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ポストシーズンの始まりよ!
成瀬英樹
成瀬英樹
9月28日 8:25

ホークス、優勝おめでとう。いや、まったく強いチームだったわよね。年月と費用をかけてしっかり作られた育成システムと、勝つためには手段を選ばないタフなビジネスマインドの勝利。特に今年は上沢のこともあるから、あたしたちファイターズファンはマジで悔しいわけ。
 

それでもうちのボスよ。優勝争い中だって、平気で高卒ルーキーや、今年台湾から来たピッチャーを当てたりなんかして、ぶれないのよ。常に何年か先を見据えてカードを切ってるの。もちろん、これは野球っていう難しいスポーツの上に、相手だって死ぬ気で向かってくるわけだから、うまくいかないことだってあるわ。それでも、何を言われてもブレないボス、何か「一度死にかけたことがある人」のような、冷んやりとした殺気すら感じたわ。
 

選手のギャラを比べても、まあホークスには勝てっこないって。それでもいきのいい若手を「中の中」くらいまで育てて、適材適所で使うその手腕。これは「2位」じゃないの、ポストシーズン進出だ。大切なのはオクトーバーベースボールだ。ボスはそう考えてるはず。
 

何と言っても、サンフランシスコジャイアンツの外野手としてワールドシリーズまで勝ち上がった男よ。ポストシーズンを戦い抜いて、最終決戦で勝ったチームが勝者の国の野球を知っているのがボス。日本シリーズという伝統ある頂のてっぺんを、今年は勝ち取るの。レギュラーシーズンの勝者はホークス。それは最大限讃えたとして。大事なのはここから。ポストシーズンの始まりよ!
 

そんなシーズン後半、あたし、あんまりあんたに会えなくなって、さみしかったんじゃない?
 

いや、それはあたしを書いてくれてるナルセさんがさ、ある時「まったく、これは!」って思ったんだって。何が「これは!」なのかあたしにもわかんないんだけど、妙に上気した顔で「こんな気軽にSNSに書いてる場合じゃない」とか何とか言ってたわ。「これはおもしろくなる」とか何とか。
 

きっと何かたくらんでるに違いないわ。あたしとしても、こうやって物語の中に出してもらうことで生きているわけだから、出番は多い方が嬉しいしね。今年前半のあたしこと「満里奈似」の活躍は、残ってるうちにアーカイブで読んでね。


ナルセさん、多分近いうち全部消して、新しい「何か」に組み込む気配があたししてるんだ。

やっぱり、つまらない大人にはなりたくない。
成瀬英樹
成瀬英樹
9月27日 10:40

おはようございます!

腰の調子、少しずつ快方に向かっております。まだときどき痛むけど、生活に支障はないし、普通に長距離を歩いたりもできるので大丈夫です。


2002~2006年くらいの時期は、作曲コンペに挑戦しながら肉体労働に勤しんでいる時期で、ストレスと飲み過ぎで一時は76kgまで体重が増えてしまったことがあります。僕の身長と筋肉量でこの数字は明らかに太り過ぎで、しっかり腰まで痛めてしまってました。辛かったな。


当時は30代中盤で、自分的には「もうトシなのかも」「このままこんな感じで太って腰痛で生きていくのかも」と暗い気持ちになってました。どんな病院に行こうが、整体に行こうが、腰痛ってのは基本的に治らないんですよね。慢性なんです。

病院の健康診断の結果もかなり悪くなって、医者からも注意される始末。自分の不摂生からこのような状態になることが本当に情けなく、一念発起してダイエットを敢行しました。ちょうどAAAやTRFの楽曲採用が決まって、もう一度、神戸から東京に居を移した頃です。


かように僕は太りやすい体質で、20代になってビールをたくさん飲むようになってからは、65kgがベスト体重であったのですが、ハタチの頃は62.5kgがベストでした。よし、バックトゥハタチだ! と、数か月かけて62.5kgまで体重を減らしました。食事はあっさりしたものを半分だけいただき、運動も継続しました。

元々、泳ぐことが好きだったのですが、水泳はダイエットには向いていません。何と言ってもゆっくり時間をかけて歩くことが一番と理解しました。


東京の新居が国立という街の多摩川の近くだったこともあり、毎日多摩川のほとりを1時間歩きました。この時間にエアチェックしたラジオを聴いたりと情報を身体に入れるようにして。散歩は最高です。タダだし、スニーカーさえあれば道具は何もいらないし、自分のペースでやっていけるし、何より早朝の多摩川を歩くことは、人生の小確幸のうちの一つです。景色はきれいだし、朝焼けは胸をくすぐるし、空気はうまい。


そのうち、歩くだけでは物足りなくなり、走るようになりました。毎朝5キロのジョグで1日を始めることにしました。当時はNTTのコールセンターでフルタイムで働きながら、作曲コンペもやってましたので(「愛とプライド」「そばかすのキス」などを書いた時期です)今考えたらオレ、めっちゃがんばってんなあって思います。


そんなわけで、この夏、ついに70kgの分水嶺を超えてしまった時はさすがにやばいと思いました。しかも少々の節制では体重は減ってくれません。あの頃は30代でしたが、しっかり僕も歳をとって今では50代中盤を超えているのです。今回の減量は本当にきつかった。


それでもね、ここであきらめてしまったら、「成瀬英樹」じゃない。いや、本来の「ひできくん」は怠け者でどうしようもないポンコツ人間だけど、カッコ付きの「成瀬英樹」はそれではいけないのです。あくなきチャレンジこそ墓碑銘、それが僕が定義する「成瀬英樹」ですから。


「ひできくん」は言います。もうええやん。お前ももう60やで。ぜんぶあきらめて、太って楽して、イージーにやろうや。ビールだって飲んだらええやん。なにがんばっとんねん。そんなんぜんぶ無駄やで、アホちゃうか、と。


あきらめるのってほんと楽なんです。「成瀬英樹」もそれは知ってます。だからこそ、僕は環境を変える必要があった。さまざまな要因が重なって、急遽引っ越しを決めたのも、それが大きかった。


あわせて、人との付き合い方も完全に新しい方向にシフトする決意もしました。今までの僕は間違ってた。どんなに佐野元春さんが歌の中で「今までの君は間違いじゃない」と歌ってくれようと、それはしっかり裏の意味もあって「今までの君は間違いじゃない(ってことをしっかり検証して生きていくのが真の大人だぜ)」って今の僕には聞こえるのです。

僕は間違っていました。


なかなか、生きていくのって難しいです。しかもオリジナルな人生を。ぜんぶそれ、自分で見つけていかなきゃいけないんですよね。ついに僕のデスペラード人生、北広島に辿り着きました。いろんなことがありましたが、今、僕の心にまた火がついているのは確かです。怠け者の「ひできくん」ではなく「成瀬英樹」が勝ったのです。


体重は67kg台まで落とすことができました。急にこれ以上落とすと逆に心配されるトシですので、ここでなんとかキープしたい。

僕は自分を「つまらない大人」とは感じていません。サンクコストはしょうがないじゃないか。いろいろあるけどさ「成瀬英樹」よ見てみろよ、お前にはこんなに仲間がたくさんいて、期待してくれる人もたくさんいて。これ以上何を求めるというのだよ。


今までの君は間違いじゃない。冷たい夜にさよなら。そして、やっぱり、つまらない大人にはなりたくない。


「ひできくん」には、しばらく静かにしてもらうことにします。

イチロー、イチロー、イチロー。
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
9月26日 10:23

僕がシアトル・マリナーズのファンになったのは、イチローが海を渡った年、2001年だ。地元・神戸のスーパースター。彼のデビューからこの目で見続けてきた僕でさえ、初年度からMVPまでさらっていくとは思わなかった。
 

その夏、僕は両親と弟、そして当時の妻とシアトルへ飛んだ。セーフコ・フィールドの美しさに打たれ、日米のベースボール文化の差に圧倒された。入場口で配られるスコアシート。鉛筆を走らせ、黙々とスコアをつける人の多さに、ただ驚いた。

 

思い出す。子どもの頃、甲子園で二色鉛筆を握りしめていた自分を。野球は、スコアをつけながら観ると途端に面白くなる。その当たり前を、彼の地で思い出した。

 

シアトルは海に面し、坂道が多い。神戸とよく似ている。マリナーズはその年、勝ち星を重ねに重ねて、ぶっちぎりで優勝した。先発はフレディ・ガルシア、アーロン・シーリー、ジェイミー・モイヤー。ブルペンはアーサー・ローズ、ジェフ・ネルソン、佐々木主浩――三銃士が鉄壁だった。強いリリーフは、チームに揺るぎない安定を与える。

 

イチロー、イチロー、イチロー。

 

天然芝の外野を切り裂く背中に、僕はどれほど励まされたことだろう。熱しやすく冷めやすい神戸の空気が彼に飽いても、僕はスタンドに通い続けた。ガラガラのグリーンスタジアム神戸。ファウルボールが階段をカランカランと転がる。拾う人影もまばらで、試合のたびにボールを持ち帰った。

 

96年、デビューのために上京してからも、時間があれば球場へ向かった。東京ドームのファイターズ戦。西武球場。松坂大輔との最初の対決も、スタンドで見届けた。やがて僕のデビューは思うように進まず、2000年に神戸へ戻った。イチローは相変わらず淡々とヒットを積み上げていた。記録としては、もう完成の域にあった。四割だって、狙えたかもしれない。

 

けれど、毎試合のように彼を見ていた僕には分かった。イチローは、絶望していた。七年連続で首位打者を獲っても客は入らない。四割に届きそうな打撃を見せても、スタンドは空席だらけだった。

 

そして、シアトルでの大活躍。メディアと大衆の熱狂。僕は冷ややかに眺めていた。イチローは何も変わっていない。ずっと最高のプレイを続けていただけだ。つい一年前まで、ほとんどタダ同然のチケットで、広い空席の中でゆっくり見られたのに。

 

軽いよな。本当に、軽い。僕はそう思った。

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日本一
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
9月20日 11:48

お疲れ様です。昨日と一昨日に日記をアップしておりますので、お読みいただけたら嬉しいです。一部はBINGOメンバーのみの公開となっておりますことをご了承ください。メンバーのみんなには、たっぷりとB-1グランプリの成瀬英樹による楽曲評をお楽しみいただけます。ぜひに。
 

さて、昨日は痛む腰をさすりながら、市役所に転入届を出しに行ってきました。一昨日行った無印良品のすぐ近くにあり、家から歩いて1キロ以内です。腰が痛いというのに少し遠回りして、エスコンの近くでランチを食べてから向かいました。(メンバー限定でプチ・エスコンめぐり動画をアップしていますので、よろしければご覧ください)
 

エスコンでぼんやりしていたら、一曲メロディを思いつき、そういえばエスコンにはストリートピアノがあったことを思い出しました。じっくり10分、ピアノに向かって作曲しました。ここのピアノ、好きだなあ。
 

そうそう、ご心配いただいている私の腰の痛みですが、少しずつフェードアウトしています。一時は「これやばいかも」と感じたりもしましたが、快方に向かっています。昨日は痛み止めを飲んだらかなり効きました。今日は薬なしで過ごそうと思います。
 

引っ越しの前日から2日半、久しぶりにファスティングしました。新しい気持ちで仕事に向かうために、一度気持ちも身体もリセットしたかったからです。よく考えてみたら、引っ越しという重労働の中で食事を抜くなんて狂気の沙汰ですが、「ああそうさ、私はクレイジーなんだよ」とがんばりました。ここ数日で全てをスタートラインに戻し、ギアを入れなおそうと決意した私ですから、やり抜けました。だって、私は意志の強い人間です。決めたことは守ります。ね。
 

やはり身体が軽くなり、鏡を見てもすっきりした印象ですよ。
 

昨夜は突然のお知らせにもかかわらず、石崎光さんとの対談動画Zoomにご参加いただいた方、ありがとうございました。120分ぶっ通しで大笑いしながら、大変楽しい収録でした。もうほぼカットなしで、生配信的な感じのままお届けしようと思っています。
 

「そうなんですよ、どうしてみんな動画にたくさんハサミを入れるんですかね。まるごと放送する方が絶対臨場感あるのに」と光さんはおっしゃいました。我が意を得たり、ですね。「どうしてハサミを入れるか」については、やはり再生回数の問題があるでしょう。見やすい長さで、ということです。ただ今回は「まるごと」私たちが持っている「情報」を広くお伝えするために、ほぼカットなしで行きます。作曲家志望の方や同業者はもちろん、日向坂ファンのみなさまにもきっと楽しんでいただける内容です。来週なかばの公開を予定しております。どうぞお楽しみに。
 

光さん作曲・編曲の日向坂46『お願いバッハ!』は現在、ヒットチャートのトップを独走中です。つまり私たちBINGOは今この瞬間、日本一の事務所、日本一のチームなんです。これはすごいことだと思います。麻痺してはいけない。すごいものはすごい。しかも弊社にとって今年2曲目のナンバーワンヒットです。本当に信じられない未来に私たちは立っているんです。
 

ねえ、ずっと私を応援してくれているみんな! 私がsoulmixを始めた頃、こんなことになるなんて思ってもみなかったよね。予測なんかできなくて、ただ目の前のチャンスに全員で食らいついてきた4年間の成果なんです。

何人かの仲間はここを去ったり、休止したりしていますが、それでよかったと本当に思っています。それぞれの道がある。楽曲コンペの世界は厳しいもの。採用されれば日本一になるんですから、厳しいに決まっています。

自分との約束を守れる人だけが生き残るんです。きついけど、私はそう思っています。自戒を込めて。自分との約束を破ると、自分のことを嫌いになってしまうもの。そうじゃありませんか?
 

今夜の「成瀬英樹のPOP A to Z」(徹夜で収録しました)は、アルファベット「X」にちなんで「グレイト・ソングライター・ファイル特集~X-tra Edition~」として、この特集の教科書『グレイト・ソングライター・ファイル 職業作曲家の黄金時代』の著者であり、私がお世話になった大先輩・萩原健太さんを特集します。
 

健太さんはサラリーマンをおやめになり、音楽にまつわるあらゆる仕事を主に文筆家として活動されてきましたが、音楽家としても数々のヒットや代表作を残されています。私がいつもみんなに言っている「プロの音楽家は徹底的に楽曲を知っていなくてはいけない」という教えは、健太さんから学んだものです。健太さんの仕事ぶりをまとめて聴いていただくと、そのあたりがピンとくるのではないでしょうか。名作揃いなうえに、コラボレーションする相手がビッグネームばかりですから、「萩原健太さんは音楽評論家」と思っていた若いみんなはきっと驚くはずです。
 

さあ、今日も忙しくなりそうです! お互い、がんばっていきましょうね!

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ヒットの秘密はこれ!B-1グランプリ!
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
9月19日 9:24

20250918  B1グランプリ 楽曲講評レポート(社外秘)

成瀬英樹・評

評価方法について
 

今回のB1グランプリでは、ただ点数をつけるだけではなく、マイルール を導入しました。B1をより楽しいゲームにするための工夫です。


野球にたとえるなら、ショートとファーストを同じ基準で守備のうまさを比べたら、ちょっと違うなって感じがしますよね。どちらも大事なポジションですが、求められる役割や難しさが違う。音楽も似ていて、経験豊富な作曲家と、まだ経験の浅い人を同じ数直線に並べて評価したら、単純にゲームとして面白くなくなってしまうと思ったんです。


そこで今回は、石崎光さんと白井大輔さんの作品には、あえて -5点の係数をかける というマイルールをつくりました。これは不公平さを補正するためではなく、みんなが同じフィールドでわいわい競い合えるようにするため。むしろ、この係数をかけても高得点が出てしまう曲こそ、本当に強い曲だと思っています。(ただしあくまでも私のルールです。ゼミ生のみなさんは独自のセレクトをやられてください。先輩たちの楽曲を聴いて、どれがヒットしそうかを本気で考えてくださいね)

 

今回もたくさんの楽曲のご提出ありがとうございました。詳しく成瀬評をお伝えしますね! 長くなりますよ笑

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