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おはようございます!
昨日の朝生では「chi☆」さんからいただいた歌詞に曲をつけました。「ブルースをやりましょう」と自分で言っておきながら、歌詞を見て閃いたのが「ブルー・アイド・ソウル」的な。ラスカルズとか、ホール&オーツとか、そういう感じです。最初の閃きは。
エレピの音色にセットして、コードを弾き出すと、割とスラスラとメロディが出てきました。この曲は歌もぼくが歌わせてもらおうかと考えています。完全にニュアンスの歌なので。ブルー・アイド・ソウルというより、ランディ・ニューマンとかニルソンとか、デビュー前の佐野元春さんと言おうか、そんな雰囲気になりそう。
それらのSSWが「ソウルシンガーのために作ったデモ」みたいなイメージでアルバム『At The Garden』の中で異彩を放つ曲になればいいな、と感じてます。そうか、ニルソン的な感じを混ぜるのであれば、スキャットだけのミドルエイト的展開もありだものな。うん。そうしよう。
午後以降、いつものようにZoomで曲をブラッシュアップしたり、共作曲のガヤやコーラスを入れたりしました。Zoomでビートルズのことをご説明したりね。「プロプラン」という名前もやや即物的すぎるかと思い「ソングライター養成庭」なんて暫定的につけております。略して「ソングラ庭」うーん、いいのかあかんのか、まだちょっと判断つきませんが、しばらくこれで行こうかと思います。
ぼくの今の大切な仕事は「庭のみなさんと曲を作ること」こんなに素敵な仕事が世の中にあるでしょうか。一緒に新しい作品を作る。プロもアマチュアも関係なく。
この楽しさはぼくに、幼少のころ、日が暮れるまで公園の砂場で泥だらけになって遊んだことを思い出させます。友達とケンカしたり、笑いあったりしながらずっと遊んでいた。
今のぼくは、家の中で、心を泥んこにしながら、「音楽」で遊ぶように働いています。
おはようございます!
昨日はなかなに濃密な日でありました。自分の愚かさに恥いる。オレは一体何様だというのだ。一晩中反省をしていたら、眠れなくなった。午前3時からシアトル・マリナーズの試合をうつらうつら観ていたらボロ負けした。野球なら「こんな日もある」と笑い飛ばすことができるが、自分から出た言葉は戻らない。情けない。悔いるのだ。幸いぼくよりもずっと大人だったみなさんに許していただけたが、もう次はない。最後のチャンスをいただいた、と肝に銘じ、勤しめ、成瀬。
野球と言えば。佐々木朗希が歴史を変えた。「史上最高のピッチング」と呼ぶことをためらう野球ファンはいないはずだ。13者連続三振は何よりも驚き。漫画やゲームの世界でもあり得ない。19奪三振は史上最多タイ記録。並ばれたのは我が同い年の元オリックスのエース野田浩司だ。
そして「完全試合」1994年以来28年ぶり。もう生きているうちに見ることはないと思っていたとんでもない記録。野球というゲームで、最高峰の記録である。
その瞬間をぼくは、庭メンバーの「かねまん」の自宅テレビをLINEビデオ通話で観せてもらった。専門チャンネル以外では中継がなかったのだ。夜、帰宅してゆっくりニュース映像で佐々木を見たのだが、怖くなった。震えがきた。一人の人間にこれほどまでの才能が宿ることがあるのかと。この20歳の青年は、史上最高の投手かもしれない。完全試合をこれほど楽に達成したのは彼が初めてだろう。速球も変化球も、スタミナも、そしてコントロールも、「完璧」の上を行ってる。
そして捕手の松川選手は、高卒ルーキー。先日までは高校生だったのだ。日本の野球を熱心に追っていないぼくにも彼の噂は伝わっていた。ベテラン顔負けのリードと存在感を持つ捕手がいると。完全試合のアシストをしたのが彼のリードだったことは明白だ。すげえ。
日本プロ野球は新しいスーバースターを得た。喜ばしいこと。
しかし、一番喜び胸をなで下ろしているのは高校時代の監督だろう。佐々木の高三の夏、「球数が多いことが将来に響く」のを懸念した監督は、県大会決勝でエース佐々木を登板させずに、敗退した。あと一勝で甲子園だった、佐々木が投げていればかなりの確率で勝っていたのも関わらずだ。もちろん世間からは大いなる非難を浴びた。賛否両論、喧喧諤諤。
しかし、彼は、これほどまでの素材をつぶすことなく、花開かせた大英断と今後は記憶されるだろう。
夜は原宿「クロコダイル」へ。敬愛する音楽評論家「和久井光司」さんのバンドのライブへ。実は和久井さんのライブは何度か行かせていただいていて「またよかったらぜひオープニングで出てよ」と言われていたので、メンバーのみなさんへの挨拶も兼ねて伺う。
和久井さんはコロナになってから、その執筆のスピードは以前にも増して上がり、ぼくが知っているだけでもこの2年くらいで6冊以上の評論書を書かれた。それが、キンクスやベルベット・アンダーグラウンドや、スワンプロックとしてのジョージ・ハリスンや、ニール・ヤングや、だったりするのだ。買うでしょ、そりゃ。
和久井さんの「レコード・コレクターズ」に書かれている文章のほとんどすべてをぼくは読んでいる。ビートルズの英国盤が、マトリックス(何回目の版であるかのしるしのようなもの)によってまるで音が違うことを研究し、発表されたのも和久井さんだ。「With The Beatles」や「Rubber Soul」に音の大きな版「ラウドカット」があることを、和久井さんの著書で知り、大枚をはたいて購入したぼくは、それらの音圧に驚き、モノラルの音の深さに魅了され、ジョンのシャウトに震えた。ビートルズの新しい音の世界を知ったのだ。
そんな和久井さんに「前座やってよお」と言われて、断る後輩がいるものか。なんでもやる。
ライブもご機嫌だった。終演後、バンドのみなさんも温かく迎えてくれた。ドラムの伴さんはぼくが高校時代好きだった「The Shakes」のメンバーで、数年前に一度別のバンドで対バンをした際にお話しさせていただいた。
ぼくがネロと組むバンドでドラムが誰がいいかを考えている際、ネロから「伴さんが最高では?」と提案があり、ぼくもまったく同感と答えた。昨日の終演後、そんな経緯を伴さんにお伝えし、バンドやりましょう!とお願いしたら、笑顔でご快諾いただいた。(と思うのだけどあれは夢だったのかな)
「クロコダイル」は老舗中の老舗。ぼくが一度だけ出演した1997年当時もすでに老舗だった。
当時、デビューが決まっていたぼくたちの力試し的な感じで出演できるハコを探して、クロコダイルに飛び込みでデモを持って行った。名前が思い出せないが、ソニーからデビューするバンドとの対バンで、いいバンドだった覚えがある。
ぼくたちのプロデューサーの田中聡氏は、当時、女優の桜井幸子さんと同居をしていて(のちに結婚する)、クロコダイルにさっちゃんも観に来てくれた。一番前に座って、ニコニコとこちらを見ていた。ぼくたちメンバーとさっちゃんは当時、西荻窪を夜な夜な飲み歩く「友達」だったのだ。
その夜のライブでぼくは大きなミスをしてしまう。後にも先にもそんなミスをしたことはない。恥ずかしくて早く帰りたかった。デビュー前だというのにオレは何をやってるんだと。
さっちゃんも「なるちゃん、ひどーい」と言って帰っていった。(まあ、もちろん半分冗談なんだろうけど、真顔で冗談を言う人だった)
終演後、しょんぼりとステージで楽器を片付けて、ホールを掃いていた女性スタッフに「お疲れ様です」と告げ帰ろうとしたら、その女性スタッフが静かに「とてもいいバンドだと私は思います、がんばってくださいね」と言ってくれた。嬉しくて、震えた。
昨夜、和久井さんに、クロコダイルのマネージャーN氏をご紹介いただく。事務所の奥に座るN氏を見て、一気に思い出した。飛び込みでデモを聞いてもらった25年前の光景を。Nさんはあの日もその椅子に座っていた。
バンドを、ライブをやりたいな、と思う。対バンを組んでもらって、仲間と好きな音楽を演奏して盛り上がる。新しい歌を作って。そもそも10代の頃自分がやりたいと願ったのは、そういう生活だったよな。
おはようございます!ブログでは書き切れないことがたくさんありましたので、今朝は朝生でいろいろ話します!
しのゆりさん曲も一回フィニッシュ!その流れもご説明しますので、見てね!アーカイブでででもいいからね!
ちょっと早いけど始めちゃいます!