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LAXなう
成瀬英樹
成瀬英樹
9月17日 2:59

9月13日

 

ニューヨーク滞在を終え、西海岸へ戻る日になった。今回の旅はロサンゼルスからニューヨークへ飛び、そこからまたロサンゼルスへ戻るという行程だ。朝、さゆりん宅を出てJFKへ。さゆりん一家には本当にお世話になった。ターミナル5で荷物を預け、搭乗までの時間を空港で過ごす。

 

JetBlueで再びロサンゼルスへ。東海岸から西海岸へ、アメリカ大陸を横断する5時間のフライトを終えて、夜のLAXに着いた。「LAX-it」という配車サービス専用の乗り場からUberを呼び、今回の旅の最後の滞在地、サンタモニカの宿へ向かった。ホテルから海まで歩いてすぐの、少し古い建物だが、しっかりとマネージメントされたホテルだった。ラッキー。

 

9月14日

 

この日は親子ソロ活動。娘は娘で、僕は僕で、それぞれ好きなようにサンタモニカを歩くことにした

 

僕は朝、ホテルを出て海の方へ向かう。サンタモニカはロサンゼルス中心部とはかなり雰囲気が違う。

 

Santa Monica Pierには観覧車や遊園地があり、観光客が大勢歩いている。にぎやかな場所だけれど、桟橋の先まで進めば、目の前には太平洋しかない。

 

実は僕がここへ来るのは2回目である。1997年、FOUR TRIPSのメンバーとして、ファーストシングルのMV撮影でこの地を踏んでいる。ただ、懐かしさはない。正直、あまりよく覚えていないからだ。MVの中で笑う僕は、本当に僕なのか。

 

そしてここはRoute 66の西の終点として知られている場所でもある。シカゴから約4,000km、アメリカを横断してきた道が、最後に太平洋へたどり着く。「Route 66。アメリカの夢。」その終点に実際に立ってみると、やはり少し感慨がある。そういえば娘はこの旅の間ずっとジャック・ケルアックの『路上』を読んでいる。

 

そこからは特に予定を決めず、気になった道を曲がったり、店を覗いたりしながら街を歩いた。昼になって一人で店に入り、肉料理を食べた。

 

夕方になって娘と合流すると、「夜、エビ料理を食べに行こう」と誘われた。いいね、とついていった先を見て笑った。昼間、僕が一人で入った同じ店だった。一日別々に歩いていたのに、結局同じ店を選んでいる。親子というのは、こういうところで妙に似るらしい。幸い僕は昼には肉を食べていたので、夜はエビを頼み、料理までかぶらずに済んだ。

 

食事を終えてホテルへ戻る。娘はそのまま部屋でゆっくり過ごすことにして、僕は近くに気になるライブハウスがあることを話した。すると娘が言う。

 

「パパ、行ってきなよ」

 

というわけで、一人で夜のサンタモニカへ。

 

向かったのは、ホテルから歩いてすぐ、4th StreetにあるHarvelle's。1931年創業、サンタモニカで90年以上続いている老舗のライブハウスだ。

 

入口を入って階段を下りると、昼間まで歩いていた海辺の街とはまるで違う空気になる。店内は暗く、天井は低く、奥にバーがあって、そのすぐ先にステージがある。

 

この日のイベントは『ALL-STAR JAM SESSION BENEFIT』。LAの第一線で活動してきたセッションミュージシャンたちがハウスバンドとなり、そこへさまざまな飛び入りミュージシャンやシンガーが加わっていくジャムセッション。

 

席に座って開演を待っていると、ひとりの女性がにこやかに隣へ座った。どこかキャロル・キングに似た雰囲気の人だった。自然に自己紹介をしてくれて、聞けば、このイベントのためにわざわざアムステルダムからやって来たという。そして僕に向かって、嬉しそうに言った。「あなた、今夜は本当に特別な夜なのよ。ラッキーね!」

 

中心にいるのはベーシストのC.C. Thomas Jr.。Diana Rossの音楽監督を務め、Babyface、Jeffrey Osborne、Patti Austin、Howard Hewettなど、数多くのアーティストと仕事をしてきた人だ。

 

ドラムはDonnell Spencer Jr.。Anita Baker、Chaka Khan、Patti Austin、El DeBarge、Jody Watleyらと演奏してきた。キーボードのHerman Jacksonは、Stevie Wonder、Quincy Jones、Aretha Franklin、Babyface、Rod Stewartなど。ギターのJay Goreは、Michael McDonald、Lauryn Hill、Michael Bolton、Bobby Caldwell、Marcus Miller、Christopher Cross、Sheila E.、Sealと、名前を挙げていけばきりがない。

 

そしてヴォーカルにはHarry Bowens。Was (Not Was)の共同リードヴォーカルとして『Walk the Dinosaur』などを歌い、Lyle LovettのLarge Bandでも長く活動し、Bob Dylan、Elton John、Bonnie Raitt、Brian Wilsonなどの作品にも参加している人だ。

 

キャロル・キングに似た女性は、ミュージシャンの一人一人を丁寧に僕に教えてくれた。自身もサックスをプレイするのだそう。どんな音楽が好きなの? と聞くと「オーティス・レディング」と来た。おう、その辺なら僕も大好きだ。大いに話に花が咲く。ステージでは飛び入りの男性シンガーとドラマーがマイケル・ジャクソン『ビリー・ジーン』を信じられないくらいファンキーに演ってる。こんなちっちゃなハコで、こんなえげつないライブが見られるなんてな。てっぺん過ぎまで、僕ら大いに楽しんだ。

 

ライブが終わって店を出ると、夜のサンタモニカは静かだった。ほかほかの心を抱いて、歩いてホテルへ戻った。

 

9月15日

 

アメリカ最後の丸一日。翌日はもうLAXから日本へ帰るので、この日はどこかへ急いで行くというより、サンタモニカの街をもう一度ゆっくり歩くことにした。

朝、ホテルを出てSanta Monica Pierへ。ピアの周辺をぶらぶらしたり、少し座って海を眺めたりしてから、また街の方へ戻った。

 

サンタモニカへ来てからずっと気になっていたのが、The Beach Boys。彼らは南カリフォルニアの音楽そのもののような存在だけれど、この街にも、実際に彼らが音楽を作っていた場所が残っている。

 

5th Streetの1454番地。ここにはかつて、The Beach BoysのBrother Studioがあった。

 

もともと劇場だった建物をスタジオへ改装し、1970年代半ば、彼らはここでレコーディングを行っていた。『15 Big Ones』『The Beach Boys Love You』、そして長い間お蔵入りになっていた『Adult/Child』。Brian Wilsonが再びバンドの制作へ深く関わっていった時期の音が、この場所で作られている。

 

今そこへ行っても、記念館があるわけではないし、The Beach Boysの看板が出ているわけでもない。ごく普通の街の一角になっている。でも、その普通さが面白かった。半世紀前、Brian Wilsonやメンバーたちがここへ通い、スタジオの中で音を作っていた。建物や店が変わっても、魂は同じ場所に残っている。

 

1997年、僕たちのファーストシングルが13万枚ほど売れて、印税が入ってきた。僕はそれで、ギブソンのギターJ-160Eと、ケンウッドのオーディオと、数えきれないほどのCDを買った。特に「コンプリート」していないアーティストのものを、すべて。ニルソン、ディラン、ニール・ヤング、JT、ジョニ・ミッチェル、細野晴臣、もう片っ端からだ。その中にビーチボーイズもあった。中でも70年代後半のブラザーレコード時代にはなかなか食指が動かないものだが、これも全部買った。そしたらもう『Love You』というアルバムの素晴らしさに打ちのめされた。『ペット・サウンズ』よりも剥き出しで、ブライアンの天使のようなファルセットは、完全に失われているのだが、その悲痛さを僕は愛した。

 

ブライアンはこの通りを歩きながら、この海を見ながら、ここで『Love You』を作っていたのか。

 

夜は、ホテルの前にあるイタリアンへ。最後の夜なので遠くへ出かけず、近所でゆっくり食事をすることにした。

 

ところが、ここでも我々親子は相変わらず料理を頼みすぎる。メニューを見ながらあれもこれも食べたくなって、気づけばテーブルの上にはかなりの量の料理が並んでいた。アメリカはやはり一品一品の量が多い。二人で顔を見合わせて苦笑いしながら食べ進めたものの、結局すべてを食べ切ることはできなかった。申し訳ない気持ちになったけれど、料理はどれもとても美味しかった。

 

食事のあと、僕は一人でHarvelle'sへ行った。この夜は地元のバンドが演奏していて、前日のジャムセッションとはまた違う、街のライブハウスらしい夜だった。

 

やっている曲が面白かった。Weezerの『Island in the Sun』が出てきたときは、思わず笑ってしまった。そういえばこの曲、アメリカにいる間、街のあちこちで何回か耳にしている。日本を出る直前にラジオでかけたばかりだったから、なんだか不思議だった。

 

演奏を楽しんでホテルへ戻り、部屋で荷物を整理した。ニューヨークで手に入れたもの、ロサンゼルスで買ったものをスーツケースに詰めていく。
 

もうすぐ朝だ。娘はまだとなりでぐっすり眠っている。

人生はミネストローネ
成瀬英樹
成瀬英樹
9月12日 23:00

9/12。ニューヨーク滞在も、いよいよ今日が最後である。朝は娘と2人で散歩へ出た。まずはThe Dakota。そして道を挟んだセントラルパーク内のStrawberry Fieldsへ。昨日は一人で来た場所を、今度は娘と一緒に歩く。

 

そこからそのままThe Metropolitan Museum of Art、通称The Metへ向かった。世界最大級の美術館である。とにかく広い。最初から全部を見るのは無理だと分かっていたので、ある程度狙いを絞って歩くことにした。それでも中へ入れば「あれも見たい、これも見たい」となる。ルネサンスから近代絵画へ、地図を見ながら館内を歩き回った。

 

改めて思う。人間というのは何百年経っても、根っこの部分ではあまり変わらないんだな、と。

 

誰かに何かを伝えたい。自分の心の中にあるものや、目の前に見えたものを、何らかの形にして残したい。その気持ちは1400年代にも1500年代にも確かにあって、今を生きる僕らの中にもある。

 

何百年も前に生きていた人が、何かを見て、何かを感じて、それを絵にした。その人自身はもうとっくにこの世にはいない。でも、そのときの感情や視線だけは作品の中に残り、何百年後のニューヨークで、僕がそれを見ている。

 

時間というものについて、つい考え込んでしまう。

 

僕らが今「新しい」と思っているものも、いつかは遠い昔のものになる。でも、そこに何か本当の感情が残っていれば、もしかすると何百年後の誰かに届くのかもしれない。

 

ものを作るという行為が、急にとても尊いものに思えてくる。

 

そして、やはりゴッホである。ゴッホの絵なんて、本でもテレビでもネットでも、これまで何度見てきたか分からない。でも本物を目の前にすると、まったく別のものだった。写真では平面にしか見えない絵の具が、実際にはキャンバスの上に厚く残っている。その一筆一筆を、本当にゴッホ本人が描いたのだと思うと、急に絵が「美術史上の名作」ではなく、ひとりの人間がこの世に残した生々しい痕跡に見えてくる。

 

The Metを出たあとは、セントラルパークの南東、5th Avenue沿いにあるStrand Book StoreのKioskへ。ここには昨日、僕は来ている。素敵なトートバッグを買ったことを報告したら、娘もそれ欲しいと。娘のママからも「そのトート買ってきて」と頼まれた。

 

Strandは1927年創業、Broadwayと12th Streetの角に本店を構えるニューヨーク最大の独立系書店で、「18マイルの本」が合言葉。かつて古書店が軒を連ねた「Book Row」の生き残りなのだそう。この品揃えに志すら感じる名書店のセントラルパーク露店で、僕はトートバッグだけでなく、本も2冊買った。

 

1冊はJ.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye』。ペーパーバックである。昨日、ホールデンくんの足跡を辿ってセントラルパークを歩いたばかりだ。もう1冊はアレン・ギンズバーグの『Howl and Other Poems』。ビート・ジェネレーションを代表する詩人の、代表作である。

 

この2冊をニューヨークで買うことには、僕なりに少し意味があった。ホールデンが彷徨ったニューヨーク。そしてギンズバーグやケルアックたちが詩や文学を生み出したニューヨーク。そんな文化の記憶が積み重なった街なんだ。

 

本はどこでも買える。Amazonで注文すれば北海道の家にも届く。でも、この2冊はここで買うのに意味を感じる。ページを開くたびに、きっと今回の旅を思い出すだろう。それだけで、同じ本でも少し違うものになる。

 

ここから娘はお気に入りになったSoHoへ。僕はと言えば、セントラルパークへ戻って、2時間ほどぐっすり寝た。

 

目が覚めても、そこはまだセントラルパークだった。人が歩き、犬を連れた人が通り、木々の向こうにはマンハッタンのビルが見える。何日間も「次はどこへ行く」「何時までに着く」と動き続けてきたのに、この日は時計をほとんど気にしなかった。こういう何もしない時間も、旅の中には必要なんだろう。

 

本当はこの日、僕にはもうひとつ行ってみたい場所があった。Big Pink。ザ・バンドがボブ・ディランと過ごし、『The Basement Tapes』へとつながる音楽を生み出した、あの家である。ザ・バンドが大好きな僕としては、もちろん行ってみたかった。

 

でも娘はSoHoをすっかり気に入って、まだまだ一人で店を見て回りたそうだった。そして僕は僕で、セントラルパークでたっぷり休んでいる。

 

うん。Big Pinkは、またいつか。

 

旅に来たからといって、見たいものを全部見なくてもいい。予定を全部消化しなくてもいい。娘には娘のニューヨークがあり、僕には僕のニューヨークがある。それぞれ好きな時間を過ごして、また合流する。そんな旅の仕方ができるようになったこと自体、ちょっと嬉しい。

 

夜は、何泊かお世話になったさゆりんのところへ戻った。明日はニューヨークを離れる。

 

自由の女神も、エンパイア・ステート・ビルも、ヤンキースタジアムも、The Dakotaも、The Metも見た。娘と一緒に歩いた街もあれば、それぞれ別々に過ごした時間もあった。たぶんあとで思い出すときは、それらすべての思い出を煮込んだ、スープのような味がするはずだ。

 

それくらいが、ちょうどいいんだ。
 

ライ麦畑のキャッチャー
成瀬英樹
成瀬英樹
9月11日 23:00

9/11。この日は親子それぞれのソロ活動。娘はSoHoあたりへ買い物に出かけ、僕はニューヨークに来たらどうしてももう一度行きたかった場所へ向かった。The Dakota。ジョン・レノンが暮らし、1980年12月8日、その入口で撃たれた場所である。ここへ来るのは15年ぶり。前回ニューヨークを訪れたときにも、僕はこの建物の前に立った。ジョンが殺された日のことは、何度読んでも現実とは思えない。犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンはその日の夕方、Dakotaから出てきたジョン本人から、リリースされたばかりで大ヒット中だったアルバム『Double Fantasy』にサインをもらっていた。5年間の活動休止を経て、ジョンがようやく音楽の世界へ戻ってきた、その活動再開アルバムだった。
 

数時間後、レコーディングを終えてヨーコとDakotaへ帰ってきたジョンを、チャップマンは撃った。さらにぞっとするのは、そのあとだ。チャップマンは逃げず、その場に残ってJ.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいたという。16歳の少年ホールデン・コールフィールドがニューヨークの街を彷徨う物語。僕も昔から大好きな小説だ。実はこの日、ジョンを訪ねたあと、そのホールデンの足跡を辿ってみようと思っていた。
 

道を挟んだセントラルパーク側には小さな広場「Strawberry Fields」があり、その中心には「IMAGINE」の文字が入ったモザイクがある。そこで一人の若い男性ミュージシャンが歌っていた。小さなアンプにアコギとボーカルマイクをつなぎ、リバーブをたっぷり効かせたサウンドで、『And I Love Her』を。いや、なんでやねん。それ、ポールの曲だぞと僕は思わず突っ込んだ。まあ、そりゃ本人だって分かっているんだろうけど、それでもね。しかしながら、そこにいた数十人ほどの通りがかりのギャラリーは、みんな静かにその演奏を楽しんでいるように見えた。
 

僕にとってジョン・レノンという人は、単なる憧れのミュージシャンではない。音楽を作り始めた理由そのものである。15年前にもここへ来た。そして57歳になった今、もう一度同じ場所に立っている。建物もモザイクも変わっていないのに、僕が感じる思いは15年分、変化している。
 

「キャッチャー」の中で、ホールデンは何度も気にする。冬になったら、セントラルパークの池にいるアヒルたちはどこへ行くんだろう。誰かがトラックでどこかへ連れていくのか、それとも自分たちで飛んでいくのか。大人から見ればどうでもいいようなことだけれど、ホールデンにはどうでもよくない。
 

そして「回転木馬」へ。物語の終盤、妹のフィービーが回転木馬に乗り、ホールデンは雨の中でそれを見つめている。子供たちは金色の輪を取ろうとして身を乗り出す。落ちるかもしれない。でもホールデンはもう止めようとはしない。子供は自分で手を伸ばし、自分で転ぶしかない。広いライ麦畑で遊ぶ子供たちが崖から落ちそうになったら、崖のふちに立って自分が捕まえてやる。そんな「ライ麦畑のつかまえ役」になりたいというホールデンの思いを知っているだけに、最後の回転木馬の場面は胸に残る。ニューヨークのど真ん中で、一人でぐるぐる回る木馬を眺めながら、小説の中で何度も訪れた場所に今、自分が立っているという不思議な感覚を味わった。
 

Greenwich Villageへ向かった。Washington Square ParkからMacDougal Streetあたりを歩く。この街には昔からミュージシャンや作家や詩人たちが集まり、Bob Dylanをはじめ、たくさんの音楽や物語がここから生まれてきた。そして今回、どうしても訪ねてみたかったのがLa Lanterna di Vittorio。秋元康さんにとって、とても大切な場所である。
 

秋元さんは、自分の書いた曲が次々とヒットしていた1980年代後半、いったん日本を離れてニューヨークで暮らした。その頃、仲間たちの溜まり場になっていたのが、このGreenwich VillageのLa Lanternaだった。そして美空ひばりさんの新曲制作が始まり、日本から送られてきた見岳章さんのメロディーをウォークマンで聴きながら、この店で詞を書いた。それが『川の流れのように』である。
 

僕もこれまで、何度も秋元さんと楽曲制作をご一緒してきた。僕ら作曲家が先に曲を書き、そのメロディーに秋元さんが言葉を乗せてくださる。だからLa Lanternaに来ることは、単に「名曲が生まれた店を見に来ました」という観光ではない。先に生まれたメロディーを受け取って、秋元さんがどんな場所で、どんな景色を見ながら言葉と向き合っていたのか。その仕事の現場を、少しだけ覗かせてもらうような気持ちだった。
 

『川の流れのように』が、遠い昔この小さな店で、ウォークマンから流れるメロディーを聴きながら書かれた。そう思いながら店に座っていると、なんとも言えない気持ちになる。ティラミスを食べ、飲み物を飲みながらしばらくぼんやり過ごした。この日の昼間は、一人でジョンを訪ね、J.D.サリンジャーとホールデンのニューヨークを歩き、最後に秋元さんの大切な場所へ行った。僕の中にずっとあった音楽と小説、そして今の自分の仕事が、ニューヨークの街の中で一本につながっていくような一日だった。
 

ここで娘からLINEが来た。SoHoのカフェにいるので、こっちに来てほしいという。僕もVillageからそのままSoHoへ向かい、娘と合流して一緒にお茶をした。それぞれ別々にニューヨークを歩いて、夕方になってまた落ち合う。23歳の娘は何を見て、何を感じただろう。ニューヨークを心から楽しんでいるようだ。
 

そして、さあ、いよいよヤンキースタジアムだ。この日はYankees対Mets、ニューヨーク同士のSubway Seriesである。しかも今日は9月11日。2001年の同時多発テロから25年目の日だった。試合前には特別な追悼セレモニーが行われ、2001年のヤンキースを支えたティノ・マルティネス、デレク・ジーター、ホルヘ・ポサダ、もちろんマリアノ・リベラらも、球場に姿を見せた。あの日、傷ついたニューヨークを野球で支えた選手たちが、25年後の同じ9月11日に、再びヤンキースタジアムに集まっている。
 

25年目のSeptember 11に、23歳の娘と2人でSubway Seriesを観ている。これ以上なんて、もうないんだよ。娘はメッツのキャップでお気にいりを見つけ、僕は「郷に入ればスタイル」でヤンキースのキャップを買った。15年ぶりに訪れた球場というよりも、巨大なパレスといった二代目ヤンキースタジアでの、特別な夜。

旅は続く(長文注意)
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成瀬英樹
成瀬英樹
9月10日 22:11

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LA LA LAND...
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成瀬英樹
成瀬英樹
9月7日 18:52

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