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おはようございます!
昨日は朝、丸二日かかって書いた文章をようやく仕上げることが出来ました。おかげさまでたくさんの方に読んでいただいて嬉しく思います!
お昼前から、作曲生配信を。現在いくつかのプロジェクトが同時進行してますので、それらを一旦整理する配信になりました。じっくり楽しく進めていきます、引き続き。
夕方、札幌の街に出ました。狸小路のレコード屋で初期ストーンズの手頃なベスト盤が出てたので購入。そのまま「サツゲキ」という映画館で「セッションマン~ニッキー・ホプキンズ ローリング・ストーンズに愛された男」を観てきました。
映画としては「3点」ですね。というか、
この種の「関係者がかわるがわる主役について思い出を語る」系の「映画」が僕は本当に苦手で。それだけじゃなく何か工夫が欲しいところですが、工夫、なかったなあ。ただ、この「3点」は「映画」として「映画館」で観た場合の採点ということでお許し下さい。ネットフリックスとかで十分、だったかな僕には。
ドキュメンタリーとしては、見どころがいくつありました。ニッキーのピアノのフレーズをチャック・リーヴェルとかが解説してくれるシーンとかはなかなかに興味深かったですね。
「ニッキー・ホプキンズ」というキーボーディストは不世出の天才であります。ニッキー本人も真面目に「ショパンの生まれ変わり」だと信じていたというエピソードも語られていました。そのくらいの人。フレーズ構築力も、プレイも最高。そう、ニッキー・ホプキンズが映画になるというだけでもう、大きなニュースなのであります。来月のPOP A to Zでは初心者の方にもわかりやすく、そしてロックマニアの方にも驚いていただける特集を企画しています。
突然ですが、来週、アコギを持って東京に行くことになりました! ので、今週末はラジオの仕込みをたっぷりやったり、曲、特に歌詞を作っていきます。
引き続き毎日、コツコツがんばります。
お昼休み配信、はじめます!
今日は盛りだくさんですよ!
お疲れ様です!
あらためましてのご報告をさせてください。
風輪さんに楽曲提供した『人生TENKI』が「オリコン6位」を獲得しました。演歌・歌謡曲ランキングでは1位!!
(同時に発売されたアルバム『風輪歌謡』も演歌・歌謡曲アルバムランキングで1位に!!)
風輪の翔司さん、拓也さん、スタッフの皆様、そして風輪ファンの皆様、本当におめでとうございます。この歌を大切に扱っていただき、ありがとうございます。
僕自身、ソングライターとしてのTOP10ヒットは2016年『君はメロディー』以来、8年ぶり5曲目です。「成瀬英樹」名義では、実に17年ぶり、あのAKB48『BINGO!』以来になります。
今回の『人生TENKI』のリリースにあたり、この作曲サロン「BINGO! うたを作る学校(以下『うたつく』)」のみんなには、風輪さんとの出会いから今までをずっと見守ってもらいました。本当に楽しかったですね。いろいろありましたが、みんなで頑張りました。
そして、この「うたつく」からMIKINAさん(『人生TENKI』)とsproutさん(アルバム『風輪歌謡』収録『愛の乱反射』)が作詞家としてメジャーデビューを果たしました。おめでとうございます! また、「うたつく」歌詞コンペに参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。
僕たちの音楽事務所「合同会社BINGO!」の作家から、白井大輔くんが『人生TENKI』(共作詞・共作曲)で作家デビューを果たしました。『なないろ日和』(『人生TENKI』タイプB収録)では岸田小石くんが作詞家デビュー、neloと星和生くんが編曲を担当しました。『愛の乱反射』はneloが単独で編曲をしました。
BINGO! チームのみんなと一緒に、今回のリリースを実現できたことを、心から誇りに思います。そして、みんなで喜びを分かち合えることが、本当に嬉しいです。
昨年の初夏、僕が「作曲します!お気軽にご連絡ください!」とツイートしたところ、当時の風輪スタッフさんがそれを読んで声をかけてくれたのが、このストーリーの始まりです。
そのスタッフさんは20代後半の爽やかな男性で、AKB48の大ファンでした。僕の「48提供楽曲」をすべて知ってくれていました。その上で、「成瀬さん、演歌・歌謡曲は書けますか?」とオファーをくれました。僕は「もちろんです!」と返事をしました。
「5曲お願いしたいのですが、どのくらいの期間で出来ますか?」
「7日…いや、10日ください!」
まだ立ち上げたばかりの僕の音楽事務所「BINGO!」のメンバーに声をかけ、手分けして楽曲を作り始めました。「10日で5曲」はかなりのハイペースですが、僕たちのような無名のチームは楽曲の質はもちろん、スピード感をアピールしないと他の事務所に負けてしまうという焦りが僕にはありましたので、必死でした。このチャンスを逃したくなかったのです。
その「最初の5曲」の中に、『人生TENKI』と『なないろ日和』も含まれていましたが、それらはリリースされたものとは歌詞もメロディもかなり違っていました。
風輪のお二人と実際にお会いしたのは、「最初の5曲」が出揃ってからです。
曲の修正をどのように進めていくかの打ち合わせをセッティングしていただき、新宿の喫茶店で初めてお目にかかりました。お二人は写真から受ける印象よりずっと端正で、とても謙虚、話し方も大変穏やかで、笑顔が素敵でした。その上、長身でスタイルも抜群でした。
お二人の人生の道程を直接お話しいただき、僕の創作マインドの視界はクリアになっていきました。風輪プロジェクトに賭けるお二人の熱いお気持ちが、僕の胸をじんわりと温かくしました。そして、歌詞を大幅に変更したいと強く感じ、そうお二人にお伝えしました。翔司さんと拓也さんは、まずお二人でじっくり方向性を決めてから、具体的でわかりやすい言葉で、歌詞やメロディの修正リクエストを僕にくれました。
茨城のスーパー銭湯でのライブにも伺いました。実際に歌い、お客様と触れ合っているお二人を見て、僕は深いカルチャーショックを受けました。既存の「演歌・歌謡曲」という形の中で楽曲を作ろうとしていた僕でしたが、この二人なら新しい音楽を、僕が元々持っているポップスのメロディや世界観と「演歌・歌謡曲」を融合させた新しいジャンルを作れるのではないかと感じました。「風輪」というジャンルの、新しい音楽を創り出せる可能性が見えたのです。
「風輪」というアーティストの持つ華やかさ、放たれるオーラ、スター性は、これまで僕が見たことのないものでした。
風輪のファンの皆様が、アップテンポな楽曲では本当に楽しそうな表情を浮かべ、バラードでは涙を浮かべてじっくりと歌に聴き入っているお姿を拝見し、歌詞の方向が定まっていくのを感じました。また、親子で来られているお客様も多いのも印象的でした。幅広い世代に愛されていることを実感し、それならばどの世代のお客様にも伝わるように、歌の世界をよりわかりやすく、まっすぐなものにしようと決意しました。
『人生TENKI』についてお話しします。
それは元々、白井大輔が作詞作曲したフォーク調の楽曲でした。そこに僕がBメロとDメロを加えて、大きな世界観を持ったバラードにシフトさせました。歌詞も白井の許しを得て、大幅に書き換えました。
しかしながら、「気の利いたことを書いてやろう」などと「よこしまな気持ち」が歌詞に現れると、風輪のお二人には、あっさりと見透かされてしまいます。そのようなフェイクは通用しないのです。なぜなら、お二人の心の中には常に「ファンの皆様にいかに喜んでいただくか」という思いだけが存在していたからです。
どんな歌が、お客様に喜びをもたらすかが、お二人にはしっかりと見えていたのです。
こう書くと、まるで風輪さんの修正依頼に僕たちが困っていたように思われるかもしれませんが、まったく逆です。修正をいただくたびに、楽曲が輝きを増していくのがとても楽しかった。
作曲家とは、まるでテーラーのようだと、お二人とのやりとりの中で僕は学びました。お客様にフィットするようにスーツを仕立てるテーラーは、布地やデザイン、丈の長さなどの好みを伺い、細部の調整を繰り返しながら、少しずつお客様のイメージに近づけていきます。永く愛用されるスーツに仕上げるためには、お客様も細部にこだわり、妥協を許さないでしょう。
そこで僕は、お二人との会話から歌詞を作っていくことを試みました。例えば、「成瀬さん、僕たちはお客様に常に感謝を伝えたいんです」と話されたら、それをそのままメロディに乗せてみる。「僕たちは、歌でお客様を幸せにしたいんです」と語られたら、それをメロディに乗せる。
その試みはうまくいきました。そうなんです、等身大のお二人を歌にしてお客様に伝えることだけを考えればよかったのです。なぜなら、お客様は、等身大の丸ごとそのままの「風輪」を心から愛していらっしゃるのですから。
そうして、歌の中の主人公の人物像を練り上げていきました。一行たりとも、いや、一言たりとも妥協をしないお二人の姿勢に胸を打たれた僕は、白井と僕以外の視点で歌詞を省みる必要があると考え、「うたつく」内で歌詞のコンペを開催しました。そこに応募してくれたMIKINAさんの言葉が、風輪のお二人がイメージされる「この歌の到達点」に足りないピースを、見事に埋めてくれました。
人物像に深みが増し、歌にしなやかな優しさが加わったのは、MIKINAさんのおかげです。
風輪の翔司さんと拓也さんは、ご自身が歌う言葉とメロディにしっかりと責任を持ったまさに「アーティスト」であり、完成系のイメージを作家に的確に伝えることができる「プロデューサー」。お二人の導きと粘り強さがなければ、この名曲(と言わせてください)は誕生しなかったでしょう。
こうして完成した『人生TENKI』が、シングルの表題曲に選ばれたという知らせを受け、僕は驚き、心が躍りました。すぐに白井に電話をかけました。
彼は移動中の新幹線の中で喜びのあまり涙を流したそうです。シンガーソングライターとして、何度もチャンスに恵まれながら、それを活かしきれなかった白井を僕は20年以上見てきました。そしてかつての僕も白井と同じような境遇にいましたから、彼の気持ちは痛いほどわかります。
僕自身、演歌・歌謡曲のランキングで1位が獲れる日が来るなんて、夢にも思いませんでした。そして今回の風輪さんのシングルとアルバムに関わらせていただいたBINGO! の仲間全員が「1位」の作品に名前を刻めたこと、それが嬉しいんです。
もう一度言わせてください。翔司さん、拓也さん、本当にありがとうございました。スタッフの皆様、ファンの皆様、感謝してもしきれません。そして、これからも『人生TENKI』をどうぞよろしくお願いします。
おかげさまで、永く大切に着ていただけるスーツを仕立てることが出来ました。
人生はTENKI 思うまま生きてみよう
幸せはそれぞれの 形してる
君のために 歌うこの歌が
君の心に 響けば
それが夢の 正体さ
風輪「人生TENKI」
作詞 白井大輔, MIKINA, 成瀬英樹
作曲 白井大輔, 成瀬英樹
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成瀬さん、こんにちは
26日(土)の姫路での風輪ライブに行ってきました
チケットを取るか迷ったままでいたところ、数日前に都合で行けなくなってしまった方からお声がかかり、初参加することに…
私は直感に従おうと、一切の情報を入れずに、その場の雰囲気やお二人のイメージ、曲の印象などを真っ白なまま感じることができました
本当に素晴らしかったです✨
歌がお上手で声に張りがあり、ハーモニーがバッチリ!!←ここ大事
トークのテンポも心地よくて楽しくて、とても楽しかったです😊
ダンスもすごく上手くて、所々KinKi Kidsに見えたり、かといえば井上陽水さんのようでもあり、演歌歌謡なんでしょうがアイドルのようでもあり、R&Rのようでもあり…
う〜ん、不思議…
『愛の乱反射』『なないろ日和』『人生TENKI』『胸いっぱいの愛を』なども聴けました
お二人の歩んできた時間のお話もとても心にひびき、その後で聴く『人生TENKI』はとても心に沁み入るものでした
自分のこれまでの人生とも重なるものもあり、聴く人により感じるものは違うんだろうな…と感じました
CDもしっかり購入
車でシングルを繰り返し聴いてましたが、何度聴いても楽しくて、しばらくリピートしまくりそうです
カラオケでも歌いたい曲ですね!
『愛の乱反射』はXで歌詞の一部を目にして“どんなものなんだろう?”と思ってましたが、めちゃくちゃカッコイイですね!
とても楽しかったです!!
思わず2部の最後のチケットを購入して楽しんできました😂
という長々と感想文でした
まとまらずすみません😅-
ジャッキー!ありがとう!いいでしょ風輪さん!僕らも本気で作ってますから!ご感想も嬉しいし、お二人のファンになっていただいてすごく嬉しいです!
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おはようございます!
今朝も、作曲配信から始めてまいります。BINGO! AIDの楽曲、「アトラクション’77」、そしてコライト案件! どれから手をつけようかなー、楽しみです!
気温の変化がアレで、今朝は何と5度でした、5度! 少し頭が痛い感じもありますので、短めになるかもですが、ぜひ生で、アーカイブで応援していただけたら嬉しいです!
10月10日(木)
朝7時35分発、新千歳空港からのジェットスターで成田へ。少し寝坊したせいで、慌ただしく搭乗手続きを済ませ、すんでのところでフライトの時間に間に合う。野球関係のYouTubeをいくつかDLして機内でチェック。揺れの少ない快適なフライト。
成田からバスで東京駅へ。そこから地下鉄東西線で早稲田まで。地上出口あたりで娘と待ち合わせ、早稲田大学内の「村上春樹ライブラリー」へ歩いて向かう。
ここは春樹さん関係の本がすべてそろっているのはもちろん、地下には気持ちの良いカフェがあって、春樹さんのお店「ピーターキャット」に置いてあった本物のアップライトピアノなんかが展示されていたり、春樹さんの書斎を模した部屋を眺めながら、美味しいサンドイッチを食べることが出来たりもする。
僕は『’THE SCRAP’ 懐かしの一九八〇年代』を手にとって読む。このエッセイ集、1987年にリアルタイムで買った。当時は80年代のど真ん中だったわけだったから、このタイトルはかなり人を食った「メタ」なものだったんだけど、今となってはもちろん80年代は普通に懐かしくなってるわけだから、ニュアンスは伝わりにくいね。
お茶を飲みながら、娘と村上春樹クイズを出題し合う。お互い、かなりマニアックな問いを立てる。あの主人公があの時読んでいた本は? 春樹さんが長編化したかったがかなわなかった初期の短編は? など、マニアックな頭の体操。娘と同じものを好きでいられるのはとても幸せだ。そう、彼女も僕と同じで、好きになったら全部行っちゃうタイプ。
娘とお揃いで、安西水丸さんのピンバッヂやキーホルダーを買う。
夕方から新宿で映画『トップガン』をやっているので観に行こう、と娘が言う。それこそこの映画は1986年上映「懐かしの80年代もの」だ。当時僕は18歳、確かにロードショーで観た記憶はあるが、一体誰と観たのかがまるで思い出せない。
その前に新宿の「Shake Shack」で腹ごしらえ。いつ食べても美味い。「パパのツイッターの過去投稿をたどってたら、Shake Shackが日本上陸する前に、パパアメリカで食べてるよね、すごい」と娘。そう、2011年、ニューヨーク「シティフィールド」のShake Shackで僕はそれを食べている。かなり並んだんだよな、あの時。
東急歌舞伎町タワーの中にある映画館、安い席でも4500円する。高い席はもっとする。予約する際、一瞬怯むが、まあ普段「飲む打つ買う」はまったくしない、お金もほとんど野球場と本でしか使うことがないので、娘と良い席で気持ちよく映画を観るくらいええやんか、と奮発。
これが大正解で、4500円払ってもまた観に来たい映画館だった。シートはふかふかだし、前後も横も非常にゆったりしているし、上映前後はラウンジでゆっくり夜景を見ながらくつろぐことが出来る。ポップコーンとソフトドリンクもサービスされる。
坂本龍一さんが監修されたという音響も素晴らしい。『トップガン』は広義で音楽映画と呼べるものだし、ベルリンもケニー・ロギンスも素晴らしいサウンドで聴くとなかなか良いものだ。実にストーリーは都合よく進んで行くんだけど、若きトム・クルーズのあまりのかっこよさに、いろんな細かいことはどうでもよくなる。観終わった感想は、あれ? こんなに良い映画だったっけ、である。
その足で紀伊国屋書店に。娘が幼い頃からずっと、本だけはいくらでも買ってあげることにしている。パパに出来ることはそれぐらいしかないからだ。今では、僕など足元にも及ばない読書家になった娘。逆に古典文学などをおすすめしてもらうほどだ。
僕は旅行中なので本は買い控えたが、娘は数冊かかえて持ってきたので買ってあげた。パパのおすすめも。本ってのは、買って本棚に置いて置くだけでいい。読みたくなったら、読むべき時が来たら、ゆっくり読めばいいのだ。
紀伊國屋の2階奥のスペースで「ノーベル文学賞発表」をパブリックビューイングしていた。なんとなく流れで、我々も参加する。まさか春樹さん、獲ったりしてね。いや、それはないよね。なんて話しながら。受賞したのはハン・ガンだった。
村上春樹さんは「ノーベル賞などいらない」と公に発言している。にも関わらず、なぜか人々は「それ」を期待し、なぜか人々は獲れなければ「今年もダメだった」「残念」などという。僕にはまったく意味がわからない。
娘と新宿駅で別れる。彼女は多摩方面行きの中央線に。僕は定宿に向かうために小田急線に。
「また、あさって会おうね!」
10月11日(金)
世田谷区の宿で目覚める。旅の疲れが腰に来ているので、朝からやっているサウナを検索すると、渋谷に一つあった。リハーサルは13時から下北沢で。そうだな、今から行けば渋谷に9時には着くだろう。一旦楽器を下北のスタジオにあずけてから、渋谷に向かう。
サウナに行ったのは正解だった。腰も喉も、身体のキレも取り戻せた。1時間ほどゆっくりしてから、東横線で代官山へ髪を切りに。内田さんと楽しくトークしつつ、最近来られたミュージシャンのみなさんのお話を伺う。忠英さん、新川さん、みなさんお元気そうだ。なにより。
東横線で渋谷に戻り、井の頭線で下北沢に向かう。お昼前、目についたパン屋に入りサンドイッチとコーヒーの朝食を。LAとSDの決戦をiPadで楽しむ。
リハスタに少し早めに入って、心を整える。小石くん、ネロ、伴さんと続々登場。久しぶりのOn The Beach。今回サポートをお願いしている矢舟テツローくんも集合して、セッション開始。
リハ後、いつもの下北の野外スペースで、4人でビールやコーヒーを手にくっちゃべる。伴さんはロックの生き字引みたいな人だから、往年の話が出てくる出てくる。
僕が好きなのは『チープ・トリック at 武道館』に収録されたその公演を、伴さんが観に行った話。何度聞いてもうらやましい。そうしたらなんとRCサクセションの『ラプソディー』を収録したライブの現場にも伴さんはいたと言う。どちらも僕の10代を彩った、最高にご機嫌なライブアルバム。ロックンロールの最良の季節を捉えたものだ。いいなあ。
ネロに車で宿まで送ってもらう。宿の近くに銭湯があると知ったので、歩いて向かう。昔ながらの銭湯は、かなり空いていて、一日の疲れをじっくり癒すことが出来た。
10月12日(土)
宿を10時にチェックアウトする。ハードケースに入ったリッケンバッカーはネロが預かってくれているのでずいぶん楽に渋谷まで移動出来た。
仕事を「なめてる」人が、僕は嫌いである。音楽家って、ちょっとだけでも著名だと全員「プロ」って思ってしまうかうもしれないが、そんなことはない。プロの中に、大勢の「自称プロ」がまじっている。
で、彼らは実に「ステルスアマチュア」だからタチが悪いのだ。
彼らは、よく考えたら「自分の名前」で何も成し遂げていない。自分名義のヒットもなければ、自分名義で小さなワンマンライブを主催することすら出来ないのだ。そして、メジャーの洗礼を受けていないからか、本当に基本的なマナーを知らない。
「あれ? こんなこともできないの」「え? こんなルールも守れないわけ?」そして、「え、これくらいしか弾けないで、プロの看板出しているわけ?」となる。
誤解しないでほしい。「弾けない」のは罪ではない。「弾けるまで練習しない」のが罪なのだ。
そして「過大評価」は罪ではない。まわりに引き上げてもらえる運が良かったんだろうし、それだけの音楽性を持っているんだろう(マジで知らんけど)。しかしながら、「過大評価にあぐらをかいて、やるべきことを怠る」のは罪だ。
まさにコバンザメだ。
僕は、ダイバーなので、石垣の海の中で、何度もコバンザメを見たことがある。マンタのお腹にピッタリとくっつくコバンザメたちは、潔く優雅ですらあった。自分をコバンザメとして誇りを持っている。コバンザメはコバンザメで良いじゃないか。
自分がマンタだ、と勘違いさえしなければ。
結局、リハーサルは4人で入る。しかしながら僕たちはもう2年以上一緒にやっているので、当日リハは実は不要なのだ。なので、ムードを保つために、ストーンズやフーをたくさん演奏してウォーミングアップする。(スタジオ代はしっかり飛んでいく)
渋谷から原宿まで、タクシーで移動。4人ぎゅうぎゅうになって乗り込む。楽しい。早めにクロコダイルに入って、リッケンの弦を張り替えたり、セッションの歌詞を身体に入れるために何度も聴き、何度も歌う。自分のライブより、セッションの方が責任重大だ。なんと言っても、憧れのシェイクスの曲だからね。
黒水兄弟はじめシェイクスのメンバーが続々入ってくる。まずはシェイクスのリハから。伸一さんも厚ニさんも、めっちゃギターの音、でかい。最高だ。これがロックンロールだ。
そして、全体セッションのリハ。シェイクス1986年(またここでも懐かしの80年代!)の『ワイルドキャットとドライブ』の1番を歌わせてもらうことになっている。リハだろうがなんだろうが、ここで一発で120パーセントの力を出さなければいけない。自分が出来ることのベストをその場で出すのが「プロ」だと僕は偉大な先輩たちから教わってきた。
本番では200%を出す。
On The Beachのリハも滞りなく終了。ここから本番までの時間が僕はすごく好きだ。今回もやるべきことはすべてやった。やるべきことをやること、それだけだ。
On The Beach、いいステージが出来た。メンバーとお互いを労いあった。一年かけてゆっくり準備してきた大切な夜だったからね。4人の息もぴったりだった。お客様の素晴らしい雰囲気のおかげである。ライブの半分以上はお客様が作る。ミュージシャンが出来ることは普段の力を出すよう努力すること、それを「もっともっと」と引き上げてくれるのは、お客様の声援や表情なのだ。ホントなんだよ、これ。
シェイクスのアンコールで僕はステージに呼ばれ、『ワイルドキャットとドライブ』を歌った。18の頃夢中で聴いていたナンバー。大サビのコードが最高で、僕は当時しっかりパクって曲を作った。『I Know I Know』という曲だ。僕が当時やっていた「サイレンツ」というバンドの主要曲だった。僕はあの頃から僕だったんだなと思ったり。
ラストはストーンズ『Satisfaction』を。伸一さん、僕、信夫さんと順番に歌っていく。自己採点だが、僕も伸一さんに負けてなかったんじゃないかな。なんてね。ストーンズはそれこそ、10代の頃、何度も何度も弾いたり歌ったりした、僕という音楽家を作ってくれたバンドだから、ベストを尽くした。
うたつくメンバーや、ゼミ生たちと少しお話し出来た。みなさんが僕を信じてくれているおかげで、僕はこうやって音楽活動が出来ている、心から感謝申し上げます。全力を尽くした、楽しんでもらえたと思う。
終演後、シェイクス黒水兄弟とじっくり話す。また来年やりたいねと言っていただけた。その言葉が僕の「アワード」だ。共演者に認めていただけることが、最高なんだ。ネロも小石くんも、いいステージが出来た、いいイベントに参加出来た興奮が冷めない。
娘も友人たちと一緒に観に来てくれた。「作曲も大事だけど、ちゃんとライブをやらないと、老けるよ、パパはステージで歌うのが仕事でしょ?」とある時言ってくれた。僕は逆に、こんなトシになってしまって、ステージに立つことを娘は嫌がるんじゃないかって思ってたから、この言葉はすごく嬉しかったんだ。
ステージから、楽しそうに一緒に歌ってくれる娘がよく見えた。
明日の朝は新宿発の始発。軽い打ち上げが終わったのはもう「てっぺん」過ぎていたので、新宿のサウナで2時間ほど疲れを癒し、4時半の始発まで深夜喫茶で珈琲を飲んで過ごす。眠らない街とはよく言ったもので、真夜中にもかかわらず、普通に混んでいた店内。さすが、新宿。
10月13日(日)
朝7時台のジェットスターで成田から新千歳へ。飛行機に乗っているのを忘れるほどに、揺れのない快適なフライトだった。そう言えば前回の本州への移動は台風の影響で上下左右にめちゃくちゃに揺れたよな。
新千歳駅から北広島駅まではJRで一本、20分くらいで着いてしまう。駅からタクシーでワンメーターでエスコンフィールドだ。クライマックスシリーズ第2戦を観戦。
この日のチケットはXで見つけた入場券。コカコーラゲートで待ち合わせて、電子チケットを受け取る。30代くらいのファイターズのユニフォームを着た女性。1500円のチケットを2500円で、と彼女は言うが、僕は3000円払わせてもらう。このプレミアチケットが2500円は安いからね。
ネットでは軽く1万超えているが、きっとそれでも売れているだろう。入場券、要は立ち見席だよ。エスコンフィールドの北海道のファイターズファンの熱がご理解いただけるかと思う。
クライマックスシリーズの相手がロッテと決まった時点で、初戦の負けは覚悟していた。佐々木朗希が本調子であれば、世界中どのチームが相手だろうと点など取れないからだ。大舞台に強い彼がしくじることはないと読んでいたが、やはりそれは当たっていた。
その流れでの第2戦、負けたらシーズンが終わる試合。バックスクリーン上にある「そらとしば」というカフェでモニター観戦することに。場内の歓声、雰囲気を楽しみながら、大きなスクリーンで試合を観るのもこの球場の楽しみ方の一つだ。
試合は劣勢。9回裏ワンアウトまで、1点差で負けていた。試合展開的にもまるで打てていなく、場内は敗戦ムードが漂ってきた。
しかし僕は、心の中で「BELIEVE」と唱えていた。終わるまでは終わらない。ヨギ・ベラの名言を胸に刻んでいる。2021年、シアトルでミッチ・ハニガーの起死回生逆転タイムリーを目の前で観た際、僕は「BELIEVE」出来ていなかった。無理なんじゃないかと思っていた。ミッチのヒットが僕の目を覚せてくれたのだ。どんな時でも、最後まで「BELIEVE」すること、それが何より大切。あきらめた瞬間に、終わる。
バッターはファイターズが誇るスラッガー万波。初球、高めのストレートを「マン振り」して、2回席に届く大ホームラン。このときの場内の歓声、喜び、興奮を、あなたにもわけてあげたい。
試合後のインタビューで万波は「下心ムンムン、狙ってました」と言った。ここで打てなければシーズン最終打席、終わってしまう崖っぷちでホームランを狙える彼は、やるべきことをここまで完全にやってきたんだ。だから、狙えたんだ。
僕も自分の甘さを痛感した。BINGO! というチームを作る上で、On The Beachというバンドを運営する上で、本気で勝ちに行かないメンバーを温情で残したり、やる気のないメンバーを叱責しないでいる自分の甘さに。
成瀬よ、まだお前は「いい人」でいたいのか?
いざやって来るチャンスに、全力でホームランを狙いに行くメンバーだけで、僕はこの先戦って行こうと心に決めた。じゃないと、オレたちみたいなポンコツに、勝てる道理はないだろう。僕を信じてくれるメンバーに結果を出させてあげたい。それが彼らの夢なら、かなえさせてあげたい。
たるんでるやつ、なめてるやつ、ステルスアマチュア、みんな戦力外通告だ。
10月14日(月)
クライマックスシリーズ最終戦。勝っても負けてもこの日で決まる。
14時プレイボールだが、僕は10時にエスコンに着いて、お気に入りのライトスタンド後方のハイカウンターをゲット。ここから数時間、立ちっぱなしの観戦だが、大好きなベースボール、それもポストシーズンの大切な試合だ、何にも気にならない。
この日で54試合目の現地観戦になる。オープン戦の初戦から観ているから、今年のファイターズの大躍進には相当な思いがある。あの3月の時点では、外野フェンスまでボールを運ぶ選手も少なく、2年連続の最下位チームむべなるかなと感じていたものだが、春先の郡司、田宮の活躍、初夏には水谷の大ブレーク、夏以降は清宮とレイエスの大覚醒、それらを目の前ですべて観ることが出来た。どんなに仕事が忙しくても観戦をサボることはしなかった。球場で野球を観ながら、メロダインでピッチ直したりもしたなあ。
「大好きな球場で、じっくり野球を観る」ことが僕の『LIFE』だ。「それ」が僕の一つの夢だった。いつか大好きな街で、大好きな球場で、じっくり野球を観ることが。
しかしながら、日本には移住を促すほどの球場はなかった。だから僕の「それ」は例えばボストンだったり、シアトルだったりのイメージだった。
昨年、エスコンが出来、観戦して、ついに日本にも本物の「ボールパーク」が出来たのだと感激した。エスコンフィールドに僕は恋をしたわけだ。そもそも札幌という街が僕は大好きになっていたので、移住を妨げるものは何もなかった。あるとすれば、自分の中の「常識」という枷だ。「普通、そんなことしないよね」「普通、音楽家は東京にいるべきだよね」「普通」「普通」…。
移住をしたところで、僕に失うものは何もなかった。もし食えなくなったら、どこかで雇って貰えばいいだけだ。食えなくなるまでには一定の時間があるだろうから、それまでに何か思いつけばいいだけだ。
友人知人がいないことも、特に気になるものではなかった。住むところは静かな街だが、都会の真ん中でふた駅利用で、どちらの駅までも数分なので、車も必要がない。病院もコンビニもある。孤独はクリエイティブには絶対的に必要な条件だ。文学や音楽は、孤独な心にこそ響くものだ。友達を作りにここに来ているわけではないので、時間があれば、本を読んだ。映画を観た。
一人で。
野球観戦も何試合か娘が来たり、友人が来たりをのぞけば、一人で観戦した。さみしいと思ったことは一度もない。僕はスコアをつけながら、じっくりベースボールを楽しむのが好きなので、一人であってもなんの問題もない。
そして今は、こうして、ネットでみんなとつながっていられる。ゼミ生とのZoom、BINGOメンバーたちとの全体ミーティング、毎日のように配信して、作曲して。
札幌に移住して、本当に良かったと思う。来年再来年の僕が一体何をどう考えているのか、僕にだってわからないしとても楽しみであるのだが、この半年は本当に楽しかったし、仕事も充実していた。『動く唇』も『愛の乱反射』もこの街で、この部屋で作ったのだ。
2点を先制されたファイターズだったが、なぜだろう、まったく負けている感じがしなかった。そして当たり前のように同点に追いつき、勝ち越し、勝利した。選手たちは皆、泣いていた。ファンも皆、泣いていた。僕も清宮の涙にもらい泣きしてしまった。
ホークスとのファイナルシリーズは相当に苦戦するだろう。チームの作り方がまるで違うから。ありていに言うと、ギャラの総額がまるで違うのだ。ホークスは勝って当たり前の王者だ。ファイターズは前年最下位から、ここまで来た。ここが一つの到達点なのだ。泣いていい。
そして、やっぱりそんなギャラ総額が高いチームをやっつけてほしい思いもある。ファイターズの若い選手たちは大いにファイナルステージを楽しんでほしいって思うんだ。