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昨日、作曲における自分のターンを終え、レッスンとレッスンの合間を縫って映画『遠い山なみの光』を観に行ってきた。札幌では複数の映画館で一斉に上映されるという気合いの入った興行。その中で僕が選んだのは、もちろん「シアター・キノ」である。早めに行って整理券を受け取り、近くの甘味屋でお団子を食べて時間をつぶし、いざ上映開始となった。
カズオ・イシグロに関しては、『わたしを離さないで』をリアルタイムで読んで以来のファンである。あのときは奈良の奥地の神社まで一人旅をしていたのだが、読み始めた途端に物語に没頭してしまい、旅行どころではなくなったことを強烈に覚えている。
『遠い山なみの光』はイシグロの最初の長編、いわばファーストアルバムであり、舞台は日本の長崎だ。続く『浮世の画家』も日本を舞台にしている。3作目『日の名残り』からは日本が舞台になることはなく、彼は最初の2作で日本を描き切ったのだろう。その意図は十分に果たされたといえる。
イシグロ作品の特徴として、一人称で語られる主人公の言葉が、ある時点から急に疑わしくなることがある。ウソ、都合の良い記憶の置き換え、さらには妄想か――読者は疑念と不安に駆られる。『遠い山なみの光』もまさにそうで、最初は「戦後の女性たちの奮闘」として淡々と進んでいたのに、ある瞬間から説明もなく歪んだ世界を突きつけてくるのである。
とはいえ、『遠い山なみの光』は20年ほど前、2度通して読んだきりだ。それなりにおもしろかったという実感は心に残っているが、細部のストーリーを鮮明に覚えているわけではない。
ただ、それが良かった。だからこそ、新鮮な気持ちで、とても楽しめる映画体験になったのである。
映画の中で、あるベテラン俳優の所作やセリフに「?」と感じる箇所が二度あった。後でパンフレットを読んで、それがいずれもその俳優の提案によるものだと知った。惜しい。作品をわかりやすくしようという気持ちが透けて見えたのだが、それは残念ながらイシグロの世界にとって「お節介」になってしまっていた。その点だけが本当に惜しい。
ただし、その「お節介」こそが、この作品と「わかりやすい反戦メッセージ映画」との距離を縮めてもいる。その俳優もきっと、それを望んでいたのだろう。だからこそ観終わった後、その二箇所がずっと心に引っかかっていて、どうしても拭えないのである。
それでもトータルで見れば、突然「説明もなく歪んだ世界を突きつけてくる」イシグロの世界が、見事に映像化されたいい映画だった。僕はもう一度くらいは劇場で観たい。しかし、ある種の観客は観終わった後、腹を立てる人もいるだろう。「どういうことなの!」と。その「どういうことなの?」という地平こそが、僕にとってイシグロを好む理由である。わけもわからず、ただ静かに心を揺さぶってくるのである。
今日は日曜日ですが、なかなか大変だった今週のご報告と、成瀬ゼミで宿題に出してた映画「イエスタデイ」についてのお話をやっていきますよ!
おはようございます!!
今週はずっと娘と彼女の友人が僕の部屋に泊まっておりまして、生配信どころの騒ぎではないくらいドタバタしておりますが、やっぱり誰かが家にいるってのはあれですね、いいもんですね。
そんなわけで、この貴重な動画、メンバーのみんなにも共有するね! すごく面白いと思うよ。