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平日の昼間にプロ野球が見られるなんて極楽だよな。ナイターは翌朝しんどい歳になっちまったからな。仕事の方は今日から3日間、親方に言って休みをもらった。「おうおう、首位攻防戦だってのに、仕事なんてしてる場合じゃないよな」って、親方も気持ちよく休みをくれたよ。まあ、オレなんてアテにされてないってことなんだろうけど。
平日の午後プレイボールにもかかわらず、エスコンは大盛況だ。道内の小中高生が課外授業で来てんのもあるし、シルバー世代にも優しい時間設定だからな。先輩たちはほら、夜も早かろうてよ。しかしまあ、ほんとにファイターズって球団は、いろいろうまいこと考えるもんだといつも感心させられるよ。
伊藤大海の登板日には、外野席を取るといいよ、と「満里奈似」が言ってたのを思い出したから、オレは今日、ライトスタンドの10列目、通路側の席を取った。満里奈似は「ちょっと早めに来るといいことあるわよ」とも言ってたから、少し余裕をもって席に着いたんだ。オレはいつもなら試合開始ギリギリに滑り込むタイプなんだけど。
試合開始の20分ほど前に、伊藤大海はオレが座るライト外野席の目の前でキャッチボールを始めた。キャッチャー役のコーチがライトポール際に立ち、伊藤大海は最初、ライトの守備位置あたりから投げてたんだけど、徐々にレフトポール方向へ距離を伸ばしていった。一球投げるたびに何メートルかレフト方向に歩いてく。途中からグローブを持った第三の男が現れて、キャッチャーからの返球を中継するようになる。コーチの肩じゃ届かないくらい、伊藤大海は遠くに行っちゃってたんだ。
遥かレフトポール近くから投げられた伊藤大海のボールは、弾丸みたいに一直線にこっちにいるキャッチャーに届く。「ズドン」ってね。ボールは中継役を通じてレフトにいる伊藤大海に戻され、また「ズドン」がこっちに来るんだ。それが何度か繰り返される。
キャッチャー、第三の男、大海、ズドン。キャッチャー、第三の男、大海、ズドン、ってな具合にな。ズドンが決まるたびにスタンドから拍手が起こる。エスコンの観客はマジで野球をよく知ってるんだ。
満里奈似が言ってた「いいこと」ってのはこの「遠投ショー」のことだったか。こいつは確かにすげえや。いや、あんな遠くからだって「ズドン」なわけだから、近くからこんな球投げられたバッターは、そう簡単に打てないはずだよな。
で、今日のオリックス先発の久里って投手は、いつも鬼のような顔してややこしい球を投げやがる。ファイターズは今年完全にカモにされてたんだけどさ、3回に石井と五十幡のコンビで1点もぎ取ったんだよ。
伊藤大海の方はもう完全にファイアーよ。5回終わって三振が6つズドンの無失点。ビールを何杯かひっかけたオレは気が大きくなって、いつものエスコン内の飲み屋街「七つ星横丁」で日本酒キメようとコンコースを歩き出したところで、満里奈似からLINEが入った。今日は一塁側の内野席のハイカウンターで立ち見してるから、一緒に観ないかとの誘いだった。「ここからだと大海の球筋がよく見えるの」とのことだ。そりゃ断るわけないさ。
「おう、満里奈似」
「何よ、それ」
「平日のデーゲームだってのに、仕事はいいのかい?」
「そんなのなんとでもなるのよ」
彼女とは先週ここで知り合ったばかりだ。万波が「満塁ホームラン返し」をした日にエスコン内の寿司屋のカウンターで酔っている時に意気投合してLINEを交換した。お互い名前すら知らない。歳はいくつくらいだろうな、オレよりはずいぶん年下だろうが、ユニフォームを着ている女ってのは、数割増しで若く見えるからな。少し横顔が渡辺満里奈に似ていなくもない。だから心の中で「満里奈似」と呼んでたんだが、うっかり声に出しちまった。彼女、今日は「ISOBATA 50」を着ている。
「五十幡がキーになると思うの」と満里奈似は言う。五十幡の「足」はファイターズには欠かせないんだから。「中学時代にサニブラウンに勝った」ってのは伊達じゃないのよ。盗塁だけじゃなく、そのエグい守備範囲を見ても、新庄監督じゃなくてもスタメンで使いたいって思うわよね、などとまくし立てる。
伊藤大海はピンチを迎えるたびに、三振で回を締め括るエースのピッチング。この日は2度、三振を取った際に大きく吠えた。「ウォー」という声が2階席まで聞こえてくる。「大海が吠えるときは速球を投げるんだけど、久里はウォーって吠えながら緩い球投げるのよね」と満里奈似。
1-0の僅差を保ったまま7回裏ファイターズの攻撃中に事件は起こった。清宮、万波、石井の3連続安打でワンアウト満塁。8番伏見が貴重な追加点のタイムリーで1点追加の2-0。打席は五十幡だ。
「スクイズあるわよ」
「満塁だぜ?」
「満塁だから、よ。こういうのは『ない』と思ったところでやるものよ」
そんなものかなと思った瞬間、3塁ランナーの万波がホームにスタートを切った。
「来たわよ!」
五十幡のバントは強すぎた。久里はマウンドを駆け降りうまくグラブに収め、そのままホームにグラブトスをしようとしたがボールが出てこない。万波がホームイン。久里は急いで1塁にボールを投げる。満里奈似が叫ぶ。
走れ! イソバタ!
風のように1塁を駆け抜けた五十幡。奇襲成功にエスコンフィールドの観客が快哉を叫んでる間に、猛スピードで2塁ランナーの水野もホームに滑り込んでいた。2ランスクイズ成功だ! オレも50年くらい野球を見てるが、こんなに鮮やかな攻撃を見たのは生まれてはじめてだった。
久里の顔は完全にノックアウトされたボクサーのようだった。ただ唖然と立ち尽くしていたが、オレだってそうだ。目の前で起きたあっという間の出来事に興奮しすぎて、オレはその場にへたりこんでしまっていた。うしろで見ていたビールの売り子に生ビールを二つ注文して、オレと満里奈似はベースボールの神様に乾杯したんだよ。