦でも『フレップダンス』が流れ始める。
開幕戦は特別でした。オープン戦でもパフォーマンスしてくれていたんですけど、やっぱり公式戦は違います。そしてその試合で細野投手がノーヒットノーランを達成した。つまり、僕にとって『フレップダンス』の公式戦デビューは、細野くんのノーヒットノーランから始まったんです。
何よりうれしかったのは、あの素晴らしいゲームの一部になれたことでした。ずっと客席から見ていたベースボールの中に、自分の作った音楽が存在している。それが、本当に誇らしかったですね。
――シーズンを通して、曲が浸透していく実感もありましたか?
ありました。4月から毎試合ずっと流れて、少しずつ少しずつ浸透していくのが分かるんですよ。初夏の頃に北海道の地上波の朝のニュース番組で踊っていただいたり、SNSでファイターズOBの方が踊ってくださったり。その頃から、球場でも踊ってくださる方が目に見えて増えました。
ビールの売り子さんたちの中にも、完璧な振り付けで踊ってくださる方もいらっしゃったり。いや、思わず握手しに行きそうになりましたもの。「私の曲です!踊ってくれてありがとう!」って(笑)
エスコンでは、3回裏終了後にかの有名な『きつねダンス』があって、4回裏終了後に『フレップダンス』があるんです。エスコンには毎日いろいろな豪華ゲストの方が来られるんですけど、やっぱり『きつねダンス』は踊っても、『フレップダンス』まではなかなか手が回らない。それは当然だと思うんです。
そんな中で、乃木坂46さん、AKB48さん、アバンギャルディさんらが『フレップダンス』をしっかり覚えて踊ってくださったのは、本当にうれしかったですね。あと純烈さんも踊ってくださいました。これがまた、すごく可愛かった(笑)
とっておきのエピソードをお話しすると、今年、僕は乃木坂46さんに『パシフィック・リーグに連れてって』『是非に及ばず』の2曲を作曲させていただいたんです。前者はパ・リーグとの公式コラボで、メンバーの中で野球好きが集まって「乃木坂野球部」名義で歌ってくれています。そして後者は今夏のシングル表題曲です。
そんな関係で、この夏、神宮球場ライブを拝見した後に、メンバーのみなさんとご挨拶できる機会がありまして。乃木坂野球部のみなさんにも、「『パシフィック・リーグに連れてって』を作った成瀬です」とご挨拶したら、みなさん「あーーーーー!『フレップダンス』も作ったんですよね!?あの曲大好きです!!!」って言ってくれたんですよ。こんなにうれしいことがあるでしょうか。
――歌詞についても、かなり意識したことがあったそうですね。
球場にはお子さんがたくさん来るんです。歌って、1から10まで全部を聴くものじゃないと思うんですよ。ふと耳に入った一言だけが残ることがある。だから『フレップダンス』には、「今日もサプライズしよう」とか、「どんな困難でも越えていけるよ」とか、「心一つにシンガロング」とか、ポジティブな言葉を入れたかったんです。
子どもたちは毎日の勉強だって大変だろうし、エスコンに年に1回しか来られない子もいるでしょう。その子らの耳に「どんな困難でも越えていけるよ」という言葉がピュッと入って、何か残ったらいいなと思ったんです。
僕がベースボールから受け取ったメッセージってそこなんです。「どんな困難でも越えていける」。だから、あきらめるな、って。
――2026年は、成瀬さんにとって音楽とベースボールがかなり深く重なった1年でもありましたね。
そうですね。乃木坂46×パ・リーグの『パシフィック・リーグに連れてって』も書かせていただいたので、エスコンで、1日に自分が書いた曲が2曲流れることも多かったんです。ただただ、毎日誇らしかったです。
こんな幸運な年は今後二度とないから、今のうちにしっかり味わっておこう、と毎日感じていましたね。自分なりにここまで頑張ってきたご褒美なのかな、今年は報われた年だったと思っています。
――最後に、『フレップダンス』について、まだひとつ願いがあると聞きました。
実は『フレップダンス』には2番があるんです。でも球場では、なかなか2番まで流れる機会がない。一生懸命作った曲なので、いつかフルで聴いていただける機会があったら、うれしいですね。
何より、この素晴らしいエスコンフィールドで、ファイターズのゲームの一部になれたことが本当に幸せです。そして、大好きな選手のみなさんや、憧れのレジェンドが多くいる監督やコーチにも僕の歌を聴いてもらえている。もう、それだけで僕は十分なんです。