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おはようございます!
昨日は家から車で20分ほどのところにある「マウンテン・レコード」にラジオ音源の買い出しに。決して広いとは言えない店内に、きちんと整理された国内盤中心に洋邦バランスよく在庫されてます。レコード7割、残りがCDほか。
昨日の収穫はりりィ「家へおいでよ」のシングル盤だった。編曲は 坂本龍一さん。
現在、僕の番組「POP A to Z」で名ドラマー「上原ユカリ裕さん」の特集をやっていて、このあたりの音源をかけたいなあと思ってたので、見つけた時は嬉しくて思わず声が出た。
(ネットで買えばいいじゃんって思うかもだけど、こういう出会いがレコード屋めぐりは楽しいのだ。)
りりィさんのバンド「バイ・バイ・セッション・バンド」は70年代中盤、若手腕利メンバーが集まっていた。伊藤銀次さん、土屋昌巳さん、上原ユカリ裕さんら。その中にYMO結成前の坂本龍一さんもいた。「家へおいでよ」はその坂本龍一さんのアレンジだ。あらためてじっくり7インチのシングルレコードで聴くその音は、これが50年近くも前に録音されたものとは思えないほど生々しい。
僕が中学生だった81~83年当時の日本(のサブカル中学生)で流行っていたのが「YMO」と「RCサクセション」。僕は断然「RC派」で、清志郎さんからたくさんの音楽を教えてもらっていた。ギターを弾き始めていた血気盛んな少年であった僕には、YMOは夢中になるには知的すぎた。
それでもYMOのすべてのアルバムは聴いていた。今でも聴き返すこともある。
僕が十九、二十歳の頃、アルバイトをしていた神戸のカフェバーで一緒に働いていた同い年の芸術家志望の男がいた。彼ははじめ絵を描いていたが、どこかのタイミングでその表現は写真に移っていた。
彼はある時期、急に僕たちの前から姿を消したと思ったら、新進気鋭の写真家としてメディアに大きく取り上げられた。それこそ二十歳とかだっただろう。
坂本龍一さんが彼の写真(白黒の薔薇の写真だ)をたまたま見つけ激賞、すぐにその写真をワールドツアーのビジュアルアートとして採用したという。なんという運命。
同い年の彼、つい先日まで一緒に働いていた彼の輝く姿を見て、「世に出る」というリアルを突きつけられた気がしたと同時に、神戸の無名の若者の作品を抜擢する坂本さんの「人としての凄み」に驚かされた。素晴らしい作品は必ず認められる。必ず。そう教えてもらえた気がした。
僕と同じく「何かを表現するために」その店周辺にたむろしていた当時の高架下の「自称アーティスト」たちのショックたるや。
彼は写真で世に出た。僕は音楽で世に出るんだ。そう本気で思わせてくれた。くれたからこそ、自分の才能のなさを思い知ることになったが、それはまた別の話だ。なんと言っても僕たちはまだ二十歳とか、だった。人生はまだまだずっと、永遠に続くとさえ思っていたのだから。
おはようございます!
今朝はいきなり、ミックスダウン生配信だよ!