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「めくらやなぎと眠る女」
メンバー クリエーターズ 成瀬英樹ゼミ 〜プロ作曲家養成〜 成瀬英樹ゼミ 分割プラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
6月19日 8:38

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僕のファイターズ大航海日誌 #43 #44 #45
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成瀬英樹
成瀬英樹
6月16日 16:07

ここ北海道で、ファイターズとカープの試合を観るようになるなんて、思ってもみんかったわ。ほいでもアレやな、思ってもみんことが起きるんが人生やし、野球やな。こんな7点差ひっくり返すことんなんてあるか? 見たことないわ。僕いっつもiPadでスコアつけてんねんけど、この日は6回までで充電切れてもてん。不思議なもんや。そんなこといっつもないねんけどな。せやから、あの猛烈な逆転劇は、記録されてないねん。それでもええねん。この空白のスコアシートは『充電が切れた』って記録でもあるんや。


広島って、僕、好きやねん。
 

昔、バンドでデビューしたことあって、そのときキャンペーンライブかなんかで広島に行ったんよ。97年のこっちゃ。ナミキジャンクションってハコやった。ライブのこととか、正直あんまり覚えてへんねんけど、夜みんなで食べに行ったお好み焼きがめっちゃ美味くてな。それ以来、お好み焼きって言うたら広島やと思ってる。大阪のんも悪ないけど、広島のお好みはほんま最高やと思う。
 

ほいで昔からなんやろ、広島出身のミュージシャンに好きな人が多いねん。矢沢永吉さんも、吉田拓郎さんも、吉川晃司さんもそうやろ。その中でも奥田民生さんが特に好きやねん。ユニコーンの彼もええけど、ソロになってからのんも、すごいええ。僕は昔の広島市民球場に二回行ったことあるけど、そのうちの一回は野球やのうて、奥田民生さんのライブやった。あの球場のど真ん中に一人でギターの弾き語りで民生さんが歌うんや。なんやろなあ、彼の広島への想いとか、カープへの想いとか、そういうのが音の塊になって飛んでるみたいやった。空にはヘリが、でっかい音たてて飛んでてな。
 

民生さんの声とヘリの音と、広島市民球場の夜の空。曲はなんやったかな、『The STANDARD』やったかもしれん。忘れられへん夜や。
 

市民球場に行ったもう一回はな、前田智徳の2000本安打を見に行ったときや。僕の弟が広島に縁ある人と結婚してて、その頃広島に住んでたから、弟の家族と僕とで一緒に観に行った。2007年の9月のことや。前田は7回までに4打席まわってきたけどヒット出んくて、今日はもう無理やろなって感じになっててん。んでも8回裏に、他のメンバーが執念で前田まで回してな、ほんで前田も見事にヒット打ちよったんや。市民球場そらもう、大騒ぎや。印象的やったのが、4番を打ってた新井貴浩(今のカープの監督やね)が、しぶとく粘ってフォアボール取ったんよ。「絶対前田さんまで回す」っていう気持ちが、よう出てたフォアボールやった。なんか、妙によう覚えてんねんな。
 

マツダスタジアムにも一回だけ行った。エスコンができるまでは、マツダが日本一の球場やった思う。あそこは何て言うても、広島駅から歩いてすぐってとこがええよな。都会のど真ん中に、ちゃんと球場がある。歴史的にも広島って町の発展を考えると、カープって球団はほんま外されへん存在やなって思う。二十歳そこそこの頃、旅行で尾道に行ってな、旅館に泊まったんよ。仲居さんが布団敷きに来てくれたときに、「やっぱり広島の人ってカープファン多いんですか」って僕、ちょっと間の抜けた質問してしもたんよ。そしたら人の良さそうな仲居さんが、ちょっとムキになって「カープを応援せん人は、広島県民やないです」って言わはった。
 

で、マツダスタジアムに行ったのは、2010年4月2日や。その日付をちゃんと覚えてるのには理由がある。この日行われた「広島対巨人」の試合前、巨人のコーチやった木村拓也が、ノック打ってる最中に倒れはってん。僕が球場着いたときには、ホームベースのあたりに、両チームの選手やスタッフが集まっててな。最初は誰かレジェンドでも来て、みんなで挨拶でもしてるんかと思った。でもそのあと救急車が入ってきて、ああこれは普通ちゃうなって思った。そんときは、まさか木村拓也がクモ膜下出血で倒れたなんて知らんかった。たしか試合中にネットのニュースか何かで知ったはずや。
 

木村拓也って、名前が名前やから、選手時代から人気あったけど、そのどこでも守れるユーティリティ性と渋いプレイスタイルで、カープ時代からほんまチームに欠かせへん存在やった。巨人にトレードで移ってからは、より一層スタイルに磨きかかってて、引退後は巨人のコーチになったばっかりやった。38歳やった。倒れたその日から数日後、彼が亡くなったって聞いて、僕はすごく悲しかったし、同時になんか啓示を受けたような気持ちにもなった。お子さんもまだ小さかったらしいし、彼の人生はこれからってとこやったと思う。ほんまに無念やったやろな。人って、どこでどうなるかわからん。僕も、このもらった「人生」っていうチャンスを、ちゃんと活かさんとあかんなって思ったんよ。
 

ほんでも、よりによってカープとジャイアンツの試合の前に、しかも広島で倒れはるって…ようがんばってはった人生やったから、お世話になったみんなの前で倒れはったんやな。そういうとこまで、実に木村拓也やなあって、なんか忘れられへんねんよな。

 

 

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神宮の彼〜僕のファイターズ大航海日誌 #41 #42
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成瀬英樹
成瀬英樹
6月13日 10:54

ヤクルト・スワローズというチームには、個人的に愛着がある。東京に住んでいた頃は、よくふらりと神宮球場まで行ったものだ。甲子園とはまた違った歴史の重さを感じさせてくれる、このいい感じにヴィンテージな野球場は、都会のど真ん中に位置する。最寄りの駅も複数の選択が可能だし、割と広めの駐車場が隣接しているのも非常にありがたい。


村上春樹さんがスワローズファンであることは有名だけれど、春樹さんが小説を書くきっかけになった「閃き」を得たのが、1978年の開幕試合でスワローズ往年の名選手デイブ・ヒルトンが放った二塁打だったことは、ご存知だろうか。結果的に「文学史を変えた二塁打」を外野席で観戦していた村上春樹青年は、その光景に「僕にも小説が書けるかもしれない」と感じ、万年筆を購入し、それで小説を書き始めたのだ。そう、ベースボールには物語が宿っている。
 

2006年に僕は「再上京」した。一度目の上京は1996年秋。FOUR TRIPSというバンドでデビューするためにメンバー4人、西荻窪の街でそれぞれ部屋を借りて住んだ。翌年の春にリリースが決まっていた我々のデビュー曲には、TBSのドラマ主題歌のタイアップがついていて、大きなヒットになることが期待されていたが、結果そうはならなかった。初回のビッグチャンスを逃した我々に二度目はなかった。2000年に一旦、神戸に帰ることにした。
 

地元に戻った我々FOUR TRIPSは、神戸駅近くの『JUKE BOX』という店で週一回ほどの出番を得た。1年ほどの期間、大いに楽しく演奏させてもらった。毎週2時間超のライブをこなすため、そして通りすがりの酔客をこちらに振り向かせるために、我々はカバー曲のレパートリーを充実させていった。そのうち、毎回ワンテーマでカバーナイトをやるようになっていった。ビートルズ、ストーンズなどは言うに及ばず、ニール・ヤング、はっぴいえんど、松本隆ナイトなんてのもやったりした。神戸の先輩ミュージシャンを呼んで、ジャムやクラッシュをまとめて演奏したりも。
 

メンバーで手分けして耳コピしてコード譜を用意して、本番で初めて合わせるようなことも増えた。それまでは、オリジナル曲を決められたセットリスト通りにやるようなライブしか経験がなかったので、今にして思えばこの「バー・バンド時代」は僕たちにとって、とてもエキサイティングな修行の場だった。
 

その『JUKE BOX』をアルバイトとして手伝っている男がいた。はクラブDJやFMラジオのDJとして神戸では知られた人物で、年齢は僕と同い年。我々はそれまでも顔見知りではあったが、親しく話すようなことはなかった。けれど、ここで会ったことをきっかけに、お互いが大好きだった野球の話などをつまみによく飲むようになった。運動神経抜群の彼は、僕の草野球チームにもときどき強力な助っ人として参加してくれたりもした。
 

当時の我々は30を少し過ぎたばかり。僕は音楽家として、彼はトークのプロとして。次なるチャンスに備えて、じっくりと爪を研いでいた。今度こそ、しくじらないよう、うまくいくように。今はじっくり力をためる時期なんだぜ、必ずまたチャンスは来る。だからきっと「いつかその日」を待ち望みながら、僕らは闇雲に毎週演奏し、彼はカウンターでカクテルを作り続けた。そして僕たちは一生分とも思えるくらいの量のビールを飲んだ。
 

2001年の秋に、僕が所属していた事務所が倒産して、モラトリアムな日々は突然終わった。バンドは空中分解し、『JUKE BOX』にも行かなくなった。僕はここから数年かけて作曲家になるべく修行を始めることになる。よくある苦労話だ。ありふれている。しかしながら、それが「我がこと」となると、そう呑気に相対化しているわけにもいかない。「ありふれた苦労話」は当人にとっては悲痛な日々だ。なんとか一、二曲をリリースすることができたのが2006年。僕は家族とともに再上京し、もう一度「東京」で挑戦することにした。
 

まだまだ「専業」とは行かなかったが、ようやく「作曲家」としてのキャリアを築き始めた2008年の春、神宮球場で僕は「彼」と突然、再会した。なんと彼はヤクルト・スワローズのスタジアムDJとしてそこにいたのだ。これ以上ぴったりな人選も、なかなかないだろうと思った。彼の活躍を心の底から嬉しく思ったし、誇らしく思った。
 

そういえば、最近いつ神宮に行ったかなと考えたら、2022年の日本シリーズ第7戦だった。オリックスがヤクルトを下し、久しぶりの日本一になったゲームだ。考えてみたら不思議なものだと思った。オリックスは神戸にルーツを持つチームで、「あの頃の神戸」の象徴のような存在でもある。そのオリックスと、ヤクルトが日本シリーズで対戦するなんてね。
 

今でも神宮のスタジアムDJとして活躍する「彼」もきっと、不思議な気持ちだったはずだ。だって、ヤクルトとオリックスが日本シリーズで対戦したのは「1995年」だったんだ。忘れられるはずもないもんな。

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作曲生配信!
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成瀬英樹
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6月12日 10:10

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Sail Away!〜僕のファイターズ大航海日誌 #40
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成瀬英樹
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6月11日 13:58

今日は「わさび」に呼び出されて、すすきの駅近くのスタジオでコライトセッションをしたよ。「コライトセッション」なんつっても、あんたにはわかんないか。一緒に作曲をするって説明で大丈夫かな。
 

シンガーソングライターの「わさび」と知り合ったのは、ゼロ年代の後半だった。彼女がデビューのきっかけを掴んだあるオーディションがあって、あたしは審査の幕間に歌うゲストシンガーのバンドのギタリストとして、その会場にいた。そこで「10代だけのコンテスト」とかじゃなく、ましてやバンドもソロも一緒くたで審査される中で、まだ高校生だったわさびがギターの弾き語りで優勝したことに、あたしマジで驚いたんだ。
 

他にプロ顔負けの「大人の知恵の入った」派手なバンドがいくつも出場していたのによ。オーディションなんてもの、ろくなもんじゃないって思ってた部分、あたしにもあったからさ、捨てたもんじゃないな、見てくれる人もいるんだなって、心底感心したのよ。
 

わさびは札幌の高校を卒業すると、都内の大学に入学。時を同じくしてシンガーソングライターとしてメジャーデビューした。彼女、あたしが書いた女性シンガーの曲を好きでいてくれたらしく、なんだかんだで友達になったの。あたしも、わさびが書く曲や彼女の声が好きだし。ずいぶん歳が離れた友達だけど、不思議になんでも話せるし、ウマがあうのよね。
 

あれから10年以上流れて、あたしはいろいろあってこうして北海道に流れ着いて、毎日曲を書いて、エスコンで野球を観てる。わさびはシンガー活動の幅を広げながら、ソングライターとしても大活躍してる。わさびが30過ぎたわけだから、あたしもとっくに50の中盤よ。
 

それでもこうして「一緒に曲を作りましょうよ」って、声をかけてもらえるから、あたしは幸せものだよね。あたしのような仕事って「“現役”であるかどうか」が大事だと思うの。古い考えかもしれないけどさ。“現役バリバリ”のわさびとコラボレーションできるから、あたしだってまだまだ現役だよね。
 

近頃じゃ、先にトラックを作って、それにトップラインを乗せることが多いじゃない。あ、トラックっていうのは「カラオケ」のことね。先にカラオケを作っちゃうのよ。まず歌詞があるんじゃないのかって? 今はそんな作り方する人いないのよ。カラオケが先で曲なんて作れるのかって? うん、慣れると簡単なんだ。先に「枠」が決まってるからさ、迷うことがないのよ。トップラインってのはメロディと歌詞のこと。だから現代のコライトっていったら、一人がトラックを作って、一人または数人でトップラインを考えることが多いわけ。
 

でもあたしはやっぱり、ギター一本からメロディと言葉を立ち上げるのが好き。その自由さを愛してる。トラック先行の有利さも現代感も認めた上で、ね。だから、スタジオに入ったら、アコギとシンセが一台ずつ用意されてて、テンション上がったわ。顔突き合わせて楽器を弾いて、一から曲を作ることができるなんて。しかもわさびと。最高じゃない。
 

きっとあたしが呼ばれたからには、わさびにないアイデアをあたしに求めてるんだと思って、役に立てるようなネタを提供しようと、レンタルされたテイラーのアコギをオープンチューニングにしてリフを弾いてた。
 

「あ、そんな感じのがやりたいです」って、わさびが言う。あたしはメロディを乗せてハミングしてみた。そしたらわさび、シンセで続きをザクザク弾きながら、メロディをつけていった。サビのオンコードが効いてて最高だと思ったから、伝えた。
 

キーを調整して「じゃあ録ってみましょう」と、わさびはあたしのギターをMacに繋いで、「ワン、ツー、スリー、フォー」って録音を始めた。わさびもシンセを弾いて同録した。「これBメロなくしてサビにそのまま行っちゃうの、いいかもしれませんね」「うん、あたしもそう思った」なんて、あっという間にご機嫌な曲の出来上がり。ものの20分もかからなかった。わさびとはこういう価値観が合うんだと思うの。「話が早い」ってこと。
 

わさびはMacに向かって、トラックを仕上げようとしてる。イメージを掴めるくらいまで仕上げないと気がすまないのよね。あたしは、彼女が作業してる横で、他にも何個かアイデアを提案できないか思案して、もう二つほどわさびにプレゼンした。
 

ビートルズ『Blackbird』のようなリフを提案したら、わさび、目の前で珠玉のメロディをつけた。敵わないな、ってあたし思った。爽やかな気持ちだった。そして、刺激的。あたしも頑張らないとな、とかではなく、わさびのように、深く音楽に接していたいなって思ったの。言葉にするの、難しいんだけどさ。
 

今日の達くんのピッチング、最高だったよね。7回無失点。4試合投げて防御率が0.34よ。達くんが打たれたとこ、あたしらまだ見たことないのよね。わお。
 

「がたしゅー」こと山縣秀を「道民の孫」と呼ぶセンスは素晴らしいわよね。あのあどけなすぎる顔には抗えないわ。今日も8回ツーアウトからのセーフティバントから追加点を奪えたし、守備も実に「魅せる」のよ。相手から見て、いやらしい選手になってほしいね。
 

去年とは違う形での強さを、今年のファイターズは見せてくれるかも。そんな期待、できるような新しい力の台頭だね。

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