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動画編集マン
メンバー クリエーターズ 成瀬英樹ゼミ 〜プロ作曲家養成〜 成瀬英樹ゼミ 分割プラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
7月10日 14:21

お疲れ様です!

 

一昨日の夜、帰ってきました。あれ、一昨日だよね? もう日にちの感覚がわからなくなってますわ。昨日はたまりにたまった仕事を右から左に片付けて行きました。ゼミ生のみんなから送られて来た楽曲に返信したりも。

 

それにしても、「成瀬英樹ゼミ」のみなさんの快進撃が止まりません。6曲中4曲キープのテリーさんが7曲中5曲になったり、新しい女性シンガーソングライターがひとコンペ3曲提出3曲キープの快挙を成し遂げたり。どちらの方も、DAWのスキルはほとんどありませんが、楽曲が音楽として素晴らしいからこそ、なのです。

 

「なんちゃって〇〇」ではないんですね。

 

例えば、次のコンペでは「ディスコ」を求められ、その次は「アイドル的サマーソング」を求めらられ、その次は「ゴリゴリのEDM」を求められるのが、楽曲コンペです。でもね、それらを「器用にこなす」ことばかりに目が行って、「あなた自身の本当の音楽性」を身につけることを忘れてませんか、作家のみなさん。

 

「なんちゃってディスコ」、作ってませんか? 

 

そんなコンペへの挑み方で、キープを取ったり採用につなげたりすることは不可能です。プロの作家は「自分の得意な楽曲」で勝負していることに気がついてほしいな。

 

そして昨日は、17日に公開する新しい動画を編集しました。字幕が入る前の段階でネロ君に観てもらったのですが、電話の向こうの声が潤んでました。よかった、伝わるものが出来たっぽい。公開をお待ちくださいね。テロップはコウベリのミーナにお願いしてます。楽しみー!

 

そして、メンバー限定、この10日間の旅のVlogを作りました。貴重なシーンが満載です。楽しんでもらえたら嬉しいな。

 

では、午後もがんばって仕事片付けます。明日から通常営業に戻りたい。

 

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「付き添いのおじさん事件」の顛末
メンバー クリエーターズ 成瀬英樹ゼミ 〜プロ作曲家養成〜 成瀬英樹ゼミ 分割プラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
7月7日 9:17

おはようございます!

 

成瀬、旅は続いております。生配信や投稿まで手が回らず申し訳ありません。

 

7/5金曜は、昼過ぎに神戸空港に到着。その足でにこいち松田とYouTubeの撮影。なかなかいい絵が撮れたんじゃないかなって思う。松田は真面目なので、「対談形式」だと畏まって縮こまってしまう。なので雑談の雰囲気でそのまま撮っちゃった。iPhoneのシネマティックモードで。

 

こちら7/17に公開する「マツダヒロ物語」ご期待下さいね。編集がんばる!

 

夕方、コウベリーズのメンバーのうちお二人と合流して、FM番組に生ゲスト出演。その局にゲストで出るのは、ターザンさんの番組に伊藤銀次さんと一緒に出て以来かな、7,8年ぶりか。

 

そのFM局を僕は開局時からよく知っていて、歴代DJにもたくさんの仲間がいる。かつての素晴らしいディレクター陣とも今でも繋がってる。97年から98年には番組も持たせてもらっていた。

 

だから言わせてね。

 

一体どうした!?

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ルールなんて決めたって変わらない
成瀬英樹
成瀬英樹
7月5日 11:41

おはようございます!

 

日本のプロ野球のオールスターで阪神と日ハムの選手が「ファン投票」をジャックしてしまって、オールスターに相応しくない成績の選手が人気投票で出場してしまうことが物議を醸している。機構側は、来年以降行き過ぎた人気投票を規制するルールを作ることも考えているとかいないとか。

 

ちなみに、メジャーリーグのオールスターではこのようなことは起きない。どんなにドジャースやヤンキースが人気があろうと、ファン投票はほとんどの場合、成績に準じるものだ。

 

なぜか。簡単だ。メジャーリーグのファンは本当のオールスターを観たいから。そういう文化なのだ。今年の成績をじっくり見比べて、贔屓チームの選手より成績のいい選手がいれば当然そちらに投票する。ネット投票のページではしっかりと候補選手達の成績がすぐに見られるようになっている。

 

僕は20年以上シアトル・マリナーズのガチファンだが、オールスターに相応しくないマリナーたちに歴史と栄誉あるオールスターゲームに出場してほしいなんてこれっぽっちも思わない。だって年に一度のビッグゲームだよ。本物のオールスターが見たいじゃないか。

 

だからね、ルールなんか決めるより、ファンのリテラシーを高めオールスターの価値を考え直すしかないんですよね。阪神ファンや日ハムファンは自分のチームの選手がオールスターに出ているところが観たい。それはそれでもちろん尊重するけど。文化のレベルが高い低いというより、「そういうもの」なんだろう。

 

いつの日か、「本物のオールスターゲーム」が日本でも普通に観られるようになればいいな。それには、メジャーのように「一試合」にするのも一つの手ではないかと思ったりする。

昨日は部屋で洗濯をしたり、今週のラジオの収録をしたり、読書をしたり。夕方、小田急と井の頭線と中央線を乗り継いで国分寺へ。娘と待ち合わせ、いつものようにお互い本を買い込む。娘は谷崎とかをなんかたくさん買ってた。「何かおすすめしてよ」と僕が言うと、じっくり考えた末に「読書について/ショーペンハウアー」を選んでくれた。「パパこれきっと好きだよ」って。

 

その後、タルトとパスタを一緒に食べた。友人との約束があるとのことで、府中行きのバス停まで二人で全力で走った。走る彼女、白いシャツ、肩まで伸びた髪をなびかせて、ああすごく綺麗だなって僕は思った。動画を回しておけばよかったって思った。シネマティックモードで。

 

行きと同じ路線を今度は逆に乗り継いで、急いで世田谷の宿に戻る。弊社BINGO! のZoomミーティングだ。僕も今回コライトで二曲提出。かなり自信作だったんだけど、投票の結果一ポイント差で二位だった。

 

一位は新しく入ったゼミ生「大津美紀さん」の楽曲。なんと20年も彼女のライブラリィに眠っていたんだそう。美紀さんとのセッションは僕が作曲を教えるというより、彼女の楽曲(46曲の手付かずのストック)から一曲ずつ選び、それに歌詞をつけたり、アレンジを再考したり、サイズを変更したりの作業。

 

彼女の最初の提出曲、ピアノの弾き語りデモなんだけど、しっかりキープをいただいたことで自信を深めたと同時に、成瀬のことも多少信用してくれたのかな。最初はきっと「この人、めちゃくちゃ褒めてくれるけど、本当に大丈夫かしら」って思ってたはず。

 

今回、美紀さんは三曲提出。すべて弊社内投票で五位以内に入る。

 

世田谷代田のカフェで書き始めたこの投稿、今は羽田空港行きのバスの中で書いている。今夜、KISS FMに18時くらいからコウベリーズの付き添いとして僕も出演します。リアルタイムで、ラジコで、ぜひ聴いてね。

 

では快晴の東京から、成瀬英樹がお届けしました。みんな、今日も一日がんばろう。

 

(フェアーグラウンド・アトラクションの話題はまとめて別の投稿にしますね)

 

永遠のKISS〜我が心のサウンドトラック、フェアーグラウンド・アトラクション 前編
成瀬英樹
成瀬英樹
7月3日 17:36

6月30日(日)

 

大阪の「クアトロ」と言えば、僕にとっては「心斎橋クラブクアトロ」である。91年の柿落とし公演トッド・ラングレンをはじめ、ザ・バーズのロジャー・マッギン、グレアム・パーカー、ザ・ポーグス、ジェリーフィッシュ、もちろんニック・ロウなど、鮮烈なライブを数多く体験させてくれた名店だった。出待ちもしやすかったから、サインもたくさんもらったものだ。

 

Great3の最初のライブ(最前列で観た!ギターがまだ長田さんだったころだ)や、L⇔Rのデビューライブ(マジでファンタスティックに素晴らしかった)も忘れられないし、サニーデイ・サーヴィスの最初のライブも別の意味で忘れられない。

 

後年、僕自身もバンド「FOUR TRIPS」のメンバーとして何回か出演した。ワンマンライブもやったし、デビュー前のポルノグラフィティと対バンしたこともある(打ち上げで一緒に飲んだ時のエピソードはそっと墓場まで持っていこう。彼らの人柄あふれるものなのだけど。当時から素晴らしいバンドだった)。

 

タートルズと一緒にやったのはまた別の時だっけか。

タートルズのマネージャー(FOUR TRIPSをオーディションで見たことがあります『FM』が好きです、と言ってくれた)と僕は、80年代の伝説的なNHK-FMのプログラム『元春レイディオショー』のリスナー同志とわかり意気投合。「私の持っているエアチェックのカセットを送ります、成瀬さんが持っておいた方がいいと思うから」と申し出てくれた。彼女は本当にすぐにざっと50本以上のカセットを送ってくれた。それが僕にとってどれほど貴重な資料となったことだろう。いつか会ってお礼が言いたい。

 

そんな心斎橋のクアトロが梅田に移転したのは2011年だそう。知らなかった。関東に移り住んでいて大阪のクアトロに行くこともなくなっていたから。いや、もしかしてどこかで移転記事を読んだが、単に忘れていただけかもしれない。

 

どちらにしても。

 

そんなわけで初めての「梅田クラブクアトロ」にフェアーグラウンド・アトラクション奇跡の再結成ライブを観に行く。当サロンの日記でもお伝えしたように、今回フェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーに僕のウクレレをお貸ししている。

 

エディから「ヒデキ、ピックアップ付きのテナーウクレレ持ってない? 探してるけど見つからないのよ」とDMが来たのは6月21日だ。僕は「もちろん持ってるよー、ぜひ使ってよ!」 と返信した。

 

こんなに嬉しいことはない。今回の来日公演は大盛況で、チケットの抽選をすべて外した僕は泣く泣く観に行くことをあきらめていたので、「ファミリーで来てね、あなたは私のゲストよ」とエディが言ってくれて、もう天にも昇る気持ちになったよ。

 

フェアーグラウンド・アトラクション1stにして唯一のアルバム『The First of a Million Kisses』を僕は発売後すぐに入手し夢中になった。神戸三ノ宮の輸入レコード店「ミスタージャケット」で平積みされていたのをジャケ買いした記憶もあるし、高橋幸宏さんと鈴木慶一さんがロッキンオン系の文化雑誌(Cutか?)で激賞していたのを読んだ記憶もある。きっとどちらの記憶も正しい。

 

当時アルバイトをしていたトアロードのチャイニーズレストランでも毎日かけていたし、加納町のYMCAの裏の四畳半のアパートでもずっと聴いていた。コード進行を全部コピーして、自分の作品(のようなもの)にもいかしていた。ライブビデオが発売された時は、コードの答え合わせができたことを大変喜んだ。

 

シンプルながら練りに練られたコード進行、ハートをそっとハグしてくれるような優しいメロディ、主に「うまくいかない恋」について歌われた情景豊かな歌詞。そして、何と言っても、歌姫エディ・リーダーの美しい声。このアルバムを聴いて何も感じない音楽ファンは、少なくとも僕のまわりには一人もいなかった。シングル『Perfect』は全英一位、日本でも大ヒットしたんだ。

 

それからの僕の20代、酒と恋と音楽の日々のサウンドトラックがこの『The First of a Million Kisses』だった。だから、このアルバムを聴くと僕は、これらの歌の主人公と同じく「主にうまくいかない恋」に胸を焦がした季節に気持ちが引き戻されることになる。これはポップスという音楽が持つ、最高にして最大の効能だ。

 

多感な時期にこのような素晴らしい音楽に出会えた幸運に感謝である。このアルバムに出会っていなければ、僕は今のような曲を書いていなかったと断言出来る。

 

それにしても、「百万回の最初のキス」なんて、とろけるようにスイートなタイトル、もう史上最高だよね。

 

僕が作曲した乃木坂46『全部 夢のまま』に「百万回のキス」ってフレーズがあるけど、秋元さんからフェアーグラウンド・アトラクションへの愛をこめたオマージュなんじゃないかと僕は確信してるんだけどな。そうだとしたらとても嬉しい。

 

 ♨︎

 

2004年、僕は初めてエディ・リーダーのライブに行った。大阪ブルーノート1stステージ。フェアーグラウンド・アトラクション解散後、ソロとして様々な視点で作られた良質なアルバムを何枚もリリースしていたエディは、この夜も名うてのサポートメンバーとともに素敵なショウを観せてくれた。もちろんフェアーグラウンド・アトラクション時代の代表曲も歌ってくれて、僕としても大満足のライブだった。

 

1stステージ終了後、エディが会場の後方でサイン会を始めた。僕はその頃ウクレレにハマっていて、どこに行くにもこの小さな楽器を携えていたので、出来るなら愛器にサインをしてもらおうと列に並んだ。

 

僕の番になってエディにウクレレを差し出すと、それに笑顔でサインをしながらエディは『Tonight you belong to me』をフフフンと歌い出した。僕はとっさにキーを探して伴奏をつけた。即席のセッションだ。エディは「あら♡」って表情になり、「何か私の曲は弾けないの?」と言った。だから僕は『Find my love』のイントロのリフをウクレレで弾いたんだ。

 

するとエディ、「うん、あなた、2ndステージに出てね♡」なんてことを言った。僕はにっこり笑った。とりあえずプレイを褒められたみたいで、それだけで本当に嬉しかったし、憧れのエディ・リーダーに大切なウクレレにサインをもらえたことで舞い上がっていた。でも、そんな社交辞令を真に受けるほどウブじゃないよオレは、とも思ったんだ。

 

でもね、エディはやっぱりエディだった。2ndステージの中盤で「おーいヌル! ヌル! ステージに上がってきて!」と少し背伸びをするような格好で、客席を見渡して、エディは笑顔で「ヌル」を探した。

 

さっき僕は「ナル」と自己紹介したのだけど、エディが呼ぶ「ヌル」とはきっと僕のことなんだろう(他に誰がいる?)。意を決して僕はウクレレを持ってステージに上がった。

 

観客は「一体あの男は誰だろう?」ってなってるし、ステージ上のサポートメンバーたちもきっと同じ思いだっただろうけど、この突然の出来事を楽しんでいるようにも見えた。

 

フィドルのジョン・マッカスカーが彼のマイクを僕のウクレレに向けてくれて、サムズアップしてニコッと笑ってくれたから、僕は少し落ち着くことが出来た。

 

曲が始まる。もちろん『Find my love』。バンドメンバーたちは僕の方を心配そうな顔で見ていたけど、4小節のギターリフに続いてバンドがインするタイミングで、僕がCのコードを全音符で弾いた瞬間、「お、いけるね」って感じになったのがわかった。

 

僕だって一応音楽家の端くれだし、何と言っても『Find my love』ならいつも部屋でレコードに合わせてプレイしてたからね。「大丈夫、この曲なら逆さからだって弾けるさ」と僕は自分に言い聞かせた。バンドのグルーヴに合わせて自分のリズムも調整して、イントロが終わる頃には「しっくり来ている」感じになった。

 

それにしても。

 

僕の左斜め前でエディ・リーダーが、あのフェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーが、歌っている。僕の人生のサウンドトラックで常にかかり続ける名曲を、だ。

 

せっかくの機会、思い切って楽しもうと居直った僕は、ミドルエイト四小節目のブレークのアコーディオンのフレーズをウクレレで弾くことを思いついた。それを瞬間に察知したバンドはそのブレークを僕のウクレレにまかせてくれた。二拍三連のフレーズがバシッと決まった瞬間、観客が大きく湧いた。これまでの人生で感じたことのないフィーリングが僕の身体を貫いた。

 

エディがくれたあの三分間が、僕の人生を変えた。本当だよ。誰にもそんな奇跡のようなチャンスが何度かあって、目の前にうっすらと糸のようなものが現れるのかもしれない。

 

僕はただそれを思いっきり引っ張ったんだ。エディがくれたそのチャンスの糸をね。彼女は僕のミューズなんだ。20年経った今、あらためてそう思う。

 

僕にとってきつい時期だった。35歳。肉体労働で食いつなぎ、作曲家になるべく楽曲を作り続け、あちこちにプレゼンしたがどこからもまるで反応がなかった。家族を、二歳の娘をこれからどうやって養っていけばいいのだろうと心底怯えていた。

 

何かを自分の力で成し遂げようとする人にとってはよくある話かもしれない。しかしそれが自分ごととなると、その切実さに耐えられないのだ。

 

 ♨︎

 

2007年の来日公演ではしっかりワーキングパスをもらって、リハーサルから参加させてもらった。恵比寿リキッドルームの楽屋にはキンキンに冷えたビールがあり、ワインがあり、ご馳走が用意されていて、バンドメンバーと一緒に僕たち家族も開演前からたっぷりリラックスしていた。五歳になっていた娘も大はしゃぎ。舞台袖で踊ったり、おじちゃんたち(名うてのバンドメンバーだ)に遊んでもらったり。

 

そしてしっかり予想通り(懸念通りと言うべきか)、夜の公演時間になると完全に「おねむ状態」になった。それを見たエディが「私の楽屋にベッドがあるから寝なさい♡」と言ってくれた。我が娘はエディ・リーダーの楽屋のベッドで熟睡していたので、パパのステージは観ていない。

 

2009年の来日公演でも「ウクレレ持って遊びに来て♡」と呼んでくれた。『Find my love』に加え『Moon is mine』でも参加させてもらった。2ndステージでは『Perfect』でもそのまま弾くことになった。リハなしで、だ。

 

続く

オン・ザ・ロード〜充実の夏
メンバー クリエーターズ 成瀬英樹ゼミ 〜プロ作曲家養成〜 成瀬英樹ゼミ 分割プラン 旧プロ養成コース
成瀬英樹
成瀬英樹
7月3日 12:06

お疲れ様です!

 

今、この数日についての文章を書いてます。

 

On The Beachのライブも発表になりました。

YouTubeも快調に回ってます。

七夕にコウベリーズ@チキンジョージにゲスト出演することも発表になりました。

 

バタバタですが、充実してます。

ただ、身体中が痛いです。あはは。

 

ゆっくりお風呂につかりたいなあ。

 

では、動画にてご挨拶、ご覧ください↓

 

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