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不安について 2025、夏。
成瀬英樹
成瀬英樹
7月30日 14:26

おはようございます!
 

朝から津波警報が出ていて、不安な気持ちで過ごしている人もいると思う。僕もそうです。僕が住む北海道の沿岸部にも警報が出ているので、地元のテレビ局のニュースをつけっぱなしにして、これを書いています。
 

昨日も野球観戦から帰ってきて、深夜作曲に勤しんでいました。さまざまな迷いを振り切るたった一つの方法は、「良い曲を書くこと」に尽きます。いつだって作曲に取りかかるまでは、僕も本当に不安な気持ちでいます。野球の試合を観ていても、頭の中はこれから作る新曲のことばかり考えて――できるのかな、大丈夫かな。今回特にその思いが強かったのは、きっと気持ちの波が低いところにあったのでしょう。
 

泣いても笑っても、この夜に曲が書けなければ、このチャンスは失われてしまう。なのに、まったく何もできていない。ボイスメモのアイデアを漁っても、今回のお題に相応しい楽曲のタネは見つかりそうになかった。
 

じゃあ、一から作るしかない、と開き直って、「えいやあ!」と一筆書きで思いついたメロディから、数十分でなんとか一曲書き終えた。仮歌詞をつける頃には、なかなかおもしろい出来になったのではないかと手応えを感じることになる。この瞬間が、毎回、一番嬉しい。現状の自分のベストを出し続けること。それしか、我々にできることはないではないか。
 

朝起きて、聴き直して、仮歌をお願いする。今回は、ゼミに新しく入ったシンガーソングライターのTさんにお願いする。いつも僕は、仮歌をお願いするシンガーの「声」をイメージして、メロディや歌詞を当て書きする。Tさんの本職はR&Bシンガーであるが、いや、なんというか実にナチュラルな、ソウルっぽさの中に少女的なものも感じたりして。素晴らしい歌を歌っていただく。
 

やはり「It’s the singer, not the song」だよね。「SONG」にとって一番大切なのは、「曲」ではなく、それを表現する人(歌い手)である。そう思いませんか?
 

この締め切りを終えたら、『BINGO! AID 2025』の最終まとめに入ります。ライナーノーツはマークに、アルバムジャケットは今年はにこいちの井指にお願いしてみようと思う。彼もアルバムに参加してくれてるしね。
 

「アルバム、出る出る詐欺」は大師匠譲りということで、どうか許してください。今年も『BINGO! AID 2025』、みんなの思いを乗せて全16曲、リリースします。この夏じゅうには、必ずね。

はじめての夏
メンバー クリエーターズ 成瀬英樹ゼミ 〜プロ作曲家養成〜 成瀬英樹ゼミ 分割プラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
7月28日 12:05

7月12日(土)
 

僕のファイターズ大航海日誌、現地観戦51試合目。神戸からM夫妻がエスコンにご来場。北海道旅行のひとつのルートに加えているのは、彼らも相当な野球好きで、かつてアメリカ在住時には夫婦で何球場も巡っていたほどだからだ。ロサンゼルス・エンゼルスのファンで、大谷の良きライバル「ゲレーロJr」のお父さんが活躍していた頃から、現地で応援していたという。


そんなM夫妻と僕がどこで知り合ったかというと、関西のウクレレサークル「関レレ」である。今も継続中のアマチュア・ウクレレサークルに、僕は2003年くらいから二、三年、わりとしっかりコミットしていた。当時も(落ち目とはいえ)プロのミュージシャンであった僕が、なぜアマチュアのウクレレサークルに顔を出していたかというと、ウクレレという楽器への深い興味があったからとしか言いようがないのだが、そのサークルに一度顔を出してしまうと、そこに集う人たちとの交流ができて、大変楽しい月日を過ごさせてもらった。僕の一番「しんどい時期」を乗り越えさせてくれたのは、「関レレ」の楽しい仲間のおかげも大いにある。

 

そんなわけで試合前、M夫妻と合流して、球場内の居酒屋でワイワイやりました。懐かしい仲間の近況もたくさん聞けて嬉しかったな。M夫妻も相変わらず日々を楽しんでいる。どこでどうなるかなんて、まったくわからないのが人生である。あれからもう20年以上も経っているのだ。

 

試合の方は、せっかく来てくれたM夫妻には申し訳ないんだけど、バファローズをやっつけさせていただきましたぜ、えへへ。7-3で勝ち。

 

試合終了後、一緒に花火を見ようと思っていたのだけど、締め切りという愛しくももどかしい魔物が僕を追いかけてくるので、先に帰らせていただく。花火までしっかり楽しんで帰ってもらえたようで嬉しい。

 

 

7月13日(日)

 

僕のファイターズ大航海日誌、現地観戦52試合目。今日は今季初先発の福島蓮。昨年はローテーションで投げていた時期もあった若手好投手。オープン戦での競争にギリ負けて、二軍で無双中の彼がついに一軍登板。いわばローテーション外の「オルタネイト」なピッチャーなんだけど、あっさり五回を無失点に抑えてしまうのだから、今のファイターズは強い。

 

今日は何と言っても、清宮とレイエスの連続ホームランを観ることができたのが幸せである。序盤の攻守に渡る不振から少しずつ立ち直り、前半戦を「中の中」くらいの成績でまとめてきた清宮幸太郎。不調時でも粘り強く四球を選ぶ姿や、勝負所でのしぶといバッティングが印象にあるため、数字よりも良い印象を残してきたが、いよいよ彼の季節がやってきた。

 

昨年もこの時期から狂ったように打ち始め、ファイターズの快進撃を支えた清宮。この夏男が全開になるのを待ち僕は焦がれている。何と言っても僕は、彼のホームランの迫力を感じたくて、シーズンシートをライトスタンドにしたのだからね。

 

 

7月26日(土)

 

今年のオールスターは一イニングも観ていない。観そびれてしまった。オールスターをやっている時間に僕は、大学生の娘と都内のドライブを楽しんでいた。多摩地区から甲州街道で世田谷方面に向かう道中、免許を取り立ての娘がハンドルを握った。車の中では、古いソウルミュージックや、夏らしいサイケなサンシャインポップが流れていた。

 

人生とは「はじめて」の連続であるが、ついに「はじめて娘が運転する車に乗った」という経験をした。この感動をいったいどんなふうに歌にしたらいい?

 

オールスター。新聞の見出しやネットなどで、ファイターズの選手がなんとなく活躍はしたようだとの情報は得た。しかしながら、オールスターというのはお祭りであって、後から観たってしょうがないのである。たとえば花火大会の録画放送など、通常は見ない。そういうことだ。人生にはオールスターより大切なことが、あまりにもたくさんある。

 

そんなわけで後半戦初戦。今季53試合目観戦だ。予告先発はプロ初登板の高卒ルーキー、柴田獅子。新庄監督の打つ手の大胆さには慣れているつもりだが、これはまた思い切ったことを。しかしきっと新庄監督のこと、何かしっかりとした根拠があったのだろう。その柴田、なんと3回をパーフェクトに抑えてしっかり役目を果たす。いやいや、めっちゃいいピッチャーじゃないか。

 

4回にバーヘイゲンが登板したあたりで、僕はエスコンを後にした。明日、札幌市内のホテルで僕は作曲についての講演をしなくてはいけない。その準備をするためだ。試合途中で帰るのはなかなかに切ないことだが、当然ながら、人生には野球観戦よりも大切なことがたくさんある。

 

エスコンから北広島まで、ゆっくり歩いて30分。夏の夜の風は涼しくて心地いい。そういえば、僕もここに来て2シーズン目になるんだよな。

 

 

7月27日(日)

 

担当者とは、午前11時半にホテルのロビーで待ち合わせの約束だった。するとサプライズで社長のSさんも来られていた。久しぶりの対面に胸が躍った。Sさんとは、共に某CM案件を勝ち取るべく戦った戦友であり、尊敬すべき経営者の大先輩である。

 

「作曲についての講演」を、「200名の現役の保育士」さんを相手にお願いします、とのご依頼を受け、引き受けさせていただいたものの、何をどう伝えたら良いのか現場のイメージがつかめないまま本番当日を迎えたが、僕が気をつけたのは、こうした講演やセミナーにありがちな「なんとなくやった感」を出すものは絶対に避けて、聴いてくれた人が本当に1時間の間に歌を作ることができるように、その「方法」だけを簡単に教えるつもりだった。保育士ということは、最低限鍵盤の知識はあるはずだから、作曲をすることなんて簡単。方法はある。あとはやるかやらないか、だけだ。やらない人はできない。当然である。

 

1時間の講演の中で、なんと2曲の「シンプルな名曲」が生まれて、講師としてはとても嬉しい気持ちになりました。歌っていうのは結局、「誰かにこの気持ちを伝えたい」、たったそれだけの理由でできているものですから、ありがとう、おめでとう、ごめんね、大好きだよ、愛してるよ、みたいな強い言葉をしっかりメロディに乗せることができたら、すでにそれは「あなたの歌」なんだよね。

 

14時に終わった講演。そのままエスコンに直行。今季54試合目の観戦は、いつもの席を公式リセールで売って、僕は立ち見で。ハイカウンター席をしっかり確保することができたので、三イニングに一度くらい屈伸をして足を伸ばしさえすれば、かなり快適に観戦することができます。講演の荷物の関係で、今日はスコア用のiPadは持ってきていないので、スコアつけなしで観る。これもまた新鮮。

 

試合の方は、いい展開だったんだけど、8回にセットアッパー修行中の田中正義が同点にされてから、ずるずると負けの方向に。いやいや、毎日勝てるわけじゃないんだから。こういう日もあるってさ。

 

試合終了後も、今日の講演でクライアントさんの期待に応えられたことの喜びに、胸がじんわりと熱くなっていました。仕事の満足度、充実度って、結局全部見てきた自分自身の納得のためにあるものなんだよね。それでいいのかもしれない。自分だけ、ごまかさないように生きて行ければ。

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何はともあれ、生配信!
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成瀬英樹
成瀬英樹
7月26日 12:06

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大切なご報告からの、東京なう
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成瀬英樹
成瀬英樹
7月22日 17:24

お疲れ様です!
 

今、僕は東京で定宿にしている宿にいます。ここは「古い」けど、決してボロくはないんです。かなり安く泊まれるし、しっかり個室だし、アクセスもいいので、いつも重宝しています。
 

昨日は何人かのメンバーの方とレッスンを終えた後、夜には全体Zoomミーティング「B-1グランプリ」を開催しました。楽曲は9曲と、いつもより少なめでしたが、精鋭メンバーvsゼミ生の渾身作による、熱い戦いになりました。結果は……まだ内緒にしておきますね。
 

というのも、いつもならB-1の翌日に振り返り配信をしているんですが、今は東京でバタバタしているので、週末にまとめてお届けしますね。
 

それでは、おとといアップロードした「大切なお知らせ」がまだのメンバーは、ぜひ確認お願いします↓

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ブライアン・ウィルソン
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成瀬英樹
成瀬英樹
7月20日 16:59

昨日の「成瀬英樹のPOP A to Z」、お聴きいただけましたか? 今日も14時から再放送があります。ぜひお聴きください。
 

敬愛するブライアン・ウィルソンが亡くなった。その日はいつか来ると覚悟していたものの、大きな喪失感が僕に押し寄せました。

 

僕は中学の頃、テレビで放映された『アメリカン・グラフィティ』を観て、ラストに流れる『All Summer Long』の「底抜けに楽しい音楽なのに、限りなく悲しい響き」に完全にやられてしまい、彼らのベストアルバムを買ってからは、一日中カセットで聴きまくる日々でした。

 

世はポストパンク、ニューウェーブの時代。僕も安全靴を履いてビートパンクを気取り、仲間うちでは「やっぱジョー・ストラマーだよなあ」とイキがっていましたが、家に帰るとこっそりビーチ・ボーイズを聴いていました。80年代中期、僕のまわりでビーチ・ボーイズを「いけてる音楽」として聴いていた人なんて、一人もいませんでした。

 

そしてクイーン再評価につながった例の「Live Aid」にもビーチ・ボーイズは出演し、素晴らしいライブを披露してくれました。茶の間のテレビで、動いている彼らの姿を初めて観たときの興奮は忘れられません。(いま観ると、うつろな顔でピアノを弾いているブライアンの姿が痛々しいですが)

 

当時高校生だった僕は、翌日クラスの仲間と「Live Aid」の話で盛り上がりましたが、話題はU2、スタイル・カウンシル、ミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイ、コステロも良かったね、なんて感じ。ストーンズファンとしては、キース・リチャーズとロン・ウッドがボブ・ディランのバックでギターを弾くというトピックだけで、昼休みはあっという間でした。「演奏中、弦が切れたディランに、自分のギターを差し出すロンがさあ…」なんて話していると、時間がすぐ過ぎてしまいました。

 

まさか「ビーチ・ボーイズ、良かったよね?」なんて言えなかった。きっと友人たちは「お前、正気か?」と言ったでしょう。 あのダサいおっさんバンドのどこがいいんだ、と。

 

80年代後半、ビーチ・ボーイズのいくつかの評伝が出版され、その内容があまりに衝撃的だったこと、アナログ盤からCDへとカタログが移行するなかで世界的に『ペット・サウンズ』が再評価されたことなどから、彼らはカルト的でモンドな側面からも語られるようになっていきました。

 

20歳の頃、神戸のカフェバー「TOOTH TOOTH」の1号店で昼間バイトをしながら、よくBGMにビーチ・ボーイズをかけていました。決まって仲間たちは「そんなダサい音楽聴くの、ナルちゃんくらいやぞ」とからかいました。彼らが聴いていたのは「レベル42」やなんか。「普遍性」という言葉を考えるとき、僕はいつもこの光景を思い出します。

 

彼の音楽とともに育ち、いつ来るかわからない彼の復活を長いあいだ待ち望みました。だからこそ、90年代後半の鮮やかな復活には胸が躍りました。ブライアンの来日公演初日、『Little Girl I Once Knew』が始まったときの興奮は、僕の人生の中でいくつかある真の喜びの瞬間のひとつでした。

 

当時のブライアンのバンドは世界一でした。演奏の確かさ、コーラスの美しさと重厚感、そして何より「ブライアン・ウィルソン」という音楽家への愛情が詰まっていました。“アメリカのL⇔R” ワンダーミンツのダリアン・サハナジャや、本家ビーチ・ボーイズのツアーサポートでブライアンのファルセット役を務めていたジェフリー・フォスケットを中心とするメンバーとともに、ブライアンは60年代の音楽を再構築し、ついに2004年に未完のアルバム『SMiLE』を完成させたのです。

 

その『SMiLE』の制作ドキュメンタリーを観たのは、僕が突発性難聴になった2005年のことでした。片耳の聴力を一時的に失い、圧倒的なショックを受けていた僕に、ブライアンの痛々しいほどの執念が、心の底から勇気をくれました。もし聴力が完全に戻らなくても、自分なりのベストを尽くしてやればいい。落ち込んでいる場合か、ブライアンを見ろ、と。
 

ブライアンだって片耳の聴力を失ったまま、ずっと音楽を作り続けているじゃないか。

 

人が亡くなるのは本当に悲しいことです。でも誰もが必ずその日を迎えます。ブライアン・ウィルソンは激しい浮き沈みの人生を歩みながらも、素晴らしい音楽を残しました。ポピュラーミュージックの世界で大衆性と芸術性の両方を認められ、その価値はこれからも高まり続けるでしょう。レコードに針を落とせば、いつでも「彼ら」に会えるのです。

 

たくさんの素晴らしい音楽を残してくれてありがとう、ブライアン。僕なんかじゃきっと、一生かかってもあなたの音楽の真髄には触れられないでしょう。でも僕は、全存在をかけて、すべての憧れをこめて、これからもあなたの音楽を愛し続けます。

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