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おはようございます。
昨日のこと。朝起きて狸小路を散歩。ブログを書いてから洗濯。部屋でしばらくワールドシリーズ第2戦を観る。アトランタ今日はついてない。こんな時もある。すすきのへ買い物がてら雨の中を散歩。さすがに、寒い。
娘とは15:30に札駅で待ち合わせ。
自慢というわけではないが、僕は日本全国すべての都道府県を訪れたことがある。
僕は関西で育ったので、基本的にセ・リーグは阪神タイガースを応援してきたが、2006年に最上京してからは、さほど熱をあげて応援をすることはなくなった。やはりタイガースは甲子園ありきであろうと思うこともそうだし、近鉄難民であることもその理由だろう。しかし一番の理由は、せっかく居を関東地区に定めてそこで子育てもするのだから、地元=関東のチームを応援しようじゃないか、という気持ちである。現在は神奈川県に住んでいるので、横浜ベイスターズを応援中、なんてことはなくて、一番球場が近いチームなので多少他のチームよりは贔屓目に見る程度で、そもそも僕には日本の野球までチェックしている時間はない。MLBで手一杯だ。
しかしながら、ヤクルト・スワローズは好ましい気持ちで見る。都会のど真ん中に素敵な球場があるのもいいし、スタジアムDJのパットは友達だし、レジェンド川崎憲次郎さんとは一緒にイベントもさせていただいたし、NYに行った時は元スワローズで当時メッツの五十嵐亮太さんにサインをいただいたし、僕のメンター的投手・吉井理人さんはスワローズで胴上げ投手になったこともある。それになんといっても高津監督だ。僕と同い年の彼は、スワローズで抑え投手としての輝かしい経歴後渡米し、シカゴ・ホワイトソックスでクローザーを務めたこともあるが、順風満帆とは行かずその後韓国のチームなども経験した苦労人だ。というより自ら苦労を買っていたように僕には見えていた。こと野球選手として経験できることならすべて経験してやろう。高津のそのハートが僕は好きだった。
そう言えば、現阪神タイガース監督の矢野も同い年である。矢野は伝説のお笑いコンビ「ベイブルース」の高山さんと故河本さんと高校の野球部で同期、ということもあったり、中日で捕手から外野にコンバートされた後、阪神にトレードでやって来て当時野村監督と出会い薫陶を受け、その後のタイガース再建になくてはならないレギュラー捕手になった。そうか、高津も矢野も、「野村の教え」を受けているのだな。
スワローズファンのみなさま、優勝おめでとうございます。特に二年連続の最下位からの優勝は大変価値があると思います!
おはようございます。
僕は「1992年の阪神タイガース」がオールタイムシーズンベストチームである、と思っているので、その立役者であった新庄剛志のずっと大ファンです。彼を観るために何度も甲子園に足を運んだ。新庄、そして同時期に活躍したイチローの二人は、球場で野球を観ないとその魅力のすべては理解できない。ある種のミュージシャンがライブを観ないと真の理解が出来ないように。
新庄が、甲子園の美しい天然芝の外野を駆け抜ける姿は今もずっと忘れられない。
日本ハムが新庄を監督に据えるという。
これにはさすがに驚いているが、稲葉氏をGMに、新庄を現場監督にというのであれば、これは良いのではないかと思う。仮にうまくいかなくても、すべての非難は新庄に向き、日ハム最大の功労者にして金メダル監督の稲葉は傷つかないわけだし、仮に新庄起用により日ハムが復活を遂げたら...これはもうほぼ社会現象になるに決まっている。
北海道には今、素晴らしいボールパークも建設中であるわけだし。そして何より、日ハムの00年代の黄金期の立役者は、誰がなんと言っても新庄剛志なのだ。入団会見で「これからはメジャーでもない、セリーグでもない。パリーグだ!」と言って長年のパリーグファンの涙腺を刺激した上に、走攻守はもとよりキャプテンシーで日ハムを根底から変えた。結局のところ、プロの集団である。実力的には紙一重なのだ。すべてはメンタル。自信だったり、モチベーションだったり。一見ヘラヘラして見える新庄だが、ワールドシリーズで日本人初安打を打ったのは2002年のサンフランシスコ・ジャイアンツの新庄剛志である。
日ハムの球団経営方針のブレのなさに、心から敬服です。
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さて、今日は、成瀬の庭×ミキ・パンダ=プレミア公開の日です!みんな!21時にミキちゃんのYouTubeに集まろっ!僕もいます!
そして、今朝の作曲配信は11時か12時か、そのあたりからZoomでやります!内容的にクリエーターズ配信になってしまうことをお許しください!
そして、出入り自由ですからね、ちょっとのぞいてみるとかでもめっちゃ嬉しいですからね!基本的に黙々と仕事してます。
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