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おはようございます!
今日も一日、いただいたお仕事やコンペに今の僕の全力を捧げることを誓います。
ではまずは、朝生作曲&近況報告配信から。今日は長いかも、覚悟!
おはようございます!
娘たちは、昨日東京に戻ったんですが。
ここ数日、とても賑やかで楽しかったから、僕一人札幌の部屋に残ったら「娘たちロス」になるところだったけど、急遽とあるレコーディングに呼んでいただいたので、僕も昨日、彼女たちと同じくらいの時間の別便で東京に飛ぶことになった。ロスにならずにすんだし、大好きな人たちのレコーディングを見学することが出来て嬉しいし、いいことばかりだ。
で、昨日の15時くらいに成田に着いたんだけど、暑くて暑くて、ちょっとこれはやりきれない。東京駅行きのバスに乗って、地下鉄を乗り継いで、最寄り駅からレコーディングスタジオまで坂道を歩いて汗だく。おまけに雨まで降ってきてもうグジョグジョになってスタジオにたどり着いたら、ちょうどシンガーさんのウォーミングアップが終わった頃。久しぶりに会うことをとても喜んでくれて嬉しかったな。A&Rの方もエンジニアの方も、とても穏やかでプロフェッショナルで、いいチーム、いい現場、でした。
僕なんかやっぱり、レコーディングスタジオが大好きだから、テンション上がるよね。歴史が作られる場所だからね。
そんなわけで、2曲のボーカルレコーディングが滞りなく終了。どちらも僕の渾身の作品。早くみんなに聴いてもらいたいな。
最近、よくコライトをご一緒させていただいている音楽家Nさんから昨日連絡あり。こちらもまだ詳しいことは言えないが、とても嬉しいことがありました。もういろいろ出てますが、まだ情報は出せないのです。待っててね。
そのNさんと新しい曲を作ってます。僕の仕事はメロと歌詞を書いてしまえばほとんど終わったようなものだから、移動しながらでもいつものイヤフォンを持ち歩いてさえすれば、仕事が出来るのです。「いつものイヤフォン」ってのが大切。これでビートルズも自分のもサブスクもラジオも全部聴くからね、癖を掴んでいるからね。
そんなわけで、今月から来月にかけて、またまた東京にしょっちゅう行くことになります。だってさ、「札幌に住んでるから行けません」なんて言いたくないやん。僕のようなポンコツがエリートたちに負けないようにするためには、フットワークの軽さと、目先のお金をケチらないことが肝心。あとは仕事のスピードね。「良い作品を作る」なんてプロなら当たり前のことだから、他のことで勝っていかないとね。がんばらないと。
さあ、今は成田空港。札幌に向かって飛びます。明日から通常営業と行きたいです。いつも応援、ありがとうございます。
お疲れ様です!
今、札幌出身のSSW(そして大変著名な作詞作曲家でもある)とLINEでエールの交換をしてました。彼女の大活躍は今に始まったことじゃないけど、いつもすごいなあって思っちゃう。僕もまだまだがんばらなければ。2ヶ月ほど前に札幌で彼女とお茶した際に「僕はそろそろここで余生の準備を」なんて冗談で言ったら「まだまだ戦って行きましょう!」って言ってくれて、なんかちょっと嬉しかったりしたんだ。
なんと言っても僕は彼女が高校生の頃から知っているのだ。
中原一歩著『小山田圭吾 炎上の「嘘」』昨夜一気に読了。今さら、小山田さんの偉業をここで語るまでもない。彼の音楽家としてのキャリアは栄光に次ぐ栄光の連続で、僕なんかは常に彼を見上げるような感じでした。フリッパーズ・ギターがいなければ、今のJ-POPは半分くらい形が違ったてたはずだしね。
フリッパーの面白いのは、歌ってた小山田さんが主にギタリストとして世界的に名をなし、ギター担当だった小沢健二さんはソロで歌ってスターになったこと。そんな人たちなかなかいない。
件の「ロッキング・オン・ジャパン」はまだ実家を探すと出てくるはず。
ネットなどない時代の貴重な情報源だった同誌を、僕は創刊号からずっと買い続けていた。そう言えば、コーネリアスに関してはファーストアルバムは大好きだったけど、この(問題の)インタビュー記事あたりからちゃんと聴かなくなっていた。だって、誰がこんなひどいいじめをする人間の音楽をわざわざ好んで聴きますか。いや、これらのこと、僕としても当時も間に受けていたわけではなく、きっと小山田さんなりの大ホラだって、どこかで理解していたんだと思うんだけど、それでもね。
と考えたら「ロッキング・オン・ジャパン」、そしてインタビューをし記事を書いた山崎洋一郎氏は罪つくりだよなと思う。
娘の口癖じゃないけど、誰得?
ただ、この「いじめ自慢」(と呼んでいいと思う)を、我々の世代は、というと主語が大きくなりすぎるので言い換えると、僕たち界隈では「なるほど、こんなことまで言ってしまっていいんだな」とある種受け入れていたのは確か。「小山田くん、やりすぎやんね」くらいの感想で止まっていたのだ。(ちなみに、小沢健二さんも同誌の同じ時期の同趣向のインタビューで、とある犯罪行為をなんともあっけらかんと告白していました)
それを「時代だから」とは言いたくない。僕だって、その時代の構成員の一人だったわけで。だからこそ、この事件は他人事ではないのだ、僕にとって。
そして、この「オリンピック大炎上事件」を引き起こした「共犯者」である山崎洋一郎氏に対しては、やはり強い憤りを感じずにはいられない。まったく汚ねえ野郎だぜ、何がロックだよ。と思う。一方、もし僕が今の山崎洋一郎さんの立場だったら、何か言えたかな。小山田さんを守ること、出来たかな。
きっと出来なかったと思う。ただ、一個、今の僕、小山田さんと同い年の僕に確実に言えるのは、今や「ロッキング・オン」が一番ロックじゃない、ってこと。だから辛いんだ。僕は「ロッキング・オン」で育ったから。あんなにロックロック言ってた雑誌が「ロックなんてどうでもいいんだよ」って言ってるようでさ。
実際、どうでもいいんだろうか。
小山田さん(とその所属事務所)には何度か、自ら弁明をするタイミングがあったんだ。そのタイミングを逃してしまった彼らの「なぜ、あのタイミングで謝罪しなかったんだ、なんらかのアクションを起こさなかったんだ」という後悔が、この問題の結論として、ある。僕もその「タイミング」をリアルタイムで感じていたから、ずっと思っていた。なぜ小山田さんは無言を貫いているのかと。
そして一番ホラーなのが、小山田さんを「叩きのめした」匿名のSNSの住人たちのほとんどが、音楽家・小山田圭吾になんの興味もない、いやその名前すら知らなかったということだ。小山田さんの音楽を必要としないものどもが、彼を叩きのめしたのだ。
それが、僕には怖すぎた。
それでも僕は、人は変わることが出来ると信じている。今の小山田さんにとてもシンパシーを感じている。同じ時代をくぐり抜けてきた同志として。親として、大人として、一人の音楽家として。僕も変わりたい、成長したい、と毎日必死で生きている真最中だからだ。僕だって、本当にろくでもない人間だったから。
一昨日夜から娘とそのお友達が部屋に泊まりに来ている。彼女たち、今日は朝から札幌の友人と富良野に遊びに行っている。パパも来る? って誘ってくれたけど、今日はラジオの収録をしなくてはいけないので残念だけどパスさせてもらった。行きたかったけどね。富良野、大好きなんだ。
生配信やZoomはお休みさせていただいている今週、とっておきのガチのコライト動画を共有します。よかったら観て下さいね。そして、みんな、夏を楽しもうね。
明日は、東京から野球友人が二人来ます。一緒にエスコンに行くんだ。楽しみ。
お疲れ様です!
札幌の夏の夜は涼しくて気持ちがいい。窓際のソファに寝転んで、窓を全開にして夜空を眺めながら本を読んだり文章を書いたりするのが好きです。蚊がいないので、網戸も開け放すことが出来るから、空が綺麗に見えるんだ。雲も月も星も。
今夜は、短パンだとちょっと寒いくらいです。
昨日のオールスター、一日中たっぷり楽しみました。北海道に移住して来た春頃には考えられないような夏になりました。あらゆる意味で。こちらに来てから、かなり慌ただしく仕事をがんばって来たから、ちょっと数日くらい休んでみようと思っています。
オールスターには、弊社作家のマツダヒロくんも神戸から飛んできました。彼は僕の会社BINGO! で作曲の講師として大いに活躍してくれていますし、AKB48の「思いやり」での初採用のお祝いの意味も込めて、オールスターと北海道旅行をプレゼントしました。今進んでいる案件を担当してもらっている関係で、一泊二日の弾丸にはなりますが、それでも大いに楽しんだんじゃないかな。
一昨日から娘がこちらに来て、僕の部屋に泊まっています。
と言うか、そもそも僕が今暮らすこの部屋にはもともと娘が大学に通うために住んでいて、僕がよく泊まりに来ていたのです。春から彼女が東京の大学に編入することになりこの部屋が空くことになったので、僕が「住みたい!」と手を挙げたってわけ。つまり、娘にとっては「久しぶりに帰ってきた」状態なんですね。
「パパ、案外ちゃんと住んでる!」って娘、驚いてました。あはは。
そんなわけで、数日間、娘とそのお友達が泊まって行きます。にぎやかでいい。二人は今日、札幌に出かけて、素敵なTシャツを買って来た。僕のためにもセンスのいい文庫本カバーを買ってきてくれたよ。すぐに今読んでる「百年の孤独」につけました、透明でかっこいい。娘のお友達もかなりの読書家みたいで、転がってる文庫本はサガンとドストエフスキーだから、きっとそういう文学好きなとこも二人の共通点なんでしょうね。
というわけで、二人がコンビニから帰って来ました。今からちょっとジャンクな夜食パーティが始まるようですよ!
おはようございます!
日曜日、一日どうしても自分の機嫌を取ることが出来なかった。