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作曲家事務所には、二つの大きな役割があると僕は思っています。ひとつは作曲家に仕事を取ってくること。そしてもうひとつは、作曲家を見つけて育てること。
現在のJ-POPのヒット曲の多くは「コンペ」で作られています。でも、実はそのコンペに「参加させてもらうこと」自体がとても難しいんです。
僕はかつて応募した作曲家事務所全社に完全無視された経験があります。一曲とは言えオリコンにチャートインするようなヒット曲を書いたバンドのソングライターだったにもかかわらずです。甘い世界ではない、と感じずにはいられませんでした。まず提出できる機会自体が限られていて、ようやくデモを送れたとしても、その入り口に立つことすら難しいのが現実なんだと。
それでもあきらめずに、人に向けて曲を作るということを強く意識して再チャレンジしたところ、ようやく一社だけコンペに出させてもらえるようになりました。2001年の暮れでした。
その事務所には5年ほどデモを出し続けましたが、特にアドバイスをもらうこともなく、良くも悪くも放っておかれていたんです。それが僕にとっては幸いでもあり、少し寂しくもありました。誰からも口を出されなかったことで、自由に試行錯誤できた一方で、「これでいいのか」と迷いながら作り続ける日々は、孤独でした。
何も言われなかったおかげで、全く結果が出ていなかったにもかかわらず、5年も続けられた。でも多くの人にとっては、2~3曲出して反応がなければ、やめたくなってしまうのが自然だと思います。僕がなぜやめずにがんばれたかといえば、それはもう、生活のために必死だったから。それだけです。
だからこそ、自分が作曲家の事務所をやるなら「育成」に力を入れたいと、ずっと思ってきました。才能がある人は自然と大手事務所に囲われて、「エリート音楽シーン」ができあがっていく。大きなコンペは大きな事務所の作家から決まっていく。例外もあるかとは思いますが、考えてみればそれは当然の話です。音楽ビジネスはオリンピックじゃないのだから。
それでも、コンペに参加した楽曲のクレジットを見るたびに「いつも同じメンバーじゃないか」と唇をかみしめる日々が続きました。僕とこの作家のどこにそれほど差があるのか。悔しさは次の創作へのモチベーションになりました。
そこに風穴を開けてくれたのが、秋元康先生が手がけられた「AKB48」以降のコンペです。所属事務所も年齢も経歴も関係なく、ただ「曲がいいかどうか」で採用される。それを証明しているのが、僕です。それまで5年間どこでも決まらなかった僕の曲が、AKB48さんのコンペに初めて出した一曲で採用されたんです。その曲が『BINGO!』でした。
こうした経験を通して、僕は「結果が出ない才能ある人たちにこそ、チャンスを届けたい」と強く思い、立ち上げたのが、音楽事務所「BINGO!」です。最初に集まってくれたのは、これまで報われてこなかったミュージシャンたちでした。みんな30代後半から40代の、いわゆる「おっちゃん・おばちゃん世代」。音楽を長く続けてきたものの結果が出ず、それでも音楽を続けていく人たちです。
僕は、そんな彼らにコンペを紹介しました。なぜなら、彼らに“代表作”を作ってほしかったから。代表作があるかどうかで、その後の人生は大きく変わる。そのことを誰よりも痛感しているのが、僕自身です。もし『君はメロディー』がなければ、今の僕はなかったでしょう。
だからこそ、最初に集まってくれた仲間たちを“プロ作家”にするのが、僕の第一の目標でした。その結果、ネロがNMB48さん、マツダヒロがAKB48さんで作曲家デビュー、今年に入って白井大輔が「MATSURI」さんのデビュー曲『アヴァンチュール中目黒』で、オリコン1位を獲得することができました。「才能があるのに報われないミュージシャンにチャンスを」この目標が、ようやく第一段階に到達したと思っています。
そしていま、僕がもっとも力を入れているのが、「まったくの無名の作家志望の人たち」にチャンスと情報を届けることです。なかなかコンペで結果が出ない人、何年も頑張っているのに採用に至らない人たちは、実はほとんどが「同じ間違い」をしています。その間違いとは何か? それこそが、作曲家の“企業秘密”。でも僕は、それを本気で音楽をやりたい人に、ちゃんと伝えたいと思いました。
難しいことじゃありません。一番大切なのは、「人と同じことをやらないこと」、そして「あなたの音楽を確立すること」。つまり、自分の中にある音楽を、一番伝わりやすい形で世の中に届けること。
そのために必要なのは、歌詞の書き方、仮歌の依頼方法、アレンジの工夫、曲を完成させるスピード感など。そういった実践的なノウハウを共有する場所として「成瀬ゼミ」を始めました。
そしてこの度、成瀬ゼミから初めての「採用者」が生まれました。NMB48さんの新曲『チューストライク』Type-C収録の『もっと永遠に』を作曲した、松田貴嗣くんです。
彼は9ヶ月前にBINGO!に連絡をくれて、そこからずっと学びながら努力を重ね、この素晴らしい結果を掴み取りました。特にここ数ヶ月は、提出するデモごとに構成やメロディ、アレンジの精度が明らかに向上していて、僕たちもその成長ぶりに本当に驚いています。
ぜひこれからの松田貴嗣くんの活躍にご注目ください。本日、彼の紹介動画を公開していますので、ぜひご覧いただけたら嬉しいです。
次の僕たちの目標は『上を向いて歩こう』のような世界的ビッグヒットを、「欧米の真似」ではない日本伝統のポップスのフォーマットで成し遂げることです。長く日本のポップスに関わらせていただいていますが、今ほど「真似っこ」の音楽が量産されている時代はないと断言できるから。作り手としてのみならず、リスナーとしても大変さみしい状況になりつつあると憂いています。
独自の進化を果たした日本のポップスが僕は好きです。ガラパゴスの何がいけないの? 僕はそう思っています。「みんな」が消費し尽くした「シティポップ」だって、かつてはガラパゴスの代表として誰もが扱っていたのではなかったでしょうか。
お疲れ様です!
昨日は恒例の「BINGO! 全体ミーティング」、今回も力作が集まりました!
BINGO! メンバーのみなさんは振り返り配信で、どの作品が「BINGO! 大賞」を獲得したのか、 ぜひご確認くださいね。成瀬による感想戦、特に作家のみなさんにご好評いただいております!
今日の午後は動画編集をがんばっています。明日からは「BINGO! AID」に全振りしていきますね!
今年の野球シーズンは、大谷翔平の凱旋来日公演で幕を開けました。メジャーリーグの応援スタイルっていうのは鳴り物や応援歌などがないものですから、それを見たテレビのコメンテーターが「日本の野球も応援なんかなくせばいい」みたいなことを言って、軽く炎上していましたね。
応援については僕も割といろいろに思うことがあるんですよね、やっぱり。基本的には僕も日本のプロ野球の「応援団」「鳴り物」の応援はない方がいいとは思っています。
いや、待ってください、どうか話は最後まで聞いてください。
僕は2004年から20年間、日本のプロ野球を完全にボイコットしてきた人間です。子供の頃から熱烈に応援していた「近鉄バファローズ」という球団を、「球界再編」と呼ばれる、なんだかわからない「大人の事情」で奪われてしまったからです。その怒りをどうすればいいのか分からず、自分というプロ野球ファンをこの世から消すように、球場に一切行かずボイコットするという選択をしました。そして完全にメジャーリーグに全振りして、恋人に去られた傷を癒すように、メジャーに没頭していったわけです。その結果、DAZNで解説の仕事をいただいたり、アメリカの球場を巡ったりと、ちょっとミュージシャンとしては変わった方向にまで行ったのですが。いまでもMLBは僕の人生のほとんどです。
アメリカの球場って、やっぱり応援団がないことで野球がとても集中して見られるんですよね。選手の一挙一動、投手と打者の駆け引き、観客のざわめき。そういった要素がダイレクトに伝わってきます。だから、日本の野球もアメリカのスタイルを参考にしてきた流れがある以上、応援スタイルのあり方も一つの選択肢として考えていいんじゃないかと、ずっと思っていました。
この空白の20年間、浦島太郎状態の僕が日本のプロ野球をまた見てみようかなと思ったきっかけが二つあります。ひとつは、オリックス・バファローズの躍進。そしてもうひとつが、エスコンフィールドの開場です。
オリックス・バファローズというのは、もともとオリックス・ブルーウェーブでして、僕の地元・神戸に本拠地があり、90年代~00年代までは一番よく観に行っていた球場、球団でした。近鉄バファローズとともに僕が心から愛した球団の一つでもあります。でも、結果的にオリックスという球団が近鉄を「吸収」した当事者であることは、僕の中で簡単に消せる記憶ではないんですよね。つまり、二番目に愛していた球団が、一番愛していた球団を“食った”という状態になってしまったわけで、ものすごく複雑な感情を持ち続けてきました。10年ほど前にオリックスがイベントで近鉄バファローズのユニフォームを着て試合をした時は、本気で「喧嘩売ってる?」と思いましたし、当時の近鉄難民(僕らは自虐をこめてこう呼びます)はみんなかなり、怒っていたと思います。
ちょっと想像してみてください。もしあなたが大好きなチーム(例えば阪神タイガース)が、来年から読売ジャイアンツと統合になって「読売タイガース」として活動しますと言われたらどうでしょう? 両チームからいい選手はプロテクトして、残りの選手は別の新興チームへ。メンバーもバラバラになります。…こんな声明が出たら、どうなりますか? これを現実にやったのです。あの時、オリックスと近鉄は。そしてそれをなし崩し的に許したのです、NPBは。ああ、書いていてまた腹が立ってきました。
でもね、数年前、ふと山本由伸くんや吉田正尚くんたちが活躍して3連覇していた姿を見て「この子たちは僕が根に持っていることなんか知らずに、ただ一生懸命プレーしてるだけなんだな」と思ったんです。で、もうオリックスがやったことはやったこととして、「もう許してやろう」と思った。もう時は流れた。いいじゃないか、と。
そうして改めて日本のプロ野球を見てみたら、やっぱり面白かったんです。その頃ちょうど、娘が北海道の大学に通っていたこともあって、よく北海道に来ていて、エスコンフィールドの初年度には2、3回観に行きました。あの球場を見た瞬間に、アメリカの球場に全然負けていないじゃないかと感じました。心から感動しました。その感動がじわじわと大きくなっていって、最終的に僕は娘のいた北海道に移住することになったんです。娘が入れ替わりに東京の大学に編入して行ったタイミングで、娘が住んでいた部屋で仕事をしながら、エスコンに通うことに決めたのです。
さて、話を少し戻しましょう。応援団についてです。この20年間、日本のプロ野球を支えてきたのは、まさにファンの皆さんの努力のおかげです。今のプロ野球コンテンツって、ほんとすごいですよ。めちゃくちゃ盛り上がってる。20年前なんて、「地上波終わった」「巨人の人気がなくなった」「もうプロ野球終わりだ」なんて言われてました。でも実際は、いま全球団がきっと黒字経営しているんじゃないかというくらい、しっかりとファンが根付いているんです。
これはNPBの努力ももちろんですが、それ以上にファンのみなさんの努力のおかげです。応援団の皆さんもその中にしっかり含まれていると思います。スタンドで鳴り物を鳴らしながら応援し続けたことで、新しいファンが増えたというのも事実でしょう。だから、簡単に「応援団なんかなくせ」とか「鳴り物をなくせ」など、僕は言えません。むしろ感謝しかないです。だってその応援があったからこそ、いま僕がまたNPBに夢中になれる日々を取り戻せたんですから。「応援」は日本野球の文化であり、日本野球が生き残った理由の大きな一つであることは間違いないはずです。
だから一つだけ。楽器の中で「パーカッション」というカテゴリーがあります。カスタネットとかタンバリン、もちろんドラムも。いろんなものを叩いて音を出す。で、パーカッションの世界には、プラスチック製のものってないんですよ、寡聞ながらプラスチック素材を叩いて音を出す楽器が市民権を得た例を僕は知らない。なぜならプラスティックはどうしても耳に刺さる高音域の音が出てしまう。人の耳があの音を「快い」と感じることはないと思うのです。じゃあなぜプラスチック製のスティックを叩くのか、それは「安価な素材で大きな音を出したい」という理由であろうと。あの素材は「合奏」には向きません。しんどい人には本当にしんどい。僕は残念ながら、NPB観戦時は耳栓をして観ています。おかげであらゆる種類の耳栓に詳しくなりました。
だから、応援団そのものに文句を言っているのではなくて、「プラスチック製の鳴り物だけやめませんか?」という、ほんの小さな提案です。代わりに、手拍子でいいじゃないですか。自分の手でパンパン叩く。痛くなったらやめればいい。試合の終盤で手が赤くなるくらい叩いたら、それだけ応援したっていう実感も湧くと思うんですよね。
もしくは、応援団席の人たち以外は、プラスチックのスティックを使わないようにするマナーを定めるとか。球場にはお年寄りも、子供も、お若い方もたくさん来ます。応援したい人、静かにじっくり見たい人、いろんな人が共存できるスタジアムであれば、より素晴らしいなと思うんです。
球場で流れる音楽についても少し触れておきます。たとえば、エスコンフィールドでは今年のオープン戦まではイニングの合間にSMAPの『SHAKE』が流れていました。日本ハムファイターズには『シャケ丸』という鮭の形をした、とても可愛い応援キャラクターがいるんですけど、おそらくその“シャケ”にかけた“シェイク”という洒落だったんだと思います。開幕前までは普通にかかっていたんですが、3月31日にフジテレビの第三者委員会の発表があって以降、開幕後しばらくは『SHAKE』は流されなくなっていました。「ああ、やっぱりエスコンもそういうことを考慮して、流さないようにしてるんだな」と思っていたら、ここ二試合ほど、またイニングの合間に『SHAKE』がかかるようになっていました。
僕個人としての意見はふたつあります。まず、ソングライターとしての視点から言えば、いろんなことがあっても曲が“死んでしまう”というのはできるだけ避けたいという思いがあります。たとえ今回のような不祥事が起きたとしても、楽曲自体には罪はないわけで、公の場で普通にかけてもいい、という考え方は、作り手にとってはとてもありがたいものです。
一方で、やっぱりああいう出来事の直後に、球場のように老若男女が集まる空間であの曲を流すことに、違和感を覚える人がいるのも当然だと思うんです。僕の見解としては、単純に“シャケ”にかけて『SHAKE』を使っていたんだろうなという印象で、そこに強いポリシーや意志があったとは思えません。だとすれば、「今は別に無理して流さなくてもいいんじゃないかな」くらいのスタンスでいいと思うんですよね。
実際、『SHAKE』が流れた瞬間に、おおっと場内がざわついたり、ああ…と何かを察するような空気になったりする。それが野球観戦の空気を少しでも乱してしまうのなら、それは避けたほうがいいと正直思いました。決して「SMAPの曲を公の場でかけてはいけない」という話ではなくて、もし理由が“シャケにシェイク”という単なるダジャレだけなのであれば、たとえばCarsの『Shake It Up』なんて曲でも、十分に球場は盛り上がると思うんです。ベースボールとアメリカンポップスは相性がいいですしね。
みんなが純粋に楽しめる選曲。そういう視点もこれからの球場には大事なんじゃないかなと、そんなふうに感じた出来事でした。
さて、昨日のファイターズの試合。もちろん清宮の守備とか、矢澤の後一歩追いつけなかったセンターフライとか、色々ありますけど、6回の中川による逆転3ラン、これに尽きます。「ここを抑えたら勝つ」という勝負どころで一番悪い結果が出たら、なかなか勝てるものじゃありません。オリックスにホームで三連敗を喰らうというなかなかタフなはじまり方をした今シーズン。今週は1勝4敗と苦しい戦いになりましたが、長いシーズンこういうこともありますよ。
僕は勝ち負けに一喜一憂しない。勝ったらうれしいけど、負けて悔しくたって腹を立てたり機嫌が悪くなったりすることはない。「やれやれ」くらいは思うけど、それ以上でもそれ以下でもない。
子どもの頃、夏休みになると父と一緒に甲子園や西宮球場に足を運んでいた。勝っても負けても、そこで見たプレーや応援の光景は心に残っている。野球はそういうものなんだと、あの頃から思っていた。
だってね、一番勝ちたいのは選手たちだし、そのために彼らが毎日どれだけの努力をしているかは見ていればわかる。誰よりも自分たちに厳しく、チームの勝利のために準備をしている。その姿勢がある限り、僕は勝敗以上に彼らの「やってきたこと」を信じたいと思う。僕らはその姿を見に球場へ行くんだ。
だからこそ「なんであそこで打てないんだ」「なぜ交代しないんだ」なんて声には少し距離を置いてしまう。野球は本当に難しいスポーツだということを僕は知っているから。例えば、打者は0.3秒の間に150キロの球種を見極めてスイングしなければならないし、守備では打球の方向とバウンドを一瞬で判断して身体を動かす必要がある。作戦一つとっても、相手のデータと選手の調子を天秤にかけて決めるものだ。そして采配を振るう側もプロ中のプロである。「なぜそこでその作戦なんだよ!」「なぜ〇〇を使わないんだよ!」なんて考え方を僕はしたことがない。すべての決断には、その背景に緻密な準備と判断がある。
それって、僕たちの仕事でいうと「なぜそこにその歌詞が来るんだよ!」「なぜこのコードの後にブレイクをつけないんだよ!」と観客から言われるようなものである。なぜって? そこには意図があるからに決まってるだろう? そして、その意図が失敗することだってある。というか、失敗の方が多いのだ。うまくいかないからこそ、次に活かすことができる。そして、どんなことでもそうだが、失敗からしか学べないのである。
昨日の試合は11対1で負けた。スコアだけ見ればワンサイドゲームだったし、実際に試合内容も苦しかった。初回から流れはオリックスに傾き、スタンドの空気もどんどん重たく沈んでいった。誰もが、これは厳しい試合になるぞと感じていたと思う。先発の金村が初回に頓宮にスリーランを浴びたのがすべて。たった一球、でもその一球が試合の流れを決めてしまうのが野球の怖さだ。
僕はフォアボールとホームランと三振だけがピッチャーの責任だと思っている。MLBを長く見てきたせいで、その考え方が身に沁みている。つまりフィールドに飛んだ打球がアウトになるかどうかは運であり、どれだけ完璧なスイングでも正面を突けばアウトだし、ボテボテのゴロでも間に合えばヒットになる。
MLBには「BAPIP」という指標があり、それは「ホームラン、四死球、三振」以外のフィールドに飛んだ打球の打率のこと。つまり「どれだけ運によって左右されているか」を数字で見るもの。完璧な指標ではないが、ある選手がある年突然打率が上がって翌年に急に下がったりするのはこのBAPIPを見れば「なるほど、この年はフィールドに飛んだ打球が安打になる確率が高い=運が良かった」のね、と考えることができるのだ。
この指標は「被BAPIP」で投手にも使える。たとえば、芯を外して打たせたはずの打球が、ちょうどセカンドとライトの間に落ちてしまうことがある。逆に、完璧に捉えられた打球でもサードの真正面だったらアウトになる。どれだけ芯を外した打球で打ち取っても、なぜか誰もいないところに飛んでしまったり、どれだけ強い打球が飛んだとしても、キャッチしてしまえばそれはアウトなのだ。野球って、ほとんどのプレイが運によって左右されている。「ホームラン、四死球、三振」以外は。
だから、ホームランを打てる選手は貴重だし、四球が多い投手は評価が下がるし、三振が取れる投手は試合終盤の大切なところに起用されるのだ。すべてその逆もしかりだ。数字の裏には物語があるし、スタッツには選手たちの見えない努力が詰まっている。
オリックス九里投手の投球。メジャーによくいる、打たせて取るピッチャー。初回に万波に見事なホームランを打たれたあとは、打者の芯を外す投球に徹し、ホームラン以後のヒットは内野安打二本と、清宮によるセカンドの頭を超えたヒット二本だけ。見事だった。
完敗。昨日の宮城といい、オリックスの先発投手に二日続けて完璧にやられてしまったなという印象。相手が上手だった。それに尽きる。こちらが悪かったというより、相手がそれを上回った。そういう試合もある。
連投の山本拓、松岡も失点を重ねたけれど、あの展開ではある程度やむを得ないと見た。松岡は二死からの失点が二イニング続いたのが評価を下げたかもしれない。一つは内野安打から、一つは四球から。そんなものである。でもね、こういう登板の中でも経験は蓄積されていく。若い投手には失敗も財産だ。
八回。完全に試合が決していた場面で登板した福谷。いわゆる敗戦処理の場面だが、彼がそんな投手でないことは観客もみんな知っている。場内に名前がコールされた時、ライトスタンドからは大きな拍手が起きたことを伝えておきたい。FAでやってきた投手がこの場面で投げてくれる。中日からの移籍後、目立つ場面での登板は少なかったが、彼の真摯な姿勢や人柄はファンの間でも評価が高く、地道に積み上げてきた信頼が、この拍手の大きさに現れていた。チーム事情はもちろんわからないが、グッと来るではないか。見事な投球で三者凡退、スタンドの拍手は一番大きかった。ああいう投球は胸を打つ。
最後に投げた齋藤友貴哉、157キロのストレートは鮮烈だったけれど、こちらも二死からフォアボール二つからのタイムリーでの失点。これでは安定感がない、と評価されてもしかたがないかな。でも、157キロの直球には夢がある。今日ダメでも、明日がある。僕はそう思っている。
さあ、今日もデーゲーム。先発が二試合続けて崩れているので、バーヘイゲンにはなんとか良い投球で試合を作ってほしい。初回の立ち上がりを大切に、リズムよく、テンポよく。きっと試合は締まった展開になるはずだ。
スタンドには、どんな時でも背中を押し続けるファンがいる。昨日の悔しさを胸に、今日の一球一球に希望を込めて。大丈夫、すべては「運」なんだ。みんなの努力が今日は実るって、僕は信じてるよ!
昨日は、いくつものレッスンを行い、新しく作家を志す方との面談もありました。自分の作曲も少し進んで、ラジオの収録も無事に完了。とても充実した一日でした。
今週の「POP A to Z」は、予定を変更して追悼特集をお届けすることにしました。日本の音楽シーンを長年支えてきた偉大なソングライターチームのおひとりが、先日この世を去られたのです。その方が関わってこられた楽曲を、あらためてご紹介したいと思いました。僕自身にとっても、大きな影響を与えてくれたヒット曲たち。きっと、皆さんにも馴染みのある名曲がたくさん流れると思います。
夜、地元の友人からLINEが届きました。「今、お前らの曲がテレビで流れてるよ」と。なんのことだろう? と詳しく聞いてみると、僕たちFOUR TRIPSのデビュー曲『WONDER』が、TBS系のテレビ番組で流れていたとのこと。
『WONDER』は、1997年放送のドラマ『友達の恋人』の主題歌としてリリースされた楽曲です。決して大ヒットとはいえないけれど、まあ“ポテンヒット”として、それでもそれなりに多くの方に聴いていただきました。そんな曲が、今またテレビで流れる――素直にうれしい出来事です。
後からTVerで番組を確認してみたところ、TBSのドラマの歴史を振り返る特集のなかで『友達の恋人』が紹介されていました。番組の流れとしては、TBSのヒットドラマを紹介し、その時代の空気を振り返る、という趣旨だったようです。輝ける大ヒットドラマの中で、なぜさほどヒットしなかった(失礼w)『友達の恋人』が紹介されたのかというと…まあそのあたりは、ぜひTVerで観てご確認ください。
ただひとつ、少しだけ気になったのは、楽曲のクレジットについてでした。番組内では、サザンオールスターズ、B’z、山下達郎さんなどの主題歌には、きちんと曲名とアーティスト名が表示されていたのに、僕たちFOUR TRIPSの『WONDER』は紹介クレジットがありませんでした。
昨夜のうちは「まあ、そんなこともあるか」と思っていたのですが、朝になってふと考えると、やっぱり少し寂しさが残りました。曲を流していただけたことには、もちろん感謝しています。しかしながら、「FOUR TRIPS / WONDER」と名前が添えられていたらな、と。どういう基準でクレジットを入れるか入れないかを、編集担当者はどう判断したのだろうと考えてしまいます。
それでも──二十年以上、いや、もう三十年近く経っても、こうして曲が流れるというのは、やっぱりすごいことだと思います。一曲でも、“ヒット曲らしきもの”があるというのは、本当にありがたいこと。あのドラマやあの楽曲には、いろんな想いがあります。ほんのちょっとのいい思い出と、それをはるかに凌駕する切ない思い出と。28年たっても、こんな気持ちになるなんてさ、いかにもオレたちFOUR TRIPSらしいな、とも思いました。
だからこそ、あらためて思ったのです。自分がもし、クレジットを出す側の立場にあるなら、有名か無名かで扱いを変えるのではなく、できる限りフェアにやろう、と。
もちろん、こうして流していただいたことへの感謝は、心から持っています。誤解のないように。それだけははっきり言いたい。怒っているわけではありません。ただ、もしこの文章を読んでくださっているあなたが僕の立場だったとしたら――きっと、同じように感じると思うんです。そりゃそうだよね?
娘にもLINEで知らせたところ、とても喜んでくれて、わざわざTVerで番組を見てくれたようでした。ほんの少しでも、パパとママがあの頃がんばっていたことが、娘に伝わったなら、それはそれで良かったかな。
『WONDER』のあとは、僕らまったく鳴かず飛ばずで、結局神戸に帰っていろんな仕事をしながら、作曲家になるべく体制を立て直そうと必死でした。当時の僕の夢は「もう一曲、カラオケに入るような曲を作ること」でした。『WONDER』はカラオケに入っていたので、それに続くもう一曲を――というのが、あの頃の僕にとってはとてもとても高い目標だったのです。でもそんなことを口にしても、周囲の反応は冷ややかでした…
「おまえはまだそんな夢みたいなことを言っているのか」と。
あれから28年。今では、僕が作った曲をすべてカラオケで歌おうと思ったら――おそらく仲間たちと回して歌ったなら、2時間では足りないでしょう。本当にありがたいことです。音楽の神様に、そして、音楽を続けさせてくれる環境と周囲の人たちに、何より応援してくれるファンのみなさんに、心から感謝しています。
自分のデビュー曲が、またテレビで流れる。そんな出来事を通して、いろいろなことを思い出しました。――ソングライターって、ほんとうに、めんどくさい生き物ですね。