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「付き添いのおじさん事件」の顛末
メンバー クリエーターズ 成瀬英樹ゼミ 〜プロ作曲家養成〜 成瀬英樹ゼミ 分割プラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
7月7日 9:17

おはようございます!

 

成瀬、旅は続いております。生配信や投稿まで手が回らず申し訳ありません。

 

7/5金曜は、昼過ぎに神戸空港に到着。その足でにこいち松田とYouTubeの撮影。なかなかいい絵が撮れたんじゃないかなって思う。松田は真面目なので、「対談形式」だと畏まって縮こまってしまう。なので雑談の雰囲気でそのまま撮っちゃった。iPhoneのシネマティックモードで。

 

こちら7/17に公開する「マツダヒロ物語」ご期待下さいね。編集がんばる!

 

夕方、コウベリーズのメンバーのうちお二人と合流して、FM番組に生ゲスト出演。その局にゲストで出るのは、ターザンさんの番組に伊藤銀次さんと一緒に出て以来かな、7,8年ぶりか。

 

そのFM局を僕は開局時からよく知っていて、歴代DJにもたくさんの仲間がいる。かつての素晴らしいディレクター陣とも今でも繋がってる。97年から98年には番組も持たせてもらっていた。

 

だから言わせてね。

 

一体どうした!?

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ルールなんて決めたって変わらない
成瀬英樹
成瀬英樹
7月5日 11:41

おはようございます!

 

日本のプロ野球のオールスターで阪神と日ハムの選手が「ファン投票」をジャックしてしまって、オールスターに相応しくない成績の選手が人気投票で出場してしまうことが物議を醸している。機構側は、来年以降行き過ぎた人気投票を規制するルールを作ることも考えているとかいないとか。

 

ちなみに、メジャーリーグのオールスターではこのようなことは起きない。どんなにドジャースやヤンキースが人気があろうと、ファン投票はほとんどの場合、成績に準じるものだ。

 

なぜか。簡単だ。メジャーリーグのファンは本当のオールスターを観たいから。そういう文化なのだ。今年の成績をじっくり見比べて、贔屓チームの選手より成績のいい選手がいれば当然そちらに投票する。ネット投票のページではしっかりと候補選手達の成績がすぐに見られるようになっている。

 

僕は20年以上シアトル・マリナーズのガチファンだが、オールスターに相応しくないマリナーたちに歴史と栄誉あるオールスターゲームに出場してほしいなんてこれっぽっちも思わない。だって年に一度のビッグゲームだよ。本物のオールスターが見たいじゃないか。

 

だからね、ルールなんか決めるより、ファンのリテラシーを高めオールスターの価値を考え直すしかないんですよね。阪神ファンや日ハムファンは自分のチームの選手がオールスターに出ているところが観たい。それはそれでもちろん尊重するけど。文化のレベルが高い低いというより、「そういうもの」なんだろう。

 

いつの日か、「本物のオールスターゲーム」が日本でも普通に観られるようになればいいな。それには、メジャーのように「一試合」にするのも一つの手ではないかと思ったりする。

昨日は部屋で洗濯をしたり、今週のラジオの収録をしたり、読書をしたり。夕方、小田急と井の頭線と中央線を乗り継いで国分寺へ。娘と待ち合わせ、いつものようにお互い本を買い込む。娘は谷崎とかをなんかたくさん買ってた。「何かおすすめしてよ」と僕が言うと、じっくり考えた末に「読書について/ショーペンハウアー」を選んでくれた。「パパこれきっと好きだよ」って。

 

その後、タルトとパスタを一緒に食べた。友人との約束があるとのことで、府中行きのバス停まで二人で全力で走った。走る彼女、白いシャツ、肩まで伸びた髪をなびかせて、ああすごく綺麗だなって僕は思った。動画を回しておけばよかったって思った。シネマティックモードで。

 

行きと同じ路線を今度は逆に乗り継いで、急いで世田谷の宿に戻る。弊社BINGO! のZoomミーティングだ。僕も今回コライトで二曲提出。かなり自信作だったんだけど、投票の結果一ポイント差で二位だった。

 

一位は新しく入ったゼミ生「大津美紀さん」の楽曲。なんと20年も彼女のライブラリィに眠っていたんだそう。美紀さんとのセッションは僕が作曲を教えるというより、彼女の楽曲(46曲の手付かずのストック)から一曲ずつ選び、それに歌詞をつけたり、アレンジを再考したり、サイズを変更したりの作業。

 

彼女の最初の提出曲、ピアノの弾き語りデモなんだけど、しっかりキープをいただいたことで自信を深めたと同時に、成瀬のことも多少信用してくれたのかな。最初はきっと「この人、めちゃくちゃ褒めてくれるけど、本当に大丈夫かしら」って思ってたはず。

 

今回、美紀さんは三曲提出。すべて弊社内投票で五位以内に入る。

 

世田谷代田のカフェで書き始めたこの投稿、今は羽田空港行きのバスの中で書いている。今夜、KISS FMに18時くらいからコウベリーズの付き添いとして僕も出演します。リアルタイムで、ラジコで、ぜひ聴いてね。

 

では快晴の東京から、成瀬英樹がお届けしました。みんな、今日も一日がんばろう。

 

(フェアーグラウンド・アトラクションの話題はまとめて別の投稿にしますね)

 

永遠のKISS〜我が心のサウンドトラック、フェアーグラウンド・アトラクション 前編
成瀬英樹
成瀬英樹
7月3日 17:36

6月30日(日)

 

大阪の「クアトロ」と言えば、僕にとっては「心斎橋クラブクアトロ」である。91年の柿落とし公演トッド・ラングレンをはじめ、ザ・バーズのロジャー・マッギン、グレアム・パーカー、ザ・ポーグス、ジェリーフィッシュ、もちろんニック・ロウなど、鮮烈なライブを数多く体験させてくれた名店だった。出待ちもしやすかったから、サインもたくさんもらったものだ。

 

Great3の最初のライブ(最前列で観た!ギターがまだ長田さんだったころだ)や、L⇔Rのデビューライブ(マジでファンタスティックに素晴らしかった)も忘れられないし、サニーデイ・サーヴィスの最初のライブも別の意味で忘れられない。

 

後年、僕自身もバンド「FOUR TRIPS」のメンバーとして何回か出演した。ワンマンライブもやったし、デビュー前のポルノグラフィティと対バンしたこともある(打ち上げで一緒に飲んだ時のエピソードはそっと墓場まで持っていこう。彼らの人柄あふれるものなのだけど。当時から素晴らしいバンドだった)。

 

タートルズと一緒にやったのはまた別の時だっけか。

タートルズのマネージャー(FOUR TRIPSをオーディションで見たことがあります『FM』が好きです、と言ってくれた)と僕は、80年代の伝説的なNHK-FMのプログラム『元春レイディオショー』のリスナー同志とわかり意気投合。「私の持っているエアチェックのカセットを送ります、成瀬さんが持っておいた方がいいと思うから」と申し出てくれた。彼女は本当にすぐにざっと50本以上のカセットを送ってくれた。それが僕にとってどれほど貴重な資料となったことだろう。いつか会ってお礼が言いたい。

 

そんな心斎橋のクアトロが梅田に移転したのは2011年だそう。知らなかった。関東に移り住んでいて大阪のクアトロに行くこともなくなっていたから。いや、もしかしてどこかで移転記事を読んだが、単に忘れていただけかもしれない。

 

どちらにしても。

 

そんなわけで初めての「梅田クラブクアトロ」にフェアーグラウンド・アトラクション奇跡の再結成ライブを観に行く。当サロンの日記でもお伝えしたように、今回フェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーに僕のウクレレをお貸ししている。

 

エディから「ヒデキ、ピックアップ付きのテナーウクレレ持ってない? 探してるけど見つからないのよ」とDMが来たのは6月21日だ。僕は「もちろん持ってるよー、ぜひ使ってよ!」 と返信した。

 

こんなに嬉しいことはない。今回の来日公演は大盛況で、チケットの抽選をすべて外した僕は泣く泣く観に行くことをあきらめていたので、「ファミリーで来てね、あなたは私のゲストよ」とエディが言ってくれて、もう天にも昇る気持ちになったよ。

 

フェアーグラウンド・アトラクション1stにして唯一のアルバム『The First of a Million Kisses』を僕は発売後すぐに入手し夢中になった。神戸三ノ宮の輸入レコード店「ミスタージャケット」で平積みされていたのをジャケ買いした記憶もあるし、高橋幸宏さんと鈴木慶一さんがロッキンオン系の文化雑誌(Cutか?)で激賞していたのを読んだ記憶もある。きっとどちらの記憶も正しい。

 

当時アルバイトをしていたトアロードのチャイニーズレストランでも毎日かけていたし、加納町のYMCAの裏の四畳半のアパートでもずっと聴いていた。コード進行を全部コピーして、自分の作品(のようなもの)にもいかしていた。ライブビデオが発売された時は、コードの答え合わせができたことを大変喜んだ。

 

シンプルながら練りに練られたコード進行、ハートをそっとハグしてくれるような優しいメロディ、主に「うまくいかない恋」について歌われた情景豊かな歌詞。そして、何と言っても、歌姫エディ・リーダーの美しい声。このアルバムを聴いて何も感じない音楽ファンは、少なくとも僕のまわりには一人もいなかった。シングル『Perfect』は全英一位、日本でも大ヒットしたんだ。

 

それからの僕の20代、酒と恋と音楽の日々のサウンドトラックがこの『The First of a Million Kisses』だった。だから、このアルバムを聴くと僕は、これらの歌の主人公と同じく「主にうまくいかない恋」に胸を焦がした季節に気持ちが引き戻されることになる。これはポップスという音楽が持つ、最高にして最大の効能だ。

 

多感な時期にこのような素晴らしい音楽に出会えた幸運に感謝である。このアルバムに出会っていなければ、僕は今のような曲を書いていなかったと断言出来る。

 

それにしても、「百万回の最初のキス」なんて、とろけるようにスイートなタイトル、もう史上最高だよね。

 

僕が作曲した乃木坂46『全部 夢のまま』に「百万回のキス」ってフレーズがあるけど、秋元さんからフェアーグラウンド・アトラクションへの愛をこめたオマージュなんじゃないかと僕は確信してるんだけどな。そうだとしたらとても嬉しい。

 

 ♨︎

 

2004年、僕は初めてエディ・リーダーのライブに行った。大阪ブルーノート1stステージ。フェアーグラウンド・アトラクション解散後、ソロとして様々な視点で作られた良質なアルバムを何枚もリリースしていたエディは、この夜も名うてのサポートメンバーとともに素敵なショウを観せてくれた。もちろんフェアーグラウンド・アトラクション時代の代表曲も歌ってくれて、僕としても大満足のライブだった。

 

1stステージ終了後、エディが会場の後方でサイン会を始めた。僕はその頃ウクレレにハマっていて、どこに行くにもこの小さな楽器を携えていたので、出来るなら愛器にサインをしてもらおうと列に並んだ。

 

僕の番になってエディにウクレレを差し出すと、それに笑顔でサインをしながらエディは『Tonight you belong to me』をフフフンと歌い出した。僕はとっさにキーを探して伴奏をつけた。即席のセッションだ。エディは「あら♡」って表情になり、「何か私の曲は弾けないの?」と言った。だから僕は『Find my love』のイントロのリフをウクレレで弾いたんだ。

 

するとエディ、「うん、あなた、2ndステージに出てね♡」なんてことを言った。僕はにっこり笑った。とりあえずプレイを褒められたみたいで、それだけで本当に嬉しかったし、憧れのエディ・リーダーに大切なウクレレにサインをもらえたことで舞い上がっていた。でも、そんな社交辞令を真に受けるほどウブじゃないよオレは、とも思ったんだ。

 

でもね、エディはやっぱりエディだった。2ndステージの中盤で「おーいヌル! ヌル! ステージに上がってきて!」と少し背伸びをするような格好で、客席を見渡して、エディは笑顔で「ヌル」を探した。

 

さっき僕は「ナル」と自己紹介したのだけど、エディが呼ぶ「ヌル」とはきっと僕のことなんだろう(他に誰がいる?)。意を決して僕はウクレレを持ってステージに上がった。

 

観客は「一体あの男は誰だろう?」ってなってるし、ステージ上のサポートメンバーたちもきっと同じ思いだっただろうけど、この突然の出来事を楽しんでいるようにも見えた。

 

フィドルのジョン・マッカスカーが彼のマイクを僕のウクレレに向けてくれて、サムズアップしてニコッと笑ってくれたから、僕は少し落ち着くことが出来た。

 

曲が始まる。もちろん『Find my love』。バンドメンバーたちは僕の方を心配そうな顔で見ていたけど、4小節のギターリフに続いてバンドがインするタイミングで、僕がCのコードを全音符で弾いた瞬間、「お、いけるね」って感じになったのがわかった。

 

僕だって一応音楽家の端くれだし、何と言っても『Find my love』ならいつも部屋でレコードに合わせてプレイしてたからね。「大丈夫、この曲なら逆さからだって弾けるさ」と僕は自分に言い聞かせた。バンドのグルーヴに合わせて自分のリズムも調整して、イントロが終わる頃には「しっくり来ている」感じになった。

 

それにしても。

 

僕の左斜め前でエディ・リーダーが、あのフェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーが、歌っている。僕の人生のサウンドトラックで常にかかり続ける名曲を、だ。

 

せっかくの機会、思い切って楽しもうと居直った僕は、ミドルエイト四小節目のブレークのアコーディオンのフレーズをウクレレで弾くことを思いついた。それを瞬間に察知したバンドはそのブレークを僕のウクレレにまかせてくれた。二拍三連のフレーズがバシッと決まった瞬間、観客が大きく湧いた。これまでの人生で感じたことのないフィーリングが僕の身体を貫いた。

 

エディがくれたあの三分間が、僕の人生を変えた。本当だよ。誰にもそんな奇跡のようなチャンスが何度かあって、目の前にうっすらと糸のようなものが現れるのかもしれない。

 

僕はただそれを思いっきり引っ張ったんだ。エディがくれたそのチャンスの糸をね。彼女は僕のミューズなんだ。20年経った今、あらためてそう思う。

 

僕にとってきつい時期だった。35歳。肉体労働で食いつなぎ、作曲家になるべく楽曲を作り続け、あちこちにプレゼンしたがどこからもまるで反応がなかった。家族を、二歳の娘をこれからどうやって養っていけばいいのだろうと心底怯えていた。

 

何かを自分の力で成し遂げようとする人にとってはよくある話かもしれない。しかしそれが自分ごととなると、その切実さに耐えられないのだ。

 

 ♨︎

 

2007年の来日公演ではしっかりワーキングパスをもらって、リハーサルから参加させてもらった。恵比寿リキッドルームの楽屋にはキンキンに冷えたビールがあり、ワインがあり、ご馳走が用意されていて、バンドメンバーと一緒に僕たち家族も開演前からたっぷりリラックスしていた。五歳になっていた娘も大はしゃぎ。舞台袖で踊ったり、おじちゃんたち(名うてのバンドメンバーだ)に遊んでもらったり。

 

そしてしっかり予想通り(懸念通りと言うべきか)、夜の公演時間になると完全に「おねむ状態」になった。それを見たエディが「私の楽屋にベッドがあるから寝なさい♡」と言ってくれた。我が娘はエディ・リーダーの楽屋のベッドで熟睡していたので、パパのステージは観ていない。

 

2009年の来日公演でも「ウクレレ持って遊びに来て♡」と呼んでくれた。『Find my love』に加え『Moon is mine』でも参加させてもらった。2ndステージでは『Perfect』でもそのまま弾くことになった。リハなしで、だ。

 

続く

オン・ザ・ロード〜充実の夏
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成瀬英樹
成瀬英樹
7月3日 12:06

お疲れ様です!

 

今、この数日についての文章を書いてます。

 

On The Beachのライブも発表になりました。

YouTubeも快調に回ってます。

七夕にコウベリーズ@チキンジョージにゲスト出演することも発表になりました。

 

バタバタですが、充実してます。

ただ、身体中が痛いです。あはは。

 

ゆっくりお風呂につかりたいなあ。

 

では、動画にてご挨拶、ご覧ください↓

 

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オン・ザ・ロードな夏
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成瀬英樹
成瀬英樹
6月30日 2:25

お疲れ様です。

 

現在6月29日土曜日のお昼過ぎ。今僕は空の上にいます。

 

明日のフェアグラウンド・アトラクションのLIVEを観るために、大阪に向かっているところ。北海道にもついに初夏らしい陽気が訪れ、僕も今年初めて半袖のTシャツで出かけました。窓の外はスカイブルー。入道雲を見下ろす旅。

 

世界は今日も美しく、僕の心も晴れやか。機内持ち込み荷物の重量がオーバーして追加料金を取られてしまったのと、座席がちょうど翼の上の席で間断なく小刻みに揺れ続けるのと、機内で買ったコーヒーの味が文句なしのCランクである以外は。

 

最近コライトをご一緒している方から「もう一曲作りませんか?」とお誘いがあったのは昨日の午後。頭の中で時間軸を整理する。

 

(えーっと、今夜これからエスコンフィールドに行って、明日は午前中の便で大阪に向かう。睡眠時間を削ればいけるな。どのみち明日は移動日。ゆっくり眠ればいい)

 

というわけで、オッケーする。

 

最寄りの駅からエスコンフィールドまでは直通バスで20分ほどで着く。1時間ほど早めに着いて腹ごしらえしながら、スコアにスタメンを記していく。すると球場内に聴き慣れたアイドルソングが。スクリーンに目をやると、僕たちが今トライしてるコンペの対象アイドルユニットのメンバーがゲストとして始球式をつとめるようだ。縁起がいいではないか。

 

僕は、エスコンフィールドへの行き帰りを快適にするコツをつかみつつある。シンプルに「少し早めに出て、かなり遅めに帰る」が基本だ。が、これは勝ち試合や接戦の場合。

 

試合が早い段階で壊れたり、敗戦の流れになったら逆に早めに引き上げる日もある。昨日はまさにその「試合が壊れて、敗戦の流れ」だった。

 

ホークス相手にエラーで失点を重ねるしんどいゲーム。試合途中で二遊間が二人とも交代となったが、それは観客も納得の采配だった。イージーなダブルプレーを二つも取り損ねることで、技巧派の山﨑福也の足を引っ張った。その福也自身にも手痛いバント処理のミスがあり失点。まあ、これじゃ勝てないよね。

 

7イニングまでは見届け、21時台には帰宅。ゆっくり心と身体をクールダウン。少し読書して、入浴して、半時間ほど仮眠し、仕事にかかる。コライトのパートナーから送られてきたトラックにメロディを乗せていく。いつもながらご機嫌なトラック。

 

完全に洋楽志向の彼は、毎回Aメロとサビが同じコード進行。J-POPでいうところの「Bメロ」(彼はそれを「プリコーラス」と呼ぶ。サビは「コーラス」Aメロは「ヴァース」だ)が極端に短いのも特徴。

 

深夜3時くらいまで作業。メロディをフィックスするところで疲労で集中が切れた。3時間ほど寝て6時過ぎに起きた。

 

ここで問題。深夜までかかって作ったプロジェクトファイルの保存に失敗したようで、影も形もなくなっている。マ、マジか。焦る。

 

念のために撮っておいた動画でメロディを確認し、一から作り直した。なんとか修復出来た。念のため、大事。やばいやばい。こんなミスしないんだけどな。いや、しっかりしないと。

 

歌詞を書く。メロディを調整する。自然に作って「GからC」の女声キーにおさまった。仮仮歌も録音し完成したのは朝8時。短時間集中で絞りきった。今回も手ごたえあり。

 

 

飛行機は何度か大小の旋回を繰り返し、大きく揺れながら、関空へと高度を下げている。シートベルトのサインももうすぐつくはずだ。

 

♨︎

 

オン・ザ・ロード。関空からバスに乗って70分ほどで神戸の中心地に着く。JR三ノ宮から海の近くの宿まで普通電車に乗って須磨に向かう。鮮やかなブルーの車体は僕が子供の頃から変わらない。快速は濃いオレンジ、新快速はクリーム色と表現すればいいのか。これらも変わらない。

 

宿はいつもの海の近くの一室。ついたのは17時過ぎ。コンビニで買った塩焼きそばを食べ、入浴して少し本を読む。村上春樹「シドニー」2001年に出たもので、シドニーオリンピックの観戦記だが、これがめっぽう面白く発売当時何度も繰り返し読んだもの。久しぶりに読み返している。春樹さん数年前のインタビューで、この「シドニー」あたりから彼自身驚くほど文章が上達したと言っていたので。

 

そのままぐっすり眠ってしまって、起きたのが6月30日の午前1時。ラジオのオンエアも聴くことが出来なかった。楽しんでいただけただろうか。

 

変な時間に起きてしまったが、このまま「シドニー」を読んで、眠くなったら眠ろうと思う。夜が明けたらフェアグラウンド・アトラクションのLIVEだ。エディは僕のウクレレを新曲で使ってくれているそうだ。今回は新曲もたくさんプレイするとのこと。

 

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