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11月11日(月)
プラハ。この街では男も女も、本当によく煙草を吸う。
僕は今、プラハ空港行きの飛行機の中。5時間近く飛んだはずなんだけど、あと7時間41分もかかるんだ。どんだけ遠いねん、プラハ。
昨日もまた、良い知らせがいくつかありました。次の乃木坂46のシングル表題曲の共編曲を、成瀬ゼミ卒業生の「麻尾悠太」くんが勝ち取りました。作曲は杉山勝彦くん!
おめでとう! なんてXでポストしてたら、悠太から電話がかかって来ました。そういう律儀なところも彼の素晴らしいとこ。2003年生まれっていうから、僕の娘より一個下の超若手の彼の才能を見事に伸ばしてくれた杉山くんの采配は見事です。僕も快く送り出せて本当によかったと思う。
そして、ブラハの宿にて。
飛行機の中で長い文章を書くのはとても難しい。僕は飛行機の揺れが苦手で、機内では何も考えられなくなってしまうから。映画を観たりすることも出来ないんですよね、集中出来なくて。オッケー、認めてしまおう。僕は飛行機が苦手だ。何度乗ったとしても。
というわけで今は、ブラハの宿でこれを書いています。11月12日午前5時。結局まったく眠ることが出来ずにプラハに着いたがそれが良かった。一晩熟睡すれば体内時計が一気に切り替わって時差ボケ知らずだ。
なぜ行き先がプラハなのかは僕に訊かないで欲しい。かと言って娘(この旅の首謀者)に訊いても、あなたが納得いく答えは返ってこないだろう。「なんか、感じたんだよね」とはぐらかされるのが関の山だ。
この街の人々は歩きながら煙草を吸う。この街では男も女も、本当によく煙草を吸う。街角で、U2やシンディ・ローパーがガンガン聴こえる。
おやすみ。
お疲れ様です!
僕は今、成田空港から東京駅へと向かうバスの中。17時台のエアーにも関わらず、もう空は真っ暗のナイトフライトでした。揺れの少ない快適な機内で、来週と再来週分をまとめて収録したラジオのチェックをしていました。
そう、ここ数日はラジオのまとめ録りに追われておりました。さすがに3本を録るとなると(しかもインタビューを含む特集ものとなると)なかなか出来上がりイメージが像を結ばす、難産ではありましたが、結果とてもいいものが出来たと自負しております。
そして昨夜はBINGO! 全体Zoom。その直前になかなかになかなかなお知らせがメールと電話で届きました。はい、嬉しい知らせです。才能とは愛しぬくこと。しぶとく、泥くさく。彼の成功はまさに夢。僕たちは夢を売っているのですね。素晴らしいこと。
彼の最後の仕上げを助けつつ、僕も朝までラジオを編集しました。
今日は朝からその仕上げの続きを。大丈夫、結局、きっとうまく行くんだから。
バタバタと新千歳空港に着いて、少し時間があったので、空港内にあるファイターズカフェでハンバーガーを食べました。パンに数字を焼き印してくれるとのことなので、咄嗟に「21番で!」と答えました。清宮幸太郎の背番号がついたハンバーガー、ジューシーで美味しかったよ。
今夜のPOP A to Z はニッキー・ホプキンズ特集のPt2、かなーり画期的な構成になっております。22:30から是非聴いてね!
おはようございます!
昨日の配信は観ていただきましたか? そこでお伝えしたように、今月もなかなかに「濃い」月となりそうです。さまざまな経験を楽しみたいと思いますし、「うたを作る学校」メンバーのみんなに「手紙」を書くような気持ちで、旅先から映像や文章をお届けしますね。
一体どんなことになるのか、楽しみです。
先日。風輪さんのLIVEに出演させていただいた際、大先輩シンガーソングライター「みのや雅彦」さんとご一緒させていただきました。僕のような若輩者にもとても優しく接していただき、大変感激しました。
北海道出身のみのやさん、デビューは1981年、なんと二十歳だったそう。レコード会社はCBSソニー。日本のポップス史が頭に入っていれば、ここまでの話の流れで彼がどれほどレコード会社から期待をかけられていたかがわかります。
同じ北海道出身の松山千春さんと比較されたデビュー当時。みのやさんにとっては憧れの先輩のスタイルを受け継ぐ楽曲を作ることは自然なことだったはずですが、一般には「千春さんに似すぎている」と評価されることが多く、ポジティブな捉え方をされることは少なかったそうです。
(ブルース・スプリングスティーンもデビュー当時は「ボブ・ディランの二番煎じ」と揶揄されたものです。信じられないよね。今、ブルースに対してそんなことを言う人がいたら、そちらのほうが見識を疑われますよね)
そして80年〜81年当時のCBSソニーは、こちらも北海道出身の五十嵐浩晃さんが『ペガサスの朝』を、堀江淳さんが『メモリーグラス』をそれぞれ大ヒットさせていた頃。続く「北海道出身・大型新人・みのや雅彦」さんにレコード会社から大きな期待がかけられるのは自明であります。
「ただ、そこで僕は大きなヒット曲を出すことができなかったんだよ」とみのやさんは言います。
「スマッシュヒットはあったけど、五十嵐さんや堀江さんのような、ビッグヒットを出すことができなかった。でもね、だからこそ、いまもこうして歌を作り歌うことを続けていられるとも、思うんだよね。僕はいまも夢を見ることができているんだ」
風輪さんがステージでカバーをされている『夢しかなかった』は大仁田厚さんに提供するために書かれた楽曲だったそうです。「誰に提供するときでも、僕はいつも自分で歌うことを念頭に作ってる」と言うみのやさんの魂の一曲は、みのやさん自身が歌い続けることによって、数十年後に運命的な出会いの導きで風輪さんの心に届き、いまも僕たちの心を揺さぶるのです。
アーティストリーグ2023の件。双方が良い話し合いをして、納得行く着地点を見つけられることを願っております。僕もボランティア審査員として参加した大会でありますし、「成瀬が審査員だからチャレンジした」アーティストもおられることもSNSで知りましたので、よりそう感じております。
これを機に、このようなイベントを運営する側も、アーティストたちも、結果的に「課金」によって順位を決めるコンテスト形式について考え直すことが必要なのではないか、と個人的には考えております。ファンの方に結果的に経済的負担をかけてしまう、「夢とお金」がごっちゃになってしまったからこその今回の出来事をみて、僕はそう思っています。
エンタメの世界では「絶対」などないし、売れる売れないは往々にして実力+「時の運」でもあります。アーティスト側やマネージメント側がどんなにベストを尽くしたとて、売れないときは売れないんです。逆に10年20年たって評価される才能だってある。
それをコントロールすることはできないのです。
ただ一個、僕たちにはやれることがあります。それは「続ける」こと。信じる心があるのなら、良い作品を作り続け、歌い続けていれば、いつか夢は叶います。
いや、「歌い続ける過程」こそ、が夢。なのではないか? 夢を追い求め、毎日努力を重ねる日々こそが、「夢」なのではないか。僕はいま、心からそう思っています。
そしてあらためて、「歌=Song」という表現形態を一生の生業と決めた14歳の僕の直感を裏切ることなく、生きて行きます。
ソングライターとして生きていられることを、そして、僕が作った歌を聴いて人生がほんの少しでも明るく照らされる方がいらっしゃることを、僕は心から誇らしく思っています。
風輪さん、みのやさんに出会わせていただきありがとうございました。
みのやさん、「歌い続ける覚悟」を笑顔で教えていただきありがとうございました。
おはようございます!
今朝の配信、特に前半はメンバーのみなさんへの業務連絡がありますので、ぜひ聴いてくださいね!
そして、今、界隈を賑わしている問題について、みんなにだけ、僕の気持ちと立場を伝えておきたいので、これも聴いてもらえたら嬉しいです。
リアタイ勢、音のトラブルとかあったらコメントで教えてくださいね!