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昨日の「成瀬英樹のPOP A to Z」、お聴きいただけましたか? 今日も14時から再放送があります。ぜひお聴きください。
敬愛するブライアン・ウィルソンが亡くなった。その日はいつか来ると覚悟していたものの、大きな喪失感が僕に押し寄せました。
僕は中学の頃、テレビで放映された『アメリカン・グラフィティ』を観て、ラストに流れる『All Summer Long』の「底抜けに楽しい音楽なのに、限りなく悲しい響き」に完全にやられてしまい、彼らのベストアルバムを買ってからは、一日中カセットで聴きまくる日々でした。
世はポストパンク、ニューウェーブの時代。僕も安全靴を履いてビートパンクを気取り、仲間うちでは「やっぱジョー・ストラマーだよなあ」とイキがっていましたが、家に帰るとこっそりビーチ・ボーイズを聴いていました。80年代中期、僕のまわりでビーチ・ボーイズを「いけてる音楽」として聴いていた人なんて、一人もいませんでした。
そしてクイーン再評価につながった例の「Live Aid」にもビーチ・ボーイズは出演し、素晴らしいライブを披露してくれました。茶の間のテレビで、動いている彼らの姿を初めて観たときの興奮は忘れられません。(いま観ると、うつろな顔でピアノを弾いているブライアンの姿が痛々しいですが)
当時高校生だった僕は、翌日クラスの仲間と「Live Aid」の話で盛り上がりましたが、話題はU2、スタイル・カウンシル、ミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイ、コステロも良かったね、なんて感じ。ストーンズファンとしては、キース・リチャーズとロン・ウッドがボブ・ディランのバックでギターを弾くというトピックだけで、昼休みはあっという間でした。「演奏中、弦が切れたディランに、自分のギターを差し出すロンがさあ…」なんて話していると、時間がすぐ過ぎてしまいました。
まさか「ビーチ・ボーイズ、良かったよね?」なんて言えなかった。きっと友人たちは「お前、正気か?」と言ったでしょう。 あのダサいおっさんバンドのどこがいいんだ、と。
80年代後半、ビーチ・ボーイズのいくつかの評伝が出版され、その内容があまりに衝撃的だったこと、アナログ盤からCDへとカタログが移行するなかで世界的に『ペット・サウンズ』が再評価されたことなどから、彼らはカルト的でモンドな側面からも語られるようになっていきました。
20歳の頃、神戸のカフェバー「TOOTH TOOTH」の1号店で昼間バイトをしながら、よくBGMにビーチ・ボーイズをかけていました。決まって仲間たちは「そんなダサい音楽聴くの、ナルちゃんくらいやぞ」とからかいました。彼らが聴いていたのは「レベル42」やなんか。「普遍性」という言葉を考えるとき、僕はいつもこの光景を思い出します。
彼の音楽とともに育ち、いつ来るかわからない彼の復活を長いあいだ待ち望みました。だからこそ、90年代後半の鮮やかな復活には胸が躍りました。ブライアンの来日公演初日、『Little Girl I Once Knew』が始まったときの興奮は、僕の人生の中でいくつかある真の喜びの瞬間のひとつでした。
当時のブライアンのバンドは世界一でした。演奏の確かさ、コーラスの美しさと重厚感、そして何より「ブライアン・ウィルソン」という音楽家への愛情が詰まっていました。“アメリカのL⇔R” ワンダーミンツのダリアン・サハナジャや、本家ビーチ・ボーイズのツアーサポートでブライアンのファルセット役を務めていたジェフリー・フォスケットを中心とするメンバーとともに、ブライアンは60年代の音楽を再構築し、ついに2004年に未完のアルバム『SMiLE』を完成させたのです。
その『SMiLE』の制作ドキュメンタリーを観たのは、僕が突発性難聴になった2005年のことでした。片耳の聴力を一時的に失い、圧倒的なショックを受けていた僕に、ブライアンの痛々しいほどの執念が、心の底から勇気をくれました。もし聴力が完全に戻らなくても、自分なりのベストを尽くしてやればいい。落ち込んでいる場合か、ブライアンを見ろ、と。
ブライアンだって片耳の聴力を失ったまま、ずっと音楽を作り続けているじゃないか。
人が亡くなるのは本当に悲しいことです。でも誰もが必ずその日を迎えます。ブライアン・ウィルソンは激しい浮き沈みの人生を歩みながらも、素晴らしい音楽を残しました。ポピュラーミュージックの世界で大衆性と芸術性の両方を認められ、その価値はこれからも高まり続けるでしょう。レコードに針を落とせば、いつでも「彼ら」に会えるのです。
たくさんの素晴らしい音楽を残してくれてありがとう、ブライアン。僕なんかじゃきっと、一生かかってもあなたの音楽の真髄には触れられないでしょう。でも僕は、全存在をかけて、すべての憧れをこめて、これからもあなたの音楽を愛し続けます。
AKB48の『BINGO!』が発売されてから、18年が経った。18年。思っている以上に長い時間だ。
2007年7月18日。38歳の僕は、八王子のコールセンターで金融会社のクレーム処理のアルバイトをしていた。駆け出し作曲家として再び東京に戻ってきてはいたものの、採用されたのはまだ2曲だけで、ヒットなんてもちろんなかった。
『BINGO!』がリリースされても、生活が変わるわけじゃなかった。当時のAKB48はデビューして2年目で、まだ世間に広く知られているとは言えなかった。チャート最高位は6位。そのひとつ上、5位にいたのが僕をデビューさせてくれたAAAだった。あと一歩でトップ5に届かなかった、その数字の重みが当時の僕にはずしりと響いた。それでも、人生で初めて「トップ10入り」を果たせたことは本当に嬉しかった。それまで僕の作品は、誰にも認められず、必要とされていなかったから。
AKB48がブレイクするまでには、さらに2年かかった。その2年間が僕にはとても長く感じられた。彼女たちは懸命にプロモーションし、劇場で歌い続けた。僕は彼女たちを応援した。まるで贔屓の野球チームを応援するみたいに。AKB48こそが僕の人生を逆転するための最大にしておそらくは最後のチャンス。彼女たちに歌ってほしい一心で曲を書き続け、楽曲コンペに提出した。
その先の歴史については、ここで多くを語る必要もないだろう。
18年後、自分が「BINGO!」という小さな会社を立ち上げ、後進の作曲家を育てる活動をしているなんて、当時の僕は夢にも思わなかった。そして今もなお、最前線でチャンスをもらいながら戦えていることに、心から感謝している。
AKB48は2009年のブレイク以来、ずっと第一線を走り続け、今年で20周年を迎える。アイドルの歴史を切り開いてきた彼女たちと、少しでも時間を共有できていることが、僕の誇りだ。
これからも書き続けようと思う。
ファイターズの観戦記が二試合分滞っておりますが、ここ二日くらいはずっとMacを相棒に仕事しております。作曲、レッスン、作曲、レッスン。今日も朝から、新曲のコーラスを録音、16トラック分になってしまう。
アマチュアの方のデモとプロのそれを比べると、まず何と言っても「ハーモニー」の部分がかなり違ってきます。サビを言葉でハモる「字ハモ」や、ポイントで効く「ウーアーコーラス」など、あるのとないのとじゃまるで大違い。
僕はコーラスアレンジさえしっかりしていれば、楽器なんてほんと必要最小限でいいって思う。ビートルズがそうでしょう。サザンだってそうだよ。こういう時、バンドもののアレンジはとても参考になる。よく聴いてごらん。ものすごく工夫されているから。バンドって最初から制約がある。ライブで再現することも考えなくてはいけないからね。
さて、今日は特にトピックもなく、ここのところのBINGO! に起きたニュースを徒然なるままに少し話す配信をします。もしよかったら、お付き合いください。
いつもたくさん配信を見てくれて、ありがとうございます。再生回数が僕の活動の励みになっています!
おはようございます!
みんなの仲間・白井大輔が、またまたやってくれました。今度は「僕が見たかった青空」のカップリング曲を作曲! 『虹を架けよう』は、楽曲だけでなくMVも実に素敵。秋元さんの歌詞も、いつもながら「青春の光と影」を見事に映し出しておられます。
しかも今回は、嬉しいことに白井の作曲パートナーであるLinokiaさんも編曲者として起用していただきました。
MV公開は土曜日の夜で、ちょうど弊社BINGO!のミーティング時間と重なっていたので、みんなで白井の楽曲が初めて流れるMVを視聴しました。一緒に頑張ってきた仲間にスポットライトが当たるのは、本当に嬉しいことです。
しかしながら。そのコンペには全員が参加していました。チャンスは誰の目の前にもあったのです。その悔しさと向き合うことで、自分の夢の強度が増していくのだと思います。
白井、本当におめでとう! Linokiaさん、いつもありがとうございます。
そんなわけで、今日もいろんな嬉しい話がてんこ盛りの生配信、ぜひ観てね⬇️
僕は昨年からファイターズのファンクラブに入っている。とてもサービスが充実していて、ポイントに応じてさまざまな特典がある。今年は「直筆サイン色紙」が抽選で当たる企画があり、会員は希望の選手を二人まで挙げることができた。僕は少し迷った末、第一希望に「伊藤大海」、第二希望に「清宮幸太郎」をセレクト。すると、なんと第一希望の伊藤大海のサインが当選した。
というわけで、僕の仕事場の壁には、黒い色紙に白いペンで書かれた、伊藤大海の見事なサインが飾られることになった。
そんなわけで昨夜の試合は「エース」伊藤大海。彼が先発の日の試合前には、外野フィールドでの遠投を見るのを楽しみにしているのだが、昨日はそれがなかった。エスコンでの試合はすべて観戦しているが、伊藤が試合前の遠投をパスしたのは昨日が初めてだったはずだ。
疲れてるのかな。さすがに。
昨夜の伊藤は12安打、6失点。ボロボロ、と言ってもいいかな。今月に入って数字を上げている5番・西野の3打席すべてに1点ずつの打点を献上し、トドメには宗に3ランを叩き込まれて。
伊藤は6月27日、灼熱のベルーナドームで、相手チーム・ライオンズのエース今井達也が熱中症で試合中に倒れるという衝撃の試合で8回を投げて以来、明らかに調子を落としているのが気になるところだ。それでも前半戦は9勝5敗、防御率2.85、投球回はリーグトップの110.2回。タフな「イニングイーター」であると同時に、チームに4つの勝ち越しももたらしている。やっぱり大した男だよ、って僕は思う。どうかオールスター休みの間に疲れを癒してほしい。
さて、作曲で一番大切なのは「ご機嫌」でいること、すなわち「ご機嫌力」である。というのが僕の一風変わった持論である。
先日、エスコン内をウキウキ歩いていたら、例の大ヒットソング「アパツ、アパツ」が流れていた。この曲、ベタベタなキャッチーさに、聴くたびに思わず恥ずかしくなったりもするが、展開は実に計算されているし、ブルーノが歌うプリコーラス部分のメロディのまろやかさにも、聴くたびにうっとりさせられる。良曲であることは間違いない。何より、ここまで一般的に浸透した洋楽のヒットとなると、近年なかなか思いつかない。
「アパツ」って、要は宴会の時の「一気飲み」の掛け声なんだってね。こんなキャッチーな掛け声で煽られたら、誰だって気持ちよく一気しちゃいそうだ。いかんいかん。っていうか、韓国とか米国では今でも一気とかしてるのかな。日本じゃそんなのもう誰もしていない…はずだよね。してるのかな。なんて考えながら歩いてた。
するとそのとき、「降ってきた」のだ。アイデアが丸ごと、メロディと歌詞とアレンジがしっかり固まったものが、頭の中に鳴り響いた。彼らが「アパツ」なら、俺たち日本人にはアレがあるじゃないか。誰だって楽しくなる、魔法のシュプレヒコールがあるじゃないか!
僕はエスコンフィールドの人波をかき分け、今思いついたアイデアを忘れないように急ぎコンコースの壁際に移動して、iPhoneに向かって思いついたメロディを歌って録音した。自宅に帰って、それを弾き語りのデモの形にして、作曲パートナーの石崎光さんに送った。光さんはいつものように、僕の頭の中のイメージなど軽く吹き飛ばすくらいの最高の作品に仕上げてくれた。
そんなわけで、僕は昨日の試合中も、その曲を何度もリピートして聴いていた。とある楽曲コンペに提出したので、ここからこの曲の運命はクライアントさんに委ねられることになる。それでも、その結果がどうであろうと、僕の手の中には、僕自身のアイデアで作った、僕自身が歌った、そして大好きなサウンドマン・光さんが仕上げてくれた極上の作品がある。それだけで、まずは最高にご機嫌なのだ。
ひと月ほど静かなスランプがあって、自分が書いた曲をうまくジャッジできなかった。でももう大丈夫。人間だから感情や体調や運も揺れ動くものだし、思うようにいかない日もある。ね。
伊藤大海だってそうだよな。ビシッと抑える日もあれば、昨日のようにうまくいかない日もある。それでも、エースである彼が投げる試合は、僕にとって特別なのだ。勝つも負けるも、エースの投球次第。そんな「責任」を彼の背中にひしひしと感じることができるから。「このチームのエースは俺なんだよ」、って。
オレもがんばんなきゃ、な、って思う。だって、オレの人生のエースはオレしかいないから、ね。