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おはようございます!
今日は作曲本の決定版、林哲司さん著の「林哲司のポップス作曲法 改訂新版」をご紹介します。
「うたを作る学校」のメンバーで、林哲司さんを知らないという方は今すぐwikiで調べてみて。大丈夫、そんなあなたでも、林さんの代表作は必ず、必ず知っているから。
僕は音楽や作曲を誰かに習ったことは一度もありません。
音楽を始めるきっかけが、吉田拓郎さんや井上陽水さんなどの「フォーク」、クラッシュやジャム、エルヴィス・コステロなどの「パンク」、そして「ザ・ビートルズ」だったから。みなそれぞれに誰に学んだりすることなく、自分の耳と感性と行動力で素晴らしい作品を作り、時代を作ったアーティストたち。そんな彼らの姿勢が中学生だった僕に強い勇気を与えてくれたのです。憧れの「彼ら」のようになるには、まずギターを持って思いの丈をうたにすること。まずは「やってみること」が大切だと学んだのです。中三で初めて曲を書き、高校に入ってからは、比較的定期的に「新曲」を作り、友人たちに聴かせては悦に入っていました。
高校をドロップアウトしてすぐバンドを組んだ僕は、いろんなオーディションに挑戦し、地方大会くらいなら勝ち上がる感じになっていきました。特に「作曲」に関しては苦労した覚えがほとんどありません。しかしながらそれはアマチュアレベルの思い上がりだということを、もちろん後で知ることにはなるのですが。
23歳で満を持して「プロになるために」FOUR TRIPSを結成し、最初にオーディションに受かったのが「吉本興業」。心斎橋筋二丁目劇場に週一回ペースでお笑いの方々と一緒に出演することになりました。千原兄弟、中川家、雨上がり、ナイナイ…。今売れてるタレントの若い時代を共にしました。お笑いとロックの融合「Wa-Cha-Cha LIVE」ってやつです。吉本さんも最初はかなり気合が入っていて、僕たち「バンド一期生」を見定めに、たくさんのレコードメーカーが見に来てました。
FOUR TRIPSにはV社とP社が興味を持ってくれて。吉本も含めた話し合いの中、まずはデビューに向けて「半年で100曲書きなさい」ということに。今と違って「インディーズ」や「SNS」などという逃げ場もなく、メジャーデビューだけが世に自分の作品を問う手段だったし、これまた今と違って「25歳を越えたらデビューは厳しい」というのが通説だった時代。当時僕は24歳とかだから、もう焦りでいっぱいだった。
で、半年で100曲、ホントに書きました。またまた今と違って、「ワンハーフで仮歌詞で」って曲のカウントではなく、「フルコーラスを作詞作曲してバンドのアレンジまで固めた100曲」ですからね。もう24時間作曲のことを考えていました。「ここを超えないと次はないんだぞ」と言い聞かせて。
いろんな作曲法を試しました。書店に行って背表紙を眺め、素敵なタイトルを見つけてはそれにストーリーとメロディをつけてみる、とか、大好きな古今東西の曲のコード進行を全部ノートにメモして、それを元に作曲してみる、とか。
ここで出会ったのが、林哲司さんの「ポップス作曲法」でした。「真夜中のドア」「悲しみがとまらない」といったヒット曲を持つ林さんの作曲の際の「思考法」がわかりやすく書かれているこの本に出会って、僕はもう一段上のレベルの曲を量産できるようになりました。もしかしたら、「誰にでもすぐに出来る作曲法」的なものではないかもしれない。というか「誰にでもすぐに出来る」なんて本は全部嘘っぱちですからね。
でも、作曲に悩みに悩み、これ以上出来ない、もう一歩も前に進めない! と頭を抱えていた僕には大変効きました。
この名著は時代に合わせて何度も改定されていますが、取り上げられている楽曲と、話のキモになる部分は90年代に出たものと変わりません。それでも、今回何度目かの再読をし、やはりこの一冊だけが「作曲法」の本として、僕の指針であり続けると確信しました。
最近、僕の師匠である伊藤銀次さんとお話ししていても感じるのですが、林さんや銀次さんが伝えてくださる言葉が、常日頃僕がゼミ生のみんなや後輩たちにかける言葉と同じなのです。そういえば、先日、井上ヨシマサさんとのお話しの中でも出てきたキーワード「普遍性」。銀次さんや林さん、そしてヨシマサさんのような「時代を貫く曲を作るという熱い意志」だけが、「普遍性」を手にいれるものだと思うのです。
しかしながら「普遍性があったかどうか」を検証するには、10年単位での時の洗礼、検証が必要になります。今、「それ」をジャッジするには、どうすればいいか? そのための答えが、この本に書かれています。90年代前半に記された本が、ほとんど同内容で現在も有効であること自体が、林さんのポップスに対する考え方そのものが「普遍的」である証拠でしょう。
お疲れ様です!
昨日も夕方時間が取れたので「エスコンフィールド」へ。思い立ってからチケットを取って、家を出てから40分ほどで着く。これはもう「近所」と言い切ってもいい。
「僕は世界一の野球場の近所に住んでいます」ということ。素敵じゃないか。
僕がどのような「野球好き遍歴」を過ごしてきたか、については、もう語らなくていいだろう。きっとどれだけ言葉を尽くしても、理解していただくのは難しいから。
ただ一点、非常にシンプルに「野球場が好きだ」とだけお伝えしておきたい。そして、これはあくまで僕の意見だが、今の日本で野球場と呼べるのはこの「エスコンフィールド」とあとふたつくらいしかない。広島の「マツダスタジアム」も最高に素晴らしい野球場だ。もちろん「阪神甲子園球場」もそうだが、リニューアル後は随分と迫力を欠いてしまった印象は否めないけれども。
今朝は、近所の区民体育館へ。まだまだ雪が積もっている札幌では、なかなかウォーキングもままならないので、体育館にある運動施設で身体を動かそうと思ったのだ。
歩いたり走ったり泳いだりはずっと継続してやってきたが、少し筋トレにも興味があったのでいい機会だ、それも始めてしまおうと。
20代の頃から、あらゆる街のこういった公共の運動施設を使ってきたが、ここの体育館は驚くほど価格が安い。大変ありがたい。久しぶりに身体をたっぷり動かして良い気持ちだ。
今日はこのまま、作曲作業に入ります。ありがたいことに、お仕事のご依頼や、コライトのお誘いをいただいているので。少しずつ、心のかさぶたに気をつけながら、大切にうたを作って行こうと思う。
おはようございます!
昨日、一昨日と「エスコンフィールド」に、日本ハムファイターズと広島東洋カープの試合を観戦に行って来ました。今年のファイターズのホームゲームには少なくとも「三連戦のうち一試合」は行こうと目論んでいます。締め切りで忙しい時期以外は。
人生を「夢を叶える旅」と定義するのなら、僕の夢は「いつか日本にも総天然芝の開閉式ドームの野球場が出来ないか」というものであり、もう一つは「素晴らしい野球場の近くに住んで、いつでも好きな時に野球を楽しめたら」というもの。
そのどちらもが叶ったのだ。
何を大袈裟な、とあなたは言うだろう。でもそれが僕の人生、僕のオリジナルな考え方なのだから、どうか尊重してほしいなって思います。
僕は兵庫県で育ったので、幼い頃から週末になれば父が甲子園に連れて行ってくれていました。アプルススタンドに座って、イカ焼きのソースの香りがプンプンする中、選手たちのプレイに一喜一憂したものです。田淵幸一、江本孟紀、藤田平、なんかはこの目で観てますからね。そうだよな、随分長く生きてきたものです。
僕が20歳の頃、西宮に本拠地を持った「阪急ブレーブス」をオリックスが買収し、本拠地を神戸に移転させました。この神戸の「グリーンスタジアム」が20代前半の僕たちの遊び場でした。当時大学生だった弟ともよく行ったし、女性とデートめいたものをするのも、いつもグリーンスタジアムでした。スタンドはガラガラだし、外野席なら千円代で入れたし、天然芝の匂いを感じながら、こっそり持ち込んだ缶ビールを飲みつつ、パ・リーグの粗野で魅力的な選手たちを応援してました。ここは「出待ち」がやりやすくサインがもらいやすいのも素敵なポイントだったかな。
野球場の話をすると長くなっちゃう。またゆっくり書きます。ちなみにカープファンのメンバーのみんな(それが何人もいらっしゃるんですよ我がサロンには!)のためにお伝えしておくと、菊池のセカンド守備は今年も健在で、昨日も何度も唸っちゃいました。そして、僕にとっての今年の初ホームランは堂林でした。いい選手だねやはり。がんばってほしいね。
そんなわけで、朝生配信「成瀬ゼミ」は週三回、火木&「土曜か日曜」でやらせていただいております。今日は「コライトの流儀」です。「コライト」についての最新の情報と濃い流儀をお伝えしますので、必見ですよ。
おはようございます!
本日はAKB48「カラコンウインク」の発売日。いつも仲良くしていただいている先輩「井上ヨシマサ」さんが作曲編曲ミックスダウンまで担当された渾身の一作、みなさんもぜひじっくり聴いてみて下さいね。こんなに優しくてあたたかくて、スケールが大きいポップスを作ることができるのは、世界中でヨシマサさんただ一人です。
今作は柏木由紀さんの卒業ソング。「ゆきりん」は2007年の「BINGO!」が初選抜なので、僕は彼女を「同期の仲間」だと思っております。
思えば、ゆきりんには「そっけない君」というソロシングルも作曲編曲させていただいたご縁もあります。卒業には、大変に感慨深いものがありますね。本当にお疲れ様でした、とお伝えしたいです。
「カラコンウインク」が、たくさんのみなさんの心に届きますように!