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おはようございます!
腰の調子、少しずつ快方に向かっております。まだときどき痛むけど、生活に支障はないし、普通に長距離を歩いたりもできるので大丈夫です。
2002~2006年くらいの時期は、作曲コンペに挑戦しながら肉体労働に勤しんでいる時期で、ストレスと飲み過ぎで一時は76kgまで体重が増えてしまったことがあります。僕の身長と筋肉量でこの数字は明らかに太り過ぎで、しっかり腰まで痛めてしまってました。辛かったな。
当時は30代中盤で、自分的には「もうトシなのかも」「このままこんな感じで太って腰痛で生きていくのかも」と暗い気持ちになってました。どんな病院に行こうが、整体に行こうが、腰痛ってのは基本的に治らないんですよね。慢性なんです。
病院の健康診断の結果もかなり悪くなって、医者からも注意される始末。自分の不摂生からこのような状態になることが本当に情けなく、一念発起してダイエットを敢行しました。ちょうどAAAやTRFの楽曲採用が決まって、もう一度、神戸から東京に居を移した頃です。
かように僕は太りやすい体質で、20代になってビールをたくさん飲むようになってからは、65kgがベスト体重であったのですが、ハタチの頃は62.5kgがベストでした。よし、バックトゥハタチだ! と、数か月かけて62.5kgまで体重を減らしました。食事はあっさりしたものを半分だけいただき、運動も継続しました。
元々、泳ぐことが好きだったのですが、水泳はダイエットには向いていません。何と言ってもゆっくり時間をかけて歩くことが一番と理解しました。
東京の新居が国立という街の多摩川の近くだったこともあり、毎日多摩川のほとりを1時間歩きました。この時間にエアチェックしたラジオを聴いたりと情報を身体に入れるようにして。散歩は最高です。タダだし、スニーカーさえあれば道具は何もいらないし、自分のペースでやっていけるし、何より早朝の多摩川を歩くことは、人生の小確幸のうちの一つです。景色はきれいだし、朝焼けは胸をくすぐるし、空気はうまい。
そのうち、歩くだけでは物足りなくなり、走るようになりました。毎朝5キロのジョグで1日を始めることにしました。当時はNTTのコールセンターでフルタイムで働きながら、作曲コンペもやってましたので(「愛とプライド」「そばかすのキス」などを書いた時期です)今考えたらオレ、めっちゃがんばってんなあって思います。
そんなわけで、この夏、ついに70kgの分水嶺を超えてしまった時はさすがにやばいと思いました。しかも少々の節制では体重は減ってくれません。あの頃は30代でしたが、しっかり僕も歳をとって今では50代中盤を超えているのです。今回の減量は本当にきつかった。
それでもね、ここであきらめてしまったら、「成瀬英樹」じゃない。いや、本来の「ひできくん」は怠け者でどうしようもないポンコツ人間だけど、カッコ付きの「成瀬英樹」はそれではいけないのです。あくなきチャレンジこそ墓碑銘、それが僕が定義する「成瀬英樹」ですから。
「ひできくん」は言います。もうええやん。お前ももう60やで。ぜんぶあきらめて、太って楽して、イージーにやろうや。ビールだって飲んだらええやん。なにがんばっとんねん。そんなんぜんぶ無駄やで、アホちゃうか、と。
あきらめるのってほんと楽なんです。「成瀬英樹」もそれは知ってます。だからこそ、僕は環境を変える必要があった。さまざまな要因が重なって、急遽引っ越しを決めたのも、それが大きかった。
あわせて、人との付き合い方も完全に新しい方向にシフトする決意もしました。今までの僕は間違ってた。どんなに佐野元春さんが歌の中で「今までの君は間違いじゃない」と歌ってくれようと、それはしっかり裏の意味もあって「今までの君は間違いじゃない(ってことをしっかり検証して生きていくのが真の大人だぜ)」って今の僕には聞こえるのです。
僕は間違っていました。
なかなか、生きていくのって難しいです。しかもオリジナルな人生を。ぜんぶそれ、自分で見つけていかなきゃいけないんですよね。ついに僕のデスペラード人生、北広島に辿り着きました。いろんなことがありましたが、今、僕の心にまた火がついているのは確かです。怠け者の「ひできくん」ではなく「成瀬英樹」が勝ったのです。
体重は67kg台まで落とすことができました。急にこれ以上落とすと逆に心配されるトシですので、ここでなんとかキープしたい。
僕は自分を「つまらない大人」とは感じていません。サンクコストはしょうがないじゃないか。いろいろあるけどさ「成瀬英樹」よ見てみろよ、お前にはこんなに仲間がたくさんいて、期待してくれる人もたくさんいて。これ以上何を求めるというのだよ。
今までの君は間違いじゃない。冷たい夜にさよなら。そして、やっぱり、つまらない大人にはなりたくない。
「ひできくん」には、しばらく静かにしてもらうことにします。
お疲れ様です。昨日と一昨日に日記をアップしておりますので、お読みいただけたら嬉しいです。一部はBINGOメンバーのみの公開となっておりますことをご了承ください。メンバーのみんなには、たっぷりとB-1グランプリの成瀬英樹による楽曲評をお楽しみいただけます。ぜひに。
さて、昨日は痛む腰をさすりながら、市役所に転入届を出しに行ってきました。一昨日行った無印良品のすぐ近くにあり、家から歩いて1キロ以内です。腰が痛いというのに少し遠回りして、エスコンの近くでランチを食べてから向かいました。(メンバー限定でプチ・エスコンめぐり動画をアップしていますので、よろしければご覧ください)
エスコンでぼんやりしていたら、一曲メロディを思いつき、そういえばエスコンにはストリートピアノがあったことを思い出しました。じっくり10分、ピアノに向かって作曲しました。ここのピアノ、好きだなあ。
そうそう、ご心配いただいている私の腰の痛みですが、少しずつフェードアウトしています。一時は「これやばいかも」と感じたりもしましたが、快方に向かっています。昨日は痛み止めを飲んだらかなり効きました。今日は薬なしで過ごそうと思います。
引っ越しの前日から2日半、久しぶりにファスティングしました。新しい気持ちで仕事に向かうために、一度気持ちも身体もリセットしたかったからです。よく考えてみたら、引っ越しという重労働の中で食事を抜くなんて狂気の沙汰ですが、「ああそうさ、私はクレイジーなんだよ」とがんばりました。ここ数日で全てをスタートラインに戻し、ギアを入れなおそうと決意した私ですから、やり抜けました。だって、私は意志の強い人間です。決めたことは守ります。ね。
やはり身体が軽くなり、鏡を見てもすっきりした印象ですよ。
昨夜は突然のお知らせにもかかわらず、石崎光さんとの対談動画Zoomにご参加いただいた方、ありがとうございました。120分ぶっ通しで大笑いしながら、大変楽しい収録でした。もうほぼカットなしで、生配信的な感じのままお届けしようと思っています。
「そうなんですよ、どうしてみんな動画にたくさんハサミを入れるんですかね。まるごと放送する方が絶対臨場感あるのに」と光さんはおっしゃいました。我が意を得たり、ですね。「どうしてハサミを入れるか」については、やはり再生回数の問題があるでしょう。見やすい長さで、ということです。ただ今回は「まるごと」私たちが持っている「情報」を広くお伝えするために、ほぼカットなしで行きます。作曲家志望の方や同業者はもちろん、日向坂ファンのみなさまにもきっと楽しんでいただける内容です。来週なかばの公開を予定しております。どうぞお楽しみに。
光さん作曲・編曲の日向坂46『お願いバッハ!』は現在、ヒットチャートのトップを独走中です。つまり私たちBINGOは今この瞬間、日本一の事務所、日本一のチームなんです。これはすごいことだと思います。麻痺してはいけない。すごいものはすごい。しかも弊社にとって今年2曲目のナンバーワンヒットです。本当に信じられない未来に私たちは立っているんです。
ねえ、ずっと私を応援してくれているみんな! 私がsoulmixを始めた頃、こんなことになるなんて思ってもみなかったよね。予測なんかできなくて、ただ目の前のチャンスに全員で食らいついてきた4年間の成果なんです。
何人かの仲間はここを去ったり、休止したりしていますが、それでよかったと本当に思っています。それぞれの道がある。楽曲コンペの世界は厳しいもの。採用されれば日本一になるんですから、厳しいに決まっています。
自分との約束を守れる人だけが生き残るんです。きついけど、私はそう思っています。自戒を込めて。自分との約束を破ると、自分のことを嫌いになってしまうもの。そうじゃありませんか?
今夜の「成瀬英樹のPOP A to Z」(徹夜で収録しました)は、アルファベット「X」にちなんで「グレイト・ソングライター・ファイル特集~X-tra Edition~」として、この特集の教科書『グレイト・ソングライター・ファイル 職業作曲家の黄金時代』の著者であり、私がお世話になった大先輩・萩原健太さんを特集します。
健太さんはサラリーマンをおやめになり、音楽にまつわるあらゆる仕事を主に文筆家として活動されてきましたが、音楽家としても数々のヒットや代表作を残されています。私がいつもみんなに言っている「プロの音楽家は徹底的に楽曲を知っていなくてはいけない」という教えは、健太さんから学んだものです。健太さんの仕事ぶりをまとめて聴いていただくと、そのあたりがピンとくるのではないでしょうか。名作揃いなうえに、コラボレーションする相手がビッグネームばかりですから、「萩原健太さんは音楽評論家」と思っていた若いみんなはきっと驚くはずです。
さあ、今日も忙しくなりそうです! お互い、がんばっていきましょうね!
20250918 B1グランプリ 楽曲講評レポート(社外秘)
成瀬英樹・評
評価方法について
今回のB1グランプリでは、ただ点数をつけるだけではなく、マイルール を導入しました。B1をより楽しいゲームにするための工夫です。
野球にたとえるなら、ショートとファーストを同じ基準で守備のうまさを比べたら、ちょっと違うなって感じがしますよね。どちらも大事なポジションですが、求められる役割や難しさが違う。音楽も似ていて、経験豊富な作曲家と、まだ経験の浅い人を同じ数直線に並べて評価したら、単純にゲームとして面白くなくなってしまうと思ったんです。
そこで今回は、石崎光さんと白井大輔さんの作品には、あえて -5点の係数をかける というマイルールをつくりました。これは不公平さを補正するためではなく、みんなが同じフィールドでわいわい競い合えるようにするため。むしろ、この係数をかけても高得点が出てしまう曲こそ、本当に強い曲だと思っています。(ただしあくまでも私のルールです。ゼミ生のみなさんは独自のセレクトをやられてください。先輩たちの楽曲を聴いて、どれがヒットしそうかを本気で考えてくださいね)
今回もたくさんの楽曲のご提出ありがとうございました。詳しく成瀬評をお伝えしますね! 長くなりますよ笑
BINGOの皆さん、お疲れさまです。昨日、無事に引っ越しを終えました!
とはいえ、荷物を部屋に運び込んだだけで、本格的な片づけはこれからです。運び込んだベッドが壊れてしまい、急きょ近所の無印良品で新しいものを購入しました。歩いて行ける距離に無印があると分かったことは、新生活の小さな安心にもつながりました。大好きなMUJIカフェもあるし、ノンカフェインコーヒーもある。
近くには大きなスーパーがあり、その建物の2階に無印良品があります。私と同世代と思しき女性が担当してくれたのですが、とても感じが良い方で、嬉しくなってしまいました。その方は地元の方でファイターズ好き、伏見選手の大ファンなのだそう。いいですね。
伏見選手は北海道出身ですが、オリックスからFAで移籍してきた選手。ファイターズというチームの文化なのか、他チームから移籍してきた選手と、ファイターズに入団して育った選手とを区別しない、というのは特筆すべきことではないかと。伏見、山崎、水谷、郡司、齋藤ら、人気のある選手にも移籍組がたくさんいます。
そもそも、選手時代にファイターズの一時代を築いた新庄監督や稲葉二軍監督も、それぞれ阪神、ヤクルトからの移籍組ですからね。
「生え抜き」「外様」なんて言葉が、いまだに使われるチームやメディアもあるくらいに、特に伝統チームではこうした区別が今でもさりげなく行われている印象を私は持っています。気持ちよくはないですよね。もちろんフランチャイズプレイヤーが地元のファンに愛されるのは当然ですが、「外様」なんて、かなり良くない言葉だと私は思います。
私は子どもの頃から引っ越しを繰り返してきました。幼少から20代を過ごした兵庫県南部を便宜的に「ふるさと」と呼んでいますが、両親は九州の出身。最近では「私は胸を張って関西人と言えるのか?」と自問することもあります。
そして、選手や審判に対する「ヤジ」がないのも、北海道のファンの特徴です。この2年間、エスコンフィールドで100試合以上観戦してきましたが、その間に汚いヤジを聞いたことは一度もありません。何と言っても、ガキの頃から甲子園に通っていて、昭和50年代から関西で野球を観戦している私のようなオールドファンには大変に新鮮な光景でした。いや、じゃあ東京ではヤジが少ないのかというと、まったくそんなことはありません。みんなしっかり、大きな声でヤジっています。まあ、かつてに比べるとずいぶん少なくはなってきていますが。
そんな話を無印の担当の女性とすると、彼女は深く納得したり、少し驚かれたりしながら、「道民の民族性ではないでしょうか」とつぶやかれました。なるほど、民族性か。面白い表現の仕方だな、と妙に感心してしまいました。ベッドも無事購入。いい買い物でした。
帰り道。散歩の途中で川を渡れば、向こうにエスコンフィールドが大きくそびえていて、振り返れば空の広がりが一面に見渡せます。高い建物がほとんどないので、光と風を遮るものがないんですね。この街に早くも魅力を感じています。
引っ越しというのは本当にめんどくさい。荷ほどきもそうですが、まずはネット回線を整えなければ不便この上ありません。ここ数日はテザリングでなんとかしのごうと思っていますが、速度的にはなかなかしんどい。光回線の開通まではもう少し時間がかかりそうです。あわせて、ベッドが届くまでの1週間ほどはソファーで寝ることになり、少し不便ながらも新しい生活の始まりを実感しています。一方で、引っ越しの最中に腰を痛めてしまい、立ち座りに苦労しています。きついです。レコードが詰まったダンボール箱なんて、一ミリも動かすことすらできません。あきらめて、少しずつ進めるつもりです。痛みがマシになったら、本気出してがんばろうっと。
そんな中、昨日は石崎光さん作曲の『お願いバッハ』の発売日でした。順調に初日のオリコンデイリーで1位を獲得、ウィークリーでも1位になることは間違いないでしょう。今年、弊社BINGOとしては白井大輔くんの『アヴァンチュール中目黒』に続く、2曲目のナンバーワンヒットです。
会社を立ち上げた4年前には、年間で2曲も1位を出せるまで成長するとは夢にも思っていませんでした。それも自分の作品ではなく、仲間の作品であることに大きな意味を感じています。自分のことなら、自分が頑張れば何とかなる。それに新しい私の作品が世に出ても、私の活動の延長線上でしかない。その点、努力を重ねてきた仲間の成果が形となり、秋元先生と楽曲クレジットを分かち合い、名曲として広まり、多くの人に愛されていく姿を見ることは、オーガナイザーとしてこの上ない喜びです。
そして今夜は久しぶりの全体ミーティング「B1グランプリ」です! このリスニング会こそが、BINGOの肝になるもの。ソングライター仲間たちが一堂に会し、それぞれの成果と情熱を分かち合う時間。作家の皆さん、ゼミ生の皆さん、お会いできるのを心から楽しみにしています。
今日は私にとって特別な日だ。この部屋で過ごす最後の日だからである。
もともとは娘のために借りた部屋だった。娘にとって、ここは北海道で暮らす二つ目の部屋だった。独立心の強い娘が北海道の大学を選んだことに、私はさほど驚かなかった。若いうちに親元から離れて暮らしたいという彼女の気持ちが、私には痛いほどわかるのだ。
私が最初に家を出たのは、17歳のときだった。
ここ最近、『遠い山なみの光』のことばかり考えている。カズオ・イシグロの第一作。洗練された中期以降の作品からイシグロに入り、遡ってこの作品を読んだ私は、一読してその魅力の核心にたどり着くことができなかった。二度ほど読み返し、「なるほど」と本を閉じた。
先日公開された映画も、同じような印象だった。初見では可もなく不可もなく、原作をやや拡大解釈したもの――その程度の感想にとどまった。それでも妙に心にざらつきのようなものが残り、気がつけば再び劇場に足を運んでいた。この映画は全体像を理解したうえで改めて鑑賞するのにふさわしく、むしろ結末を知っていた方が深く味わえる。再見してようやく、素直に感動することができた。素晴らしい映画である。
イシグロ作品がオーディブルの聴き放題に加わったのは朗報だった。これまでは一作ごとに購入するしかなかったからだ。『遠い山なみの光』のオーディブル版はとりわけ素晴らしかった。移動中は耳で聴き、夜はKindle端末で活字を追い、三度目の通読を終えた。感想は、まさに圧巻の一言である。カズオ・イシグロのデビュー作。荒削りながら若さに満ちた鋭い発想があふれ、意欲的な試みが随所に光っていた。
それでも、初めてイシグロを読む方に薦めるのは、やはり『わたしを離さないで』である。そして、もし私が一作だけ選ぶとすれば『わたしたちが孤児だったころ』だろう。この難解な小説を読み切ったという充足感も含めて、魔法のような感動を与えてくれた。
結局のところ、私にとってイシグロの作品というのはそういうものだ。心がざらつく。しかしそれは決して悪い感情ではない。小石をポケットに忍ばせたまま歩くように、どうしても気になってしまう。だからこそ、なぜかもう一度読み返したくなる。また出会い直したくなる。
人生とはそうしたものなのだろうか。そしてその味わいを知る年齢に、私もなったということか。