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豪雪でした
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
12月15日 21:42

お疲れ様です!

 

みんなにとって今日はどんな日でしたか?

 

BINGOに嬉しい知らせが入って、作家さんたち、ゼミ生たちと大いに喜びました。やっぱり努力が報われるのって、いいよね。

 

そんな中、いろんなショート動画を試したりしてます。TicTocも久々にアップしてるので、みてみてね!

そんな中、今日のお昼に配信しました。いろんなお知らせと、A1グランプリの現在地を語っています。ぜひ、お時間ある時に見てくださいね。新しい配信方法を試してみました!

なぜか僕の環境じゃ、Safariでは見ることができなくて、Chromeなら見ることが出来ます!試してみてね!(新しい配信のやり方を試す中、動画切断の順序を間違えてしまったのが原因です、、☺️)

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大きな背中
成瀬英樹
成瀬英樹
12月14日 18:03

おはようございます。
 

昨日は、尊敬する先輩、みのや雅彦さんのライブに行ってまいりました。
 

みのやさんとのご縁の始まりは一昨年、風輪さんのイベントに呼んでいただいた際のこと。同じくゲスト出演されていたみのや先輩と、楽屋がご一緒になったのがきっかけでした。
 

そこで伺った数々のエピソードに心を揺さぶられ、僕のような若輩者にも分け隔てなく接してくださるそのお人柄に、すっかり惚れ込んでしまったのです。
 

風輪さんからつながったこのご縁、心から感謝です。
 

今回のみのやさんライブにご一緒したのは、エスコンフィールドの外野スタンドで前後の席になり、1シーズン観戦をともにしたマダムと、その息子さん(僕より少し年下)、そしてマダムのお友達。
 

みなさん、みのやさんの大ファンで、現在関東にお住まいの息子さんは、東京でのライブにも足を運ぶほどの筋金入りだそうです。
 

みのや先輩のライブに伺うのは、今年3月以来。そのときはバンド編成が中心で、それももちろん素晴らしかったのですが、今回は全編弾き語り。個人的にも、これはもう楽しみでなりませんでした。
 

というのも、前回のライブでも数曲、弾き語りを披露してくださっていたのですが、それがもう言葉を失うほど素晴らしくて。やはり、フォークシンガーの真骨頂は「ギター一本の弾き語り」にあるのだと、改めて感じたのです。
 

まず何より、みのや先輩は本当に「歌が上手い」シンガーです。昨夜のステージでも、ピッチが揺らいだり、声が不安定になったりする瞬間は、ただの1フレーズもありませんでした。
 

その圧倒的な技術を土台にしながら、聴衆に「上手い」とは感じさせず、自然と歌の物語へ引き込んでいく。その「鍵」となるのが、歌詞の届け方です。
 

ライブという現場で、ここまでクリアに言葉が届く体験はそう多くありません。太く、甘く、そして実にエモーショナルな声で、歌ごとに鮮やかな物語が立ち上がっていきます。
 

そして、その世界を支えているのが、みのやさんのアコースティックギター。「ギターは世界一小さなオーケストラ」と言われますが、まさにその言葉通りでした。僕は終始、みのやさんの右手から目が離せませんでした。
 

分散和音で太く響く低音。その深みは、親指につけたサムピックに秘密があるのでしょうか。スリーフィンガーとフォーフィンガーを自然に行き来しながら、まるでミニオーケストラを指揮するように音を紡いでいきます。かと思えば、強いビートを刻むストロークプレイでは、強拍と弱拍でピックの当てどころを絶妙に変えているんです。そのニュアンスが、演奏に立体感と色彩を与えていました。
 

そういえば、中学生のころ、僕がアコギを始めたときにお手本にしたミュージシャンたちも、みんなこうしてストロークに「色」をつけて弾いていたな、と思い出しました。僕自身も、よくそれを真似したものです。先輩はいったい、どんなギタリストたちから影響を受けて、この唯一無二のスタイルを身につけてこられたのだろう。そんなことを考えながら、音に身を委ねていました。
 

ライブが終わったあとには、ご一緒したみなさんと「最高でしたね」と感動を分かち合いました。いやあ、本当に、たくさん泣かせていただきました。
 

終演後にお会いしたみのや先輩は、「いつもブログ見てますよ。『BINGO』の作家のみなさんもご活躍ですね」と、声をかけてくださいました。あまりの光栄さに、「ありがとうございます」以上の強い言葉が見つかりません。結局、深く頭を下げて、感謝をお伝えすることしかできませんでした。
 

先輩はお仲間のみなさんにも優しく声をかけてくださり、みんな本当に喜んでいらっしゃいました。
 

みのや先輩はお笑いもお好きだそうで、元・吉本興業の僕としては、そのあたりもいつかゆっくりお話しできたらいいな、なんて思いつつ。MCで、こんなことをおっしゃっていたのが印象に残っています。 曰く「お笑いの人たちってのはね、マイク一本で表現できるところがすごいんだよね!」と。
 

確かにそうなんですよね、と首肯しながらも……。 いや、しかしながら先輩。僕に言わせていただくなら、ですよ。
 

ギター一本で44年間、北海道を中心に、全国の人たちの心を震わせ続けてきた先輩が、来年、45年目を迎えられる。ギター一本で、一晩に20近くもの物語を紡ぎ、人の心を揺さぶること。それこそが、本当に「すごい」ことだと、僕は思います。
 

自分もその道を志し、今も歩んでいるからこそ、その重みがわかるつもりでおります。
 

僕は来年、作曲家として20年目。再来年には、ミュージシャンとしてデビュー30年を迎えます。先輩の背中にはまだまだ遠く及びませんが、これからも音楽にまみれながら生きていきます。
 

少しでもその背中に追いつけるように。

B1グランプリ 振り返り
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
12月13日 10:13

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年齢なんて単なる背番号だよ
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
12月11日 8:09

お疲れ様です。
 

12月7日の「BINGO R&R Party!」は、想像を遥かに超える大成功となりました。 いやあ、盛り上がった。 何より、とびきり楽しかった。

 

この秋に、BINGOの作曲・音楽制作コース「マイソングプラン」所属メンバーのキソエムさんとミッチさんをお誘いし、「ビートルズ研究バンド」を結成したのが発端です。 「せっかくだから」と、同じくビートルズを愛するドラマー・伴慶充さんにも参加をお願いしました。

 

そこから話が転がりはじめます。

 

「オフ会をやろう」→「BINGO作家のみんなにも来てほしい」→「光さんや小石くんともセッションしたい」→「金森さんにもぜひ」

 

気づけばステージ上は、ギター、ベース、キーボード、コーラスと、まるで1つのポジションに複数レギュラーがいる“ファイターズ方式”の大所帯に。 その布陣で全20曲、汗だくになりながら一気に駆け抜けました。

 

ほんまは、まだまだ歌えたんですけどね。今回はこのくらいにしといたるわ。

 

この日のステージには、僕たちがビートルズを愛してやまない理由がすべて詰まっています。 実は出演者の誰一人として、事前に音合わせをしていません。

 

「この曲を、このバージョンでやるからよろしく」。それだけを共有してステージに立つ。

 

カウントが始まり、最初の音が鳴った瞬間、全員の意識がカチッと合う。 ビートルズの楽曲が、世界中のミュージシャンにとって“共通言語”のような「演目」だからこそ、たったそれだけで奇跡のようなアンサンブルが成立してしまう。 これがビートルズの偉大さです。他のバンドではなかなか真似できません。

 

でも音楽は「演目」だけで終わらない。 1音鳴らした瞬間、その人のすべてが出る。

 

大滝詠一さんに「カヴァーを聴けば、その人のオリジナリティがわかる」という名言がありますが、まさにあの夜はそれを証明するステージでした。 同じ曲でも、演奏者の数だけ違う表情がある。それが音楽の底なしの面白さです。

 

BINGOには、普段はDAWで楽曲を作っている「バンド未経験者」もいます。 でも音楽には、絶対に「合奏の喜び」がある。

 

人と音を合わせるときの緊張と解放、目配せ、呼吸、グルーヴ──あれは唯一無二です。 いくらAIが発達しても、僕たちから「バンドをやる楽しさ」を奪うことなんてできません。むしろこれからは、その楽しさをAIと一緒にどう表現していくのか。その未来すら楽しみに感じています。

 

そんな熱狂の一夜を、ざっくり編集してまとめました。 このブログを読んでくれているあなたにも、こっそりお裾分けします。よかったら、覗いてみてください。

 


 

そしてもし「楽しそうだな」と思ったら、ぜひBINGOの仲間になってください。 一緒に音楽を作るのも楽しいし、僕やBINGO作家たちを応援するのも、これまた最高に楽しいんです。 いつでも、あなたをお待ちしています。

 

そんなわけで、今日やっと57歳になりました。

 

12月生まれってちょっと損なところがあって。 年齢の数え方を「今年で何歳になる」って考える時に、もうたっぷり一年かけて「今年で57なのだ、だから今は56なのだが、ほんとは57歳なのだ」的に考えて過ごしてしまう。

 

そう考えたら、すでに今年一年間たっぷり57の気持ちを味わったので、今日ようやく名実ともに57になりました。 そう思うと、「おめでとう」という言葉も相応しくなくもないのかもしれないですね。

 

「年齢なんて単なる背番号だよ」

 

僕の大好きな野球選手はそう言いました。マジ、それな、って思います。 服とか似合うものが変わってきてるし、あんまりいい加減なカッコもしてらんなくなってきましたが、それでもなるべくしなやかに、生きていきたいと思ってます。

 

57の抱負も変わらず。 やりたくないことは絶対にやらない、です。よろしくね!

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死の気配
成瀬英樹
成瀬英樹
12月9日 22:12

何はともあれ、地震の話だ。昨夜の大きな地震。僕は北海道新幹線の車中にいた。場所は青森県のいちばん北の端あたり。あと数十分もすれば終点の新函館北斗に着くという地点だ。
 

皮肉な話だ。僕は本来なら、空を飛んで帰るはずだったんだから。雪のせいで機材の到着が遅れ、二時間半ものディレイになると告げられた。「条件付きフライト」というやつだ。途中で引き返す可能性もある、という。それでは札幌での大切な打ち合わせに間に合わない。僕は「もうダメだ」と判断し、あっさりチケットをキャンセルした。人生なんてそんなものだ。計画通りになんて進まない。
 

僕は急遽、地上を走る新幹線で帰ることにした。仕事をキャンセルした今、特に急ぐ理由もない。こんな機会でもなきゃ、陸路で北海道へ行こうなんて思わないものな。
 

夜の七時半、東京駅から函館ゆきの新幹線に乗り込んだ。長い移動だが、快適なシートに身を預け、僕はリラックスしていた。前日のBINGOの仲間たちとの楽しいパーティーのことを思っていた。ミュージシャンもお客さんも、みんな笑顔だった。楽しかった。やってよかった。新幹線は順調に夜の東北を滑り抜け、「次は終点の新函館北斗です」というアナウンスが流れた。その、瞬間。
 

突然、パチッと音がして電気が消えた。同時に、鋭いブレーキ。直後、けたたましい警告音。「地震です。地震です、地震です」。そして、凄まじい揺れ。比喩じゃなく、本当に生きた心地がしなかった。僕は神戸の激震も体験してきた人間だが、震度六強クラスの揺れを、時速数百キロで走る密室の中で受けるというのは、考えうる限り「最悪の場所」の一つだと言っていい。
 

揺れが収まる。静かな暗闇。インクを流したような濃い闇だ。窓の外を見ると、トンネルの中ではないことだけは分かった。それだけが小さな救いだった。もしトンネルの中だったら――その先は、想像したくなかったからね。
 

僕はこれまでの人生でいちばん、死の気配を近くに感じていた。間違いなく。
 

その時、手元のiPhone。北欧を旅している娘からの、家族通話の着信だった。一昨日もビデオ通話で、フィンランドの素敵な街並みを案内してくれた。今日はどこにいるのだろう。でも、僕は電話に出なかったんだ。声が聞きたかったけれど、今の状況を知ったら、彼女優しい子だから、ひどく心配しちゃうだろうなって。
 

その時、僕の胸に浮かんだのは、奇妙なほど静かな思いだった。このまま、もし、もう娘に会えなくなったとしても、それでも今ここで心配をかけないほうがいい。恐怖よりも、そういう気持ちのほうが、はっきりと勝っていた。もしここで僕が「怖いよ」と言ってしまったら、遠く離れた異国の地で、彼女は何もできないまま、ただ無力感と精神的パニックを抱えることになるじゃないか。
 

その時ふと気づいた。どうしようもなく怯えていながら、「心配をかけたくない」と思えた自分のことを、僕は少しだけ誇らしく感じていた。その瞬間、ほんの少し強くなれた気がしたんだ。
 

暗闇の中で、僕は目を閉じた。自分の人生を、一枚のアルバムをめくるように静かに振り返っていた。本当に、楽しい人生だった。好きな音楽をやらせてもらった。素敵な家族に恵まれた。そして、最高の娘に恵まれた。前の日、僕は最高な仲間たちと最高のパーティーを終えたばかりだった。変な言い方だけれど、死ぬなら、これ以上ないタイミングだな、とすら思った。
 

そう思えた瞬間、すっと気持ちが軽くなった。もう、何が来てもいい――そう思えた。それは恐怖の中に混じった、不思議な温度のある、奇妙な安らぎだった。確かに本当に怖かった。それでも、今も、その「いい気持ち」だけが、なぜか記憶の底に沈殿している。
 

車内では、乗客たちが次々と電話をかけ始めていた。「仕事に間に合いません」「大丈夫か?」。安否を確かめ合う声があちこちから聞こえる。その事実だけで、少しだけ安心できた。やがて車掌の冷静なアナウンスが流れた。事実を落ち着いて伝えてくれた。震度六強の地震のため停電していること。津波警報が出ているようだが、ここは山側で心配はないこと。外気の冷えを防ぐため、お客様に窓のシェードを下ろしてほしいこと――。
 

僕は電話をしなかった。バッテリーを無駄にしたくなかったし、SNSのノイズを見たところで現実は何も変わらない。ただ目を閉じて、楽しいことだけを考えた。この暗闇で感じたことは、きっと僕の一生の財産になる。そうでなければ、音楽の神様が、わざわざこんな揺れの激しい場所で僕を足止めして、こんな体験をさせたりはしないだろうと言い聞かせた。すべての休符に意味があるように、この停止にも意味があるはずだ。
 

やがて、パチン、と音がして、車内に灯りが戻った。誰かが大きく息を吐き、連鎖するようにみんなが「はあ」とため息をついた。僕はすぐに家族通話に参加した。「実はね」と、さっきまでの出来事をすべて話したら驚いていた。もう大丈夫だよ、と僕は伝えた。大丈夫、電気さえ来ていればなんとかなるんだ。
 

止まっていたのは、たぶん三十分ほど。あの時間は永遠みたいに長く感じたけれど、時計の針は三十分しか進んでいなかった。
 

新幹線は再び走り出し、新函館北斗に着いた。在来線は止まっていたので、函館駅へ向かう客のために、JRが大量のタクシーを手早く手配してくれた。乗車券を見せるだけで、無料で函館駅まで送ってくれた。ホテルは津波警報の対応で慌ただしかった。「ここもかなり揺れたんです」と彼らは言った。僕はもう、怖がっても仕方がないと思って、そのまま泥のように眠った。翌朝、そこから三時間半かけて、家に帰ってきた。