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お疲れ様です!!!
いやあ、日中は走り回りました。税金、税金、税金。しっかり納めてきました!
さあ、今日はこのあと、生配信します。お題は「乃木坂46全シングル因数分解」です。冒頭にとても大切な嬉しいお知らせもございますので、BINGOメンバーはぜひご覧くださいね!
おはようございます!!!
今日は朝っぱらから、税金のことばかり考えています。ぼんやりしてたら、いろんなものの締め切りが今月だとわかって、ちょっと焦りましたよ。今から法務局と郵便局に行ってきます。ほんと、私、ポンコツ社長。
BINGO AIDの最終仕上げにかかるための生配信を今日から始めようと思ってましたが、この税金と事務所移転という大きな山を越えるべく、今日は動こうと思います。
あと、年内一度、みんなで集まれるチャンスを作ります。そんなお知らせの配信、今夜にでもやろうかな。というわけで、今日も成瀬英樹、がんばります。お互い素敵な一日にしましょう!
ホークス、優勝おめでとう。いや、まったく強いチームだったわよね。年月と費用をかけてしっかり作られた育成システムと、勝つためには手段を選ばないタフなビジネスマインドの勝利。特に今年は上沢のこともあるから、あたしたちファイターズファンはマジで悔しいわけ。
それでもうちのボスよ。優勝争い中だって、平気で高卒ルーキーや、今年台湾から来たピッチャーを当てたりなんかして、ぶれないのよ。常に何年か先を見据えてカードを切ってるの。もちろん、これは野球っていう難しいスポーツの上に、相手だって死ぬ気で向かってくるわけだから、うまくいかないことだってあるわ。それでも、何を言われてもブレないボス、何か「一度死にかけたことがある人」のような、冷んやりとした殺気すら感じたわ。
選手のギャラを比べても、まあホークスには勝てっこないって。それでもいきのいい若手を「中の中」くらいまで育てて、適材適所で使うその手腕。これは「2位」じゃないの、ポストシーズン進出だ。大切なのはオクトーバーベースボールだ。ボスはそう考えてるはず。
何と言っても、サンフランシスコジャイアンツの外野手としてワールドシリーズまで勝ち上がった男よ。ポストシーズンを戦い抜いて、最終決戦で勝ったチームが勝者の国の野球を知っているのがボス。日本シリーズという伝統ある頂のてっぺんを、今年は勝ち取るの。レギュラーシーズンの勝者はホークス。それは最大限讃えたとして。大事なのはここから。ポストシーズンの始まりよ!
そんなシーズン後半、あたし、あんまりあんたに会えなくなって、さみしかったんじゃない?
いや、それはあたしを書いてくれてるナルセさんがさ、ある時「まったく、これは!」って思ったんだって。何が「これは!」なのかあたしにもわかんないんだけど、妙に上気した顔で「こんな気軽にSNSに書いてる場合じゃない」とか何とか言ってたわ。「これはおもしろくなる」とか何とか。
きっと何かたくらんでるに違いないわ。あたしとしても、こうやって物語の中に出してもらうことで生きているわけだから、出番は多い方が嬉しいしね。今年前半のあたしこと「満里奈似」の活躍は、残ってるうちにアーカイブで読んでね。
ナルセさん、多分近いうち全部消して、新しい「何か」に組み込む気配があたししてるんだ。
おはようございます!
腰の調子、少しずつ快方に向かっております。まだときどき痛むけど、生活に支障はないし、普通に長距離を歩いたりもできるので大丈夫です。
2002~2006年くらいの時期は、作曲コンペに挑戦しながら肉体労働に勤しんでいる時期で、ストレスと飲み過ぎで一時は76kgまで体重が増えてしまったことがあります。僕の身長と筋肉量でこの数字は明らかに太り過ぎで、しっかり腰まで痛めてしまってました。辛かったな。
当時は30代中盤で、自分的には「もうトシなのかも」「このままこんな感じで太って腰痛で生きていくのかも」と暗い気持ちになってました。どんな病院に行こうが、整体に行こうが、腰痛ってのは基本的に治らないんですよね。慢性なんです。
病院の健康診断の結果もかなり悪くなって、医者からも注意される始末。自分の不摂生からこのような状態になることが本当に情けなく、一念発起してダイエットを敢行しました。ちょうどAAAやTRFの楽曲採用が決まって、もう一度、神戸から東京に居を移した頃です。
かように僕は太りやすい体質で、20代になってビールをたくさん飲むようになってからは、65kgがベスト体重であったのですが、ハタチの頃は62.5kgがベストでした。よし、バックトゥハタチだ! と、数か月かけて62.5kgまで体重を減らしました。食事はあっさりしたものを半分だけいただき、運動も継続しました。
元々、泳ぐことが好きだったのですが、水泳はダイエットには向いていません。何と言ってもゆっくり時間をかけて歩くことが一番と理解しました。
東京の新居が国立という街の多摩川の近くだったこともあり、毎日多摩川のほとりを1時間歩きました。この時間にエアチェックしたラジオを聴いたりと情報を身体に入れるようにして。散歩は最高です。タダだし、スニーカーさえあれば道具は何もいらないし、自分のペースでやっていけるし、何より早朝の多摩川を歩くことは、人生の小確幸のうちの一つです。景色はきれいだし、朝焼けは胸をくすぐるし、空気はうまい。
そのうち、歩くだけでは物足りなくなり、走るようになりました。毎朝5キロのジョグで1日を始めることにしました。当時はNTTのコールセンターでフルタイムで働きながら、作曲コンペもやってましたので(「愛とプライド」「そばかすのキス」などを書いた時期です)今考えたらオレ、めっちゃがんばってんなあって思います。
そんなわけで、この夏、ついに70kgの分水嶺を超えてしまった時はさすがにやばいと思いました。しかも少々の節制では体重は減ってくれません。あの頃は30代でしたが、しっかり僕も歳をとって今では50代中盤を超えているのです。今回の減量は本当にきつかった。
それでもね、ここであきらめてしまったら、「成瀬英樹」じゃない。いや、本来の「ひできくん」は怠け者でどうしようもないポンコツ人間だけど、カッコ付きの「成瀬英樹」はそれではいけないのです。あくなきチャレンジこそ墓碑銘、それが僕が定義する「成瀬英樹」ですから。
「ひできくん」は言います。もうええやん。お前ももう60やで。ぜんぶあきらめて、太って楽して、イージーにやろうや。ビールだって飲んだらええやん。なにがんばっとんねん。そんなんぜんぶ無駄やで、アホちゃうか、と。
あきらめるのってほんと楽なんです。「成瀬英樹」もそれは知ってます。だからこそ、僕は環境を変える必要があった。さまざまな要因が重なって、急遽引っ越しを決めたのも、それが大きかった。
あわせて、人との付き合い方も完全に新しい方向にシフトする決意もしました。今までの僕は間違ってた。どんなに佐野元春さんが歌の中で「今までの君は間違いじゃない」と歌ってくれようと、それはしっかり裏の意味もあって「今までの君は間違いじゃない(ってことをしっかり検証して生きていくのが真の大人だぜ)」って今の僕には聞こえるのです。
僕は間違っていました。
なかなか、生きていくのって難しいです。しかもオリジナルな人生を。ぜんぶそれ、自分で見つけていかなきゃいけないんですよね。ついに僕のデスペラード人生、北広島に辿り着きました。いろんなことがありましたが、今、僕の心にまた火がついているのは確かです。怠け者の「ひできくん」ではなく「成瀬英樹」が勝ったのです。
体重は67kg台まで落とすことができました。急にこれ以上落とすと逆に心配されるトシですので、ここでなんとかキープしたい。
僕は自分を「つまらない大人」とは感じていません。サンクコストはしょうがないじゃないか。いろいろあるけどさ「成瀬英樹」よ見てみろよ、お前にはこんなに仲間がたくさんいて、期待してくれる人もたくさんいて。これ以上何を求めるというのだよ。
今までの君は間違いじゃない。冷たい夜にさよなら。そして、やっぱり、つまらない大人にはなりたくない。
「ひできくん」には、しばらく静かにしてもらうことにします。
僕がシアトル・マリナーズのファンになったのは、イチローが海を渡った年、2001年だ。地元・神戸のスーパースター。彼のデビューからこの目で見続けてきた僕でさえ、初年度からMVPまでさらっていくとは思わなかった。
その夏、僕は両親と弟、そして当時の妻とシアトルへ飛んだ。セーフコ・フィールドの美しさに打たれ、日米のベースボール文化の差に圧倒された。入場口で配られるスコアシート。鉛筆を走らせ、黙々とスコアをつける人の多さに、ただ驚いた。
思い出す。子どもの頃、甲子園で二色鉛筆を握りしめていた自分を。野球は、スコアをつけながら観ると途端に面白くなる。その当たり前を、彼の地で思い出した。
シアトルは海に面し、坂道が多い。神戸とよく似ている。マリナーズはその年、勝ち星を重ねに重ねて、ぶっちぎりで優勝した。先発はフレディ・ガルシア、アーロン・シーリー、ジェイミー・モイヤー。ブルペンはアーサー・ローズ、ジェフ・ネルソン、佐々木主浩――三銃士が鉄壁だった。強いリリーフは、チームに揺るぎない安定を与える。
イチロー、イチロー、イチロー。
天然芝の外野を切り裂く背中に、僕はどれほど励まされたことだろう。熱しやすく冷めやすい神戸の空気が彼に飽いても、僕はスタンドに通い続けた。ガラガラのグリーンスタジアム神戸。ファウルボールが階段をカランカランと転がる。拾う人影もまばらで、試合のたびにボールを持ち帰った。
96年、デビューのために上京してからも、時間があれば球場へ向かった。東京ドームのファイターズ戦。西武球場。松坂大輔との最初の対決も、スタンドで見届けた。やがて僕のデビューは思うように進まず、2000年に神戸へ戻った。イチローは相変わらず淡々とヒットを積み上げていた。記録としては、もう完成の域にあった。四割だって、狙えたかもしれない。
けれど、毎試合のように彼を見ていた僕には分かった。イチローは、絶望していた。七年連続で首位打者を獲っても客は入らない。四割に届きそうな打撃を見せても、スタンドは空席だらけだった。
そして、シアトルでの大活躍。メディアと大衆の熱狂。僕は冷ややかに眺めていた。イチローは何も変わっていない。ずっと最高のプレイを続けていただけだ。つい一年前まで、ほとんどタダ同然のチケットで、広い空席の中でゆっくり見られたのに。
軽いよな。本当に、軽い。僕はそう思った。