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「あの4分間は、聖域であるべきだ」――吉本時代に見た“芸人の生存本能”と、M-1への切実な願い
――昨日のM-1グランプリ。成瀬さんは2001年の第1回から欠かさず見てこられたそうですが、今回初めて「途中離脱」をされたと。
成瀬 そうなんです。20年以上、一度も目を離したことはなかった。でも、今回はどうしても耐えられなくなって、初めてテレビを消しました。つまらなかったわけじゃないんです。むしろ「面白いのに、集中できない」という、作り手側としては一番厄介な理由かもしれません。
――その原因は、カメラワークにあるとお聞きしました。
成瀬 ええ。漫才の最中に、審査員のリアクションへカメラが切り替わる。あれが本当にストレスで。僕たちは漫才師が作り出すテンポに身を委ねて、言葉を追い、間を味わっている。その最高潮の瞬間に突然カメラがパンして、審査員の笑顔が映る。画面が戻った時には、もう「一番大事な瞬間」が終わって、客席がドカッと沸いているんです。
吉本興業で目撃した、中川家たちの「サバイバル」
――成瀬さんはかつて、ご自身のバンド「FOUR TRIPS」で吉本興業に所属されていましたよね。
成瀬 そう、実は僕ら、吉本にいたんですよ。言わば、第1回王者の中川家さんたちとは同期なんです。あの頃、お笑いの人たちがどれほどシビアな世界で、文字通り「命を削って」生き残ろうとしているか。そのサバイバルを間近で見ることができました。
――その経験が、今の成瀬さんの根底にあると。
成瀬 間違いありません。僕の今の競争原理、あるいは表現者としての根幹は、あの時見た芸人たちの執念にあるんです。彼らにとっての4分間は、単なるネタ披露じゃない。人生をひっくり返すための、剥き出しの真剣勝負です。だからこそ、そこに「ほら、審査員も笑っていますよ」なんていう余計な“解説カット”はいらないんです。
「お墨付き」の演出は、M-1の精神に反する
――作り手としては、「みんな笑っていますよ」という安心感を届けたいのかもしれません。
成瀬 でも、それはM-1の精神から外れていると思う。漫才師が4分間、自分たちの表現だけで勝負する場所なんですから。記録として残る映像なのに、彼らが考え抜いた最重要のアクションが、審査員のカットで永遠に失われてしまう。これほど残酷なことはありません。
――結局、一度離脱したあとに戻られたのは、やはり気になったからですか。
成瀬 1時間くらいして、やっぱり寂しくなっちゃってね(笑) 戻った後のM-1はしっかり盛り上がっていたし、最後の3組は本当に面白かった。優勝したコンビも、技術云々の前に、立っているだけで面白いし、好感が持てる。あれは一種の才能ですよね。人としての「佇まい」がある。
来年への、唯一の願い
――最後には楽しまれたからこそ、伝えたいことがある。
成瀬 ええ。お願いだから、来年からは漫才をやっている4分間は、漫才だけを映してほしい。
――ワイプも、審査員の顔も、その瞬間はいらない。
成瀬 そうです。感想やリアクションは、終わった後でたっぷりやればいい。その4分間だけは、漫才師の人生と覚悟を、そのまま、不純物なしで届けてほしい。僕が見たいのは、彼らが舞台の上で戦っている、その「純粋な実況中継」なんです
「ストーンズの音がした」――人生を変えた1957年製ギブソンJ-50との邂逅
――成瀬さんはこれまでも、愛用のJ-50について何度か語られていますね。元々は2000年の春、山中湖でのレコーディングがきっかけだったとか。
成瀬 そうなんです。あれ、けっこう不思議な体験だったんだよね。あとで思い返すと運命的というか。僕がやってたフォートリップスというバンドのセカンド・アルバム『EGGS』を録っている時で、場所は山中湖のスタジオでした。合宿形式でね。ギターテックの人が何本か楽器を持ち込んできたんです。
――そこで出会ったのが、ギブソンのJ-50だったわけですね。
成瀬 ええ。それまで僕はアコギは国産のタカミネなんかを使っていて、それはそれできちんとした楽器なんだけど、そのJ-50を弾いた瞬間に「あ、これは全然違うな」って直感したんです。なんていうか、音がね、ストーンズの音がしたんですよ。ローコードのEを一発鳴らしただけで、その場の空気が変わるような、そういう説得力があった。レコーディングの間じゅう、僕はギターを部屋に持ち込んで、暇さえあれば弾いていました。だから返す時、すごく名残惜しくなっちゃって。
――それで、神戸に戻ってすぐに同じモデルを探し始めた。
成瀬 でも、なかなか見つからないんです。ヴィンテージだから、ネックが反っていたり、トップが割れていたり、満身創痍みたいなのが多くて。そんな時に、神戸駅の近くにある「ヒロ・コーポレーション」に行き当たったんです。ギターショップといっても、ギターなんか一本も飾ってなくて、あるのは大きなソファだけ。「ここは弁護士事務所か何かか?」って思うくらい静かな場所でね。店主のヒロさんも独特な人で、「どんなJ-50が欲しいんや」って聞くから、僕は「ピッチがいいやつ、ありますか」なんてビビって答えちゃって。
――ピッチがいいヴィンテージというのは、なかなかないですよね。
成瀬 そう。でもヒロさんは「ほう」と言って顔色ひとつ変えずに奥へ入っていって、ひとつのハードケースを持って戻ってきた。1957年製でした。音叉をカーンと叩いて、はいってギターを渡されて。マジかよ、チューナーなしかよって(笑)チューニングをじっくりして、僕がEのローコードをジャラーンと鳴らした時、「これしかない」ってなりました。衝撃でしたよ。なんかもう、迷いとかなんとか、すべて吹っ飛ばす音だった。
――75万円、とお聞きしました。当時の成瀬さんにしても大きな出費だったのでは。
成瀬 僕にしちゃ車が買える値段だもの(笑)即決はできませんでした。レコード会社を首になって31歳、地元に帰ってきてさあこれからどうやって食っていこうって時期。生活はマジで楽じゃなかったし。それで一度持ち帰ったんですが、その数日後に東京へ行って、ドームで巨人対阪神戦を観たんですよ。2000年の4月20日。当時の妻で音楽的相方aiちゃんと、友人のコユキちゃんと三人で。
――野球の話になるんですね(笑) 相手は巨人ですよね。当時の打線は凄まじかった記憶があります。
成瀬 いわゆる「ミレニアム打線」ですね。高橋由伸がいて、松井秀喜がいて、清原に江藤でしょう。しかも先発は工藤公康でした。対する阪神の先発は、プロ2年目の福原忍。僕はそこで、半分冗談みたいに言ったんです。「もし福原が、万が一よ、この試合を完封したら、あのギブソンを買っていい?」って。aiちゃんは隣で笑ってましたよ。現実的にはあり得ない話だったから。「ええよ」って。
――データを確認したんですが、福原投手は18年間の現役生活で、完封勝利を3回しか記録していないんですね。
成瀬 そうなんです。長いキャリアの中でたった3回。そして、その最初の一回が、まさにその夜だったんです。矢野が工藤からホームランを打った記憶があるなあ。福原もあの強力打線を相手に、9回を投げきって点を与えなかった。音楽の神様っているんだって思ったよね。もう飛び上がって喜んだと同時に、どうやってローンを組もう? って考えてましたよ(笑)
――奇跡的な確率ですね。
成瀬 本当にね。だからもう、買うしかなかった。音楽で生きていくなら、これに賭けようって。このギターが僕の人生を変えたんです。これには後日談があって、数年前に再結成した時にこの話をしたら、aiちゃんに叱られました。「あんたはすぐそうやって美談にするけど、こっちは大変だったんだよ」って(笑)彼女は正しい。75万円なんて大金を、見通しも立たない時期に使うなんて、僕はまったく正気の沙汰じゃない。だから「別にそのギターじゃなくてもよかったじゃない」と言われると、ぐうの音も出ないんだけどね。
――それでも、成瀬さんはそのギターを選んだ。
成瀬 ええ、結果的にはね。aiちゃんには申し訳ないけれど、あの時あのギターを買っていなかったら、僕はここまで本気で練習しなかったと思う。最初はこのギターのポテンシャルに負けてた。でも、とにかく必死で練習しました。ジェームス・テイラーをコピーして、専門誌を読み漁って。お金はないけど時間だけはあったから、それを全部ギターに注ぎ込んだんです。毎日、いろんな音楽を指板の上で研究できた。その後作曲家を目指した時も、いつだって曲を書くのはこのギターだったからね。
――あれから25年、今でもその1957年製を使われているんですね。
成瀬 ええ、いまでもメインです。さすがにもう旅に出ることはなくなりましたが、自宅で大切に弾いてます。このギターを持って、何も考えずにEのコードを鳴らす。そうすると、その日の自分の調子が全部わかるんです。声の出方とか、指の感覚とか、そういうのが鏡みたいに返ってくる。 僕の自慢は、日本を代表するJ-50プレイヤーである、吉川忠英さんと中野督夫さんからそれぞれ、「成瀬のJ-50の方が音がいい」って言っていただけたこと。お二人のギターと弾き比べさせてもらえたこと、ほんとに嬉しかったな。
僕の曲はすべて、その一本のギターと、そのEのローコードから始まっているんです。それ以外のことは、うまく説明できないな。
お疲れ様です!
本日このあと16時から、メンバー限定にはなりますが、作曲レッスンの生配信を行います。
今回は、ここ最近、BINGO内のプロ作家――
石崎“バッハ”光さん、白井“アヴァンチュール”大輔くんといったみなさまからも
「評価がうなぎのぼり」なIさんの作曲にフォーカス。
その作曲の秘密を、ぜひみなさんにも見てほしくて企画しました。
上達のコツは、とてもシンプルです。
ベンチマークを決めて、徹底的に真似すること。
その実例として、今回の配信は本当に必見だと思っています。
リアルタイムで、そしてアーカイブでも、ぜひご覧ください。
お疲れ様です!
みんなにとって今日はどんな日でしたか?
BINGOに嬉しい知らせが入って、作家さんたち、ゼミ生たちと大いに喜びました。やっぱり努力が報われるのって、いいよね。
そんな中、いろんなショート動画を試したりしてます。TicTocも久々にアップしてるので、みてみてね!
そんな中、今日のお昼に配信しました。いろんなお知らせと、A1グランプリの現在地を語っています。ぜひ、お時間ある時に見てくださいね。新しい配信方法を試してみました!
なぜか僕の環境じゃ、Safariでは見ることができなくて、Chromeなら見ることが出来ます!試してみてね!(新しい配信のやり方を試す中、動画切断の順序を間違えてしまったのが原因です、、☺️)
おはようございます。
昨日は、尊敬する先輩、みのや雅彦さんのライブに行ってまいりました。
みのやさんとのご縁の始まりは一昨年、風輪さんのイベントに呼んでいただいた際のこと。同じくゲスト出演されていたみのや先輩と、楽屋がご一緒になったのがきっかけでした。
そこで伺った数々のエピソードに心を揺さぶられ、僕のような若輩者にも分け隔てなく接してくださるそのお人柄に、すっかり惚れ込んでしまったのです。
風輪さんからつながったこのご縁、心から感謝です。
今回のみのやさんライブにご一緒したのは、エスコンフィールドの外野スタンドで前後の席になり、1シーズン観戦をともにしたマダムと、その息子さん(僕より少し年下)、そしてマダムのお友達。
みなさん、みのやさんの大ファンで、現在関東にお住まいの息子さんは、東京でのライブにも足を運ぶほどの筋金入りだそうです。
みのや先輩のライブに伺うのは、今年3月以来。そのときはバンド編成が中心で、それももちろん素晴らしかったのですが、今回は全編弾き語り。個人的にも、これはもう楽しみでなりませんでした。
というのも、前回のライブでも数曲、弾き語りを披露してくださっていたのですが、それがもう言葉を失うほど素晴らしくて。やはり、フォークシンガーの真骨頂は「ギター一本の弾き語り」にあるのだと、改めて感じたのです。
まず何より、みのや先輩は本当に「歌が上手い」シンガーです。昨夜のステージでも、ピッチが揺らいだり、声が不安定になったりする瞬間は、ただの1フレーズもありませんでした。
その圧倒的な技術を土台にしながら、聴衆に「上手い」とは感じさせず、自然と歌の物語へ引き込んでいく。その「鍵」となるのが、歌詞の届け方です。
ライブという現場で、ここまでクリアに言葉が届く体験はそう多くありません。太く、甘く、そして実にエモーショナルな声で、歌ごとに鮮やかな物語が立ち上がっていきます。
そして、その世界を支えているのが、みのやさんのアコースティックギター。「ギターは世界一小さなオーケストラ」と言われますが、まさにその言葉通りでした。僕は終始、みのやさんの右手から目が離せませんでした。
分散和音で太く響く低音。その深みは、親指につけたサムピックに秘密があるのでしょうか。スリーフィンガーとフォーフィンガーを自然に行き来しながら、まるでミニオーケストラを指揮するように音を紡いでいきます。かと思えば、強いビートを刻むストロークプレイでは、強拍と弱拍でピックの当てどころを絶妙に変えているんです。そのニュアンスが、演奏に立体感と色彩を与えていました。
そういえば、中学生のころ、僕がアコギを始めたときにお手本にしたミュージシャンたちも、みんなこうしてストロークに「色」をつけて弾いていたな、と思い出しました。僕自身も、よくそれを真似したものです。先輩はいったい、どんなギタリストたちから影響を受けて、この唯一無二のスタイルを身につけてこられたのだろう。そんなことを考えながら、音に身を委ねていました。
ライブが終わったあとには、ご一緒したみなさんと「最高でしたね」と感動を分かち合いました。いやあ、本当に、たくさん泣かせていただきました。
終演後にお会いしたみのや先輩は、「いつもブログ見てますよ。『BINGO』の作家のみなさんもご活躍ですね」と、声をかけてくださいました。あまりの光栄さに、「ありがとうございます」以上の強い言葉が見つかりません。結局、深く頭を下げて、感謝をお伝えすることしかできませんでした。
先輩はお仲間のみなさんにも優しく声をかけてくださり、みんな本当に喜んでいらっしゃいました。
みのや先輩はお笑いもお好きだそうで、元・吉本興業の僕としては、そのあたりもいつかゆっくりお話しできたらいいな、なんて思いつつ。MCで、こんなことをおっしゃっていたのが印象に残っています。 曰く「お笑いの人たちってのはね、マイク一本で表現できるところがすごいんだよね!」と。
確かにそうなんですよね、と首肯しながらも……。 いや、しかしながら先輩。僕に言わせていただくなら、ですよ。
ギター一本で44年間、北海道を中心に、全国の人たちの心を震わせ続けてきた先輩が、来年、45年目を迎えられる。ギター一本で、一晩に20近くもの物語を紡ぎ、人の心を揺さぶること。それこそが、本当に「すごい」ことだと、僕は思います。
自分もその道を志し、今も歩んでいるからこそ、その重みがわかるつもりでおります。
僕は来年、作曲家として20年目。再来年には、ミュージシャンとしてデビュー30年を迎えます。先輩の背中にはまだまだ遠く及びませんが、これからも音楽にまみれながら生きていきます。
少しでもその背中に追いつけるように。