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おはようございます!
今日は1月17日。1995年、阪神淡路大震災はこの日に起きました。
僕は当時FOUR TRIPSというアマチュアバンドをなんとかプロにすべく必死な26歳になったばかりの若者で、コンビニでアルバイトをしながら明石の実家で暮らしていました。前日、メンバーが僕の家に来ていて、一緒に作曲をしていました。「気楽にやろうよ」という結果的にはボツになった作品を作っていたことを覚えています。
デビューに向けての大切なライブを一週間前に終え、そこではプロデュースしていただいていた伊藤銀次さんが大きなレコード会社の社長を連れてきてくれましたが、社長曰く「成瀬にアーティスト性を感じない」という理由で、その会社からのデビューの目はなくなりました。そんな失意の時期でした。
おはようございます!
昨夜は楽しい夜でした。
「音楽で生きていかなきゃ、自分には何もない」とようやく気がついたのが1992年。僕は24歳だったことになります。遅い。気がつくのが。そこからライブハウスで精力的に活動を始め、吉本興業のオーディションに受かり、トントン拍子とは言えないまでもなんとかデビューにこぎつけました。
デビュー以降、アマチュア時代に作った歌はほとんど歌うことはありませんでした。一旦全部捨てたんですね。しかしながら、そのデビュー前の楽曲をも愛してくれる老舗のファンの方も今もライブに来てくださいます。僕の習作時代。ありとあらゆる音楽を真似して、さまざまな形の楽曲を作りました。演奏するのはバンド。僕のギターと、そしてハモンドとドラムとベース。そんな制約があったからこそ、メロディと歌詞をしっかりと作らなければごまかしが効かない、なかなかに大変な日々でしたが、もちろんそれだって今すごく役にたってます。
そんなスクラップにした曲の断片たちも、今磨けば輝き出すのかもしれない。そんなことをじっくり考えた夜でした。あの頃、たくさん歌を書き続けていて本当によかった。
おはようございます!
まず、お知らせを。今日のライブは中止です!払い戻しのご案内のメールを返信のない方には「違うメアドから2回」差し上げております。ご確認下さい!中止の理由に関しての成瀬の考えはひとつ前の投稿に詳しく書いております。よろしくお願いします。
昨日はラジオ関西さんで収録と生放送。町あかりさんも電話でご一緒しました。僕が小学生時代、ずっと聴いてたラジ関。ずっとハガキを送り続けていた原田伸郎さん。長くこんな稼業をやってると、麻痺することもあるのですが、やっぱり一々感動してたいですし、ひとつひとつが出会いとつながりの賜物だと、心から感謝です。