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おはようございます!
昨日は久しぶり(二週間ぶりくらいか?)エスコンフィールドへ。「交流戦」も後半、ファイターズはドラゴンズと戦いました。WBC侍JAPANでも活躍した高橋宏斗投手にピシャリと7回抑えられてゼロ封負け。ファイターズも上原投手が力投し、終盤までしっかり試合を作ったので良し。
試合終了まで観ると帰りの新札幌行きバスがめっちゃ待たなきゃなので、北広島駅まで25分ほど歩くことを覚悟しなくてはいけないが、もともと歩くのすごく好きだし、なんと言っても、もう夜道が寒くない!
トレーナーの上に軽くダウンを着てちょうどいい感じ。試合の余韻に浸りながらゆっくり歩いて帰りました。
今朝起きて、一本作曲配信をしました。泣いても笑ってもアーカイブ24時間。特にゼミ生は必見。曲は最初のインスピレーションがすべて。だから、しっかり寝て、心を整えて、まずは一発で決める。そこからの微調整なんかも全部お見せしてます↓
おはようございます!
今朝もしっかり六時前には起きて、五キロほど歩く。快晴の札幌市。トレーナーの上にパーカーを羽織って少し寒いくらいだ。来月から今年後半にかけていくつかLIVEが決まっているので、一度しっかり身体を戻さないと。食事も一汁一菜、大好きな甘いものもしばらくおあずけだ。
昨日は、時間が出来たらすぐにやろうと思っていた確定拠出年金関係の手続きを。引き落としがこの三月から止まってしまっていた原因を証券会社に電話で聞くととても丁寧に教えてくれた。
いくつかの可能性があるがおそらくは昨年僕が書いて提出した書類に不備があるのではなかろうか、とのこと。大元の年金連合会(?)の電話番号を教えてくれたのでそちらにかけると、こちらもまた非常に丁寧に教えてくれた。不備も何も、僕が書類を出し忘れていたらしい。証券会社のホームページから書類をダウンロード、新札幌駅中の郵便局まで行って、書類を書いて提出。一人で会社みたいなものをやっていると、いろんなことがある。めんどくさいと言えばこれほどめんどくさいものはないけど、日々勉強だと思っている。
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先日「キノカフェ」で購入した中古本の二冊目、『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書/西寺郷太』をあっという間に読み終える。著者のマイケルへの熱い想いがビシビシ伝わって泣けた。マイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』で世界を沸騰させていた頃、僕は中三とか高一だったわけで、まあ見事にど真ん中の「世代」だったから、すべてのエピソードを僕の人生の時間軸に置き換えながら読むことになり、より身にしみた。
マイケル・ジャクソン。めっちゃめちゃに売れた代償として、「仮想敵」のように見られることが多かった。プリンスvsマイケル、とか、マドンナvsマイケル、とかね。
マイケルは成長するにつれ、家族や親しい友人なども遠ざけてしまって、どんどんワンマンになり、どんどん寡作になっていく。そんなこんなで、結局晩年はマスコミvsマイケルになってしまったあまりに悲しい人生。
マイケルが亡くなったあと、純粋に彼の「音楽」が評価されるようになったように感じている。「スキャンダラスなスーパースター」ではなく。
どの時代のマイケルも比較的満遍なく好きだけど、一番好きなのは『The Love You Save』かな。マイケルたち家族には過酷な時代と記憶されていたとしても、音楽は本当に素晴らしい。奇跡の一曲だと思う。
文中のテディ・ライリーがマイケルについて語る発言を引用する。
「彼はソングライティングの美しさをぼくに教えてくれた人だ。言われたんだ。“テディ、昔の人はコンピュータを持ってなかっただろう?”って。”バックトラックから作る音楽は駄目なんだよ。昔の人はピアノか、ギターの伴奏で曲を作っていたよね、それをデモテープとして録音する、それが大切なのさ”ってマイケルは言ってくれたんだ。それからぼくはバックトラックをコンピュータで作ってからはじめるような曲作りは一度もしてないんだ。ちゃんとシンプルにピアノで弾いて歌ってみて美しい曲じゃなきゃ。
マーヴィン・ゲイもそうだろう?愛し合うことと曲作りは同じさ、心に残るムードが大切なんだよ」
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マイケルの言葉にも改めて歌いながら導かれるグッドメロディがいかに大切かを感じました?
おはようございます!
昨日は六月九日、友人の高田みち子の誕生日ということで朝おめでとうLINEを入れる。ロックの日、覚えやすい誕生日。
みっちゃん、先日ギタリストの佐津間さんとともに名古屋でLIVEをやった。そのLIVEの企画者マキちゃんもかつての野球観戦仲間。みち子、マキちゃん、テレビカメラマンのパッキー(パチョレックに似ているから)そして僕で観戦チームを組んでいた。みっちゃんと知り合ったのはCRTっていう萩原健太さんと能地祐子さんが主催されている(現在も継続中!)イベントで。彼女がセカンドアルバムを出した頃だと思う。お互い、野球好きということで気があって、このみち子、マキちゃん、パッキー、僕の四人で東京ドームに観戦に行った。当時ジャイアンツだった小笠原がライトにどでかいホームランを打った。
それから数年、月に何度もみんなで野球を観た。終わったあとは「反省会」と称してあらゆる居酒屋でガンガンに飲んだ。みっちゃんとは音楽の話はほとんどしなかった。野球の話がありすぎて、他のことに話が及ばなかったんだよね。
彼女の『Tokyo Girls Talk』の歌詞を丁寧に読むと、あの頃の僕らの生活がそっと素敵な比喩とともに添えられている。
みっちゃんは映画にもお笑いにもめっちゃ詳しくて、そう言えばルミネのチケットを取ってあげて、なだきさんと友近のイベントを観にも行ったこともある。
ある年のクリスマス、パッキーとマキちゃん、みっちゃんが国立の我が家に遊びに来て、まだ小さかったうちの娘も一緒に、みんなでクリパしたこともある。お隣さんが「今、盛り上がってるからよー、みんなおいでよ」って誘いに来たから、みんなでお隣まで行ってね。みっちゃん、酔っ払ったみんなに盛り上げられて、何曲かピアノの弾き語りしてくれた。楽しい思い出。
友人たち。離れていても、元気でいてくれたらいいなって思う。
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昨日は一日中、本を読んでいた。こないだ「キノカフェ」で買った古本のうちの一つ『書きあぐねている人のための小説入門/保坂和志』を。十五年ほど前にも一度読んだことがあるが、その時は理屈っぽくてよくわかんねえなって途中で放り投げたが、今回は大変おもしろく読めた。僕自身、人に作曲を教えたりすることで、作家として人間として多少は成長したから、だと思いたい。
引用する。
“読み終わった後に、「これこれこういう人がいて、こういうことが起きて、最後にこうなった」という風に筋をまとめられることが小説(小説を読むこと)だと思っている人が多いが、それは完全に間違いで、小説というのは読んでいる時間の中にしかない。”
これはここのところの僕自身の生きるテーマと同期した考え方だった。音楽にしたって同じことだ。それは聴いている時間の中にしかない。簡単に答えなんか見つからないものなのだ。だから僕たちは同じ音源を何度も聴き、同じ小説、同じ映画を何度も観る。大切なのはその時間の中に入ることだけ。そして安易な答えを求めない。
僕はこういった「実作者」が「作ることについて書く」ものが大好きで、音楽家、映画監督、脚本家問わず、気に入ったものがあったら読むようにしている。小説家のものだとすぐに思い出すのは『職業としての小説家/村上春樹』とか『書くことについて/スティーヴン・キング』『物語を作る魔法のルール/山川健一』などか。『一億三千万人のための小説入門/高橋源一郎』もおもしろかった。
音楽ものだったら、松本隆さんの著作は全部穴が空くほど読んだし、林哲司さんの『ポップス作曲法』は、成瀬ゼミのテキストにしたいくらいに時代を超えた名著だ。
引き続き引用。
“風景を書くことで文体が生まれる。前節で引用したどの文章も、風景のすべてを書き尽くしているわけでなく、何を書いて何を書かないかの取捨選択がなされていて、その抜き出した風景をどういう風に並べると風景として再現されるかという出力の運動(これが直列にする作業だ)に基づいて書かれている。
意外かもしれないが、これが文体の発生であって、私の考えでは、文体というのはこの作業の痕跡のことでしかない(だから翻訳でも十分に文体がわかる)。”
この考え方は、ポップスの作曲にもそのまま当てはまることに気がついたあなたは、もう素晴らしい曲を書く準備が出来ている。そのまま進め。もし「何を言ってるんだ?」と思ったなら、もっとたくさんの音楽や小説、映画などを貪欲に取り込んでほしい。「ゼロからものを作らない」ためには、自分の中にさまざまな感動を貯めておく必要がある。守備範囲広く、ね。
ちなみに僕は、どんな小説より、どんな名盤よりも映画よりも、野球の試合を一試合じっくり観戦することで、さまざまな学びを得ることが出来る。目の前の試合を観るだけでなく、その向こうに過去のさまざまな歴史が一本の道となっていることが理解出来るし、その道は未来へと続いている。そういう人種です。勝った負けたなんて、正直どっちでもいいんだ。
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ここのところ、さまざまな締め切りが重なったり出張があったり。「BINGO! AID 2025」また今日から再開、作曲実況生配信します。アーカイブでも楽しんでいただけますのでぜひぜひ。
おはようございます!
金曜日の夜は「BINGO! 全体ミーティング」でした。月二回、作家とゼミ生たちが集まって、みんなの作品を全員で聴き合い、評価し合うというもの。これこそがBINGO! の売りで、もう三年近く続けていて、成果をあげています。
自分が提出したコンペに、他の作家たちがどんなデモを出しているかを知ることが何より大切。そして、それらを聴いて、自分ならどの作家の作品が一番「採用に近いか」を予想する。決して「自分がどれが好きか」を選ぶのではない。
僕やネロなんかのプロの作品と、まだ作曲を始めて間もないゼミ生のみなさんの楽曲とを一斉に聴くとやはりプロの作品の強度はレベチだなと思わせてくれる反面、惰性で書いているプロの作品がゼミ生の「一曲入魂作」に足をすくわれたりするのはしょっちゅうです。それは結果にも表れていて、ゼミ生がはじめて書いた曲がキープをもらえたりなんてのも、もうめずらしいことではなくなって来ました。
ゼミ生たちは「ゼロからオリジナルの楽曲を作ろうと」し「アイドル曲に寄せた楽曲を書こうとする」ものですが、この二つはどちらも間違っています。プロは絶対にゼロから楽曲を立ち上げることはありませんし、アマチュア作家が乃木坂さんやAKBさんの楽曲を聴いてそれを真似るのは危険と言わざるを得ません。
メジャーリリースされる曲は「スケールの強さ・大きさ」が違います。それは、アレンジがどうのこうのの話ではなく、やはりメロディと歌詞の強さ、それにつきます。たった一行のフレーズだけでもその曲を引っ張っていく事ができます。ゼミ生のみんなには「そこ」から書くように指導しています。作家自身の「こころ」から生まれたメロディやコンセプトでしか勝負出来ないのです。そこは近道はない。
しかしそれは、あなたが思うほど難しいものではありません。なぜなら、あなたは作曲を志すくらいですから、音楽を愛しているはず。ならばリスナーとしてのあなたの胸に響く作品を書けばいいのです。一番鍛えるべきは「音楽をしっかりと聴く力」ですね。なので、系統立てて過去の作品を聴いてきた方はすぐにコツをつかみます。自分を喜ばせばいいと気がつくから。
弊社で40代50代の初心者の方がすぐにキープを取れるようになるのはここにコツがあります。みんな、音楽がフレッシュな文化だった時代を過ごして来た方達だから、リスナーとしての基本がしっかり出来ているんですね。
ここには大きな近道があります。
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昨日の土曜日は、楽しみにしていた石田ショーキチさんの札幌ライブ。朝11時から始まるという僕にとっては大歓迎の時間帯。会場の「musica hall cafe」は僕の行きつけの映画館「シアターキノ」のお隣でした。
雰囲気たっぷりのビルを三階まで上がって受付。カウンター奥に見慣れたお姿が。ショーキチさんに会うのは久しぶり。実に彼らしい心遣いの会話から始まったのに嬉しくなりました。
ショーキチさんプロデュースの「まちだガールズ・クワイア」さんに、僕たちの作品『千夜一夜組曲』をずっとライブで歌っていただいていることへのお礼をお伝えする。なぜあの曲を歌詞やタイトルを町ガさんにフィットさせるために変更し、リアレンジを施してくれたのか、今の僕には痛いほど理解が出来るので、その件のお礼が言いたかったんです。
午前中から始まるということで、最初のうちは声をやや抑えめに歌われていたショーキチさん。それがまたスモーキーな味わいで、歌の色気にゾクゾクさせられました。僕がショーキチさんに出会ったのは2014年あたりだと思いますが、その頃から変わらない「12弦ギター」をかき鳴らすスタイル。この楽器、実は非常に扱うのが難しいのです。複弦が一オクターブ上なので、普通にストロークをしてると「音に飽きて」来ます。だからほとんどのギタリストは持ち替えで、ライブのアクセントとしてこのギターを使用します。
世界を代表する12弦の使い手といえば、ザ・バーズのロジャー・マッギンですが、彼の場合は12弦の特色を活かしたアルベジオによるリフが基調。ショーキチさんは違います。12本の弦に右手を思いっきり叩きつけるのです。ガンガンに。実際、この日も弦を切っていましたが、そんなのどこ吹く風と、切れた弦を右手で引きちぎってそのままライブを続けていました。かっこいい。
かつての「ショーキチさん弾き語りライブ」を知っているものとして一番驚かされたのは、カバー曲がなかったこと。僕がよくご一緒させていただいていた頃は、弾き語りの場合、かなりの数のカバー曲を彼流に歌っていましたが、昨日はオリジナルのみで構成されていました。カバーも好きですが、やはりファンの皆様はオリジナルをたくさん聴きたいと思われるでしょう。
ショーキチさんのメロディは素晴らしい。ロックを消化して日本語に翻訳する際、こういうふうに出来る人、ほんとにいないんです。芯がしっかりしてないと、弾き語りじゃ全部ばれちゃううわけだから。
「まちだガールズ・クワイア」がよく「ショーキチさんクラシック」をカバーしますが、そこに何の違和感もないんです。逆に僕が作ったコウベリーズの『風見鶏の街で』を僕が歌ったら僕の歌になるはず。そういうことなんだと僕は思います。
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終演後すぐに余市まで自転車で向かうショーキチさんをお客様みんなで見送ったあとは、隣の「シアターキノ」で『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』を観たのだが、そうそう、金曜の夜も映画を二本観た。ようやくさまざまな締め切りが落ち着いたから。今月はしっかりインプットにつとめたい。読書、映画、そして野球だ。
金曜観たのは『ジョン・レノン 失われた週末』と『成功したオタク』だ。
僕はシアターキノのような名画座的なミニシアーで映画を楽しむ際は、事前情報を一切入れず「勘」で選んだりする。『成功したオタク』は韓国アイドルのファンたちのドキュメンタリーということで、ノンフィクションのエンタメを期待したが大外れ。完全に、この人たちのファン以外は置いていかれる映画で、ここまで「閉じた」作品も珍しいものだと思った。場内のお客さんたちもかなり驚いていたんじゃないか。もちろんこの「閉じ方」がファンたちにはたまらない魅力なのかも知れないが。今まで観た映画で一番退屈だったが、なのでそれは僕のせいだ。
『ジョン・レノン 失われた週末』も若い人が観たら閉じた作品と思うのか。僕は10代の頃、かなりダイハードなジョン・レノン原理主義で、この人に憧れて音楽家を目指した立場だから。「推し」なんてライトな言葉(推してる人たちにはライトじゃないのかもしれないが)で自分のジョンに対する気持ちを表現することは出来ない。
音楽家としての才能は疑うまでもなく巨人だが、クールになって考えるとソロ時代のアルバムで僕が「名盤」と捉えるものは一枚もない。『ジョンの魂』は大好きだけど名盤じゃないし『イマジン』もそう呼ぶにはツメが甘い。そこからの数枚には常にがっかりさせられる。僕がソロ期で一番好きなアルバムは『Walls and Bridges』。世紀の名盤ではないが、チャーミングな曲が何曲も入っている、ジョンらしいアルバム。
その『Walls and Bridges』期に熱愛していた、ジョン&ヨーコの秘書であった女性「メイ・パン」の視点から、ジョンの「失われた週末」期を考えるという映画。ああ、なるほど、そういうやつね、って思うでしょ? 僕も思ってた。いや、しかしこれが、素晴らしいドキュメンタリーだったんだ。全然閉じてない。誰が見たって面白いと思うよ。おすすめ。
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で、『トノバン』に戻ろう。
加藤和彦さんを知らないっていうんだったら、しっかり知っておこう。「知らない」っての勉強不足だ。「世代じゃない」? 何を言ってるんだ君は。僕だって世代じゃないよ。僕がリアタイで彼を知ったのは竹内まりやさんの『不思議なピーチパイ』僕は小学生だった。世代じゃ全然ない。
フォークルの楽曲のぶっ飛びさも、ミカバンドも、拓郎さんワークスに代表されるプロデュースなんかも、そしてソロのおしゃれさ。映画前編は、軽やかに時代をひっくり返してゆく加藤さんの姿に釘付けになるよ。いやあ、かっこいい。
だからこそ後半の構成。せっかく加藤さんを振り返る映画を作る機会なんだから、人生後半の音楽活動にも光を当ててほしかった。「あのへん」でバッサリ音楽についてはカットされるのか、と少々さみしくなった。加藤さんの人生の幕の引き方には、いまだに誰もがもやもやを抱えていて、それはこの映画でもそのまま放り出されていた。ただ、盟友の北山修さん(この方は精神科医でもある)が語られていた「解釈」に、僕は素直にうなずいていようと思う。一番近くにいた人、一番「悲しくてやりきれない」だろう人の言葉、だから。
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こちらには久しぶりにコメントします。
かつてナル・ソ・ワンキチのライブの時「面白いから聴いて」とCD お渡ししたゴーグルズ、ベーシストのJJ ゴーグルさんが去る5月31日くも膜下出血のため逝去されました。56歳でした。6/23は荻窪でライブの予定でした。ゴーグルズ成瀬さんのラジオでかけていただきましたね。これからのゴーグルズをファンとして支えて行きたいとおもいます。健一さんが亡くなった時を思い出しました。-
コメントありがとう!そしていつもリクエストありがとう!ゴーグルズのCDはナルソのツアー中車の中でショーキチさんとも盛り上がりました。56歳というと私やショーキチさんと同じですね。本当に残念に思います。ご冥福をお祈り申し上げます。
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おはようございます!
昨日は朝の9時から作業を始め、結局すべてが終わったのはテッペン過ぎてました。がんばったね、自分。よくやった。
まず朝からコライト案件の修正作業と、シンガーからいただいた歌のエディット、そして何といってもコーラス録音(今回は6本)、手拍子も(10本)、そうそう忘れちゃいけないエレキも弾きました、テレキャスとリッケンをLとRに。「ふつうそれ、テレキャスが弾くよね」ってフレーズをリッケンでやり、テレでリズムの壁を作ったり。毎回少しずつ違うことをして楽しんでます。アコギも弾きましたが、イントロだけ採用であとはボツにしました。いらんかな、と。いらんものはない方がいいのです。必要なものだけ使うこと。
コライトのパートナー(今回は岸田小石氏)との音のキャッチボール。せっかく一緒にやるんだから、お互いの特色を活かして、足し算じゃなく掛け算になるようにしたいよね、なので「おおお、そう来るか」ってところはなるべく残して。成瀬の役目は「サビのスケールを大きくする」ことと「細部までメロディをあきらめない」かと。
作ってる最中は夢中だからね、いいのか悪いのかほんとは不安なんです。それでも長年のカンを信じ「きっといいものになる」と祈りながらやる。大の大人(結構コワモテ)がキラキラした曲を作って、自分たちの胸をキュンキュンさせるわけ。
ポップス作る人、みんなそうだと思うけど、自分の胸がキュンキュン言わないんだったら、誰のキュンだってもらえないんだよね。だから、まずはセルフキュンを求めて探る。肝心なのは「素敵なものを素敵だと無邪気に」喜ぶ気持ちと、「よくないものをすぐに見極めること」。
コライトの利点は、後者。パートナーの意見をすぐに聞き、反映することが出来る。逆にいいものになりそうだったら、一緒に盛り上がって作ることが出来る。
ポップスという「超短編小説」、書こうと思えば数時間で一曲書けてしまう。でもね、それは数時間で書いたんじゃなくて、僕だったら「55年と半年+数時間」だからね。そう考えると長い。そしてそう考えると、一曲一曲がより愛おしくなるんです。
間違いなく、僕の「小確幸」は、出来たばかりのお気に入りの自作曲を何度もリピートする時間、です。何度も聴きます。
大好きな声、大好きなメロに歌詞、サウンドだってそう。リスナー、音楽ファンとしての僕が、心から「これって最高だよね」って思える曲を作ったんだから。それは昨日までこの世に存在してなかったものなんだよ。こんな素敵なことってないよね。
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セルフキュン、改めて心がけていきたいです〜♪
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みきぬさんの曲は最初から最後までキュンです!
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