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そのメロディを、AIに渡すな
――「A1グランプリ」前夜・哲人と青年の対話――
第一夜: 音楽は誰のものか
青年: 先生、単刀直入にお聞きしますよ。あなたは「音楽の死」を招くつもりですか?
哲人: 穏やかではありませんね。なぜそう思うのですか?
青年: 「A1グランプリ」のことですよ! 生成AIを使った作曲コンテストだなんて。AIに曲を作らせて、人間は何をするんです? ボタンを押すだけ? それはもはや「創作」とは呼べない。ただの「出力」です。僕は認めない。絶対に認めませんよ!
哲人: ふふっ。あなたは昭和歌謡を愛する、芯のあるクリエイターだ。だからこそ、その怒りはもっともです。しかし、誤解があります。
青年: 誤解?
哲人: 私はAIに「すべてを作らせる」つもりなど毛頭ありません。むしろ逆です。「人間が人間であるための領分」を守るために、AIという猛獣を飼いならす。その実験をしようと言っているのです。
青年: 猛獣を飼いならす……?
哲人: そう。例えば、あなたはメロディと歌詞を作るのは得意ですね? 先ほども「一時間で書けた」と言っていました。
青年: ええ、まあ。頭の中に中森明菜さんのような世界観があれば、メロディは降りてきますから。でも、それを形にする「トラックメイク」や「アレンジ」が苦手なんです。DAW(作曲ソフト)の操作は複雑だし、イメージ通りの音にならない。
哲人: そこです。あなたの頭の中には、すでに素晴らしい「音楽」が鳴っている。しかし、技術的な障壁(ボトルネック)のせいで、それがスピーカーから流れてこない。これは「音楽の損失」だとは思いませんか?
青年: それは……悔しいですが、そうです。
哲人: ならば、そのボトルネックだけをAIに解消させればいい。あなたが握るべきは「メロディ」と「言葉」というハンドマイクです。バックバンドの手配や演奏は、Sunoという優秀な――しかし少々癖のある――アレンジャーに任せてしまえばいいのです。
第二夜: 欲まみれの人生を
青年: 言葉では何とでも言えます。じゃあ実際、どうやるんです? AIなんて、結局は機械的な冷たい音しか出さないでしょう?
哲人: 論より証拠です。やってみましょう。あなたの作った、あの中森明菜風のデモ音源を出してください。
青年: ……これです。「ぬるっとした」歌詞とメロディですが。 (再生:♪海の向こうの白い波の~)
哲人: 素晴らしい。コード進行は音楽理論的には破綻していますが(笑)、メロディには力がある。この「魂」の部分は、AIには作れません。あなたが作ったのです。 では、このボーカルデータだけを抽出して、Sunoに投げ込みます。プロンプト(指示)はどうしますか?
青年: うーん……やっぱり「中森明菜」さん風で。「十戒」みたいな、80年代の尖った感じで。
哲人: いいですね。「80s Japanese Synth Pop」「Dark」「Dangerous」「Minor Key」。呪文のようですが、これでAIに「文脈」を伝えるのです。さあ、生成(Create)ボタンを押してください。
青年: ……たった20秒で、もう出来たんですか?
哲人: 聴いてみましょう。
(再生音) ♪ エンドはあっさりばっさりと…… ♪ 欲まみれの人生を 今生きてる……
青年: ……!! こ、これは……!
哲人: どうですか?
青年: 悔しいけど、カッコいいです。ちゃんと「十戒」っぽい緊迫感がある。しかも、僕が適当に歌ったメロディが、プロの歌声で、バキバキのアレンジに乗って再生されている。
哲人: あなたは今、スピーカーから流れてくる曲を聴いて、「AIが作った曲だ」と感じましたか? それとも「自分の曲だ」と感じましたか?
青年: ……「僕の曲」です。だって、メロディも歌詞も、僕が考えたものですから。AIはそれを……何と言うか、「翻訳」してくれたような感覚です。
哲人: その通り。AIは「鏡」であり「拡張機能」に過ぎないのです。
第三夜: プロデュースという創造
青年: でも先生、これでは簡単すぎませんか? 苦労して楽器を練習した人の立場は?
哲人: 確かに「弾く技術」の価値は変わるかもしれません。しかし、これからの時代に問われるのは「選ぶ技術」です。 AIは、放っておけば平凡な曲も出すし、変なコード進行も出してくる。さっきのE7のコードのようにね。
青年: ああ、あの独特な響きのところですね。
哲人: そう。あれを「失敗」として捨てるか、「味」として採用するか。その「ジャッジ(審美眼)」こそが、人間のクリエイターに残された最後の、そして最大の聖域です。 大滝詠一さんが細川たかしさんをプロデュースするように、あなたがAIをプロデュースするのです。
青年: 僕が、AIのプロデューサーになる……。
哲人: そうです。これからのA1グランプリは、そういう戦いになります。「AIに作らせた」のではなく、「AIを使いこなして、自分の世界を表現した」人間が勝つ。 どうですか? 「欲まみれの人生」を、AIと共に歩む勇気は出ましたか?
青年: (少し笑って)欲まみれは嫌ですが……でも、自分のメロディがこうやって形になるのは、素直に興奮します。
哲人: その「興奮」こそが、創作の源泉です。道具が変わっても、人間が感動するメカニズムは変わらない。 さあ、行きましょう。新しい音楽の夜明けは、もう始まっていますよ。
(完)
お疲れ様です!
まず最初にお礼を言わせてください。12月7日開催の『BINGO Party』に、メンバー&ゼミ生のみんな、たくさんのお申し込みありがとうございました! なんと、バッチリまさかの満員御礼となりました。いやあ、嬉しいじゃないですか。
昨日は12/7に向けて、「タイムマシンなんていらないズ」の選曲会議をZoomでやっていました。ジョージ担当の「キソエム」、ポール担当の「ミッチさん」、そしてジョン役の僕。「あれもやろう、これもやろう」なんて話していると、まるで中学の頃に戻ったみたい。やっぱり僕は、ビートルズの話をしている時が一番幸せみたいです。
イベント翌日の12月8日がジョン・レノンの命日ということもあり、今回は僕としては初めて、命日に向けてジョンを歌うことになりそうです。バンド形式も、途中からメンバーが増えていく「プラスティック・オノ・バンド」ならぬ「プラスティック・ナル・バンド」形式で。
全部で20曲くらいやりますよ。光さん、小石くんも時間があったら駆けつけてくれるそうで、みんなでジョンが叫ぶタイプの「スリーコードもの」をやるのがめっちゃ楽しみです。
完全に間違った認識なのはわかってますが、「ジョンのスリーコードシャウト甲子園」なんてあったら、50代の部くらいなら全国大会に出られるくらいの自信はあります。なんつって。でも、その辺で負けたと思った人、いないんですよね。あはは。エントリー曲は『Slow Down』でお願いします。ラリー・ウィリアムスのバージョンで「ブルルル」多めで行きます。忘れてなければ!
さて、話は変わって現在進行形の話題を。 昨日からSuno AIについての動画をせっせと作っておりました。AIの進化は凄まじいですね。動画内の説明ボードやサムネイル作成にも威力を発揮してくれて、これまで何時間もかかっていた作業が「一瞬」で終わります。しかもクオリティも雲泥の差。サムネイルって本当に難しいし、人に頼んでもなかなかイメージ通りにいかないものですが、プロンプト一発でプロ級に仕上がる。時間を見つけて、過去動画のサムネも全部変えようかと思うほどです。
Suno AIだってそう。こんなに一瞬で、ある程度のアレンジができてしまうなんて、まさに夢です。今こうしている間にも、若い人たちがこの新しいツールを遊び倒して、新しいカルチャーを産んでいくんでしょうね。最高じゃん。
でもさ、こちとら自分で音楽を作ってもう57年近く生きてるんで。何より、作詞・作曲・アレンジが死ぬほど好きでさ。一番好きな音楽は、当然ながら自分の作品なわけです。AIなんかにその一番大切なとこ、取られてたまるかよって思ってます。AIが来ようが何がどうなろうが、僕がメロディを作ればそれは「成瀬節」なんだって。
だけれども、目の前でアレンジが一瞬で出来上がる興奮は抑えきれないのも事実。自分がイメージする音をAIに鳴らさせることはいとも簡単だし、これを使わない手はない。
ただ恐ろしいことに、Sunoはメロディだって書けちゃう。ちょっとだけ試したことあるけど、怖くなったよ。ボタンを押してメロディや歌詞を生成するのは、僕は大いに抵抗がある。それは僕の曲じゃないし、何より楽しくない。そこにある「0→1(ゼロイチ)」を生み出す苦しみと喜びこそが一番楽しいんだから。そこは変わりません。
今、「A1グランプリ」という企画の概要を頭の中で練っています。これは、たくさんの応募が欲しいわけじゃない。ただただ、この場所が必要な人に届いてほしい。
たとえば、学生時代や若い頃に作った歌をSuno AIでセルフカバーしてみてほしいんです。そうすれば僕が言いたいことがわかるはず。あの頃、あなたがやろうとしていたサウンドが、スピーカーから流れてくる。信じられない思いになるはずだよ。
AIは、70年代フォークの人にとってのアコギ、80年代の人にとってのシンセサイザー、そして現代のDAWと同じ。それらの代わりになる、新しいツールなんです。今主流のDAWだって、僕らからしたらここ15年くらいで普及した「最近の潮流」に過ぎないしね。
僕は年齢的にも立場的にも、本来なら守りに入る頃なのかもしれない。でも、この生き馬の目を抜く世界に今も身を置いている以上、ノスタルジーには浸っていられないんだよね。そりゃ俺だって、ずっと部屋でアコギでJTとか弾いていたいさ。でもね、それじゃダメなんだよ、俺はね。
一昨日、昨日と、新しい試みとして小説を書き始めた。 8年ほど前に連載した「僕のGlory Days」を、今の自分が“リミックス”しているような感覚だ。
あの頃の言葉の粒や温度が、ページを開くたび静かに蘇ってくる。 まるで、過去の僕が未来の僕へ放った“声”のように。
人生を一度言語化しておく作業は、思っていた以上に長く効き続き、いま振り返ると“宝探し”みたいにヒントを置いてくれている。
ただ、ご存じのように、あの連載は2012年あたりで筆が止まっている。 理由はシンプルだ。「書けないこと」があまりにも多かったから。
本当のことを書けば角が立つ。 かといって、それを避けて書けば、読む価値のない薄い文章になる――
“書かない自由”と“書く覚悟”のあいだで、僕は長い時間、立ち止まっていた。だから今回、僕は「フィクション」という武器を選んだ。 “自伝的”というやつだ。
57歳を目前にした僕を、未来の僕がいつか「よくやった」と讃えてくれるように。 そんな願いを、少しだけ物語に託している。
フィクションを纏うことで、むしろ事実ではない「真実」に手が届く。 物語のほうが、現実よりも正直に痛みを語ることがある。そのことに気づいた今、僕は心底ワクワクしている。 これからの数ヶ月、まだ見ぬ自分に出会う気がしている。
この「B-Side Melody」(略して「Bメロ」)と、しばらく本気で向き合うつもりだ。 この歳になってなお、“初期衝動”の火が再び胸の奥で燃え始めた。 音楽で言えば、新しい楽器を手にして、気づけば朝まで音を鳴らしてしまうようなあの感じに近い。
同時に、長く温めていた短編のアイデアにも手をつけている。 新人賞への応募を考えているため公開はできない。けれど、入賞すれば雑誌に載るし、落選したらまたみんなに読んでもらえる。
どちらに転んでも、書いた作品は血肉になる。
何より大切なのは、書き切ることだ。 文章がうまいとか下手とか、そんなことはどうでもいい。 向き合った時間だけが作品の厚みになる。その実感が、今の僕には確かにある。
文章に関して、僕は完全に素人だ。 学校の国語の成績なんて、ひどいものだった。 でも「僕のGlory Days」を書いた時、気づいたんだ。うまく書く必要なんてない。 ただ、おもしろいものを書けばいい。
音楽と同じだ。テクニックよりもグルーヴ。正しさよりも歌心。 誰も書かないものを、誰も見ていない視点で。それでも誰かに届くものを書きたい。
「B-Side Melody」は、渾身の作品を今週もう一本アップしたら、来週からはメンバー限定での公開に切り替えるつもりだ。 ここから先は、もっと深いところへ潜ることになるだろう。 だからこそ、本当に読んでほしい人にだけ届けたい。
成瀬英樹が、命を削って生み出す“作品”だ。 タダで読ませるわけには、いかないんだ。
B-Side Melody
Track 2 1986年のJumpin" Jack Flash
ザ・ローリング・ストーンズ。
この名前を口にするだけで、僕は温かい毛布に包まれたような、あるいは完璧に調合されたギムレットを一口飲んだような、幸福な気持ちになれる。The Rolling Stones。
中学二年の頃、僕はビートルズを聴きあさり、図書館にある「ビートルズ」の文字が入った本という本を片っ端から読破した。そこには決まって、ライバルとしてストーンズのことが書かれていた。曰く、ビートルズは清潔なお坊ちゃんで、ストーンズは手のつけられない不良なんだと。(本当はそのイメージはまるで逆で、ストーンズの方が中流階級のいいとこの子たちで、ビートルズの方が労働者階級の成り上がりだったことを、のちに僕は知るんだけれどね。世の中のイメージなんて、だいたいがそんなものだ)
中三の一年間、僕はストーンズのレコードだけを買うという奇妙な誓いを立てた。少ない小遣いをやりくりして、アルバムをコンプリートしようとしたんだ。ラッキーなことに、当時のストーンズは何度目かの黄金期を迎えていて、『Start Me Up』のヒットも記憶に新しい頃だった。僕は彼らの音楽の虜になった。
最初に驚いたのは、ボーカルのミック・ジャガーがライブでは「まともに歌わない」ってことだ。スタジオ盤のあの素晴らしいメロディを、ミックはステージ上でズタズタに引き裂き、原型をとどめないほどフェイクして歌う。(もしMr.Childrenが『innocent world』をあんな風に崩して歌ったら、事務所の電話回線はパンクしただろう)
でも、ミックのそのスタイルを理解してからは、そこが魅力なんだと思えるようになった。誰に文句を言われる筋合いはない。だって、彼らが自分たちで作った歌なんだから。自分の庭の芝生をどう刈ろうが、隣人に指図される覚えはないのと同じだ。
そして僕は何より、ギタリストのキース・リチャーズに心から憧れた。リズム・ギターのかっこよさ、とでも言うのかな。あの佇まいは、ほとんど反則に近い。物理法則を無視して立っているみたいだ。僕はとにかく夢中だった。
長いキャリアを持つ彼らの音楽が一番芳醇だったのは、1968年から70年代の中期までだ。特に『Jumping Jack Flash』と『Honky Tonk Women』は、大谷翔平の場外ホームランにも似た、圧倒的で理不尽なほどの痛快さを持っている。ロックンロールの巨大な塊が、重力を無視してどこまでもかっ飛んでいくイメージだ。いつ聴いてもね。
僕が「The Riot」というバンドに加入したきっかけも、この『Jumping Jack Flash』だった。 リーダーでギタリストのカジワラが、僕がどこかのセッションでこの曲を歌っているのを見て、ボーカリストとして目をつけてくれていたらしい。まあ、あの頃の神戸でこの曲を歌わせたら、僕は高校生の中ではいい線いってたはずだ。何と言っても、聴いた回数だけは、税務署の職員が伝票をめくる回数よりも多かったはずだから。
The Riotは元々、聖洋学院の二人――ボーカルのカモダと、ギターのカジワラが中心になって、ARBなんかを演っていたビート・バンドだった。カジワラはエディ・ヴァン・ヘイレンに似た人懐っこい笑顔を持つナイスガイで、フレットを自分で彫刻刀で削ったストラトキャスターの使い手だった(正気の沙汰とは思えないが、音は悪くなかった)。ボーカルのカモダは、下手すると石橋凌さんよりも声量があったんじゃないかというくらいの、破壊的なシンガーだったよ。
だがカモダは、高三になる前にThe Riotを抜け、聖洋学院も退学してしまった。「音楽でプロになる」と言い残して、同じ17歳のメンバーを集めて「The Standers」というバンドを組み、神戸のライブ・ハウスに出演するようになったんだ。カモダはギターなど弾けなかったはずだが、ローンで買ったと言う「リッケンバッカー330」をかき鳴らして、シャウトしていた。実にパンクだった。1986年だから、まだブルーハーツもジュンスカもデビューしてなかったけど、すでにThe Standersはそんな音を出していたんだ。時代の方が彼に追いついていなかったのかもしれない。
そんなカモダの後釜として、僕が誘われたわけだ。正直、戸惑ったよ。僕はボーカル専門なんてやったことがなかったからね。だって、僕はキース・リチャーズになりたいんだぜ? フロントマンの横で、斜に構えてクールにギターを弾くことが何よりかっこいいと思ってたんだ。それに相手はあの聖洋学院のThe Riotだ。僕とショウが一番意識していたバンドだったから、なおさらね。
聖洋学院というのは、高等部でもバンドのレベルが異常に高くてね。文化祭に出るだけでも、30組ほどのエントリーの中から厳しいオーディションを勝ち抜かなきゃならない。ラクダが針の穴を通る方がまだ簡単かもしれない、というくらいの狭き門だ。
The Riotは、彼らが高二の頃に上級生を蹴落として、文化祭のメインイベント「後夜祭」に出演することになっていた。ところが、カモダがナーバスになって突然どこかに消えてしまい、結局パーになったんだ。悪い冗談みたいな話だろ? だからこそ、カジワラは高三での「後夜祭」出演に、並々ならぬ執念を燃やしていたってわけさ。
僕にしたって、ショウと別れてバンド浪人中だったから、カジワラに呼び出されて「ボーカルをやってくれ」と頼まれた時、まあ断る理由はなかった。僕にはその頃、すでに1ダースくらいの自作曲があった。どれも自信作だったよ。それをThe Riotとして演奏してくれるって言うんだ。ARBを数曲歌う必要があったけど、僕だって石橋凌さんの大ファンだったから、歌うことにやぶさかじゃなかったんだよね。
聖洋学院の学園祭には、出演バンドメンバーの四分の一までは校外の人間を入れてもいいというルールがあった。四人編成のバンドなら、一人までは僕みたいな部外者でも構わないってことだ。僕のためにあつらえたような抜け道だ。そして、そのオーディションで三位までに入れば、高校生活最後の一大イベント、後夜祭のステージに立てる。聖洋の連中にとっては、それがすべてだったんだ。
そんなわけで、僕はThe Riotの一員になった。僕ら、一位を獲るために、もうめちゃくちゃ練習したさ。僕は家が明石だったから、毎回西宮まで通い詰めてね。The Riotのメンバーは優秀だった。ドラムのマー坊と呼ばれる男は、子供の頃からピアノの英才教育を受けているようなやつなんだけど、実にビートの効いたご機嫌なドラムを叩く。ベースのセイジは心優しき大男で、体格に見合った野太い音が特徴のベーシスト。そしてカジワラのギターには独特の粘り気があって、もしロビー・ロバートソンが間違ってビート・ロック・バンドに加入してしまったらこんな感じだろうか、と思わせる音を出した。
そこに僕。
初めてのセンターマイク。ギター&ボーカルとして、フロントマンとして立つステージ。しかも、勝負に勝たなきゃいけない。自信? もちろんあったさ。
彼らとのリハーサルを重ねる中で、喉が強くなっていく気がしたし、小さな部屋でショウと作っていたデモテープから飛び出して、僕の自作曲がリアルなロックンロールに変わっていくのが最高にご機嫌な体験だった。何度も同じ歌を歌っていると、メロディをライブ用にダイレクトに伝わる形へ変更したり、遊びでフェイクを入れたりもする。もちろん、全部、ミック・ジャガーの真似だよ。うまく行っているのかどうかはともかくとして、気分だけはロンドンのハイドパークにいたわけだ。
結果? 一位を獲っちまったんだ。 僕たち四人、あまりにも嬉しくて、図体のデカい男たちが人目も憚らず抱き合って泣いたよ。溶けたアイスクリームみたいにぐしゃぐしゃになってね。あの時のことは忘れられない。
後夜祭の大トリでThe Riotは四十分くらいのステージをやった。ARBの曲が二曲と、カジワラの曲が一つ。あとは僕の曲を六曲くらいやったんだ。
盛り上がりは尋常じゃなかったよ。公立高の文化祭とはわけが違う。これが私立名門校の本気のイベントかと度肝を抜かれた。広い講堂にゆうに1000人以上――いや、もっといたかな――大勢の若者が熱狂していた。僕の曲なんか初めて聴くはずだったのにさ。そう、聖洋学院の連中にとっては、これが高校生活最後のビッグなイベントなんだ。
その後夜祭を最後に、The Riotは解散した。最初からそういう約束だったんだよ。ひと夏の、ささやかな革命だったってわけだ。
でも僕にとっては、これが終わりじゃなくて始まりだったんだ。「俺は行ける」って完全に勘違いしたんだ。あの後夜祭に誘われてなかったら、プロになろうなんて考えなかったはずさ。運命ってやつだよ。
僕は、この聖洋学院の人脈を集めて新しいバンドを組んで、まずは地元神戸で、一旗上げてやろうと企んだんだ。