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On The Beachというバンドをやっています。この夏で結成4年になるので、バンドとして、そろそろ立派な活動歴と言ってもいい頃かもしれません。ミュージシャンにとって、「パーマネントなユニット」を持つことの重要性を年々感じています。On The Beach、妙に連帯感があるユニットになってきました。10月にまた東京でライブをやることが決まっていて、メンバー一同、とても楽しみにしています。
今回、これまでと大きく違うのは、On The Beachに新しいメンバーが加わったこと。「石崎光」と聞けば、音楽通のあなたなら「ああ!」と思い当たってくれるはず。そう、あの石崎光さんがOn The Beachファミリーの一員になりました。わお! ヒカルン、ようこそ。
石崎さんは、英国的繊細なメロディと大胆なコード進行のセンスで知られるソングライター&プロデューサー。その彼が加わったことで、On The Beachは普通のバンドという感じではなく、一つの音楽制作共同体みたいにしたら楽しいんじゃないかって思っているんです。今もソングライティングを手伝ってくれる準メンバーがいたり、ライブには参加しないけれど「名誉的ご隠居(アドバイザー的な立場)」みたいなメンバーがいたりします。
その体制で、みんなで新曲を作りました。タイトルは『大航海は続く』。もちろんファイターズの応援歌なんだけど、僕や君のような音楽ラヴァーズの人生もご機嫌に応援してくれる、最高なロックンロールに仕上がったよ。みんなの「ベースボールとロックンロール」なプレイリストにこの曲を加えてくれたら、とても嬉しく思います。
ああ、早く聴いてほしいなあ。
ここから10月まで、新体制On The Beachの新曲を随時リリースしていきます。作っている僕たちの熱量がまっすぐに伝わるような、最高の「グッド・ヴァイブレーション」を持つ曲だけを厳選してお届けするから、どうか期待していてね。
さて、ここからは、言い訳めいた独白。
僕は元々、バンドのシンガーとして世に出たわけなんだけど、自分のことをシンガーだと思ったことは一度もなくて。バンドを始めた頃に、僕が作った曲を誰も歌ってくれる人がいなかったから、自分で歌い出しただけ。そんなだから、デビュー後はとても苦労しました。自分という貧弱なボーカリストが歌っても楽曲として成立するように、言葉の語感を整えたり、メロディの運びを滑らかにしたり、いろいろ工夫を重ねました。その苦労は、今思えば結果的に役に立ったと思っています。
でもね、30を過ぎてタバコをやめて、50を過ぎてお酒もやめて節制したおかげで、キーが若い頃よりも上がっているんです。いや、歌が上手くなったかどうかは確かに疑問だけど、自分の声の操り方は、数年前のFOUR TRIPS再編時に何かつかんだ感じがある。なんだか、変な言い方だけど、「成瀬」というまあ普通のボーカリストの、それでも最良な部分の出し方がわかったというか。回りくどくて申し訳ないけど、僕は今回、自分の歌を、自分がイメージした通りに歌って残せたって思ってる、ってことが言いたいわけです。
それに、いつまでこんな叫ぶように歌うことが続けられるのかもわからないしね。だから、こうして最高な楽曲の一部として自分の歌を残せたことが、とても嬉しいんです。
ときめきの彼方へ 大航海は続く
約束のステージへ
高鳴る胸の鼓動がコンパス
僕たちOn The Beachの新曲『大航海は続く』、ご期待ください。
幼い頃、甲子園によく連れて行ってもらったことが、僕の野球の原風景だ。記憶の中での人生初ホームラン体験は田淵幸一のものだったし、掛布雅之は彼のデビュー時から知っている。タイガースのユニフォームを着た江夏をこの目で見ることがギリギリでかなわなかった世代であることが、非常に残念であるのだが。
1985年の「バース・掛布・岡田」で日本一になった年、僕は高校2年生で、正直言って自分の人生のことで精一杯で、野球観戦に行く余裕などまるでなかった。それでも、学校帰りの喫茶店やアルバイト先のラーメン屋など、いろんな場所で阪神戦を観た記憶が胸に残っている。ジャイアンツのエース江川と、タイガースの4番掛布との対決を、明石駅の踏切沿いの喫茶店の2階のテレビで観た。あのときは掛布がラッキーゾーンに飛び込むホームランを打ったんじゃなかったかな。駅売りの新聞の見出しも、優勝に向けて日ごとにヒートアップしていたし、クラスでも級友たちが大いに盛り上がっていた。この年、僕はと言えばバンド活動に夢中で、将来はギターを弾いて生きていきたいと、根拠もないフワフワした夢を見ていた。
僕がふたたび甲子園に日常的に足繁く通うようになったのは、1992年以降である。「1992」という数字は、僕にとって特別なものだ。タイガースは1985年に日本一を成し遂げてから、またもやおなじみの負のスパイラルに陥っていた。バースも掛布も去り、真弓も岡田も峠を過ぎた。しかしこの1992年のタイガースは、あと1勝で優勝という快進撃を果たした。特に目立ったのは投手力だ。万年エース候補・仲田幸司の突然の覚醒、クローザー田村勤の無双に、湯舟や中込といった若手も一気に伸びた。そして野手陣も若返る。中でも新庄剛志と亀山努の「亀新コンビ」。若さあふれる豪快なプレーが強烈な印象だった。小川洋子の『博士の愛した数式』は、この1992年のタイガースの快進撃とともにストーリーが進む、実に野球愛に満ちた名作である。この年、僕はと言えば、23歳にして組んだバンド「FOUR TRIPS」でメジャーデビューを目論んでいた。勝算などまるでなかったが。
僕が一番甲子園に通っていた時期は、2000年から5年間ほどだ。この期間、タイガースは3年連続最下位の暗黒期から脱し、2度の優勝を果たした。「野村が育て、星野が勝たせ、岡田が受け継いだ」時期である。個人的には、井川慶の登場にショックを受けた。生え抜きの投手で、久しぶりに「エース」と呼べる大活躍を見せてくれたからだ。そしてこの頃、僕はと言えば、受かるあてもないジャニーズやエイベックス系の楽曲コンペに応募しては落選を繰り返す暗黒期。まだ幼かった娘のあどけない笑顔と、野球という「癒し」がなければ、僕はこの季節を耐え抜くことはできなかった。
こうして、甲子園球場とともに育ってきた僕であるが、自分のことを「阪神ファン」と自称したことは一度もない。「セ・リーグでは阪神が好き」とか「常に2番目に好きな球団」などと言って逃げている。
2000年の秋、野球好きが集まるいつもの飲み屋で、僕は仲間たちとわいわいやっていた。イチローと新庄がメジャーに挑戦することが決まった時期で、話題はその辺でもちきりだった。今では考えられないことだけど、日本で7年連続首位打者を奪ったイチローでさえ、メジャーに行ったら3割すら打てないだろうというのが、野球好きの間でも定説だった。「2割8分打ったら御の字だろう」と。大のイチロー贔屓の僕でさえ、そのくらいの見立てだった。
ましてや新庄である。ニューヨーク・メッツやと? 何をまた寝ぼけたこと言うとんねんと、僕の周りの世論はそんな感じだ。だけど、僕はエキサイトしていた。なぜなら、僕がこの目で見た一番すごい外野手(イチロー)と、その次にすごい外野手(新庄)がまとめてメジャーリーグに挑戦するのだ。結果がどうあれ、その「気持ち」がかっこいいと思った。
「新庄、メジャーでどのくらい打つかな?」と僕が阪神ファンの友人に水を向けたときの、彼のひと言を忘れることができない。お前は一体何を言っているのだ、という顔をして、彼は僕に言った。
「わしはな、新庄がどこ行こうが全然関係ないんや。わしは『阪神』が好きなんや。それだけや」
素敵じゃないか。「阪神ファン」とは、こうした人たちのことを言うのだ。
今じゃファイターズのことしか考えられないあたしだけど、タイガースと一緒に育ったのは確かだからね。対戦はとても不思議な気持ちがするし、新庄剛志も藤川球児も、あたしにとっちゃ思い入れたっぷりの大好きな選手。それが監督としてガチ対決するなんて、ほんとに嬉しくてたまんないのよ。今日は負けたけど、相手にとっちゃファイターズもややこしいチームだと思ったはずだよ。グーリンのアクシデントの後も、ブルペンが1点に抑え込んだしね。
そうは言ってもね、あたしがいちばんたくさん通った球場って、やっぱり甲子園だと思うんだ。
兵庫県の明石で育ったから、ちっちゃい頃からお父さんに連れられて、よく行ってたの。うちの父、熊本工業の出身でね、熊工が甲子園に出るたび、必ず行ってた気がするなあ。あたし自身は覚えてないんだけど、父の話によると、最初に観たのは東海大相模の原辰徳と鹿児島実業の定岡が投げ合った試合だったらしいの。オールドファンには有名な、定岡がセカンドに牽制悪送球して負けたっていう、あの試合。
もちろんプロ野球も連れてってもらってたよ。今でも忘れられないのが、江本孟紀さんが二打席連続でホームラン打った試合!甲子園のレフトアルプスで父と並んで座ってて、打球が2回とも目の前をビューンって横切って、子供心にめちゃくちゃ興奮したのを覚えてる。
……でもさ、大人になってから「ほんとにそんなことある?」って、自分の記憶がちょっと怪しくなって。だって江本さんってピッチャーだよ? でもね、ある日ラジオで江本さん自身が「二打席連続で打ったことあるよ」って話してて、そのとき一気に記憶がつながったの。調べたら昭和51年の5月5日だった。あたし、小学二年生。
うちの父ね、巨人のレジェンド川上哲治さんと同じ高校なのに、めっちゃアンチ巨人で。あたし自身は、最初はどこのチームでもいいって感じだったなあ。あの時代、誰もがテレビで野球観てたし、放送はだいたい巨人戦だったから、「巨人がんばれ」か「くたばれジャイアンツ」か、どっちかに分かれるのは仕方ないよね。けど思うの、アンチ巨人って、結局すっごい巨人ファンなのよ。
あたしたちの頃のヒーローといえば、やっぱり王貞治さん。今の大谷翔平くんみたいな存在っていうか、それ以上のオーラがあったかもしれない。メジャーリーグの本塁打記録、ベーブ・ルースとかハンク・アーロンとか、どんどん塗り替えてく姿に、ファンもアンチも関係なく熱狂してた。715号も、756号も、あたし覚えてるもん。
長嶋茂雄さんはね、あたしが観る前に引退しちゃってて、現役時代は知らないんだ。でも父や周りの大人たちから、ずーっと話は聞いてた。「長嶋のようなスターはもう現れない」ってみんな口を揃えて言ってたなあ。実際にはさ、スター選手はその後も山ほど出てきたけど、でもその世代にとっては、長嶋こそが唯一無二のスーパースターなのね。それでいいと思うのよ、ほんとに。
今日の試合前に、長嶋さんを偲んで黙祷を捧げたとき、エスコンの観客が約一分間、完全にシーーンとしたでしょ。交流戦で関西からたくさん阪神ファンが来ててさ、試合前からドンチャン大盛り上がりしてたんだけど、黙祷では本当に誰もが厳粛にしてたの。あたし、いいなって思った。長嶋さん、あなたが盛り上げて国民的娯楽にまで押し上げてくれたこの国のプロ野球は、今もこんなに愛され続けていますよって、ちょっとホロっとしちゃったの。