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僕の「可愛い妖精のお嬢さん」
成瀬英樹
成瀬英樹
10月17日 12:52

僕の「可愛い妖精のお嬢さん」こと娘が、今日23歳の誕生日を迎えた。嬉しい。心からおめでとうと言いたい。彼女の人生の前には、さまざまな可能性が口を開けて待っている。

 

「妖精の可愛いお嬢さん」というのは、我々家族が愛する作家・村上春樹の名短編の中のフレーズである(『バースデイ・ガール』、おもしろいからぜひ読んでみて下さい)。

 

僕も毎年、娘の誕生日にこの短編を読むことにしている。スターバックスでコーヒーを一杯飲むくらいの間に読み通せるほどの短い話だが、読み込むほどに物語の位相が違って見える。いつ読んでも「こんな話だっけな?」と新鮮な驚きを僕にくれる。そして、今日の僕は、泣いてしまった。なぜかは、言わないでおく。もしあなたがこの話を読んでくれたら、きっと共感してくれると思う。一人の作家を真剣に読みこむことで、年齢を重ねることの良い側面を多く知ることになる。

 

そのストーリーの中で「妖精の可愛いお嬢さん」は二十歳の誕生日の出来事を回想する。

 

さて、僕は二十歳の頃何をしていただろうと考えた。1988年、19歳の僕は「The Silentz」というバンドのギターボーカルとして、神戸の老舗ライブハウス「チキンジョージ」に毎月のように出演していた。僕と、ドラム、ベース、そしてオルガンプレイヤーによる4人組になるのだが、最初はもう一人ギタリストが居た。それが今このsoulmixを立ち上げから一緒にやっている山田くんだ。そう考えると随分長い付き合いになる。

 

歴史と伝統を大切にするチキンジョージのホームページには、過去のライブスケジュールがまとめてある。1988年を見ると、僕たちのバンド「The Silentz」の表記もありました。当時デビューしたばかりの「GO-BANG’S」と対バンをしている。森若香織さんはじめバンドのみなさんに東京におけるいろんな話をしていただいたことをよく覚えている。

 

今考えたら19歳なんて子供である。しかも他のメンバーは私立大学の学生で、本気で音楽でプロになろうなんて思っていなかったはずだ。にもかかわらず、僕はかなりのスパルタなバンド運営で彼らを引き摺り回してしまい、誰もついて来れなくなっていった。この歳の暮れ、二十歳になる頃にはThe Silentzは解散していた。世はバンドブーム前夜。もしこのまま続けていたら、僕たちThe Silentzもきっと「青田買い」されてデビューみたいなことになり、そして潰れていただろう。

 

この時の僕には回り道が必要だったのだ。

そこから約3年間の間、僕はバンドを組むことはなく、さまざまなアルバイトを経験しながら、たくさんのレコードを聴き漁った。主に50年代のジャズや、かなりオーセンティッックなブルースを聴いていた。テレビすら持っていなかったので、日本語の音楽は一切聴くことはなかった。この頃、ストーンズの初来日や、ニック・ロウの弾き語りに衝撃を受けたりしていた。またいつか音楽をやることがあるのだろうか? そんな不安を抱えながら、それでも毎日楽しく暮らしていた。

 

1992年。阪神タイガースが新戦力「新庄・亀山」を擁して優勝まであと一歩の戦いを繰り広げた歳(チームを年単位で評価するなら、この92年の阪神タイガースこそ、我が人生のフェイバリットチームである)、23歳の僕はFOUR TRIPSというバンドを結成した。『ザ・コミットメンツ』という映画に感化された僕が、軽い気持ちで始めたR&Bバンドのはずだったが、結局さまざまな行きがかりでそのままプロになることになったバンドだ。

 

僕が今、あの頃の23歳の自分に声をかけるなら、「人生、長いから焦るんじゃないよ」だろうか。「お前が信じたその道の向こうにも道は続いているから」と言うだろうか。

 

いや、やっぱり、いつか鮎川誠さんにもらった言葉をそのまま伝えるだろうな。「成瀬、続けろよ」ってね。

そんなシンプルなワードで、人を納得させられるような、本質的な人生を掴めるようにパパもがんばらないとだ。

ケセラセラ!

ゆうみ、おめでとう!

ギターダビングなどなど、配信!
BINGO Songwriting Club 「成瀬英樹ゼミ」 メンバー マイソングプラン 成瀬英樹ゼミ マンスリープラン
成瀬英樹
成瀬英樹
10月16日 14:59

お疲れ様です!
 

今日も今日とて、レッスンを終え、ラジオの収録を終えました。近くのスタバで1時間ほど読書もしました(村上春樹さんの夏帆シリーズの最新作!)

 

今日は午後になりましたが、生配信しますよ! 門外不出の作曲秘話、今日もじゃんじゃん公開します!

 

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そして、かなりの確率で、僕が生きているうちは最後のことになるでしょう。
成瀬英樹
成瀬英樹
10月14日 6:26

おはようございます!

 

昨日は、シアトル・マリナーズのリーグチャンピオンシップGame1を朝から観戦。正直なところその話題だけで2000文字は軽くクリア出来ますが、それはやめておきます。あまりにも誰も求めていない情報過ぎますものね。ドジャーズならともかく、シアトルの話をされてもね。

 

とりあえず、シアトルが先勝しましたことをお伝えさせていただくとともに、ワールドシリーズの日程と日本シリーズの日程と自分のスケジュールを確認して、ワールドシリーズのチケットの価格の相場感を身体に入れたところです。高い、高すぎる。かなりの部分であきらめていますが、いやでもまだあきらめないで情報を仕入れたいところです。

 

シアトルがワールドシリーズに出るとなると、史上初になります。そして、かなりの確率で、僕が生きているうちは最後のことになるでしょう。それを見逃すのか、成瀬。そう、自分の中の自分がやかましいのです。

 

今、とある企業様案件で、ヒカルさんと曲を書いてます。クライアント様に3パターンお聴きいただいた中から1曲を選んでいただいたものを、ヒカルさんがフルサイズアレンジしてくれたものが試合中に届いて、うっかり聴いたらもう最高すぎて、正直ベースボールどころじゃなくなりましたよ。次は私の歌入れのターンです。簡単なボーカルなら時間に気をつけて家で録音したりもしますが、この曲はシャウトが必要なので、「苗穂」という札幌の隣駅にあるスタジオを借りてボーカルを録ってきました。私の歌でいいのかなと思いつつ、何も言われていないので、このまま使っていただけるようにベストを尽くすだけです。

 

夜はゼミ生が札幌に来ているということで、松尾ジンギスカンを一緒に食べて来ました。こんな機会がないと札幌にすら出なくなるので、誘ってもらってありがたかったです。なんかいつの間にかこっちも「立場ってる」感じなので、自分から気軽にみなさんのこと誘えませんが、BINGOのメンバーならお誘いいただいたらだいたい会いに行きますよ、ゼミ生じゃなくってもね。

 

さあ、今日はレッスンがたくさん入ってます。嬉しいですね。その合間に白井大輔との対談動画の編集と、自分のボーカルのエディットを集中してやらないとだ。

 

そうそう、昨夜は新しい作家候補の方と電話で話しましたよ。さあ、どうなるか。BINGOの文化はお伝えしましたが、他の大きくて老舗の事務所にいくつか所属されていた方で、やはりコンペや楽曲に対する価値観がまったく違うので、その辺りをじっくり詰めて行くことが出来たら一緒にやってみたいなって思ってます。

あと4つ
成瀬英樹
成瀬英樹
10月12日 9:41

ダイアン・キートンが79歳で亡くなったそうだ。ご冥福をお祈り申し上げるとともに、彼女が出演した映画の印象的なシーンを思い出している。『アニー・ホール』で高価なコカインを前にくしゃみをして、白い粉を吹き飛ばしてしまったあの気まずい顔――忘れられない。ダイアンのことが特別に好きだったというより、僕が好きになった映画の多くに彼女が出ていた。どんな作品でも、彼女が登場すると「お、ダイアン・キートン」と心が少し浮き立つ。そんな人だった。 

 

昨日は、日本時間の朝9時からシアトル・マリナーズとデトロイト・タイガースのディヴィジョン・シリーズ第5戦を観ていた。勝ったチームが次のステージへ進み、負けたらシーズンが終わる大一番だ。

 

シアトル・マリナーズは、メジャーリーグ30球団の中で唯一、まだワールドシリーズに出場したことがないチームである。今季のリーグ優勝も実に24年ぶりだった。24年前と言えばイチローさんがデビューしてMVPと新人王を獲得したあの年だ。「うちの娘が生まれる前年」と言い換えると、その“24年”という時間の重さが実感できるだろう。つまり、ベースボールクレイジーなパパが贔屓にしているチームが優勝した瞬間を、娘はまだ一度も見たことがなかったのだ。

 

メジャーリーグに詳しくなくても、大谷翔平のニュースは耳に入るだろう。翔平が長く厳しい戦いを続けているなあと、なんとなく感じている人も多いはずだ。そう、アメリカではリーグ優勝をしてからが本番なのだ。ワールドシリーズにたどり着くには、最低でも二つのシリーズを勝ち抜かなければならない。今年のドジャーズはシードなしだったため、三つ目のシリーズを目前にしている。

 

そして昨日のシアトル。負けられない試合を延長15回の死闘の末に制し、次なるステージ「リーグ・チャンピオンシップ」へと進む。Best of Seven――先に4勝すれば、夢のワールドシリーズだ。

 

その長い試合の結果を、僕はエスコンフィールドの外野席で知った。14時から始まったファイターズ対バファローズのクライマックスシリーズの真っ只中、スマホの通知で。まさか自分がここまで涙を流すとは思っておらず、かなり焦った。

 

「あと4つ勝てば、ワールドシリーズだ。」その言葉を思い浮かべるだけで涙があふれてくる。異常体質なのかもしれない。でも、きっとそれだけ僕の人生に深く関わってきたのだと思う。シアトル・マリナーズという、愛すべき弱小球団が。

 

エスコンフィールドでのファイターズも、今年ベストと言える試合を見せてくれた。現時点でトップクラスのスーパーピッチャー・山下から2点をもぎ取り、ファイターズのエース・伊藤大海は7回無失点という、まさに伊藤大海らしい芸術的ピッチングを披露した。田中から齋藤への完璧なリリーフも、新庄監督が昨秋に口にした“予言”をついに現実のものにした。

 

レギュラーシーズンを2位で終え、新庄監督の続投も決まり、北海道のファンは腰を据えてポストシーズンを戦う準備ができているように見える。優勝チームはホークス。その敬意は忘れずに、しかしポストシーズンはまた別の戦いだ。一種のお祭り。どうか思い切り楽しんでプレイしてほしい。それでも、やはりあの選手たちに勝たせてあげたい。彼らが喜ぶ顔こそ、僕たちの喜びなのだから。

 

――何かを応援するって、結局、自分の人生を重ねることなのかもしれないね。

「どんなことがあっても夢に食らいつく」──そんなことは前提中の前提じゃないのか
成瀬英樹
成瀬英樹
10月11日 9:01

おはようございます!
 

今朝も5時に起きて、レコードを一枚じっくり聴きました。ローリング・ストーンズの1963年リリースのファーストアルバム(米国版)を、新しく買ったコロンビアGP-3の復刻版ポータブルプレイヤーでじっくりと。いいですね、やっぱりいいですね。僕がストーンズに真剣にハマったのは中学3年生のとき。転校ばかりでまわりにうまくなじめなかった僕の心を、彼らの音楽があたためてくれました。まわりに同じような音楽を聴く友人などいるはずもなく、ラジオと雑誌が僕の先生でしたね。
 

高校に入ってバンドを始めた頃も、常にストーンズがお手本でした。僕の理想のバンドは、例えば「じゃあ、『ルート66』やろうぜ」って誰かが言ったら、全員がサクッと合わせてしまえるようなバンド。誰かが『メンフィス・テネシー』を歌い出したら、自然にセッションが始まるような、そんなチームです。
 

それにしても、このコロンビアGP-3の復刻版は本当にいいですよ。カートリッジだけじゃなく、スピーカーにも工夫があるのかな。昔持っていたGP-3もかなり愛用していましたが、ここまでいい音質ではなかったんです。
 

昨日もビートルズのモノラル・シングルはもちろん、ヤング・ラスカルズのファーストなんかも聴いていましたが、この時代のモノラルものは、これで聴くのが“正解”なんじゃないかと思うほど。ラヴィン・スプーンフルなんかもそうですが、サブスクやCDで聴くとスカスカで落ち着いて聴けないんですよね。
 

僕らの仲間、白井大輔くんが作曲したMATSURIさんの『アガベの花』が大ヒット中です。昨夜は、そんな大ちゃんと動画を一本撮りました。BINGOでは楽曲がリリースになった際に動画を出すようにしていますが、大ちゃん、ここのところ大ブレイク中で、「僕が見たかった青空」さんのリリースタイミングで話を聞いたのも、ついこの間のことです。いや、まったくすごいよ、大ちゃん。僕は嬉しいよ。
 

そんな白井大輔。音楽が好きでたまらなくて、どうしてもそれで食っていきたくて、5人のお子さんを育てながらチャレンジを続けてきました。その結果が、今なんです。初志貫徹。笑顔で夢の舞台までたどり着いた彼を、僕は眩しく見ています。シンガーソングライターとして、そして専門学校の講師として立派に活動していたところへの作曲家デビューです。一つひとつ、粘り強く積み上げたものは崩れることはありません。
 

25年前に出会った白井くんは、新進気鋭、期待のシンガーソングライターとして僕の目の前に現れました。自信満々で、怖いもの知らずの若者。僕はその頃、FOUR TRIPSでのデビューに失敗し、東京で敗れた夢を抱えて大阪で活動の場所を探していたので、彼のその自信満々さが鼻についてしかたなかった。──妬んでいたんです。
 

それから15年くらいたって、彼も紆余曲折いろいろあって、ある日連絡をくれました。名古屋のダンスユニットに楽曲を提供することになったのだけれど、「一緒に曲を書いてほしい」と。2017年くらいのことだったと思います。そのころ、こちらは何曲かのヒット曲を出した作曲家になっていて、かなり現場で揉まれていましたので、大ちゃんの作ってくる曲の“甘さ”が許せなくて、かなり厳しくブラッシュアップしたのを覚えています。メロディはもちろん、歌詞の一行一行に意味をこめないと、ただなんとなく心地の良い曲を書いていても、鋭い作品にはなり得ません。そんなことを伝えさせてもらいました。
 

4年前にBINGOを立ち上げた際、白井くんが入ってくれることになったのは朗報でした。僕が彼の一番の強みだと思うのは「やめない」ことです。夢をかなえるための条件は、実はそれだけなんです。やめなければいい。だけど、ほとんどの人がやめるんです。いとも簡単に。そのたびに僕は真剣にがっかりしてきました。「どんなことがあっても夢に食らいつく」──そんなことは前提中の前提じゃないのか。
 

そんな白井くんが「やめたい」と言ってきたのは、去年の夏頃。一緒にやってきた仲間が先にAKB48で採用を取って、彼は心が折れてしまったんですね。それでも、結局はやめなかった。泣きながら「もう一度チャンスをください」と連絡をくれました。その次のコンペで出してきた曲が、『アヴァンチュール中目黒』でした。オリコン1位を獲得しました。
 

あの時の涙がなければ、心が折れて「やめる」と言っていなければ、そして「やめるのをやめる」という一番つらい決断をして、覚悟をもう一度決めたからこそ、この名曲は生まれたのです。
 

いつ、「本気になるスイッチ」が入るのか。人間の中にはどれほどの眠っている力があるんだろう。白井くんは動画の中で、大学生になったお嬢さんのエピソードを話してくれました。パパの仕事って一体なんなんだろう?って思っていたお嬢さんが、風輪さんやMATSURIさんのヒット曲をパパが作ったと知って、すごく誇らしく思ってくれたそうです。
 

他に何かやれることがあるのなら、こんなしんどい世界を選ばなくてもいいじゃないですか。僕はそう思います。でもね、僕や白井くんのような“ポンコツなおっちゃん”でも、生まれつき音楽家として生を受けていると心の底から信じている人間には、これしかないんです。だから、自分の力で証明するしかないんですよね。
 

今、ストーンズの1969年のライブアルバムを聴いています。最高だよな。13歳の頃に感動した音楽を、今も心から愛せていること。それが僕のプライドなのかもしれません。あの頃の自分を、裏切ることはできないからね。絶対に。