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そういえば、ポール・オースターの『4321』を読み終えたことを、まだみんなに伝えていなかった気がする。本当に長い本だった。ページをめくってもめくっても、まだ続く。終わりが見えない。でも、読むのが苦しいことは一度もなかった。ただただ長くて、ただただひたすらに面白かった。
オースターの集大成ともいえる作品で、1960年代のアメリカを舞台に、ファーガソンという少年の青春が描かれている。これから読む人もいるかもしれないから、内容には触れないけれど、青春小説として本当に素晴らしかった。それだけは、どうしても伝えておきたい。
読み始めてすぐに、ある仕掛けに気がついたとき、「ああ、これは最後まで付き合うことになるな」と思った。そして案の定、その世界から抜け出せなくなった。ただ、それにしても、重い。物理的にも、内容的にも。登場人物の名前が次から次へと現れて、すぐには思い出せないこともしばしば。
だから今回はKindleで読んで、名前を忘れたら検索して前のページに戻りながら、さらには細かくメモを取りながら進めた。そんなふうに工夫しながらでも、いや、そんなふうに工夫しながら読むからこそ、楽しかった。
本当にいい本というのは、ただ「読む」だけではなく、読んでいる時間そのものが特別なものになる。ページをめくるたびに、少しずつ物語の中に引き込まれ、やがて現実との境界が曖昧になっていく。気がつけば、登場人物と一緒に時を過ごし、人生の一部を共有しているような気持ちになっている。久しぶりに、そんな読書体験をした。長い時間をかけて読んだからこそ、今は少しだけ、読後の余韻に浸っていたい気分だ。
昨日、エスコンフィールドで2025年シーズンの第一試合が行われた。雪がしんしんと降る、凍えるような寒さの中、つるつる滑る路面に気をつけながら最寄りの駅まで歩き、そこからバスに揺られて球場へ向かった。今年は外野の一席をシーズンシートとして購入し、そこでじっくりと、定点観測のようにファイターズという若く魅力あふれるチームを見つめていくつもりだ。
昨年、僕は53試合、エスコンフィールドに通った。その一試合一試合に思い出があり、気がつけば、ファイターズの選手たちのことを家族のように感じていた。普通に「贔屓のチームがある」というのとは少し違う。ただ応援するというよりも、彼らの成長や挑戦を、親しい友人のような気持ちで見守っている。
もともと、僕はファイターズのファンだったわけではない。北海道に移住してきた理由も、ファイターズが好きだったからではなく、エスコンフィールドという球場に恋をしたからだ。これが僕にとってはとても大事なポイントで、ファイターズのファンになったのは、言ってみれば後付けだった。
ご存知のとおり、僕はずっとメジャーリーグばかり観てきた。メジャーリーグクレイジーと言ってもいいくらい、日本のプロ野球には20年近く触れていなかった。だから、ファイターズの選手の名前も、一から覚えるところから始まった。
でも、2024年のファイターズは、新しくファンになるには実にいいチームだった。まだ始まったばかりの選手たちが、一斉に花開こうとしていた年。清宮、水谷、万波…若い選手たちが、それぞれのタイミングで覚醒していく瞬間を、この目で見ることができた。それは本当にかけがえのない体験だった。
正直なところ僕は「応援するチームが勝とうが負けようが、あまり気にならない」というタイプの野球ファンだ。長い間、強いチームではなく、むしろ弱いチームを応援してきた。勝っても負けても、グラウンドに立った選手たちはいつだって全力で戦っている。1位だろうが6位だろうが、その姿を観ることが、僕にとっての野球の醍醐味なのだ。
だからこそ、今年もまた、この目で選手たちの躍動する姿を見られることが、ただただ嬉しい。試合の結果に一喜一憂するのではなく、その瞬間ごとに生まれるドラマを、できる限り目撃したいと思う。2025年のファイターズは、どんな景色を見せてくれるのだろう。これからの半年間が、楽しみで仕方がない。
それでも、締め切りは容赦なくやってくる。
新しいパートナー「光さん」との4曲目も、順調に進んでいる。そして、白井大輔くんとも共作を進めていて、今回は2曲、出そうと思っている。「絶対負けないぞ」 という気持ちで書いている。
同時に、ゼミ生のみんなの曲のミックスダウンやメロディーをチェックしたりもしている。できる限り、いい結果を出してほしいとは思うけれど、目先のキープを取るために無理にメロディーをいじったり、過度なアドバイスで曲を変更させるようなことは、最近は考えていない。
やっぱり、作家それぞれが自分で気づき、自分で成長することこそ、本当の意味での上達だと思うから。時間はかかるかもしれないけれど、じっくりとゼミでは取り組んでいきたい。
そんな中で、僕ら講師が伝えたことを素直に受け入れ、とんでもない曲を書き、まさにとんでもない結果を出したルーキーがいる。まだ詳しくは話せないけれど、近いうちにとても嬉しい報告ができるはずだ。驚く準備をして待っていてください。
その合間に、YouTubeの編集も少しずつ進めている。MOBYや伊藤銀次さんと撮ったもの。自分の力でどこまでできるのか試してみたくて、えっちらおっちら進めている。時間はかかるけれど、自分の手で感触をつかみながら。自分がやるからこそ、うまくいったり、失敗したりすることすらも、楽しいのだ。失敗の積み重ねからしか学べないことばかりだよ人生は。
そんなふうに日々を過ごせるのは、みんなのおかげです。いつも応援してくれてありがとう。これからも、どうぞよろしく。
おはようございます!
「成瀬さんは今、Zoneに入ってますからね」
ナッポさんが言った。先日、電話で話したときのことだ。
僕は「そうかなあ?」と、「そう」にアクセントをつけて、リズム的には「タン・タ・ターン?」と、わざと大きな声で答えた。
たしかにそうなのだ。札幌に越してきて1年、作曲が着実に上達している実感がある。曲をつくるときに、メロディが出てこなくて困ったことが一度もない。それどころか、「曲を作るぞ」と決めて、納得いくものができなかったことが一度もない。
「教えることで、学ぶ」。
これは確かにある。後進の作家たちに作曲を教えているうちに、自分が感覚的に持っていた作曲法を言語化できるようになり、さらにそれがめぐりめぐって、自分自身の成長につながっているのかもしれない。
萩原健太さんの『グレイト・ソングライター・ファイル〜職業作曲家の黄金時代』を読んでいる。15組のアメリカのソングライターと、日本の2人の作曲家を紹介した17章の物語。これは僕にとって待ちに待った一冊だ。僕もソングライターの端くれであり、彼らと同じ職業であることに誇りを持っている。もちろん、彼らの才能には到底追いつけないが、彼らへの憧れだけは、胸を張って語ることができる。
この絶好の機会に、僕のネットラジオ「成瀬英樹のPOP A to Z」で特集を組むことにした。はじめは「3週間の特集」にしようと思った。しかし、17組の偉大なソングライターたちを、その中からかいつまんで紹介するなんて僕にはできない。
だから、17回シリーズで全章を特集することに決めた。初回は 「リーバー&ストーラー」。
エルヴィス・プレスリー『監獄ロック』『ハウンド・ドッグ』の作者と言えば、「おお!」と思ってもらえるはず。彼らは『スタンド・バイ・ミー』の共作者であり、ビートルズが憧れたソングライターでもある。
50年代初頭、「黒人のように歌う白人」 エルヴィスとの出会いによって、白人のソングライターコンビ リーバー&ストーラー の評価は決定的なものになった。その時代の空気を感じながら、萩原健太さんによる著書からマイク・ストーラー氏へのインタビューも交えつつ、「ルーツ・オブ・ロックンロール」な彼らの名曲たちを紹介したいと思います。
ぜひ、イヤフォンやヘッドフォンを用意して、土曜日の22時半 に逢いましょう!
昨日の朝、札幌の映画館で『アメリカン・グラフィティ』を観た。
僕の人生のベスト・ムーヴィー。
中学生のころ、テレビ放映されていたのを観てから、何度も何度も見返してきた。でも、映画館で観るのは初めてだ。興奮する。
音楽に身をゆだねるために、2列目のど真ん中の席を予約した。平日の朝にしては、客席は埋まっているほうだろうか。オープニング「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」による『ロック・アラウンド・ザ・クロック』から、ラストのビーチ・ボーイズ『オール・サマー・ロング』まで、一瞬も目が離せない体験だった。次に起こる展開をすべて知っているのに、それでもめくるめくおもしろさ! これ、一体どういうこと?
あまりの感動に、エンドロールが終わってもしばらく席から動けなかった。
夜はBINGO! ミーティング。
昨日も過去最高の神回を更新しました。
このあたりの話は配信で!
ひとつ前の投稿にリンクを貼っているので、メンバーのみんな、ぜひどうぞ!
ミュージシャンやソングライターから多くの影響を受けてきましたが、振り返ると、僕にとって最も大きな影響を与えてくれたのは「音楽ライター」の方々だったのではないかと思うのです。
最初にその世界に触れたのは、中学生の頃。渋谷陽一さんのラジオでした。そこで興味を持ち、1984年12月に初めて渋谷さんの雑誌『ロッキング・オン』を手に取りました。表紙にはキース・リチャーズ。その衝撃は今でもはっきりと覚えています。
『言葉でロックすることも可能なのか?』と。
それ以来、『ロッキング・オン』に夢中になり、音楽を文章で語ることのスリリングさに魅了されていきました。
中でも特に心を惹かれたのが、松村雄策さんの文章でした。彼の音楽エッセイの語り口は誠実で穏やかで、10代の僕に「この人の言葉は信用できる」と思わせる力がありました。バッドフィンガーをはじめとして、彼から教えてもらった音楽はたくさんあります。
そして、20代になると『ミュージック・マガジン』で萩原健太さんの文章に出会います。当時、関西では健太さんが出演していたテレビ番組『イカ天』が放送されていなかったため、僕にとって萩原健太さんは「音楽評論家」としての認識でした。そして、もし彼の文章がなかったら、僕は今ここで音楽を続けていませんでした。それほどに決定的な影響を受けたのです。
1990年『ミュージック・マガジン』に掲載されたユニコーンのアルバム『ケダモノの嵐』のレビュー。萩原健太さんは、ユニコーンの音楽性や独自のアプローチを「はっぴいえんど」に例え、ユーモアたっぷりにその魅力を語っていたんです。特に、日本語のロックに対するこだわりや、独自の視点で音楽を作り上げる姿勢に共通点を見出していました。何よりも、その文章には音楽への愛情が溢れていました。当時の僕は洋楽ばかりを聴いていて、ユニコーンのような「女子人気の異常に高いバンド」をもちろん敬遠していましたが「健太さんがそこまで言うなら、聴いてみよう」と思って『ケダモノの嵐』を購入。その音楽的な素晴らしさに心を打たれました。気づけばユニコーンの大ファンになりました。
何より、ユニコーンの「普通の格好でロックをやる」という姿勢に大きな影響を受けました。
当時の神戸では、ロックをやるなら何かしらの「コスプレ」が必要でした。パンクファッション、ハードロック風の長髪、ストーンズ風の細身のジーンズ、ラバーソール、髪を逆立てる……僕もそれに憧れましたが、やはりどうにも似合わなかったんですよね。10代の頃は無理をしてメイクをしたり、髪を立てたりしましたが、20歳でバンド活動を一旦やめ、ロックも聴かなくなり、ジャズやブルースのレコードをたくさん聴いていました。
「普通の格好をしていてもロックができる」んなら、オレでも出来るかも!という確信を得て、再びバンドを組みました。それがFOUR TRIPS。このバンドが僕のデビューへとつながっていくことになるのです。
萩原健太さんが手がけた著書の数々(『はっぴいえんど伝説』!)や数多くの音楽ガイド的ムックを熟読し、レコード屋に通っては少しずつ聴いていました。能地祐子さんとともに主催され現在も続くカントリーロックのイベント 「CRT」にも何度も通いました。
そして何よりも彼のラジオ番組。毎週カセットテープに録音し、何度も聴いては気に入った音楽を買う。そこからまた広がる。そんなふうに、健太さんの言葉を通じてたくさんの音楽と出会いました。僕にとってまさに「音楽の先生」です。
そんな健太さんの新作が発売になりました。『グレイト・ソングライター・ファイル 職業作曲家の黄金時代』タイトルだけで震えるほど、待ちに待った一冊ですね。「成瀬英樹のPOP A to Z」で今月三週間にわたって大特集! と最初は考えていましたが、いや、ここには17組のソングライターが紹介されていて、重要でないパートは一つもないことに思いあたりました。
全部やります。17週ぶち抜きで(最終週はリクエスト特集ですが)『グレイト・ソングライター・ファイル 職業作曲家の黄金時代』特集! ワクワクしませんか? なんといっても僕がこの番組のディレクターであり、プロデューサーであり、一番のリスナー。一つの本を数ヶ月特集するなんて前代未聞でしょうが、だからこそ、やる価値があるのだと。
成瀬、どうせやるなら、ぜんぶやらなきゃ。
音楽を作る人、聴く人、そして語る人。互いに影響を与え合いながら、新しい音楽の景色を生み出していく。その輪の中に自分もいられることが、僕はとても幸せなんです。