blog
おはようございます!
庭メンバー「上田下男」さんとの共作曲がついに!完成しました!
上田さんと何度もZoomでお話をさせていただき、いくつかの試作の末に出来上がった、僕にとっても思い入れのある大切な曲に仕上がりました。今回の上田さんとのやりとりによって僕自身も成長させていただけたのではないかと感じています!
ミキ・パンダさんの歌も、いつものように最高です!ぜひ聴いて、ダウンロードしてくださいね。また一つ、僕たちの宝物が出来ました!
https://soulmix.jp/hidekinaruse/track.php
さあ、次は「もっちー」との共作です!
そして今現在のお並び状況はこちらです!
https://trello.com/b/wD5adUsw/naruse
ご自身で「あ、そろそろ来るかも!」とご準備をしていただいていると助かります。
何かありましたら、Zoomでお話をさせていただきますので、予約してくださいね。もしくはメールをいただいてもOKです!
=======
成瀬の庭(と前身の「ポップス魔法研Q室」)で作った楽曲を集めたチャリティーアルバム「At The Garden」、ついに入稿を昨日すませました。今月中には発売できる運びになりそうです。21曲!どれも本当に大切な作品たち。みんなと作曲すること&チャリティーアルバムを作って残すこと&僕たちの作品が少しでも社会のお役に立てること、これが僕の大切な仕事です。ぜひ、一緒に楽しんで作品作りをさせてくださいね。遠慮なんていらないよ!
クリエーターズプランでまだ共作をされてない方がいらっしゃったら、ぜひご連絡くださいね!作曲楽しいよ!
そして、次作を作りたい方、Zoom予約入れてください!話しましょう!二回り目、やりましょう!「At The Garden Circle.2」の制作を始めていきましょううう!
詳細はこちらを見てね⇩
https://soulmix.jp/hidekinaruse/article.php?article=417
そして、まだ庭のメンバーではない方、ぜひ一緒に曲を作りましょう!成瀬が一緒に作るから安心して下さい!必ず良い作品に仕上げますからね!
おはようございます!
昨日、ミキ・パンダさんに「手嶌葵さんのように歌ってみるのはいかが?」とご提案しました。そうしたら色々探していただいたんだろうね、こんな動画を発掘してくれましたよ!快挙です!
2011年のあの「ロック・イン・ジャパン」フェスに葵ちゃんのサポートで僕が出演した時の映像が、YouTubeに転がっていました。ミキちゃんすごい!よく見つけてくれました!自分でも時々「あの日々は夢か幻だったのかもしれない」と思うこともあったので、みなさんも「成瀬は本当に手嶌葵さんと共演なんてしたのかよ!」って思ってませんでしたか?(思ってないかw)
このフェスは、春先から続いた長いツアーの最終コーナーで、行きのバスからみんなでワイワイとても楽しかったのを覚えてます。バックステージはビール飲み放題、美味しいもの食べ放題で、ミュージシャンたちが昼間から大騒ぎとかしてて、もうなんか映画の中にいるようでした。僕も飲んでた時期なので、めちゃくちゃ飲みました。
トリでユニコーンが出演するので、出番が早かった葵ちゃんとヤマハチームは先にバスで帰ったのですが、僕と葵ちゃんマネージャーのみゆきちゃんと、スタッフのあちゃこ(そう、黒沢秀樹さんのワンマンで舞台監督を務めてくれたあちゃこはここで知り合ったのです)の三人はユニコーンを見よう!と、時間までひたすら飲んだり!
この夢がたった10年前だったことに驚かされています。10年!体感じゃ倍の月日くらいに思います。僕のこの10年はまったく持ってあっという間なんかじゃなく、長い月日でした。限りなく大変で、しかし実りのある10年がここから始まったんでした。
このツアー中、松江のライブの合間やバス移動中に「君は僕だ」のメロディを書き上げました。最後は寝台車の部屋の中でミックスを仕上げたのをよく覚えています。この曲から僕の本当の作曲家人生が始まったと言えます。
人生って面白いよね。本当に何が起こるかわからない。
おはようございます!
今日は1月17日。1995年、阪神淡路大震災はこの日に起きました。
僕は当時FOUR TRIPSというアマチュアバンドをなんとかプロにすべく必死な26歳になったばかりの若者で、コンビニでアルバイトをしながら明石の実家で暮らしていました。前日、メンバーが僕の家に来ていて、一緒に作曲をしていました。「気楽にやろうよ」という結果的にはボツになった作品を作っていたことを覚えています。
デビューに向けての大切なライブを一週間前に終え、そこではプロデュースしていただいていた伊藤銀次さんが大きなレコード会社の社長を連れてきてくれましたが、社長曰く「成瀬にアーティスト性を感じない」という理由で、その会社からのデビューの目はなくなりました。そんな失意の時期でした。
おはようございます!
昨夜は楽しい夜でした。
「音楽で生きていかなきゃ、自分には何もない」とようやく気がついたのが1992年。僕は24歳だったことになります。遅い。気がつくのが。そこからライブハウスで精力的に活動を始め、吉本興業のオーディションに受かり、トントン拍子とは言えないまでもなんとかデビューにこぎつけました。
デビュー以降、アマチュア時代に作った歌はほとんど歌うことはありませんでした。一旦全部捨てたんですね。しかしながら、そのデビュー前の楽曲をも愛してくれる老舗のファンの方も今もライブに来てくださいます。僕の習作時代。ありとあらゆる音楽を真似して、さまざまな形の楽曲を作りました。演奏するのはバンド。僕のギターと、そしてハモンドとドラムとベース。そんな制約があったからこそ、メロディと歌詞をしっかりと作らなければごまかしが効かない、なかなかに大変な日々でしたが、もちろんそれだって今すごく役にたってます。
そんなスクラップにした曲の断片たちも、今磨けば輝き出すのかもしれない。そんなことをじっくり考えた夜でした。あの頃、たくさん歌を書き続けていて本当によかった。
おはようございます!
まず、お知らせを。今日のライブは中止です!払い戻しのご案内のメールを返信のない方には「違うメアドから2回」差し上げております。ご確認下さい!中止の理由に関しての成瀬の考えはひとつ前の投稿に詳しく書いております。よろしくお願いします。
昨日はラジオ関西さんで収録と生放送。町あかりさんも電話でご一緒しました。僕が小学生時代、ずっと聴いてたラジ関。ずっとハガキを送り続けていた原田伸郎さん。長くこんな稼業をやってると、麻痺することもあるのですが、やっぱり一々感動してたいですし、ひとつひとつが出会いとつながりの賜物だと、心から感謝です。